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第2081回 考古学の中の鳥 ⑵

①https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/031701119/?ST=m_newsより引用の紀元前12世紀に亡くなったラムセス3世の息子、アメンヘルケプシェフの墓のために制作されたトト神

②-1.http://doutaku.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ff6c.htmlより引用のコウノトリの銅鐸から、書き写しの絵

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②-2.https://aucfree.com/m/items/l556984483より引用の銅鏡(銅製朱雀)

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   銅鐸(②-1.の絵)
今までに約500個見つかっていて、絵を描いたものは約60個。
鳥の絵は約20点。(シカに次いで二番目に多い)
クチバシ、頸、脚が長く、鶴か鷺、コウノトリと思われる。
   銅鏡(②-2.の写真)
銅鏡は朱雀など

③https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/450960より引用の平安時代末期~鎌倉時代に青銅の松喰鶴鏡

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   和鏡→動物は鳥が一番多い。
1.  松喰鶴鏡(③の写真)
和鏡完成期の代表的な鏡
唐鏡の唐花含綬双鸞鏡が基本で、唐花を松に、双鸞(そうらん)を双鶴に置き換えた。
2.  鶴
平安時代の松喰鶴形式から始まり、半数近くを占める。丹頂が多く、姉羽鶴も
3.  鴛鴦
平安時代から、男女相愛、夫婦和合
4.  雀
平安時代から、竹を配す
5.  鶏
時を告げる
6.  鷹
鎌倉時代から
7.  翡翠
江戸時代前期から
8.  鶉
江戸時代からで、柄鏡は粟を配す
9.  鶯
江戸時代からで、柄鏡は梅を配す

④-1.http://www.toyo-keizai.co.jp/news/culture/2001/post_3301.phpより引用の奈良県飛鳥村のキトラ古墳の「朱雀」

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④-2.https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM647J9VM64TIPE04F.htmlより引用の山口県下関市の土井ケ浜遺跡の「鵜を抱く女」

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④-3.https://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/f50d835a379c6d2afcd5538390ec077bより引用の東大阪市と八尾市の池島・福万寺遺跡出土の「コウノトリ足跡」

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   壁画(④-1.の写真)
船の舳先に止まる鳥を描く物が多い。
朱雀は四神の一つで、キトラ古墳、高松塚古墳などに描かれる。
   山口県土井ヶ浜遺跡(④-2.の写真  弥生時代前期~中期  鵜を抱く女)
天空の神と地上の霊との交流を鳥に託す。
   大阪府池島福万寺遺跡
コウノトリの足跡  弥生時代前期の水田跡

⑤-1.https://sanriku-geo.com/geosite/62/より引用の岩手県宮古市城山古墳

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⑤-2.https://www.city.miyako.iwate.jp/bnka/jomon_dobutu.htmlより引用の「縄文時代の動物について」のグラフイラスト

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   貝塚(⑤-1.の写真)  縄文時代に多い
1.  鳥は哺乳類より少ない(⑤-2.のグラフイラスト)
キジ類、カモ類で全体の約半分
他に、ガン類、ウ類、アホウドリ類、ミズナギドリ類、アビ類、
カイツブリ類
水鳥以外では、カラス類、ワシ、タカ類。
2.  カモ類は全国的に多い。
海鳥類は北に多い。
3.  アホウドリはアイヌ人がさかんに捕獲していた。
4.  ワシ、タカ類は、矢羽根の利用、爪の骨に穴を開け装飾具にしていた。
5.  鳥骨は、北に行くほど出土量が多い。
6.  弥生時代に減少。
弥生時代になるとキジ類が減り、カモ類、ガン類が大部分。
ツル類が増える。(水田耕作に伴い、人々が台地から低湿地に活動拠点を移動)
7.  江戸時代には鶏の骨が多く、江戸時代から鶏を食料とするようになったと思われる。
ガン類34%、カモ類23%、鶏22%、キジ類5%
8.  江戸時代の屋敷跡から、鷹の餌と思われる鳥の骨が出土。
スズメ、カラス類、ハト類。

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