【113本目】「ルポ 誰が国語力を殺すのか」読後感想
ルポ 誰が国語力を殺すのか
「ルポ 誰が国語力を殺すのか」という本を読みました。職業柄、国語関係の書籍は読んでおこうと思ったためです。
結論から言うと、読んで置いて損はないと思います。
というのも、筆者が実際に教育現場に出向いて取材した事例が出色だと思ったためです。
「ごんぎつね」で主人公の母親が死んだ後、鍋で煮ているのは母親の死体だと誤読してしまう児童の話があります。消毒のために肉親を煮ていると誤読しているためです。
「ごんぎつね」の誤読
筆者は、「葬儀で村の女性が正装をして何かをぐずぐず煮ている」と言う記述から、常識的に読めば、参列者にふるまう食事の用意をしている、と言うことが分かるはずだ、としています。
しかし、児童は「兵十の母の死体を消毒のために煮ている」と誤読してしまいます。
ここは児童の情報不足が原因ではないかと思いました。少子高齢化の時代で、肉親の葬儀に出る機会は今の児童にはあまりないと思います。
そこで「村の女性が正装で何かを煮ている」とくると、消毒をしていると読んでしまうのも一理あるかもと思ってしまいました。「死体を煮ることは死体に鞭打つ行為だ」という考えがないためです。
読解力
「AI vs 教科書が読めない子どもたち」でも、AIの理解できないことは、土台となる常識、すなわち「知っていて当然」という知識の習得が難しいからだ、といった話があったように思います。
核家族が珍しくない時代になった今、ごんぎつねの時代の遺体の取り扱い方を知らない児童が誤読するのも無理ないかも、と思ったのが正直なところでした。
私自身、パソコン苦手な人にパソコンを教えていて、「❌マークをクリックするとウィンドウが閉じるよ」と声をかけたら、ディスプレイを指で押す方が何人かいました。
「常識」は人によって異なることを痛感しています。
この本の価値
ごんぎつねの誤読やケーキの切れない少年たちの例を引き合いに出して、国語力につなげているのがこの本の素晴らしいところだと思いました。
言葉を知らないことには考えようがありません。このことを、ヘレンケラーとサリバン先生の例を出して見事に思考力と国語力をつなげていました。そして国語力の不足が思考力不足へとつながり、果ては考えの至らない非行につながることを最近の事例を出して考察している点は私にとって非常に刺激的でした。
まとめ
「ルポ 誰が国語力を殺すのか」と言う本の読後感想を記事にしました。
この本には全国の国語力向上の実践も載せられていて参考になります。
そんな中、私個人が印象に残った部分を感想文にしました。
なぜ読み取れていないのかの説明は非常にわかりやすく、いい刺激になると思います。
それでは皆様、明日も良い1日をお過ごしください。
まとめ
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