#18 コツコツ型人間

物事に取り組んできた経験を振り返ると、コツコツ取り組んできたものはそれなりにうまくいっていた気がする。

小学生の頃は、毎朝のランニングを日課にしたら市内のマラソン大会で1桁代の順位を取った。中学生の頃は、テスト期間関係なく毎日勉強していたら学年順位は大体1桁台だった。

上手くいった経験が9年前の中学生で止まっていることは非常に悲しいことで、高校生になってからは特にうまくいったことがなく、自分の思い通りにいかないことや自分の成果に納得できないことが多くなった。

高校生以降では、大きいことに挑むことが多くなった。例えば、授業での勉強量が多くなったことや部活動では自分で考えて行動する場面が多くなった。人間関係も一からリスタートした。自分で考えて行動する割合が多くなるということは、自分で組み立てる機会が多くなるということである。

中学生までは、目の前にある物事の量が少ないため与えられたことを分解する必要性が少なく目の前のことに集中していけばいいだけだったが、高校生以降は取り組むことの量が多く一つのことに取り組む期間が長くなるため、目の前のことに闇雲に立ち向かっていけばよいというわけではなくなる。目標を設定し目の前の問題を分割する能力を追加する必要があったが、幼稚な私はそれを察し行動に移すことができなかった。

そのせいで大学受験勉強も長期的に組み立てられず1浪を経ても残念な結果に終わってしまった。大学生活でも、授業後に毎回演習がある講義や小レポートを提出する講義はよく取り組めたが、設計課題や期末レポートなど一度に大きな課題が与えられる場合は分割して計画を立てていくことができていなかったせいで納得できない感じになっていた。

高校や大学では普段遊んでいても一夜漬けや一時期集中して取り組んで成果を出すような人に憧れを抱いていたがコツコツ型人間の私には合っていないスタイルだと思ったことがあった。だが、高校以降は、どちらにも共通して目の前の問題を分割して取り組む点が含まれている。エネルギーの偏りが違うだけである。

設計課題では、ぎりぎりまで案を考えて徹夜して模型を製作することがお馴染みになっていたが、変な根性が発揮されただけで、つらいわりにクオリティや評価が低かった。反対に、事前に計画を立てて期限より余裕をもって提出したレポートやリサーチ課題の方がクオリティが高く評価もよかった。あるだけの時間をかければよいわけではない。それがかえって低クオリティや不必要な疲れや惰性を生むことになる。

時間を有限の存在だと認め、目の前の問題を分割して流れを計画してまとめていき自分の得意分野であるコツコツ型に落とし込むことが問題の本質をつかむことにつながり内容もよいものになる。自分の発想や能力を限界まで追求することも大事だが、短時間では限度があると諦めを付けることでなせることもある。その線引きは今までの経験則が指示してくれるだろう。

高校の進路担当の先生が「困難は分割せよ」と言っていたのを思い出した。今になってとてもしみる言葉になっている。この言葉を胸に精進していきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?