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#92 オードリーANN東京ドーム から半年


annkwを聞き始めるまで(2018.5-2020.5)

2018 高3


2018.5
GW中、高校の部活で、浦和パルコ前の野外広場でのイベントに参加することになった。そのイベントには、私たちの出番の前ではあるがラグビーに関係のある?芸能人数名(2-3人)も参加する予定となっていた。私たちが道具の準備を終えてステージ裏で待機していると、我々の目の前をピンクベストの男性が通り過ぎた。その日は相方はおらずピンでの出演となっていた。他の芸能人の方々は軽く会釈してくださったが、ピンクベストの男性は脇目もふれずに、まるで私たちが存在していないかのように通り過ぎていった。ラジオを拝聴している現在から振り返ると当然の振る舞いだと理解できる。ステージに登壇する前にその方の背中が見えた。テレビで見るより肩幅が広いんだなという印象が残っている。その男性は登壇してから1分位イベントに関してのコメントをしてから、最後に往年のギャグを披露して会場が一つになったのがステージ裏から聞こえた。例の事件の約1年前である。

2018.8
高校3年、受験生であった。自宅で受験勉強をする合間に休憩するためYoutubeを見ていた。すると、気が付いたらずっとオードリーの漫才を見ていた。ツッコミボケに対して素早いツッコミが連発されるのが快感で面白く夏休みはずっと見ていた。鉄板のデートネタからあらゆるネタを見た。特に、小説のネタと後輩の前で講演をするネタがお気に入りだった。関連動画にオールナイトニッポンンの動画が出てきたが、2時間近くあったため見なかった。

2019 浪人


2019.4
浪人してから約1か月が経過した。浪人期間中は予備校にいる時間が多かったためテレビはあまりみていなかったが、モニタリングの特番はなぜかしっかり見ていた。春日さんがプロポーズするという企画であった。当時はそこまではまっているわけではなかったが最後まで見ていたのを覚えている。若林さんが鼻水を垂らしていたのが印象的であった。それ以降のことはあまり知らず、例の事件のことを知ったのもこの1年後だった。

2020 浪人終了と大学生スタート


2020.3
国立前期試験が終了した。結果次第で後期試験に臨むため勉強を続ける必要があったが、一旦解放されてYoutubeを見る時間が多くなった。そのうち、「おどぜひ」チャンネルの動画に巡り合ってからおどぜひをよく見るようになった。

動画1本あたりの時間もちょうどよい上に面白い動画が多く挙げられていたため結構見ることになった。そうして数日後、本命の前期には落ちたことがわかった。1年勉強に向き合っても報われないことはあるのだなと思い落胆したと同時に受験がいったん終わったという解放感もあった。本命の大学は後期試験がなかったため、前期合格発表の2日後に前期とは別の大学の後期試験を受験し、そこは受かったのでそこへ進学することにした。後期が終わってから再びおどぜひを漁り、そこから、オードリー関連の動画を見るようになった。その関連で「ひなあい」の切り抜き動画も見るようになり、今まではグループ名すら知らなかったが、3月が終わるころにはメンバーの名前が全員言えるまでになった。

2020.4
滑り止めと言えども晴れて大学生生活が始まると思われたが、緊急事態宣言で大学が5月からになり、4月は暇になった。Youtubeを見つつ、私はひなあいを本格的にテレビで見始め、さらに(違法転載で大変申し訳ないですが、今はちゃんとラジオやRadikoで拝聴しております)オードリーのオールナイトニッポンの一部をちょっとだけ聞き始めた。湯水の如く~や睡眠導入剤の話、インコの話あたりからだ。外出予定がなく実質ニート期間だった私には有り余るほどの時間があり、その時間を使ってannkwを聞いた。

2020.5
5月が始まり、annkwを生で聞きたくなったので、浪人期間中に英語のリスニング勉強用に買ってもらったラジオを取り出し、ラジオの聴き方を調べながらセットした。当時はRadikoの存在を知らなかったため本物のラジオという発想しかなかった。最初はAM1242に合わせたが、FM93の方が聞きやすかったためニッポン放送の伝統を無視してFMで聞くことにした。土曜の0時50分ごろ、もっと聞きやすい方法はないかとアンテナの位置を試行錯誤した結果、ベランダの窓付近にラジオを置き、アンテナをベランダの方に向けながらアンテナの先端を窓のフレーム部分に接触するようにすると音声がクリアになった。ラジオのセットが終わってからしばらく待ち、1時を迎える。「ニチレイプレゼンツ、オードリーの・・・」聞き覚えのある始まり方を生で聞くことができた。ラジオだから少し音声が乱れることがあったが、それも含めて生放送で味があると感じた。一方で、大学の方も全面オンラインで5月から開講された。annkwと共に私の大学生期間がスタートした。

聞き始めてから(2020.5-2023.3.18)

2020 オンライン大学生活


生放送を聞き始めてからRadikoの存在も知り、生放送やタイムフリーで毎週聞くようになった。自宅で製図をしたり模型を製作するときにタイムフリーで聞くことが多かった。

2020.7あたりの放送で岡田マネージャーを知り、そこから岡田さんの話になると前のめりに聞くようになった。オープニングで少し触れるだけでも良いので、できれば隔週以上の頻度で岡田さんの話題を出してほしいくらいである。

SWについて


SW回に対して、始めは通常回と異なるため慣れなかったが、2020.10あたりのSWであばれる君の回を聞いてから少しずつSW回が楽しみになっていった。2023.7の放送でSW回の存在意義について問われていたが私はSWが好きである。普段テレビでしか見ない、あるいはなじみがないゲストの方々について、オードリーの2人を通じてそのキャラクターが引き出され、そのゲストの方々に興味を持つことができるからだ。特に、東京ドーム発表以前だと、2020.12のDJ KOOさんの回と2021.10のコットンの回が印象的だった。DJ KOOさん回は製図をしながら笑って聞いていた記憶がある。コットン回では、西村さんの自慢がオードリーの2人によって笑いや盛り上がりとして昇華されておりとても面白かった記憶がある。

また、SW回前後の通常回の中で(オープニングで)SWゲストについて触れているのも好きだ。SW前であればゲストにどういうことを聞きたいか、SW後であればSWの振り返りなどが一つ楽しみであった。

2021- 通学

大学の対面授業が再開して通学するようになった。私は遠距離通学者であり大学まで片道2時間かかるが、その間にタイムフリーを聴くのにちょうど良い時間だったため、その週のannkwを聴いていた。一見退屈そうな通学時間でも、ラジオがあったのでそこまで退屈ではなかった。あるところまでいくと、逆にラジオを聴くために通学しているまでの感覚に至った。

東京ドーム発表回(2024.3.18)

翌日は某英語試験があるものの、いつものようにラジオをセットして1時になるのを待つ。

1時になってからオープニングが始まる。若林さんの一人喋りが始まり、いつもと違う放送であると察した。春日さんが何らかの関係で今回の放送に参加できないから、若林さん一人での回なのだと思った。だが、若林さんがWBCの話をする途中で春日さんが遅れて登場することで、1人回ではないことがわかった。春日さんはただ遅れただけなのか。聴いている限りではそうではなさそうだ。なぜなら春日さんが状況を把握できておらず説明を求めていたからだ。この流れは3年間聴いてきて初めてだった。

春日さんが状況説明を求める中で、「どうして今東京ドームにいるのか」という言葉を聞いたとき、私の中で新たに察しがついた。数分後、その察しが的中していたことを春日さんの口から聞くことになった。

このとき、私は正直、他人事のような気持ちだった。2019年の武道館イベントのときは私はまだannkwを聴いておらず、聴き始めてから初めてのイベント発表だったからだ。また、番組で以前発売されたカレンダーなどのグッズも一切購入したことがなかった。つまり、番組を聴くだけでそれ以外のことには一切参加していなかったからだ。他人事だったから、参加したいとか参加したくないというところまで考えが及んでいなかった。ただ2月18日に東京ドームでイベントがあるということだけを理解した。

とはいえ、いつもとは違う回だから最後まで聴いてみようと思い聞き続けた。2人は東京ドーム内を歩きまわりながら、興奮すると同時に、これまで先例がないということで不安になる様子が会話の中から伝わった。

そうした会話を聴いているうちに、次第に興味が湧いてきた。不安さを見せているが、たりないふたりやあちこちオードリーのオンラインライブでは5万人ほど参加している(私はいずれも参加していない、たりないふたりは12月映画館で見た)から、まあ東京ドームも埋まるのではないかと思いつつ、実際はどうなんだろうなどと思ったりした。そこから、私も参加してみようかなと少し思い始めた。

東京ドーム発表から前日まで(2023.3.19-2024.2.17)

2023.4 大学4年 久々に東京ドームへ行く

4月から大学4年になり、新しい研究室・ゼミに所属になった。ゼミの先輩方や同期と顔合わせをしてから翌週(か翌々週)、土曜日に新入生が仮設構造体を組み立てるらしく、その計測をさせていただく代わりに前日からの準備に、私たちのゼミが参加することになった。

準備の集合時間が朝早かったため、多くの先輩方は来ず、4年数人と1つ上の先輩一人が参加することとなった。私は朝5時に起きて大学に向かい集合してから準備を始めようとしたものの、本番の土曜日が雨の予報となっており先生方と主催の学生が相談したところ延期するということになったことを作業途中で知らされ、午前10時前に準備はバラシとなった。

この日は授業などの予定が入っていないからそのまま帰宅することになりそうで、せっかく朝早く起きて大学に来たのに勿体無いと思った。時間があるから、遠距離通学の帰りにどこかに寄りたいなと思った。

そこで、いつも大崎から新宿経由で池袋方面へ帰るところを、少し遠回りして新橋まで行って降りた。新橋には、私が地元のバイトで勤めているチェーン店の新橋店があるため、そこで昼食を取ろうと思った。

昼食後、まだまだ時間があったので、銀座を経由して有楽町まで歩いた。そこから一旦日比谷公園のベンチに腰掛け、先週新宿の紀伊國屋で購入した新書を手に取り読み始めた。大学3年まででほとんど単位は取り切っていたため、4年では授業がほぼ皆無だった。平日の午後1時、大学4年はなんて自由なのだろうという悦に浸った。読書も少し飽きてきたため、ニッポン放送の方を向きながら30分ラジオを聴いた。それでもまだ空は明るかった。

そういえば東京ドームが近くにあるなと思い、東京ドームまで歩くことにした。

皇居に添いながら歩き、少し行くと東京ドームに着いた。大学2年の終わり頃に定期圏内の目白駅から東京ドームまで歩いた以来だから、約1年振りであった。夕方でドーム周辺には人がまばらにいた。「ここで東京ドーム発表がされたのか、そして来年ここでイベントが開催されるのか」と思いながら東京ドームの周りを一周した。その後、1塁側のジャイアンツショップを目の前にした石のベンチに腰掛けて、YouTubeを見た。

さっき歩いた箇所と二人が歩いた場所を脳内で照らし合わせながら見ることで、臨場感を味わった。こうして、たまにではあるが、東京ドームに通うようになった。

2023.5 シールゲットならず

私の住んでいる地域の近くでステッカー配布があったが、配布開始日に私が遠出している影響でその日受け取るのが難しそうだった。また、私が出かけていた地域ではステッカーの配布が行われる場所がなく、ステッカーをもらうとしたら翌日に地元で貰いに行くしかなかった。

軽く考えていたが、配布開始日に全て配布されたらしく私は受け取るのを諦めるしかなかった。後に無料のステッカーが転売されていることがラジオ内でも話題にされていたが、そこまで喉から手が出るほど欲しかったわけではないし、ステッカーだから少し待てば貰えるだろうと思って何もしなかった。

2023.6 ヘアバンド買う

当日行ければ良いと思っていたため、グッズを購入する気は元々無かった。ラジオ内やHPでグッズに関する紹介がされていた。Tシャツは文字が入っているのに対してヘアバンドは殴り書きだから他の人から見られてもオードリーのとは分からないだろうということと、ヘアバンドの方が安かったこと、昔円堂守のヘアバンドに興味があったこと等から、ヘアバンドを買ってみようかという興味が生じた。

6月3日の回を聴きながらスマホでアクセスするも、アクセスが混雑しており中々繋がらなかった。スマホからPCに変更してアクセスするなど工夫しながら1時間後にようやくアクセスすることができた。ヘアバンド1つのみ購入した。

6月の下旬にヘアバンドが届いた。実際に付けてみると、ゴムが少しきついため、ずっと付けるとなると頭が痛くなるだろうと思われた。

2023.7 広告を観に東京ドームへ

7月に入ってからの約1ヶ月間、通学時にヘアバンドをつけることにした。片道2時間の通学で広範囲を移動することになるが、特に何も言われたり見られたりすることはなかった。通学で電車に乗るだけでなく、帰りに途中駅で降りて歩いてみたりした。新宿、渋谷、池袋、品川などだ。人が大勢のところを歩くも何も無かった。また、周りを見ても宣伝Tシャツを着ている人を一人も見なかった。リトルトゥースというのは現実世界に実在するのだろうかと疑うほどに見かけなかった。

7月の最終週、木曜日、大学での中間発表が終わって時間があったので東京ドームの広告を見にいくことにした。新橋駅で降りてチェーン店で昼食をとり、その後新橋からニッポン放送を通り東京ドームまで歩いた。この時、その週のannkwのタイムフリーを聴きながら歩いた。若林さんのフリートークが終わるくらいに東京ドームに到着した。

水道橋方面からの東京ドーム


周囲にはあまり人はいなかったため自由に写真を撮ることができた。広告が7月いっぱいということだったので沢山写真を撮った。幾らか撮った写真の中から選び、スマホの待受に設定した。

当日(2024.2.18)までの待受

そしてその週の土曜日のラジオを聴いていると、若林さんが広告を観に東京ドームに行った話をしており、翌週くらいにYouTubeにもその様子が掲載されていた。

どうやら私が東京ドームに行った翌日の金曜日だったっぽかった。1日違いだった。もし1日後に行っていれば遭遇してSWゲストを答えていたかもしれない。何とも運がない。

2023.9 いよいよ申込

9月23日の昼頃から、いよいよ最速先行の受付が始まった。その日は午前から昼過ぎにかけてバイトが入っていたため、バイト終わりで帰宅してから午後4時過ぎ位に申し込むことにした。

私の周りでannkwを聴いている人がいないから一人参加の申し込みだ。アリーナ席またはスタンド席が選べる。これはどちらを選択するかが重要な気がした。アリーナ席はステージに近いが座席数が少なく、一方でスタンド席はステージから遠いが座席数が多い。私は第一希望をスタンド席にした。まず、スタンド席の方が座席数的に当選しやすい。また、私は近くで二人を見るというよりは、東京ドーム全体を含めて見てみたいという考えが強かった。近くで見られるのもいいが、それは他の狭い会場でもできる可能性があると思う。それよりは東京ドームならではの景色を見ながら楽しみたかった。二人から認識されたいというよりは隅っこから垣間見て楽しみたいという考えだった。

Twitterを見ると、アリーナを第一希望にしている人が多くスタンドが第一という人はあまりいなかったため、可能性はあるなと思っていた。

2023.10 最速先行結果+久々の東京ドーム

10月6日に当落結果が発表される予定となっていた。私はドキドキしながら昼間を過ごし、夕方からチケットのサイトを度々チェックした。私はスタジアムにスポーツ観戦に行ったりアーティストのライブに行くことが皆無なので、こうしたチケットの当落結果を見るのが初体験だった。

18時くらいに結果が表示された。赤いバーの上に当選と書いてあった。大学4年生のモチベーションがこの東京ドームライブになっていたため、行けることが決まってホッとした気持ちだった。折角普段のラジオなどで楽しみにしていても当日参加できなかったらという不安が払拭されて一旦スッキリした。

一方でTwitterを見てみると、当選したという人は全くと言っていいほど見られず、9割9分は落選して落胆している様子だった。中には、あれだけ煽っておいた結果行けないというのは納得できないという意見や、文句を言うべきではないと注意する意見が散見された。実のところ、私も当選したものの少しこの状況に対して思うところはあったから、納得できない人の意見が凄く身に染みた。私より聴いている歴が長かったり思い入れのある人達は沢山いるだろうに、そういった人たちが現地に行けないというのは他人ながら歯痒い思いがあった。また、番組内でよく聞くハガキ職人の方でも落選した人がおり、何ともいえない気持ちになった。私は当選はしたものの、この状況にあまり納得できずモヤモヤが残った。その中でも当選できたことは本当にラッキーなことだったのだなと思い十分に楽しもうという気持ちが強くなった。

確かに今まで誰も経験したことのないことを実行しようとしている訳だから客を騙したくてそうした事態になっているわけではない事は承知だが、今まで楽しみにしていた人たちが急に切り捨てられたような状況はあまり良くないだろうとは思った。ビジネスと言われればそれまでではある。

私は他番組でのオンラインライブの様子を踏まえて埋まるだろうと思っていたため、また、新規の人を増やして元から聴いていた人が行けなくなることほど本末転倒な事はないと元から思っていたため、特に他の人に宣伝することは無かった。

ここから数ヶ月は正直モヤモヤした雰囲気が流れていたように思う。

大学の通学定期が復活して2ヶ月ぶり位に新橋から東京ドームへの散歩を再開した。月に1-2回くらいのペースである。

2023.11 岡田マネージャーのベンチプレス

以前に比べYouTubeの頻度が低くなってきた中、岡田マネージャーの動画が上げられた。これは、若林さんがペンチプレスで70kg上げられることに対して岡田さんが「若林さんで70kgなら、、」と発言したことが発端となり、実際に岡田さんが70kg上げられるのかを試すところが動画にまとめられたものである。はじめに若林さんがトークゾーンで話しており、後にその様子がYouTubeにアップされた。


やりとり一つ一つ全てが満遍なく面白かったが、その中でも特に、70kgに挑戦する時の甲高い雄叫びと、栗坂さんが岡田さんにカメラを近づけた時に急に冷静になるところが面白かった。久しぶりに声を出して笑うほどだった。

2024.12 東京ドーム通い納め

12月といえば卒論の梗概を書き始め、卒論が佳境に入り始める時期である。私は年末に大学の実験棟で数日作業していた。年末最後の登校が終わると、帰りに新橋で降りて例の如く東京ドームに向かうことにした。東京ドームに着いた頃にはもう夜真っ暗で寒かった。1月の卒論提出の先には東京ドームライブがあることをモチベーションにしようと再確認し、通い納めとした。

2024.1 若林さんのnote+東京ドーム通い始め

年明けに、とある記事を読んだ。若林さんのnote記事は普段有料で書かれているが、一つの記事が無料で公開されていたのだ。その当時、私はまだnoteというものをよく知らなかったが、ブログのようなものだと思い読んだ。
その記事では、東京ドームに向けての感謝とお詫びが書かれていた。チケットに多くの応募が来たことでイベント内容に集中できるようになった感謝と、応募したが現地に来れないという方へ対する謝罪だった。
最速先行の頃から発生したモヤモヤとした空気が少し晴れたような気がした。

年末の続きをするために土曜日に新年初登校するも研究室が開いておらず、そのまま引き返すことにした。昼間だったので、また新橋で降りて東京ドームまで歩いた。年末とは対照的に外は明るかった。いよいよ年も明け東京ドームライブだという実感が増してきた。

2024.2前半 Youtube総復習+JAM

1月の下旬に卒論の学内発表が一段落したところで時間ができた。1月の下旬から2月上旬にかけて、大学に登校する日は帰りに東京ドームに通っていた。あと〇週間後には東京ドームライブがあると考えては士気を高める日々であった。私が東京ドームに通った日、1月の下旬にはエドシーラン、2月上旬にはテイラースイフトのライブが行われており、沢山の人で賑わっていた。2月18日のイメージトレーニングにもなった。また、1月からラクーアで脱出ゲームが始まったのでラクーアにも立ち寄るようになった。

また、2月に入ると家にいる時間が多くなったので、これまでのYouTube動画を始めから見直すことにした。44本の動画を見た。以前ちゃんと見れてなかった動画もあったので、全てきちんと見られる機会を確保できてよかった。その中でも、やはり岡田さんが登場する回(自転車選び、東京ドーム看板、帯広、ベンチプレス、SWの野球)は改めて面白いと思った。

さらに、ANNJAMで過去回から幾つかの回が1日1本無料で配信されている期間に入っていることを知った。私は途中から聴き始めたが、それがちょうど私がANNを聴き始めた2020年の回からだったので、私の中での4年間のannkwを振り返ることができた。

そして、グッズの中で私が唯一購入した黒のロングTシャツ(背中に図面が描いてある)が自宅に届いた。

2024.2.16 武道館ライブ放送

いよいよイベント2日前になった。まだ当日ではないが、緊張のためだろうか、足裏の汗が止まらず絨毯が湿ってしまうほどであった。このような汗をかいたことがなかったから驚きであった。この日はCSチャンネルで5年前の武道館ライブが夜に放送される。私はこのライブには参加していない。東京ドームライブの内容について詳しく説明がされていない状況において武道館ライブを見ることで、2日後のライブの流れをなんとなくイメージできるのではないかと思い、また2日後のモチベーションを上げるために見ようと楽しみにしていた。

放送1.2時間前の夕方から緊張してきた。本番は2日後だぞと思いながらも緊張が高まってくる。

放送の時間になった。まずは登場シーンから始まり、いつものラジオのようにオープニング、CM、フリートーク、ひろしのコーナーと続いた。広い会場だからといってゼロから特別なことをするわけではなくて、ベースはいつものラジオなんだとわかり、なぜか安心感があった。また、二人がまだ独身だったので今とはまた空気が違う感じがかえって新鮮だった。
後半はゲストが登場、最後に漫才、そして総括のコメントで終了した。漫才はYouTubeでも見たことがあるイタコ漫才だった。ライブ全体の時間は2-3時間ほどで一見長そうだが短く感じるほど充実感があった。充実感のあまり、本番は2日後なのにここで燃え尽きてしまいそうになった。武道館ライブの放送が終了すると、恋のから騒ぎの再放送がされており、懐かしさを感じつつ、翌日は朝からバイトなので少し見てからテレビを離れた。

2024.2.17 バイト後に後楽園へ

午前中から昼過ぎまでのアルバイトが終わってから帰宅すると午後3時過ぎくらいだった。その後は特に予定はなく自宅にいる予定であったが、翌日に控えた東京ドームライブにいてもたってもいられなかったため、少し休んでから自宅の最寄駅から電車で直接、後楽園駅に向かった。その際、イヤホンを耳につけ、その週のannkwのタイムフリーを聴きながら向かった。

後楽園駅を出て5時前くらいに東京ドームに着いた。引き続きタイムフリーを聴きながら東京ドーム周りを歩いた。東京ドーム内ではJUJU様のライブが行われており、少し音が漏れていたのがイヤホン越しにもわかった。東京ドームへの道というコーナーの時、いつものようにドームを囲うデッキ部分を歩いていた。コーナーの最後に流れる星野源様の「おともだち」を聴きながらデッキを歩いている時は音量と一緒にモチベーションを上げた。その後は若林さんのフリートークだが、その内容がちょうど脱出ゲームに参加した話だった。脱出ゲームの舞台となるラクーア内を歩きながらフリートークを聴いた。

前日ということもあり、ドーム周辺にはグッズをつけた人がいつもより多く見られた。スニーカーがラスタカラーになっている人もおり、いよいよだという心構えができた。ラジオを聴き終わるまで歩いたが、その頃にはもう外が暗くなっていた。聴き終わると後楽園駅から帰宅した。電車内にも、脱出ゲームの袋を手に持つ人がちらほら見られた。いよいよ明日だ。

東京ドーム当日(2024.2.18)

新橋-ニッポン放送-国際フォーラム-武道館-東京ドームへ

天気予報を見ると、昼間は最高で18度ほどあり夜もそこまで気温が下がらないという、2月にしては暖かそうな1日だということで、グッズの黒ロンT1枚を着て、ショルダーバッグにはチケットと一応ヘアバンドをしまって自宅を出る。自宅の最寄駅から電車で新橋駅まで向かい、いつものチェーン店で昼食をを食べる。

昼食終了後、銀座通り前まで行き、イヤホンをつけて前日のannkwをタイムフリーで聴きながらいつものように東京ドームまで歩く。まずはオープニングを聴きながら銀座通りを闊歩する。途中で少し逸れて、YouTubeで見たオーダースーツSADAの前を通ってから再び銀座通りに戻る。銀座のトレードマークである時計台がある交差点を左に曲がる。この交差点は、9月にアドトラックが走っていた際に若林さんとクミさんが遭遇した場所である。

そのままいつものように有楽町の方へ向かう。高架下を抜け、ニッポン放送の方へ向かい、建物をぐるりと一周する。いつもとは異なり、数名ではあるがグッズを身につけた人が確認できる。

いつもならここから先は皇居沿いか並木通り沿いを歩くのだが、この日は15周年ライブなので、ニッポン放送から過去のイベント会場を通過しながら東京ドームへ向かおうと思った。

まずば5周年イベントが行われた国際フォーラムに行った。日曜日ということもあり、多くの人で賑わう中、エレベーターも使って建物の中(ロビー部分)を通過した。国際フォーラム内を歩いている時、イヤホンで聴いているラジオでは、グッズで売られている名前入りのタオルで誰のが売れているのか話されていた。演者二人だけでなくスタッフのタオルもかなり売れたらしい。

国際フォーラムを抜けると、東京駅の方へ向かった。ここまで体調に気をつけてきたという話を聴きながら東京駅前に来た。東京駅前は、中学の遠足や修学旅行で、また、浪人の時に都内の予備校に通っていたため散歩がてら来ていた記憶がある。こちらも多くの人で賑わっていたが、中には、ライブグッズの野球ユニフォームを着ている人、おそらく新幹線で東京駅まで来た人だと思われる人も確認できた。

東京駅から皇居方面に進む。ここでは、幕張メッセでのリハーサルで石井さんがストーブをつけるのを渋る話やカワハラさんの話が聴こえた。皇居に沿って反時計回りに歩く。

いつもであれば新聞社の前で右折するが、今回は近代美術館の前を通り武道館へ向かった。武道館は10周年ライブが行われた場所だ。この日はTRFのライブが行われるらしく、東京ドームにはDJ KOOさんは来れないのだとわかった。

武道館を抜け、若林さんが仮装大賞の審査員をしたというフリートークを聴きながら神保町方面へ向かう。そうして大きな交差点を左折し、日本大学経済学部の建物が面する大きな通りを歩く。歩いて東京ドームへいよいよ近くなってくると、向かいからグッズをつけてこちら側へ歩いてくる人が先ほどよりも増えてきた。その人たちは、大体男性で、1-2人でコンビニなどに歩いて行く。

東京ドームから離れていく方向に向かうのはなぜだろうと思いながら足を進めると、水道橋駅前まで来た。ユニフォームを着た人が密集していた。そこから交差点を渡って東京ドームの敷地へ行くと、身動きが取れないほどの多くの人が集まっていた。これで一応東京ドームの敷地にはに着いた。

開場前

東京ドームには15:30開場の40-50分前には着いておきたかったが、大体予定通りだ。それは良いのだが、こんなにも多くの人でごった返しているのは本当に予想外だった。

まず、15周年展示の前にある芝生のエリアにはこれまで見たことのない量の人が溜まっていた。道沿いの段差には、本を読んで待つ人やイヤホンをつけている人、一緒に来たであろう友達などと会話して待っている人々が多くいた。

そこからデッキへ続く幅の広い階段を登ると、デッキには身動きがとれないほどの沢山の人がいると同時に、のぼりも確認できた。

ここにはいられないと思い、ラクーアの方に行こうとしたが、こちらの方が面食らった。ねぶたの前には写真撮影の長蛇の列、脱出ゲームをする人々、建物内のベンチにはグッズをつけて待機する人々、エスカレーターなどの動線にもグッズをつけて移動する多くの人々がいた。

私は約1年間東京ドームに通ったが、私がこれまで通っていた場所とは全く別の場所ではないだろうかと思うくらいに多くの人がいた。また東京ドームのデッキに移動している最中にイベントとは関係ないであろう通りかかった女性2人組の会話が聞こえた。ジャニーズでもこんなに混んでいるのは見たことがないということだった。おそらく、ドームで参加する人以外にも、都内の映画館で参加する人もドーム周辺に来ていたと考えれば、それだけの人数になるだろう。

ドーム周りのデッキをいつものように1周歩こうかと思ったが、混みすぎてそんな余裕はなかった。人がいすぎて息苦しさを感じたため、一旦ドームの敷地内から逃げ、飯田橋の方面に歩き小石川公園の方へ向かった。大分人が少なくなった。それなりに歩くと、私のように避難している人が何人かいた。私が東京ドームに向かうときにすれ違った人たちも同じように避難していたのであろう。

これ以上行くと開場時間までに引き返せないと思い、東京ドームに戻ることにした。戻ったものの、まだ少し時間があったので、一人デッキでうろちょろしていた。改めて周りを見ると、一緒に来た人と喋っていたり写真撮影をして楽しんだりする人が確認できた。この日は一応ラジオのイベントだが、本当に普段ラジオを聴くような人たちなのかと思うような人もいた。

私は大学に仲良くする人もおらず、この4年間1人でラジオを聴いていたが、多くの人は普段の生活も充実した中でこのライブに参加しているのだと思うと、自分は本当に社会の隅っこにいるんだなとつくづく感じさせられた。

そろそろ開場するが、開場の列が長くてすぐ入れなさそうなので、開場してから10分後にドーム正面の22番ゲートの列に並んだ。

開場

列はすぐには進まなかったので、警備員の方に指示されたように、チケットの点線部分を折って切り取りやすくした状態で待っていた。

しばらくすると列が進み、カバンの中身を見せ、回転扉を通過して建物内に入った。私はスタンド席なので階段は使わず、そのまま細い入り口に向かった。そこからドームに入ると、空気膜屋根に覆われた大空間が見え、感動のあまり声が出てしまった。普段ドームのデッキを歩くときにたまにドーム内の様子がガラス越しに見えることがあるが、その時は回廊の天井が邪魔してドーム内全体が見えなかったので、空気膜屋根のライズによって実際はかなり天井が高いのだなと実感することができた。

実は、私が東京ドーム内に入場したのは2回目で、1回目は16年前の2008年にEXILEのライブに連れていかれたときだった。そのときはまだ幼かったので、ドーム内が果てしなく広く感じられたが、15年後の現在はそこまでではないかなと思えるようになった。

ドームの大きさに感動したのち、目の前を見ると、アリーナ席には多くの人が行き交い、奥にはステージがそびえ立っていた。私だけかもしれないが、ステージの形がまるでラジオの形を意識しているのではないかと思った。中央の画面がカセットやCDを入れる部分、左右の縦長の画面がスピーカーのようだった。

そして自分の座席を探す。私は最速先行で当選したということもあり、バックネット裏のすぐ真横のブロックの席というスタンド席の中でも角度的に非常に良い席だった。奥のステージや画面と会場中央の円形ステージが一直線になるから見やすい、かつドーム全体が見渡せるのでドームならではの一体感を感じられやすく、とても良い座席だなと思った。

16時過ぎ、自分の席に座り、青銅さんとサトミツさんのオール前座ニッポンを聴く。会場内に聞き馴染みのある声が流れている。これを聴きながら気分を高めた。途中にスポンサーのCMが流れる。オードリーが出演するサトウのゴハンや、ラジオでも聴き馴染みがある出光、オードリーの同級生の谷口さんが勤めるMICのCMなど、普段は音声のみで聴いているが視覚的にも体感できて面白かった。

しばらく座席で待機する中、グッズの白いユニフォームとは異なる紺色のユニフォームを着ている人々がちらほらいるのが見えた。おそらくスタッフさんだろうというのが、その人たちをよく見てわかった。4番の方はフチのついた帽子をかぶっており、5番の方はメガネで茶髪で、6番の方はほっそりした男性だった。なるほど総合的な役割でライブの核に関わる方は4番5番と数字が若いのだな、6番の方は600回記念のケーキで・・・という話をしたかったが、1人で来ていたものでそんな話も出来ずに待っていた。
また、2日前に見た武道館ライブを思い出して、2人の登場の仕方を想像していた。昨年のドーム発表ではショーアップナイターの実況席を使っていたからそこからだろうか、あるいは、武道館と同じ要領で1塁か3塁のベンチから各々登場するのかなどと想像しながら待った。

17時を過ぎる。いよいよ開場が埋まり開演が迫る中、ステージ裏から歓声が聞こえる。ステージ裏の席は、ステージを直接見られないが現地に行きたいという人に用意された席である。ステージ裏の人たちはおそらくアリーナ席やスタンド席に外れた人々であり、本来であれば現地に来れていなかったがなんとかして現地に来れているということで相当の熱が入っていることが伝わってきた。一方で、私の座席周りはおそらく最速先行で当選した人々が固まっていたであろうためか、そこまでの熱狂はなかったかもしれない。

閑話休題、この歓声の正体は何かというと、青銅さんとサトミツさんがステージ裏に登場したからだった。2人は注意事項を読み上げたのち、ライトスタンドから時計回りにスタンド沿いを歩いていった。そのとき、2人が歩くのに合わせて、スタンドの拍手がウェーブのように伝わっていき一体感を感じることができた。2人がバックネット裏近辺に来たとき、私は声を出さない代わりに精一杯手を叩いて自分の気持ちを盛り上げた。

これから始まるぞというワクワクと同時に、今日が終わったらもう終わってしまうのかとこの一年を惜しむ気持ちもあった。

その後、安室奈美恵のHEROとcreepy nutsのよふかしのうたが会場内に流れる。そこから照明が消えて真っ暗になると会場から大きな歓声が聞こえた。17時30分。

開演【以下ネタバレ注意】

会場が真っ暗になると、奥ステージの巨大画面にアニメーションが星野源「おともだち」と共に流れ出す。


この曲はこの日まで何回も聴いていたため、自分の中でこの日に至るまでの事が思い返される。曲の途中で実際ラジオで発表された時の音源が流れてからアニメと連動してサビが流れたときは本当にこの日までの自分とカスアキが重なって感極まった。おそらくこのライブの中で一番感動したシーンである。

アニメーションが終わるとトウモロコシ畑が映し出され、その中を入船のケヴィンコスナーが彷徨っていた。アニメとのギャップで会場が和む。また、所沢のチャーリーシーンが映し出され、ラジオ内でのネタが盛り込まれた映像でさらに盛り上がる。

そして、番組名がコールされるや否やステージ裏から大歓声が聞こえる。左右の画面に若林さんの後ろ姿が映し出されるが、どこにいるのか一瞬わからなかった。少し時間が経ってから中央のスクリーンが開き、米粒サイズの若林さんが登場したのがわかった。奥のステージから登場するというのは想定外だったので気づくのに少し時間がかかった。

(8:51から)若林さんの登場と共に、その目の前にラスタカラーの自転車がせり上がり、若林さんがその前でひざまづく。この自転車は、若林さんが明日のたりないふたりで倒れたようなことが東京ドームで起こらないように体力作りとして1年間自転車を漕ぐために購入されたものである。特に秋頃には、代々木公園からお台場の往復、ヤマニ農園までの長距離を走っているのが度々YouTubeに公開され、思い出深い自転車である。

そして、若林さんはその自転車に跨がり、ステージ左側のスロープを下る。それを見た瞬間、これでスタンドを一周するのだと悟り、スタンドが盛り上がる。若林さんがものすごいスピードに乗ってドームを反時計回りに回る。私の目の前も通過して、米粒に見えた存在が若林さんという人間として認識できた瞬間だった。これまでの1年間が線で繋がる素晴らしい演出だったので、この自転車をオーダーメイドで作成したブルーラグの店員の方が泣くのも無理はないと思った。

バックネット裏付近にいた我々の目の前を若林さんが通過したのち、自転車を追うスポットライトが外れた3塁側のベンチからannkwのスタッフ一同が出てきて花道を作る。それに気づいて声に出したかったが、なんせ1人なため声にはできなかった。後にそこにスポットライトが当たり、チャーリーシーンが登場、投げられたグローブと帽子が空中をゆっくり舞うのが見えた後、春日さんが登場した。そして自転車の若林さんとは対照的にアリーナをゆっくりと歩いていく。このとき、スポットライトが花道のスタッフの方々にもあたるが、その時にサトミツさんの満面の笑みが見えた。後にラジオを聴いて、春日さんが指示通りにしてくれたということだったのかと理解した。春日さんが大分移動して花道からスポットライトが外れると、スタッフの方々はすぐに他へ移動していった。

そこからはいつものラジオが始まった。オープニングでは、最近のラジオでブームとなっている話やライブ前日の話などが聞けた。記念本にある若林さんのエッセイでは、翌日の早朝に東京ドームを見に行ったと書いてあったが、これが若林さんの部屋から東京ドームが見えていたらどんなエッセイになっていたのだろうなどとも思った。フリートークでは、若林さんのウーバーや春日さんのポークライスの話が披露された。東京ドームならではの話題ではあるが、流れが本当にいつものラジオで、まるで家で聴いているのかと思うくらい2人の会話に聞きのめっていった。

ただ、各トークコーナーの終了でジングルが流れると同時に拍手が起こったことで、普段の放送であれば聞こえるはずの、ジングルが流れてギリギリまで行われるトークが掻き消されてしまい聞こえないといった場面があったのが、普段からは想像できないアクシデントであったなと感じた。

トークコーナーが終わるとひろしのコーナーだった。今回のライブの中で一番面白かったコーナーである。まず、コーナー開始直後に春日さんが綱でゲレンデを引っ張った時に私の周りの席では「おー」という声が湧いた。そこから様々な障がいが春日さんの挑戦を邪魔していた。最後の方で若林さんがゲレンデにクリーム砲を打つ場面があったが、窓を開けておけば車内にもクリームが飛び散って、春日さんのメンタルにきたのではないかとも思った。(ちなみにゲレンデの修理代は若林さんが出した)春日さんのチャレンジは失敗して若林さんが自転車で突っ込もうとする場面では一部悲鳴めいた声も聞こえたが、私は終始ワクワクしていた。現在はコンプラの影響であまり見られないが、私が幼い頃よく見ていたバラエティ番組(めちゃイケ、はねとび、ガキ使など)の雰囲気を久しぶりに味わうことができたからだ。最後は若林さんが春日さんの頭をコツンと撫でてコーナーが終わった。

なお、コーナーの合間合間にはショーパブ芸人の面々や松本明子さんが登場した。松本明子さんは私が座っていた場所からかなり近かったため、今までそこに座っていたということに驚いた。ニッチローさんもかなり間近で見られた。

5番石井さんのラジオも聴いたが、ひろしのコーナー後の松本明子さんにマイクが届いていなかったため、コーナーの終わりにゲレンデの退場で時間を稼いでいたらしい。たしかにゲレンデの退場で時間がかかっていたが見ている方からはあまり気にならなかった。

その後、個人のコーナー(出し物)があった。春日さんはプロレス、若林さんはDJとラップをゲストと共に披露した。プロレスの時は、隣の人がプロレスに詳しい人らしく、1人でボソボソ言っていたのを解説として聞きながら楽しんだ。

しんやめの後にエンディングに入る。青銅さんのアイデアによりラジオブースと共に2人がゴンドラに乗り、自分たちののぼりを持ったスタッフの方々がブースを囲みながら歩き、レフトスタンドから反時計回りにゆっくり一周した。若林さんと春日さんが客席の様子にコメントする。タオルやうちわなどに反応していた。

3塁側の途中で若林さんが「日向坂のタオルには死んでも触れない」と言った直後、若林さんが関係者席の方を見てコメントする。どうやら関係者席の日向坂メンバーがタオルを出してアピールしていたらしい。日向坂に触れた直後、客席がざわつき私の周りを含め一部の人が後ろを振り返って関係者席の方を確認していた。私はひなあいを見ておりある程度メンバーの顔や名前を知っているということもあり、周りにつられて後ろを振り向いてしまった。タオルを掲げているメンバーが4人ほどおり、うち2人は誰か把握できた。後ろを向いてから時間が経ってしまったなと思い前に向き直すと、ゴンドラは私の目の前を既に通り過ぎてしまっていた。私が後ろを向いていた時にゴンドラがきており、それを見逃してしまったことに気がついた。

せっかくのチャンスを逃してしまった。つられて後ろを見なければよかったとこればかりは後悔してしまった。

後悔が残ったまま最後の漫才が始まった。受験勉強の合間にオードリーの漫才を見ていた頃から早6年近くがたつが、そういえば生漫才を見たことが無かったので、この機会は貴重だと思った。

ラジオでもある流れで歌を歌ったり、体を存分に動かしたりと躍動感ある漫才が見られた。ゴンドラの時に後ろを向いてしまったという後悔が残っていたこともあって声を出して笑ってはいなかったが、ペンギンのところは声を出して笑った。ドーム中央の円形ステージにスポットライトが当てられる中漫才をしており、生で見ているというよりはミニチュアを見ているような感覚が不思議だった。

漫才後は本当のエンディングで写真撮影タイムがあった。私は開演前にスマホの電源を切っていたため、写真を撮り始めるのに時間がかかった。だからpop virusのときもライトをつけるのに時間がかかりそうだったからライトをつけていなかった。

バックネット裏の横
正面

せっかくの機会なので普段写真を撮らない私も沢山シャッターを切った。写真に集中しすぎて最後の話はあまり聞けていなかった。最後に2人が挨拶してライブが終了した。

帰宅

座席ごとに順番に退場する。退場するまでに時間があったのでスマホの待ち受けを早速変更した。これは今後のお守りとなった。

待受(2024.2.18以後)

入場と同じく回転扉を通って外に出る。沢山の人で溢れていたため、そのまま後楽園駅に向かう。9時40分、丸の内線に乗って帰宅する。車内はほとんど満員だ。さっきまで東京ドームにいて同じ空間で楽しんでいたのに、外に出れば他人というような雰囲気だった。いよいよ終わってしまったなという余韻に浸りつつ電車に揺られた。

自宅の最寄駅についてから近くの松屋に寄って夕食をとった。1時間ほどまでの熱狂とは対照的に1人ポツンと牛丼並を食べるのは、今風にいえばエモく、かえって気持ちがよかった。松屋を出ると、駅前で紙袋を持った人とすれ違った。この街にもいるのだなと思った。

11時ごろに帰宅してからひなあいを見た。その中でアイドルが配達員のシュミレーションをするという場面があった。途中で若林さんが呼ばれて配達員の上司としてシュミレーションに参加していた。深々とお辞儀をする若林さんはタイムリーすぎた。

東京ドーム後(2024.2.19-2024.8.18)

2024.2.21 15周年展

ドームライブから3日後、品川に展示を見に行くついでに15周年展を観に東京ドームへ向かった。2月18日の晴天とは対照的に、この日は雨で灰色の空が広がっていた。東京ドームではKPOPか何かのライブ前ということで、それっぽい人たちが集まっており、3日前とは異なる雰囲気であった。22番ゲート付近に脱出ゲームと15周年展の巨大ポスターがあり、3日前はドーム周りが混雑する中で写真撮影のためだろうか唯一スペースが空いていた。だが、この日はそのポスターの前を塞ぐように立ちながら待つ人が多くいた。3日前は注目されていたポスターが、この日はまるで何も意味のない壁のように無慈悲な扱いをされていたところを目撃し、本当にライブが終わってしまったことを突きつけられた。

その後、15周年展に足を運んだ。

入ってすぐのところ

入り口には15年分の年表があり、それを一つずつ読んでからその先にいくと、写真のように各時期での名言コーナーが広がっていた。始めの方は私が聞いていない時期の内容ばかりであったが面白く拝見することができた。

グレゴリーボム
600回記念タトゥーシール
むつみ春日さんの私物たち
2022年テレビ出演ランキング1位(エムデータ調べ)


名言コーナーを抜けると、東京ドームの展示となっていた。

東京ドーム展示(全体)
リトルトゥース殴り書き原本

ライブ内で使用された現物が多く展示されており、3日前の記憶を振り返りながら、興奮しながらゆっくりと展示を見ることができた。特に、ヘアバンドや宣伝Tシャツなどで多く見られた殴り書きのリトルトゥースの原本を見ることができたのはとても嬉しかった。

この後にもう少し展示があった。ゆっくり見ていたので全部で1-2時間かかってしまった。これでも時間が足りず、もう一度来たいほどであった。

2024.3.7 今年度最後の東京ドーム

大学に用事があったので、そのついでに帰り道に夕方に東京ドームに寄った。ドームライブからは3週間ほど経ち、東京での15周年展や脱出ゲームがもう少しで終了するということで、annkwに染まった東京ドームもこれで最後だろうという気持ちでデッキなどを歩いた。最後にベンチに座りながら「おともだち」を聞いた。これで私のオードリー東京ドームイヤーは一区切りで、4月からは院進して就活のことも考えなければならず現実に引き戻されると思うと泣きそうになった。東京ドーム最高でした。

2024.3.9 若林vs田中 in ニッポン放送

春日さんがアメリカにいるためラジオには不在になる。そこで、SWではないが、アンガールズ田中さんがゲストで若林さんと2人での放送となった。若林さんと田中さんは犬猿の仲であり、激レアさんなどテレビ番組の中で喧嘩(プロレス)に発展することが何度か見られた。私はこの喧嘩が好きな部類なのでこの放送が楽しみであった。また、田中さんは仕事の関係で東京ドームライブに来ることができなかったということで一つ火種ができている点でさらに楽しみであった。

田中さん登場の前に若林さんが「呼び出し先生田中」をめちゃイケと間違えてしまう。「呼び出し先生田中」の内容がめちゃイケの抜き打ちテストとほとんど似たような内容で一部物議をかもしたことからきている。

その後、田中さんが登場する。まずはめちゃイケのことについて若林さんにキレている。最初から大声をあげて若林さんに攻撃する。最初から随分とペースをあげていくなと思えば終始そのままのテンションだった。深夜ラジオとは思えないほどの声量であり私は終始圧倒された。私はラジオで聞いていたが途中で音量を下げてしまった。

めちゃイケの他にも東京ドームに来なかったこと、アンガールズのポッドキャストのことなどが火種となって盛り上がっていた。

その中で田中さんが「小ちゃいドーム」と言っていたのが印象的だった。東京ドームライブを終えて周りがいじりづらい中、オードリーの東京ドームをいじることができる存在は貴重であると感じられた。

言い合いの途中で、若林さんが田中さんに東京ドームに来なかった代わりに花をすることを要求したり、本番で未使用だった巨大バットで田中さんが叩かれるところも印象的だった。後でその写真を見たが、私の想像よりも遥かにバットが大きくて驚いた。

また、若林さんもインスタグラムに写真とコメントをアップしていた。そこからみるに、喧嘩と言いながらも若林さんの楽しそうな様子が伺えてよかった。東京ドーム後の余韻を忘れさせるくらいの楽しさを味わうことができた。


2024.3.25 大学卒業式

大学近くのホールで行われる卒業式に向かう際にも電車内でannkwを聞いていた。記念Tシャツが売れていないということだった。私は元々買う予定がなかったが、売れていないということでせっかくだから購入することにした。世の中は様々なコンテンツで溢れているから他の人たちは東京ドームライブにもう興味がないのだろうか。

ホールに到着した。入学式はコロナ禍で中止だったからこういう式典は初めてである。ホールは広いものの東京ドームよりは全然狭かった。

大学の4年間を振り返ると私にはannkwしかなかった。浪人するも受験に失敗して入るつもりのなかった大学へ入学、入学後は全面オンライン、その後対面になっても授業は一人で受けていて大学と自宅を往復する日々、たまにアルバイトをする、長期休暇中もアルバイト以外は自宅で暇するか、亡くなった祖父母の家の片付けに遠方から新幹線で向かい泊まりながら片づけに追われる、友達と出かけたのも年に数回、外部院試もビビッてできず内部進学した、課外活動もほとんどしなかった、そんな大学生活だった。そんな中でも、大学に入学してから毎週annkwを欠かさず聞くことで何とか正気を保って生きていくことができた。時に2023年は東京ドームへ向けて楽しむことができた。annkwについて周りに話せる人はおらず常に一人だったが一人なりに楽しむことができた。そもそもラジオは一人で聞くものだからそれでいいと思う。

そう考えると、この日の卒業式は私の中であまり意味を持たなかった。私の中では、東京ドームライブが実質私の大学生活の一区切りとなる卒業式だった。4年間あっという間だった。

2024.4.4 大学院入学式

私は内部進学だから同じホールで入学式を迎えた。入学式後、大学に移動して新しいB4とゼミの顔合わせ、新入生オリエンテーションがあった。それらが4時くらいに終わったから、新年度一発目の東京ドームへ向かった。新橋駅で降りていつものように東京ドームへ向かって1時間半ほど歩いた。

東京ドームに着いたのは夜で周囲は暗かった。15周年展や脱出ゲームはとっくに終わっているからオードリー色は全くなかった。22番ゲート前のポスターもラクーアの温泉広告に変えられていた。

だが、私の中では2月18日の様子が鮮明に蘇った。15周年展近くの芝生エリアは誰もいなかったが、私には多くの人が段差に腰かけている光景が浮かんだ。22番デッキには誰もおらず広い空間が広がっていたが、私には歩けないほどの人混みやラスタカラーののぼりや電光掲示板の広告が見えた。ラクーアでもすでにないはずのオードリーねぶたが見えたし、脱出ゲーム受付のビタースイートサンバが聞こえた。

ドームを囲むデッキを1周する。1か月半前、確かにここでライブが行われたのだと思うとあっという間であると同時に、東京ドームライブと東京ドーム自体が私のお守りになっていることに気が付いた。東京ドームに来るたびに2月18日までの記憶が思い出されるだろう。それは墓参りに近い感覚であった。

2024.7 記念Tシャツ届く+東京ドーム通い再び+BADHOP+ギネスなど

3月下旬に注文したTシャツは6月くらいに届いていたが、まだTシャツを着る時期ではなかったので7月までタンスにしまっておいた。そして7月になってからTシャツを着て大学に行くようになった。春日さんのピンクベストが目立つからか、ゼミの人に言われることがあった。

そして、記念Tシャツを着て大学に行った日は、帰りに東京ドームへ通った。4月の入学式以来だ。7月は週1のペースで新橋から東京ドームまでannkwのタイムフリーを聞きながら歩いた。いずれも夜に行っており、東京ドームに着いた頃には巨人の試合後だったり何もイベントが無かったりというかんじだった。ちょうど1年前は広告の写真を撮りに来ていたが、広告が掲載されていた場所は工事され、画質の上がった大型ビジョンが出来上がっていた。何度行っても興奮は蘇り活力となった。

クレイジージャーニーでBADHOPの東京ドームライブを見た。オードリーの東京ドームライブの翌日に行われたためほとんど同様のセットだろうということでオードリーの余韻に浸れるかと思い視聴することにした。そうしてみていると2月18日を思い出し鳥肌が立つと同時にBADHOPが気になりだした。オードリーが東京ドームに緊張する中、彼らはそのような緊張が見られなかったのが新鮮だった。11時からリハーサルがあったが半分以上のメンバーが遅刻していた。東京ドームという大舞台で遅刻できるほどという度胸が印象に残り徐々に気になっていった。そこから少しずつ曲を聴いている最中である。

7月の中旬には余韻本が出版され、また、10月にDVDが発売されることも発表した。余韻本は本屋で確認できた。

また、東京ドームイベントはギャラクシー賞受賞なの他にギネスにも登録された。16万人と言っていたが実際は156,707人ということだった。

2024.8 諸々

以前星野源さんがネット被害にあって炎上していたが、東京ドームにゲスト出演していたもう一人のゲストは真正面から炎上しニッポン放送から姿を消した。

また、各都市で開催されていた15周年展は仙台をもって終了となった。これでラスタカラー号とウーバーのリュックが若林さんのもとに帰還することとなった。

東京ドームから半年(2024.8.18)


あの東京ドームライブから早くも半年がたった。2月18日以降も展示やグッズの販売などの動きがあり、活動の量は少なくなりながらも東京ドームイベントは続いている。一方で受賞などの名誉な出来事や諸アクシデントもあった。

annkw内では東京ドームライブのセルフ大絶賛の勢いが収束しつつも、今までと同じように放送されている。大絶賛の流れは5月くらいで一旦途切れてしまったが、1年くらいはその勢いでやっていてほしかった。

私も東京ドーム以後だからといってこれといったことはなく変わらず聞き続けている。今思えば、東京ドームライブはあっという間だった。若林さんがエッセイでも書いていたが、ライブが終わればすぐ通常の日常に戻り、東京ドームライブはイベントの一つとして消費されて終わりである。

そんな中でも私にとって東京ドームライブは大きかったし、あの伝説を現地で目撃できたことは人生の中で誇れることの一つになっただろう。今後も東京ドームに通っては2月18日を思い出すだろう。




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