第2055回 浮世絵の中の鳥の文学
①https://intojapanwaraku.com/art/1264/より引用の喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」の浮世絵
浮世絵といいましたら、その代表的な作品には、喜多川歌麿の美人画の「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」や「当時三美人」葛飾北斎の版画の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」菱川 師宣の「見返り美人図」東洲斎写楽の「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」「市川鰕蔵の竹村定之進」歌川国貞の「江戸名所百人美女」歌川広重の「東海道五十三次」「名所江戸百景」さらには歌川国芳や葛飾応為、河鍋暁斎、月岡芳年などが有名です。その浮世絵を載せたとすれば、溢れてしまいます。特に同じ顔が登場致します美人画が有名。
②-1.https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige292/より引用の歌川広重の「月に雁」
②-2.https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige275/より引用の歌川広重の広重花鳥大短冊撰「鴛鴦」
歌川広重は江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となりました。風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えました。歌川広重は「花鳥画」の領域でも活躍しました。これも当時はそれほど知られていない分野のひとつでしたが、名所絵と同じように浮世絵として広く親しまれる分野へと成長させることになります。そもそも「花鳥画」とは、野の草花や、鳥や獣といった自然の風物を描くものです。歌川広重はこれに熱心に取り組みますが、その作風は非常に真実味に溢れています。これについて、歌川広重は「東海道風景図会」や「絵本手引草」の中でも写真(この時代では「しょううつし」)をなしてこれに筆意を加えたものであると書いています。あくまで「写真」(写生のこと)を重要視し、そこに画家の意図を入れていくのが自らの作風だといいます。
③-1.https://www.google.co.jp/amp/s/spice.eplus.jp/articles/224600/ampより引用の葛飾北斎「桜に鷹」
③-2.https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai115/より引用の葛飾北斎「群鶏」
代表作に「冨嶽三十六景」や「北斎漫画」があり、世界的にも著名な画家です。森羅万象を描き、生涯に三万点を超える作品を発表しました。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも彼の卓越した描写力を見ることができます。役者絵、美人画、名所絵、花鳥画、春画等、多岐にわたる浮世絵を描いています。晩年になると肉筆画を多く残しています。浮世絵での代表作といえますのは、③-2.の錦絵の東京国立博物館所蔵の「群鶏」 団扇絵で、天保四年頃の作品です。
④https://www.kumon.ne.jp/kumonnow/topics/vol_411/より引用の二代目歌川広重こと歌川重宣の「新板鳥つくし」
④の日本画は 「物尽し絵」と言われる浮世絵です。初代の歌川広重に入門し、はじめ歌川重宣と名乗っていました。美人画や花鳥画、武者絵を描き、やがて風景画も描くようになり、徐々に初代の作域に近付き、また、横浜絵なども描いて、二代目歌川広重と名乗るようになりました。挿絵を見てもわかるように「新板鳥つくし」を見てみますと、この絵の中には何と四十種もの鳥が実物そっくりに描かれており、当時では珍しいカナリヤやオウムなどの外来種も描かれています。江戸時代の中期になると一部の富裕層の間では珍しい外来種の鳥の飼育が流行っていたこともあり、彼らの間で博物学的知識が高まる一方で、庶民やその子どもたちにも「物尽し絵」を通して幅広い知識が広がりをみせ、当時の代表的な鳥の図鑑です。
⑤https://casabrutus.com/posts/83542より引用の歌川国芳「諸鳥芸づくし」
⑤の日本画の浮世絵は歌川国芳「諸鳥芸づくし」です。画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、文政中期に彩芳舎、天保初年から万延元年には朝桜楼、雪谷、仙真とも号しました。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳ともいいました。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新な図案力、奇想天外な発想、確実な拍子や力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出しました。この「諸鳥芸づくし」に登場するオウムは声色を使い、フクロウは睨みをきかせる、という様に鳥の習性や名前から着想した動作で描かれています。右下の雀が踊っているのは“雀百まで踊り忘れず“からきたものですか。中央に鳥ではないコウモリがいるのはご愛敬です。