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寄席鑑賞マナー動画を見て感情が溢れてきた

(一社)落語協会が作成した寄席鑑賞マナー動画を観た。そしてこの動画に関して賛否両論あることを知った。そうしたら、どうしても自分の思いをどこかに残したくなって書きなぐっている。

何がこんなに私を掻き立てるのか?色んな感情が渦巻いているせいだ。とにかく書き連ねて整理してみよう。

長年の苛立ち

演劇や映画、ライブなどを長く鑑賞してきた。その経験の中で「マナー違反のお客さまと遭遇した時のやり場のない苛立ち」が澱のように降り積もっている。それがこの文章を書く動機の一つにあるかもしれない。

今年、寄席に初めて行った。本当に楽しくて感動した。素晴らしい体験だった。

ただ凄く良い噺の見せ場のシーンで、客席前方の中央辺りのお客さまがずっとスマホを触っていた。私の席からそのお客さまが どーーーーーーしても視界に入ってしまい難儀した。最終的には自分の指を目の前に持ってきて、その指で該当のお客さまが見えなくなるように調整しながら噺を聞いた(それはそれで駄目だろ)

ビニール袋をずっとガサガサ鳴らし続ける方とは、劇場や映画館でも遭遇率が高い。様々な場面で「ガサガサガサ」とやられたことがある。

芝居の最中、隣でいびきをかきながら船を漕ぐ方もいらっしゃった。

作品に対する感じ方は人それぞれだし、作品を鑑賞する姿勢も人それぞれ。つまらないと思ったら、そういう行動に出てしまうかもしれない。もしくは、それらがマナー違反だと思っていらっしゃらない可能性もある。

そう理性では理解している。だけど、感情はそんなキレイに片付けられない。鑑賞した作品やライブが素晴らしければ素晴らしいほど、私の胸の中に「チキショー!」という気持ちが降り積もっていく。

これまでの経験上、その場で係員の方や演者の方が該当のお客さまに注意をされることは稀だ。というか、注意していらっしゃるのを見たことがない。それも理解できる。そういった会場でお客さまの動向に目を配るには、それなりの人件費や労力が必要になる。しかも注意した結果、そのお客さまが怒ったりしたら大変だ

それも分かっている。

分かっているけど、私のこの悔しい気持ちはどこにも片付けられない。私の中に残り続けてグジグジとくすぶっている。

これはあくまで勝手な推論にすぎないけれど、私と同じような苛立ちを抱えている方は多いと思う。

こういったマナーを啓蒙する行為には、マナーをご存知ない方への教育的な意味があるとともに、もう一つ、行き場をなくしたジクジクとした苛立ちを抱える人に対するガス抜き的な意味があると、私は捉えている。

「お客さまの苛立ちは理解しています、公式に共有されています」ということを示すことによって「私の感情が無視されていない!ちゃんと共有されていたんだ!」と実感できる、そしてそれが一種のガス抜きになる。

だからこの動画は、多くの人の共感を得て大きな反響を呼んでいるのではないだろうか?だって、マナー違反をする人よりマナーを守って楽しもうとする人の方が圧倒的に多いのだから。
そして、この動画を(一社)落語協会が作って公開してくれたからこそガス抜き効果はより大きくなったんじゃないだろうか。一個人や誰か落語家さんが個人で上げるのではなく「公式」であることに意味がある。お客さまは「全体化されている」という安心を得ることができる。

粗忽者が好き

マナー違反のお客さまの描き方も、個人的には粗忽者という感じがして悪印象はなかった。

落語にはたくさん粗忽者が出てくる。粗忽者が現れると思わず「待ってました!」という気分になるし、そういう噺が大好きなので大いに笑ってしまう。
そんな私は粗忽者を蔑んだり馬鹿にしたりしているのか?というと、そういう訳ではないように思う。彼らのそそっかしさや不器用さに、自分のアレコレを重ねていたりする。そして「しょうがねぇなぁ」とボヤきつつも見守ってくれる周囲の人々に暖かな心を感じ羨ましかったりする。

この動画でのマナーを守らないお客さんに対する目線・描き方はまさにそれと同じなんじゃないか?と思ったりした。横にいるお客さんの「しょーがないなぁ、この人は!」という声が聞こえてきそうな気がする(幻聴)

・・・ならマナー違反する人を許してやれよ、という心の声が聞こえてきたけれど一旦無視することにする。

あと、あらゆるものに対して「笑えるもの」が好き、という個人的な嗜好がある。もっと言うなら「あらゆる事象を笑いのめす」ものが好きだ。だからこの動画が真面目なマナー動画だったら、ここまで反応しなかったかもしれない。

どこまで行っても私的な感想

と色々なことを書き連ねたが、私の感じたことは詰まるところ私個人の価値観を通して見た感想にしか過ぎない(というか恨み言か?)別の価値観を持つ人がこの動画を見れば、また別の感想が出てくるのも至極自然なこと。否定的な意見を持つ人がいらっしゃって当然で、100%の人が賛同する作品なんてちょっと気味が悪い。

それならなんでこんな長々と書き連ねたのか?もう一度、自問してみる。

多分、「否」な意見の方が世の中では目立ちやすいと思ったからだ。自分も新たな取り組みにチャレンジする時、賛否両論もらうことが多い。そして組織というものは事なかれ主義から「否」を重視しがちだったりする。だから「こういう理由で良いと思った人間が、ここにいますよ!」と声を上げておきたかった。

なんだ。徹頭徹尾、私的な思い入れしかない文章だったな。
こんな文章、余計なお世話でしかないだろう。でも、ここまで書いてしまったのだから上げておこう。

どうかこれからも新しい試みを続けていってください。この動画がパーフェクトだとは思わないけれど、だからといって、もう二度とこういう動画を作るのはやめよう、とか、そんな方向には行ってほしくないと思っています。



・・・着地点が見つからない。仕方ない。衝動的に走り出してしまったのだから。適当に終わろう。

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