#130 小さい頃から準備不足、懲りない

小学生の頃、エレクトンを習っていた。レッスンが毎週土曜日にあったが毎回怒られていた。なぜなら、1週間のうちに自宅でほとんど練習してこないからだ。普通ならば何度も繰り返し弾き続けることで上達していくものだが、そこまで鍵盤に触れて来なかったものだから、当然土曜日に急に弾けるようになるわけでもなく、弾くたびに詰まるから先生に何度も注意されてきた。怒られるのが嫌だったからレッスンに行きたくないという気持ちが日に日に増していったし、休日になるのが怖かった。通常の人間であれば、平日が終わり学校から解放されるから休日になってほしいと思うだろうが、私の場合は真逆であった。金曜の夜には翌日のことを考えると恐ろしいものだった。今思えば、そんなに嫌ならば日頃から練習しておけよという正論を言いたくなるが、それでも練習しなかった。

逆算ができない人間なのだろう。この日に先生に見せるから毎日最低この位は練習しようと考えるはずだが、私にはそれができなかった、というよりはしなかった。土曜日が来るということは分かっているが、一旦レッスンが終わるとリセットされて頭の中から練習しなければという意識が消え去ってしまう。練習しないと怒られるということを何度も経験しているはずなのに一向に学ばなかった。


中学生の頃にサッカーの練習試合会場に3時間ほど遅刻した。会場までは家の近いチームメイトと4人ほどで自転車に乗って向かう予定だった。その会場は初めて行く場所で、道を調べてくれた一人を先頭に、何も調べていない私を含めた3人が付いていく形だった。途中ではぐれて2人ずつに分裂してしまった。道を調べてくれた人は私とは反対の2人の方にいた。私と一緒になった人も道を知らなかったうえに、私たち2人はまだスマホを持っていなかったため完全に目的地へのあてを無くし途方に暮れていた。道行く人に道を尋ねたり街中に掲示されている周辺地図を見て進んだ結果、1時間かけて着くはずが4時間ほどかけて到着した。着いた頃には練習試合は終わりに差し掛かっており、移動着のまま帰宅した。

誰かが調べてくれるからって任せっきりはよくない。人に任せてばかりいるとこのように罰が当たるのだろう。中1の5月下旬で体育祭の練習が盛んに行われていたこともあって全体的に疲れていると共に気のゆるみが出てくる頃、いわゆる5月病であった。それ以降は遅刻に対して敏感になった。

クラブチームの夜練習がある日、学校から一旦帰宅して夜に自宅から練習場に向かうのだが、自宅にいるときに寝てしまって目を覚ましたら練習開始時刻を過ぎていた。あのときの遅刻で感じた焦燥感を再び感じた。遅刻していくのは嫌だったから無断欠席した。普通に考えれば遅刻よりまずいことをしているが、私はチームの中で影が薄く主力選手でなかったこともあり、コーチには欠席したことを全く気が付かれなかった。何ならチームメイトにも気が付かれなかった。

全く懲りなかった。


高校3年時に、ある日の昼休みに大学進学時の奨学金予約の説明会が開かれ、多くの生徒が参加していたそうだ。片親家庭の私は当然出席しなければならなかったが、出席しなければならないものだという認識がなかったから出席しなかった。後日、母親に出席していなかったことが知られ、絶対に先生に資料を貰いに行きなさいと言われたため担当の先生のところに訪ねたが、君一人のためにもう一度説明するわけにはいかないとはねのけられた。これで食い下がることはできないので何度かお願いを続けたところ、浪人生用の説明会も開かれるからそれに来いと言われた。部活があるから行けませんと言ったらそれだったらもう無理と言われた。このときはさすがに部活を休んで説明会に行った。

事務的な事項を聞き落としてきちんと怒られた記憶として私の中に鮮明に刻み込まれたため、それ以降、事務連絡を聞き落とさないようにと敏感になった。(被害者面した文面だが、全部自分が悪い)。

受験生として大学進学に向けた意識をもって情報収集など自分で準備していればこのような事態にはならなかったはずだ。このときは反省した。一応予約はできたが、現役で失敗したため、怒られてまで貰いに行った予約採用はただの紙切れになった。浪人をするも受験は再び失敗したので滑り止めに進学した。奨学金に対する意識と同様に受験勉強に対する意識も今思えば甘かった。一方で、現役時の反省もあって浪人時はしっかりと予約採用の手続きを行った。


現在、私は大学院の修士一年で絶賛就職活動を行っている。先日、某会社に伺い、インターン選考としてグループ面談に参加した。事前に卒論をまとめた内容シートと自己紹介シート(ほとんど履歴書)をそれぞれ印刷して持参するように言われていた。また、研究紹介を5分ほどしてもらうとも言われていた。

指示された印刷物は一部ずつ持参したので問題ないと思っていた。しかし、会社側の方にお渡しする用と自分で控える用の計2部以上印刷して持参する必要があったので、私は会社の方に渡したまま、自分は手に何もないという状態になった。また、卒論をまとめたシートは印刷サイズを間違えていたのを、他の人のそれを見て気が付いた。

はじめに研究紹介をするように言われた。他の就活生が手元にある自分用に印刷した資料を使って説明する中、私は手元に紙資料がないから困惑した。スマホにデータがあったのでスマホを開いて資料を確認しながら説明していった。面談時に就活生側がスマホを出すというのが失礼だということは重々承知の上だが、説明するにはそうするしかなかった。

また、研究説明をするとは書いてあったものの、軽くラフに少し説明するくらいかと思っていたが、他の学生の説明を聞くと、学内での卒論発表時くらい畏まった台本で喋っていたから更に動揺した。私は仕方なくアドリブで説明をしたところ、ただただこんがらがって会社の方も呆れていたような感じがした。研究説明以降も自己紹介シートの中身について質問されて各自説明することがあったが、さすがにもう外されただろうと思い気力が落ち、自分の話す声が徐々に細くなっていくのがわかった。

実はまだ就活用のビジネスバッグも手元に無い。ネットで購入して只今発送を待っている最中だ。全般的に就活に対する準備が不足していることを、周囲の学生を見て痛感させられた。


私は小さい頃から準備不足だ。心配性だから必要以上に準備してしまうという人もいるだろうが、全く反対のようだ。私は全く心配性でないわけではない。不安に思うが手が動かない。本当は不安に思っていないだけなのか、それとも先のことを考えられない頭の悪い人間なだけか。

準備不足が直らない。それも当然、これを書いている今、半分くらいは準備不足の後悔が消えかけているから。(実際を言うと、この内容を書いているほどだから、今回の面談の件については結構まずいと思っている。一旦開き直ろうとする瞬間もあったが、今書いている内容を書いている中で事の深刻さが増幅して感じられる。)

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