第2083回 鳥を偲ぶ建造物 ⑴
①https://birdstory.net/illust/5882より引用の鳥が偲んでいるイラスト
「塚」とは、その周囲の地面より、こんもりと丸く盛り上がった場所を指し、具体的には何かが集積、堆積した盛り上がりや、小さな山や丘や古墳などであり、それらの場所や、特別な意味のある場所に、建立された石造や木造などの祠や塔や碑などのことをいいます。「碑」とは後世に伝えるために、石面に文字を彫って記念として立てた石のことで、いしぶみともいいます。古代人が残した貝殻、石器、土器、人骨など考古学上の資料である貝塚のようなもので、多くは歴史時代に入って造られたものが多く、それぞれ伝説を伴っています。今回はそんな鳥の塚を紹介していきます。
②-1.http://kita-ku.jugem.jp/?eid=314#gsc.tab=0より引用の大阪市北区長柄町の鶯塚
②-2.https://www.photolibrary.jp/img625/178759_5710228.htmlより引用の福岡県筑紫野市武蔵寺の鶯塚
②-1.の写真は大阪市の北浜にあります「鶯塚」で、明治の初頭、田圃の中に芝の生えた墳丘があったといわれ、その埋葬者に諸説あります。 長柄豊碕宮が置かれた時、孝徳天皇が愛した女官・鷺式部は才知美貌抜群で、同僚の妬みにあって大化4年(648)3月、二十代の前半の若さで没した。それを天皇が憐んで築塚したといわれます。また『芦分船』や『摂陽群談』には、長柄長者のひとり娘が鷺を飼っていたが、年若くして亡くなると、鴛もすぐあとを追って一声鳴いて死んでしまったので、父の長者が娘と一緒に鷺を埋葬したといわれ、塚を建造致しました。②-2.の写真の石塚は、もうひとつの「鶯塚」で、福岡県筑紫野市武蔵寺の「鴬の笠おとしたる椿哉」と1889年に芭蕉が詠んだ句碑であります。直接ウグイスとは関係ないがありませんが、俳句には欠かせない鳥でした。
③-1.https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E5%A1%9Aより引用の岐阜県の霊天庵鵜塚
③-2.https://ja.foursquare.com/v/%E7%98%9E%E9%B7%82%E7%A2%91/51188f1de4b0a8f4a91be101より引用の東京都小石川後楽園の瘞鷂記碑(えいようきひ)
③-3.https://www.tempu-online.com/blog/2018/07/post-692.htmlより引用の東京都上野公園のかなりやの碑こと西條八十顕彰碑
鵜塚の代表的なものは③-1.の写真の岐阜県霊天庵の塚です。長良川の鵜飼いのため捕えられたウミウの供養碑です。他には山口県紅葉谷公園の鵜の塚は財団法人錦川鵜飼振興会が鵜飼い復活を記念して建てられました。石川県気多神社の鵜祭りは、鵜捕部により捕獲された鵜で豊凶を占うというお祭りです。③-2.の写真は東京都小石川後楽園にあります瘞鷂記碑(えいようきひ)は鷹の追悼記念碑です。将軍から賜ったハイタカが死んだので園内に埋め、碑を建てました。鎌倉時代に無住法師によって書かれた「沙石集」に紹介された物語の旧跡地の栃木県おしどり塚児童公園には鴛鳥塚があります。つがいのオシドリと猟師とのいきさつが記されています。③-3.の写真は東京都上野公園にかなりやの碑として、童謡「かなりや」を作詞しました詩人であり、作詞家の西條八十の西條八十顕彰碑があります。西條八十が上野不忍池畔のアパートにいた頃「かなりや」が作られました。
④-1.https://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/89syuryou/893kanto/kamotuka.htmlより引用の東京都浜離宮庭園の鴨之塚
④-2.https://www.city.saga.lg.jp/main/3894.htmlより引用の佐賀県佐賀市米納津の鳥類供養塔
石川県の鴨池観察館には、鴨猟解禁の頃に鴨の供養祭に大聖寺捕鴨猟協同組合が建立致しました鴨塚があります。他にも④-1.の写真の鴨之塚があります。東京都の浜離宮庭園で庚申堂鴨場と新銭座鴨場があり、鴨猟が盛んに行われていました。その供養として、宮内省の鷹匠、戸部与四郎が建てました。カラスのための烏供養塔は新潟県東長鳥夏渡にあります。廃棄物処理場に群がるカラスを殺した為、供養として造塔されました。狩猟の為の鳥類供養塔は④-2.の写真の佐賀県佐賀市米納津にあります通称「雁の塔」と言われる供養塔で鍋島藩の御猟場、鳥類殺生の業成転滅の願いです。鍋島藩御狩場跡の御狩場跡には、犠牲となった鳥類の魂を鎮めると共に悪の報いがないようにという祈りが込められて、供養塔雁を鎮守してます。
⑤-1.https://ja.foursquare.com/より引用の大阪府大阪護国神社の軍馬・軍犬・軍鳩之碑
⑤-2.https://yuki.liblo.jp/archives/20535834.htmlより引用の秋田県八橋不動院の鶏卵塚
魚鳥供養碑は魚類も鳥も供養します石碑で静岡県熱海の熱海割烹調理師会が作成いたしました。戦争で活躍した鳥獣の石碑は大阪府大阪護国神社にあります⑤-1.の写真の軍馬・軍犬・軍鳩之碑です。戦死者の慰霊碑に並立され、手厚く供養されています。鶏卵塚は二つありまして、ひとつは⑤-2.の写真の秋田県の八橋不動院で、鶏や鶏卵を食べる事を禁じられていましたが、病気などでやむなく食べた場合、供養として建てたようです。
もう一つは秋田県寺内蛭根の鶏卵塚で、古四王信仰での鶏卵タブーから建てられた鶏の石塚です。
⑥https://www.google.co.jp/amp/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/795998.ampより引用の
福岡県上三緒雁石坑(がんじゃく)の小鳥塚
小鳥を供養致します石塚は日本に三カ所ありまして、⑥の写真の福岡県上三緒の雁石坑小鳥塚は炭坑で死んだ小鳥でありますカナリヤ、メジロ、シジュウカラなどの慰霊碑です。明治から昭和10年頃まで、炭坑ではガス探知機の代わりに小鳥が使われていました。二番目は東京都回向院の小鳥供養塚は、東京都飼鳥獸商協同組合が作成致しました。三番目は埼玉県秩父聖地公園の秩父愛鳥会が作成致しました小さな命の色んな小鳥の墓です。
⑦https://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/20tikusan/21hokaido/tomako01.htmlより引用の高丘第一霊園に移設された狩猟鳥獣魂碑
⑦-2.https://scrapbox.io/japanmystery/%E6%9B%B4%E9%9B%80%E5%AF%BA%E3%80%80%E9%9B%80%E5%A1%9Aより引用の京都府更雀院の雀塚
⑦-1.の写真は社団法人北海道猟友会、社団法人苫小牧猟友会が北海道の高丘霊園に建てた狩猟鳥獣魂碑です。今でも狩猟解禁前の9月に慰霊祭を行います。ウトウの霊を慰めるために祠を建てたのは、青森県は一念寺の地蔵堂です。珍しいのはキジが白変種して、神格化されました白雉の供養の造形物です。山口県真木台の瑞鳥終焉之霊地には朝廷に献上された白雉がこの森で生を終えて碑があります。山口県大歳社には大化6年に献上された白雉霊鳥白雉之碑があります。私たちに一番身近なスズメは、⑦-2.の写真の京都府更雀院の雀塚があります。左遷された朝臣の魂が死後に雀に化身して帝都に戻ってきたとされて、その魂を鎮めます。ふたつめは東京都東覚寺の雀の供養塚です。
幕府政策風刺、大田蜀山人の狂歌で「むらすずめさわくち声もももこえもつるの林の鶴の一声」と詠みました。鳥だけではなく、鶏の玉子の石碑もあります。東京都波除稲荷神社の玉子塚は、東京鶏卵加工業組合創立30周年記念で建立されました。千鳥足や千鳥饅頭で有名な千鳥に関する石塚もあります。愛知県千句塚公園の千鳥塚は松尾芭蕉「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の句碑の隣。
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