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必要なのか、そうではないのか。②
現実的な視点について急に話出したのは私にもそういう部分があるということです。
近年のカタカムナの拡がりを見ていると
日本人として真実を知りたい人が増えているのではないか?と考えたりします。
ほんとうのコトを知りたい。
純粋な欲求だと思います。
日本に昔からあると言われている言霊は
どれも強いエネルギーを持ち、パワーのあるモノばかりです。
もしそれらが本当に存在していた根拠が解明されていくのであれば…日本が現実的に色々と変わっていくのでは?と思います。
そして多分、それらの言霊を使うコトが自然になったその時は日本人の意識も上がっているんだろうなと思います。
なぜそう思うのか…
ずっとカタカムナを歌って来て、
歌う時に意識の持ち方がとても大切だと知っているからです。
その意味で私はまだまだ未熟です。
カタカムナの勉強会の勉強会を開いてから
歌うだけだった時とは違う視点で向き合い始めて新たな氣づきを得ています。
勉強し始めて間もないですが、一つ思うコトは〝文明〟と言うよりは〝表現〟として観る方が私には腑に落ちるなぁということです。
それは、私が学問ではなく芸術を勉強したからかもしれませんが_φ(・_・)
…最終学歴は大阪芸大です…
宇宙の仕組みを感覚として捉えていた人々が抽象的に表現したモノが図象、具体的に表現したモノが言葉。
どちらもとてもシンプルで美しい。
日本の土地に住んでいた人はそれだけの表現をする能力があった…と捉える方が個人的にはかなりしっくり来ます。
そう思うと、エビデンスとかはどうでもよくなるな。と私的な結論に辿り着きます。
表現という意味では
私にとってこの学びはとても必要だと思っています。
この文章を読んでくださっているあなたにとってはどうでしょうか?
何か良いご意見や考えがあればシェアしていただければ嬉しいです∞
ウタヒを歌うとき
私の心はとても癒されます。
自分の声をこの身体で感じるコト、
それはこの星にいるから出来ることです。