
第2209回 鳥への憧れ 戦前
①https://jocr.jp/raditopi/2022/01/12/407793/より引用の世界初のライト兄弟のライトフライヤー号
飛ぶことのできます鳥への憧れは圧倒的に「自分も鳥のように飛べたら良いなあ」というもの。人類は太古の昔から夢に抱いています。私も高所恐怖症ながら、鳥のように天高く飛ぶことができたらなと思います。鳥のように天高く飛べれば、高所恐怖症も解消されるとかってに思い込んでいるだけです。飛べるということは自由があると思います。野を超え、河川も海も泳ぐことなしに渡れ、高くそびえる山脈もひとっ飛びです。そこには国境を越えて、憧れの国にも飛んで行けます。そんな想いは飛行機を発明致しましたライト兄弟も人一倍持っていましたからこそ、①のタイトル写真の様な世界初の飛行機を作れたのでしょう。
②-1.https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3_IIIより引用のアンリファルマン作成の二人乗り飛行機ファルマン III

②-2.https://www.wetwing.com/wright/machines/others/deperdussin.htmlより引用の最高時速を出したドペルデュサン レーサー

②-3.https://www.wikiwand.com/ja/1914%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%AA%E7%A9%BAより引用のベノイストXIV

アメリカのライト兄弟は、①の写真のような1903年12月17日に飛行機とは、動力を備えた重航空機といわれる「ライトフライヤー号」による世界初の本格的な有人飛行を行ない、世に鳥のように空を飛べる乗り物の飛行機を公開致しました。ライト兄弟以後、飛行機はより速くより高くより遠くへ飛べるよう改良が続けられ、1906年10月22日、ヨーロッパでは初となる動力機の飛行に成功しましたサントス・デュモン。1909年7月25日、世界で初めて英仏海峡を横断飛行したフランスの単葉機のブレリオ XIは、操縦桿を前後に倒して機首の上げ下げを、左右に傾ければバンク操作を、また足元の棒を踏んで旋回を行うという、現代と同じ操縦方法を確立しました。最大速度75㌖時。
②-1.の写真はアンリ・ファルマンIIIは、初飛行1909年、最大速度時速60㌖。世界で初めて2名の乗客を乗せて飛んだフランスの複葉機で、1910年12月19日、徳川好敏大尉が日本で初めての動力飛行を行った際に使用された機体でもあります。②-2.の写真は初飛行1912年、最大速度時速209㌖。速度記録を作る為に製作された世界最初の機体。これから個人輸送から団体輸送に移行です。
③-1.https://hobbycom.jp/workshop/library/weapon_sora/88.htmlより引用のドイツの戦闘機フォッカー E.III

③-2.https://www.neko-net.com/aircrafts/archives/1011より引用の魚雷を初めて搭載したショート184 水上偵察機

第一次世界大戦の時代に入り、色んな戦闘機も生まれました。③-1.の写真は初めての戦闘機のフォッカー E.IIIは、初飛行1915年、最大速度時速140㌖。ドイツが初めて戦闘機として設計した単葉機。またソッピース キャメルは初飛行1916年、最大速度時速185 ㌖。同調式機銃発射装置を備え、大馬力エンジンを装備し、運動性の舵の効きが良いイギリスの複葉機。ニューポール 17は初飛行1916年、最大速度時速177㌖。一葉半の主翼を持つフランスの戦闘機。ゴータ G.IVは初飛行1916年、最大速度時速115㌖。ドイツ製の複葉双発重爆撃機。帝政ロシア時代のイリヤー・ムーロメツは
初飛行1914年、最大速度時速105㌖。ショート184 水上偵察機。ショート184 水上偵察機も初飛行1914年、最大速度時速130㌖。単発複葉の水上機で、世界で初めて航空機による魚雷攻撃を行った機体。一次大戦後は飛行機による本格的な輸送が開始されました。最初は上流階級による旅行のための旅客機や郵便運送に利用されましたが、機体が大型化するにつれて改良が進んでより便利に。
④-1.http://logitwitter.biz/archives/12687701.htmlより引用のドイツの全金属製ダグラスDC3

④-2.https://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35095586.htmlより引用の最高時速357㌖、定員33名のボーイング 307B "ストラトライナー"

ユンカース F.13は初飛行1919年、乗客4名。敗戦直後のドイツが生産した革新的機体。ライアン NYP-1は1927年5月、スピリットオブセントルイス号と名づけられたこの単葉機は、チャールズ・リンドバーグの操縦で単独の大西洋無着陸横断飛行を初めて達成しました。マッキ M.C.72 水上競速機は初飛行1931年、最大時速709 ㌖。現在でもレシプロ水上機の速度記録は本機が有しています。ボーイング 247は初飛行1933年、巡行時速304㌖、乗客10名。ダグラス DC-3は初飛行1935年、巡行時速345㌖、乗客21名。ボーイング 247と同じく全金属。マーチン M130は初飛行1934年、巡行時速252㌖、乗客14名。パンアメリカン航空が太平洋横断路線に投入した4発大型豪華飛行艇。ボーイング 307B "ストラトライナー"は初飛行1938年巡行時速357㌖、乗客33名。ボーイング社の4発重爆撃機B-17の主翼と尾翼を流用して新たに太い胴体を設定した機体。客室を与圧して快適な高空の旅を提供できた最初の機体がこれです。
⑤-1.https://www.jiji.com/sp/d4?p=lfw522-7585880420370839&d=d4_miliより引用のドイツを代表する戦闘機のメッサーシュミット

⑤-2.https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%93%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89_%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%88より引用のイギリス海軍を代表するデ・ハビランド モスキート

⑤-3.https://www.jiji.com/sp/d4?p=bsf226&d=d4_miliより引用のアメリカ最強爆撃機ボーイングB29

⑤-4.http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/heiki/zero.htmlより引用の日本が誇る零戦こと零式艦上戦闘機

開発著しいドイツではユンカース Ju 87が初飛行しました1935年、最高時速410㌖、第二次世界大戦初期のドイツ軍による電撃戦を支えた急降下爆撃機。1939年第二次世界大戦になりますと、各国の有名な戦闘機が現れます。メッサーシュミット Bf 109はドイツを代表する戦闘機。スピットファイアの好敵手として大戦初期〜中期に主に活躍しました。三千機以上という生産機数は戦闘機として史上最多。メッサーシュミット Me 262の初飛行は1942年、最高時速866㌖、ドイツが開発した世界最初の実用ジェット戦闘機。対するイギリスはスーパーマリン スピットファイアは初飛行1935年、最高時速657㌖、第二次世界大戦のイギリスを代表する戦闘機。フェアリー ソードフィッシュの
初飛行1936年、最高時速230㌖、第二次世界大戦前半のイギリス海軍の主力雷撃付きの爆撃機。初飛行1940年のデ・ハビランド モスキートは最高時速612㌖、全木製の高速双発機。最初は爆撃機として生産されたが、高速を生かして機首にレーダーを装備した夜間戦闘機タイプなども作られた万能機。アメリカはボーイング B-17を初飛行を1936年にし、最高時速510㌖。高速重武装のアメリカ製爆撃機。ノースアメリカン P-51の初飛行は1940年、最高時速702㌖、第二次世界大戦で最優秀とも評される戦闘機。ボーイング B-29の初飛行1942年、最高時速576㌖、与圧室の採用、機銃の遠隔操作等の技術を盛り込んで製作されたアメリカ重爆撃機。強力なエンジンと排気タービンの組み合わせにより優れた高空侵攻能力を有しました。またロッキード コンステレーションは初飛行1943年、巡行時速526㌖、乗客81名(最大)。与圧された客室を持ち、アメリカ大陸を無着陸で横断できる機体として製作されたアメリカ製のレシプロエンジン4発旅客機と、戦闘機の大型化を進化させました。日本は九六式陸上攻撃機の初飛行は1935年、最高時速373㌖、陸上基地を発進して洋上にいる敵艦を攻撃すべく開発した長距離攻撃機。九七式艦上攻撃機の初飛行は1937年、最高時速378㌖、第二次世界大戦初期から中期までの日本海軍の主力攻撃機。そして、零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の
初飛行は1939年、最高時速518㌖、開戦時太平洋地域の最強戦闘機。高速・重武装・良好な運動性・長大な航続力という相反する性能を高度に達成致しました。物資が不足の上での秀作でした。