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第1278回 勧学院の雀は蒙求を囀る

①https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2814.phpより引用のイラスト

   ①のイラストのタイトルの「勧学院の雀は蒙求を囀る」は凄く難しい漢字があり、なんのことかわからない文章でした。「かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる」なんて…ふりがみんなひらがなだともっとなんのことだかわかりません。勧学院は学校だとして、その中にいるスズメが「蒙求」をさえずるなんて、そもそも「蒙求」って何のことなのか。調べてみると「伝統的な中国の初学者向け教科書」とあり、日本でも平安時代以来長期にわたって使用されたと小学校くらいかな。

②http://しぐさでわかる動物の本音.net/身近だけど意外と知らないスズメの習性/よりは引用のさえずるスズメ(体長約15㌢)

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   スズメといえば、最も私たちの身近な存在の野鳥です。毎日欠かさずスズメだけは見かけます。それが証拠にスズメの名前や姿を知らない方はいらっしゃらないと思います。カラスやハトも皆さんご存知だと思いますが、厳密に言うとカラスは私たちに身近なものにはハシブトガラスハシボソガラスの二種がいて、ハトも昔からいたドバトと近年街中に進出してきたキジバトの二種がいます。しかしスズメは一種(日本にはニュウナイスズメという種がいます)しかいないほど近い鳥です。

③よりhttp://www.shiga-miidera.or.jp/taiken/tokubetsuhaikan/index.htmlより引用の三井寺(園城寺)の勧学院

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   では③の写真の勧学し院とはどういうところなんでしょうか。Wikiによると平安時代の藤原氏の大学別曹で、大学寮の南側(左京3条1坊5町 / 現在の京都市中京区西ノ京勧学院町)の地にあったため、大学南曹(だいがくなんそう)とも呼ばれていたとあります。また大学別曹は有力氏族の学生のためにつくられた寄宿舎で、本来は大学寮内に寄宿しなければならないはずが、大学別曹として公認されると寮内に寄宿する学生と同等の資格で授業・試験に出ることが出来たという小学校所か大学です

④http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/kosyo/kosyo-114.htmlより引用の蒙求

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  では「蒙求」とはどんな文章なんでしょうか。勧学院に巣をつくるスズメは、身近な学生たちが朝夕朗読する「蒙求」を覚えて、声を合わせてさえずるという意味とありますが、原文は『甘蠅古之善射者。彀弓而獣伏鳥下。飛衞学射於甘蠅而、巧過其師。紀昌学射於飛衞。衞曰…「未也。学視而後可。視小如大、視微如著、而後告我。」 』から始まる漢文で現代語訳しますと『甘蠅は古の善く射る者なり。弓を彀(は)れば獸伏し鳥下る。飛衛は射を甘蠅に学びて、巧みなること其の師に過ぐ。紀昌は射を飛衛に学ばんとす。衛曰はく…』となり…

   『爾(なんじ)先づ瞬(またた)かざることを学びて、而る後に射を言ふべし。」と。 昌帰りて其の妻の機下に偃臥(えんが)し、眼を以つて牽挺を承(う)く。二年の後、錐の末を皆(まなじり)に倒(さかしま)にすと雖(いえど)も瞬かず。以つて衛に告ぐ。 衛曰はく…「未だしなり。視を学びて而る後に可なり。小を視ること大の如く,微を視ること著の如くなりて、而る後に我に告げよ」と。』まだまだ分からないです。難しい文章は確かです。

   もっと要約すると、『甘蠅は、はるか昔の弓の名人でした。弓を引けば獣はひれ伏し、鳥は(空から)落ちてきました。飛衛は甘蠅に弓を学び、その巧みさは師(甘蠅のこと)を凌いでいました。 紀昌は、弓を飛衛に学ぼうとしました。飛衛が言いました。「お前はまず瞬きをしないことを学んで、それから弓のこと(弓を学びたいということ)を言いなさい。」』と続いていく文章となります。

⑤http://www.worldfolksong.com/sp/songbook/japan/suzumenogakko.htmよりスズメの学校ではなく一族での共同生活

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   そんな勧学院で学ぶものたちはやはりこの「蒙求」を難題として、捉えていましたが、スズメは習性として、人のいる民家で生活して親子代々や親戚縁者に至るまで、みんなの経験したことを伝えて貰い生活しているのて、その経験を活かして繁殖などに役立てます。そんな勧学院に住んでいるスズメたちは、いつもは屋根の上や庭先にいるだけで、見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くという例えで、スズメより人間だから頑張らないといけない。









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