#81 じゃんけんで決めてしまおう

大学の授業でどのグループから先に発表するかの順番を決定するときに、各グループの代表者がじゃんけんをして勝ったグループから自分たちが何番目に発表するかを決めることがあった。また、アルバイト時に誰がどの作業をするのか役割分担を決める際もじゃんけんで勝った順に選んでいくということがよくあった。

じゃんけんとは、それ単体で楽しむことは少なく何らかを決定する、特に、決定権の序列をつけることに絡めて身近でなされることが多い。

じゃんけんは各々がグーチョキパーの同確率の三択が用いられるため平等だからよい方法だと思われているようだ。誰が決定権を持つかを運のみに頼るため、その他のあらゆる要素は無視される。頭のよさとか力の強さ関係なく決定できるからいつでも優位に立てる可能性もあるしシンプルだから汎用性が高い。

各々意見をぶつからせて決定する方法もあるが、それだと関係する要因が複雑になってしまう恐れがあり、時間や手間がかかってしまう可能性が高い。それならば、全て運に任せてしまった方が早い。

そもそも、じゃんけんが利用される状況では、そんなに決定権に関して重きが置かれていない気がする。勿論選挙の投票や集団のルールを決めるなどの機会は話し合う必要があるが、それ以上に日常ではどうでもいいことについて決めなければならないことが多い。

最初に書いたように、発表順なんて何番だってよい。仮に「私は○○番が良い!」という熱烈な人がいたとしても、ほとんどの人はどうでもいいから熱烈な人を優先させる。また、アルバイトの仕事分担でも、作業分担しても最終的には自分の持ち場が早く終わった人は他の人を手伝うことになるからどれでもよい。たまに、この担当がしたいという人もいるけれど、話し合うほど熱烈なわけではないのでじゃんけんで決定することで納得がいく。

我々は普段集団生活でじゃんけんに頼ることが多いものの、副作用として自分で決定する意思や考える習慣が弱まっていくことが懸念される。じゃんけんは運以外の要素を排除する。その中には論理的に考える力や相手に自分の気持ちや考えを伝える能力も含まれている。じゃんけんがあまりにも単純明快で便利だからといって過剰に依存しすぎると自分たちで決定することが面倒になり考えなければならない問題にも関心が薄れていくだろう。

タイムパフォーマンスを無視してでも話し合う時間が大切な時を見極めなければならない。そうでないと自分の考えが徐々に持てなくなる。

こうはいったものの、やはり便利なものに頼ってしまう。現代でいえばChatGPTに文章作成を依頼するなどがそれにあたるだろう。そういう便利なものが当たり前になると、自分で文章を書くことや話し合うことがバカバカしく思えてくるかもしれない。


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