#39 講義で後方から席が埋まっていく現象

授業の教室で自分の座席が決められておらず自由に着席できるようになった本格的な機会は大学の講義からだった。基本的に教室に入った順に自由に席を選べる。ここで、どこの席から埋まっていくのかを思い返してみると、どの授業でも大体同じ場所に限定されている。自由といいながらも基本的に皆が座りたい座席範囲というのは何となく決まっているというのは興味深かった。今受講している授業でも、教室のキャパシティに対して受講人数が少ないため後方に人が集中しているのが顕著になり、先生の目の前にある座席がガラガラな状況がよくある。この距離感がはっきり見えるとき、何か違和感を感じてしまうが、人間の何らかの習性なのではないかと思うと面白い。

なぜ、講義室は後ろの座席から埋まっていくのだろうか。主に挙げられる理由として、内職しやすいということが想像できる。たしかに、1コマあたりの授業時間も長いし授業時間以外に中々時間が取れないときには授業中に他の授業の課題に取り組むということはあるだろう。私が教室後方に座っていた時、前の座席に座っている学生のパソコンが見えるのだが、たしかに他の作業をしていたのを見たことがあるし、他にもメジャーリーグを見ながら聴講している学生も見たことがある。

一方で、私も教室後方の座席に座る傾向にあるが、内職するために座っているわけではない。そういった点では一丁前に真面目なので罪悪感を抱くだろうから取りあえず他のことはしていない。そもそも、授業を聞きながら他のことをしていても同時並行作業が苦手な私にとっては集中力を伴いながらは不可能だろう。

私が後方を好む理由は、安心できる距離感の問題である。前の座席だと見える範囲が狭まる。これは、映画館での座席選びと同じ感覚で、後ろの席の方が黒板全体が見えるし教室全体が見渡せるから安心感がある。大勢の誰かが自分の後ろにいると思うと少しプレッシャーになる。また、先生との距離が近く先生からの認識を強く感じてしまいプレッシャーになる。後ろにいた方がちょうどよい距離感で授業を受けられて変に緊張する必要がない。また、私は視力がよいため、後方にいても全然文字が読めるのだ。予備校時代は1教室に200人以上の生徒が詰め込まれた広めの教室で授業を受けていたが、とても文字が薄くて小さいといわれる英語講師の板書も、オペラグラスを借りる人もいる中、私は裸眼で把握してノートを取っていた。

また、私が頻繁に対面で講義を受けていた時期はコロナ禍で、隣の席が1席開けられていたが、その間隔が私的にはよかった。私は元々のパーソナルスペースが広いから講義中も後方に座るのだろうか。なお、コロナ禍を過ぎても1席ずつあける習慣は残っており、改めてこのくらいがちょうどよいなあと感じる。

ただし、一番後ろの席には座らない。前方から配布物が回されたときに枚数の調整は一番後ろの人間が行わなければならないからだ。また、後方に集団で座る人々もおり、その隣にはなかなか座りづらいため、後方の中でもいい感じにポツンといられる席を見つけて座るようにしている。


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