#111 自分のせいか量のせいか
与えられた仕事に取り掛かっているとき、どうしても予定していた時間だけでは終わらずに残業したり、次回に回すことがある。仕事はできるだけ時間内に終わらせた方がよく、残業するということはあまり良いことではない。私は残業ではないが、与えられた課題や作業に取り掛かるとき、これくらいで終わるだろうと思っていた時間よりかかってしまったり、一日で終わらせようと意気込んでいたものが全く終わらないことがある。そういうことが結構あるものだから、それに関して一つ疑問を持つようになった。
時間内に終わらないのは自分の要領のせいなのか、そもそも量が多すぎて時間内に終わるはずがないことに取り組んでいるのか、果たして自分が置かれている状況はどちらなのか気になっている。
私は他の人よりも動くスピードが遅いからこそ、どちらの状況なのか気になってしまう。元から要領がよい人の場合で作業が終わらない状況に置かれたら、自分の能力のせいだという要素は予め除外されるから、与えられている仕事は膨大過ぎて理不尽であると思うことができるからはっきりとしている。一方で、元から作業が遅い人間が通常の人でも終わることのない課題に取り組むと、本来終わることのないことに対して自分の能力を責めてしまったり、反対に、自分の能力不足なのに課題の量のせいにしてしまうなど見当違いなアクションを取る羽目になる。
前者では、自分の能力を改善しようとしても時間内に終わるはずがないから、自分ではどうしようもできないことを自分のせいにしたまま進み続けてしまうので、当事者の心理的には不健康になる。後者では、自分が上手くいかないことを他人や環境のせいにする典型的なダメな人になってしまうので安易にその姿勢をとることはできない。いずれのアクションをとるにもリスクがあるからどっちつかずになってしまう。
上記で挙げた仕事や課題とは比較的長時間取り組む場合が多いから時間内に終わらない原因がわかりづらくなるのかもしれない。
例えば、1分以内に○○するという内容であれば、自分の作業のスピードがはっきりと見えるため、自分の能力のせいなのか課題設定の問題なのか一目瞭然である。これが長時間になるほど直感的に時間を読みづらくなり原因が混乱する。
ではどうするかというと、長時間の課題を短時間の課題の集積としてみなせばよいのだと思っている。個々の分割された課題の時間感覚を積み重ねていけば、自分のせいか課題設定のせいなのかが明らかになりやすいと思う。