
第2210回 鳥への憧れ 戦後
①https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110823/281527/?ST=m_magazineより引用の現在は鳥のように空を飛べる
大戦末期に実用化されたジェットエンジンは直ちに軍用機に採用され、戦闘機や爆撃機はジェット化されていきました。レシプロエンジン爆撃機や直線翼ジェット戦闘機は朝鮮戦争でその使命を終了しました。またそれまで超えることができないと考えられていた音の壁はアメリカのロケット実験機 X-1 により突破され、その後は超音速飛行が可能な戦闘機が続々と製作されていきました。飛行機はこれまで「より速く・より高く・より遠くへ」と発展してきましたが、1960年代には、飛行速度・高度・航続距離とも実際上頭打ちとなり、ジェット戦闘機の速度は、熱の壁などの問題からほぼマッハ2が相場で、旅客機の飛行高度も一万㍍付近が効率的に運用できる最良な高度となり、長距離飛行する機体は、地球の裏側へ到達可能な航続性能を有するようになりました。二十世紀後半には、飛行速度、航続距離、材料技術において革命的な進歩はなく、アビオニクスと航空機の設計及び製造技術の両方でデジタル革命が広がりました。デジタルフライ・バイ・ワイヤシステムにより、航空機はリラックスした静的安定性で設計出来るようになりました。当初はジェネラルダイナミクスF-16ファイティングファルコンなどの軍用機の機動性を高めるために使用されていましたが、現在は民間旅客機の抗力を減らすために使用されている。平和への利用目的が主になりました。21世紀の初めに、デジタルテクノロジーにより、亜音速の軍用機はパイロットを排除し始め、遠隔操作または完全自律型の無人航空機(UAV)を支持しました。今や代表的なものはドローンです。
②-1.https://www.google.co.jp/amp/s/nippper.com/2021/01/19519/amp/より引用の最高速度マッハ1.45、ロケットエンジン推進の実験機ベルX1

②-2.https://trafficnews.jp/post/113742より引用の巡行時速973㌖、乗客202名(最大)ボーイング707

音速の域に達したベル X-1は初飛行1947年、最高速度マッハ1.45、ロケットエンジン推進の実験機。アメリカが飛行機は超音速でも操縦可能かという問いに回答するために製作しました。ミコヤン MiG-15は、初飛行1947年、最高時速1,100㌖、ソ連製の後退翼ジェット戦闘機。朝鮮戦争においてその性能を発揮し、西側各国を戦慄させました。ノースアメリカン F-86F セイバーは、初飛行1947年、最高時速1,118㌖、アメリカ製の後退翼ジェット戦闘機。ボーイング B-47は初飛行1947年、最高時速1,060㌖、アメリカ最初の後退翼ジェット爆撃機。デ・ハビランド コメットは初飛行1949年、巡行時速740㌖、乗客36名。イギリスの名門デ・ハビランド社が開発した世界初のジェット旅客機。ボーイング 707は初飛行1954年、巡行時速973㌖、最大乗客202名。アメリカのボーイング社が自社開発した大型4発ジェット旅客機。ロッキード C-130は初飛行1954年、巡行時速620㌖、前線の短い滑走路での運用を考えて製作された4発ターボプロップ輸送機。マクドネル F-4は初飛行1958年、最高速度マッハ2.4、"ファントム" の名で知られ5,000機以上生産された西側のベストセラージェット戦闘機。ついに戦闘機はマッハへと。
③-1.https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC_%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BCより引用のホーカー・シドレー ハリアー

③-2https://www.google.co.jp/amp/s/flyteam.jp/news/amp/131270より引用のボーイング747-400BCF

旅客機の大型化の1960〜70年代は、これまで「より速く・より高く・より遠くへ」と発展してきましたが、1960年代には、飛行速度・高度・航続距離とも実際上頭打ちとなりました。旅客機分野の長距離旅客機は更に大型化しワイドボディー機が登場しまし、た。また、比較的短距離の移動にも飛行機がよく使われるようになり、コミューター機と呼ばれるジャンルの機体が多数生産されるようになりました。軍事関係では冷戦が終結し、大国間の全面戦争の恐れがなくなり、各国が装備する軍用機の数は減少しました。軍事分野での新たな進展は敵に見つからないことを目指すステルス性の実用化です。構造材料は従来はアルミニウム合金が主流であった構造材料に、繊維強化プラスチックなどの複合材料が使われるようになりました。複合材料は金属よりもレーダー波を反射しにくく、その点からもステルス機に多用されます。操縦システムも従来の「操縦桿 - ケーブル - 油圧アクチュエータ - 動翼」という流れの操縦システムに替わり「操縦桿 - コンピュータと電線 - 油圧アクチュエータ - 動翼」というフライ・バイ・ワイヤ(FBW)方式が確立されました。ホーカー・シドレー ハリアーは初飛行1960年、最高時速1,180㌖、イギリス製の垂直離着陸ジェット攻撃機。滑走路が破壊された後でも敵を攻撃できる機体として開発されました。ボーイング 747は初飛行1969年、巡行時速910㌖、最大乗客550名。ジャンボの愛称で知られる大型旅客機。当時世界最大の旅客機。コンコルドは初飛行1969年、巡行速度マッハ2.05、乗客100名。西側唯一の超音速ジェット旅客機。衝撃波の問題から陸地上空での超音速飛行が禁止され、騒音の大きなエンジンのため着陸できる空港が制限されたりしていました。乗客数が少なく全席ファーストクラス扱いでありました。この時期から快適性も重要視しました。
④-1.https://www.google.co.jp/amp/s/flyteam.jp/news/amp/125838より引用の無人探索機

④-2.https://skydrive2020.com/cargo-drone/より引用の700㌕運搬可能なドローン

21世紀の航空業界では、燃料の節約や燃料の多様化、格安航空会社や航空施設への関心が高まりました。さらに、航空輸送へのアクセスが良好でなかった発展途上国の多くは航空機と航空施設を追加していますが、深刻な混雑が依然として問題となっている。約二万の都市間で商業運航されていたす。すでに、デジタルテクノロジーにより、亜音速の軍用機はパイロットを排除し始め、遠隔操作または完全自律型の無人航空機(UAV)を支持しました。2001年4月、無人航空機グローバルホークは米国のエドワーズ空軍基地からオーストラリアにノンストップで燃料を補給せずに飛行しました。ソーラープレーンプロジェクトソーラー・インパルスの初飛行は2009年、巡航時速70㌖、航行時間36時間。2015年、日本の名古屋からハワイのホノルルまで、太陽電池式の飛行機、ソーラー・インパルス2で記録的な距離約7,200㌖を約5日間で飛行しました。夜間、航空機はバッテリーと日中に得られた位置エネルギーを使用しました。ピストレル、ピストレル・ヴェリス・エレクトロの
初飛行は2020年、巡航時速170㌖、航続距離は約3,700㌖。2020年6月10日、スロベニアの軽飛行機。ピストレル・ヴェリス・エレクトロは欧州航空安全機関から型式証明を取得した最初の電気航空機。環境にも優しい、鳥のように飛行します。
⑤https://engineer.fabcross.jp/archeive/200731_bionicswift.htmlより引用の鳥型ドローンBionicSwift(バイオニック スイフト)

戻りますが、いまや「鳥への憧れ」は戦争や輸送に用いられる観点から、個人的にも活用することができるようになる時代となってきました。①のタイトル写真は、大空を自由に飛ぶ夢は、人々の心を捉えて離さないために、人類が抱き続けてきた夢は、航空機の発展によって、叶えられたかに思えますが、それでは満足しない人たちがいらっしゃいます。大きな機械に乗るのではなく、翼を手に入れ、思いのままに飛びたいと願っています。ジェットエンジン付きの翼を装着して、野を越え、谷を越え、山をもひとっ飛びと、ジェットウィングを背負ってパラグライダーで砂漠の上空を飛び、ウィングウイングを着て上空約4000㍍から飛び降りることが出来るのです。最高時速は313㌖です。また、生きた鳥のように飛行することが可能な鳥ロボットにまで及びます。俊敏で、操作しやすく、宙返りや急な方向転換もできる他、無線によって位置を特定することで、屋内空間で五羽が協調したパターンで自律的に飛行することが可能なアンドロイドをFestoは、生物学的モデルに基づくバイオニックバード「BionicSwift」を作成しました。飛行する鳥だけでなく、コウモリから着想を得た「BionicFlyinfFox(バイオニック フライング フォックス)」は、コウモリのように広げた翼を羽ばたくことで空を駆けることができます。また、蝶から着想を得た「eMotionButterflies(エモーション バタフライ)」は、蝶のように羽ばたくことができます。自然からのヒントの応用です。