第1140回 新・入内雀
①https://ja.m.wikipedia.org/wiki/入内雀のイラスト
今まで、スズメが登場する日本の昔話といえば、「舌切り雀」こと「雀のお宿」しか有名なものはありませんでした。私が子供のころに「桃太郎」や「花咲爺さん」などとともによく読み聞かされました。しかし、いまその「舌切り雀」の内容をよく考えて見ますと、今なら動物虐待ではないかと言われるような、生きた雀の舌を切るとか、意地悪で欲惚けのお婆さんに、薄暗い藪中で渡したつづら箱を開けたら、その中から魑魅魍魎(ちみもうりょう)が現れるなんて怪談そのものです。
②https://ja.m.wikipedia.org/wiki/入内雀より引用の月岡芳年『新形三十六怪撰』より「藤原実方の執心雀となるの図」
この「入内雀」はずばり③の写真のニュウナイスズメそのものの漢字表記の名前がお題となっています。スズメといえば「雀」が日本では知られているスズメで、ニュウナイスズメと言われても知らない方が多いと思います。雌雄の判別はスズメより分かりやすいと思います。またスズメとの判別は④の写真のように、スズメより明るい茶色い身体に、顔にある黒斑がニュウナイスズメにはありません。今のスズメが日本に移入される前に人の身近にいたのが、ニュウナイスズメでした。
③https://shikabee.com/niyunaisuzume/より引用のニュウナイスズメ(左がメス、右がオス共に体長約14㌢)
そのニュウナイスズメを追いやったのが今のスズメです。その中での「入内雀」は、主人公藤原実方は一条天皇の侍臣でもある名高い歌人でしたが、藤原行成に陰口を叩かれ、殿上で行成と口論し、行成の冠を奪って投げ捨てるという失態を演じ、京都から陸奥国へ左遷させられました。当時の陸奥は陸の孤島ともいうべき土地で、実方はこの仕打ちへの怨みと京都への想いを募らせ、失意の内に陸奥で亡くなりました。その亡き後に京都の清涼殿で奇妙な出来事か毎朝起きました。
④https://zukan.com/jbirds/question/3979より引用の左のスズメのつがいと右がニュウナイスズメの違い
毎朝、京都の内裏の清涼殿へ一羽の雀が入り込み、食事を盛る台盤の飯をついばんであっという間に平らげてしまうといいます。人々はこれを、京に帰りたい一心の実方の怨念が雀と化したか、もしくは実方の霊が雀に憑いたといって、内裏に侵入する雀であることから「入内雀」または「実方雀」と呼びました。人々はこれを実方の怨霊の仕業といって大いに恐れ、実方を弔うために、後に勧学院は森豊山更雀寺(俗称・雀寺)に、雀塚を作り、今も実方のための供養が続けられています。
⑤https://km.swiki.jp/index.php?送り雀より引用のイラスト
何か今まで棲んでいた生息地を、後からやってきた身体の大きなスズメに奪われ、山野に逃げたニュウナイスズメ。その話しとよく似ていると思います。また日本にはスズメにまつわる昔話も多く、またこの「送り雀」は、和歌山県や奈良県吉野郡東吉野村に伝わる妖怪です。和歌山では雀送りともいいます。その鳴き声を実在の鳥のアオジに例え、蒿雀(あおじ)とも呼ばれます。この鳴き声の後にはオオカミや妖怪・送り狼が現れるので、転ばないよう足元に気をつけたといいます。