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住むことを妄想してしまう街
海外旅行に出かけるといつも、帰路には「やっぱり日本が好きだな」「次の旅行は国内にしよう」と思っていた。母語が通じて衛生状態がよく、ごはんもおいしい、東京最高!
決して、旅行がたのしくなかったわけではない。でも、フライトの数時間前に空港に到着せねばならない億劫さ、言葉が通じない不安、慣れない環境で芳しくない体調、などを踏まえると、わたしは結局日本にいたい人間なんだなあと思い知らされる、それがわたしにとっての海外旅行であった。
しかし、たった1週間前に帰ってきたばかりだというのに、もう香港にいきたい。来月にでもいきたい。年に4回くらいいきたい。ここに住んだらどんな感じだろう、とまで妄想してしまった。
「ごはんがおいしいから」とか「この観光地がよかったから」というよりも、総体として香港という街にものすごく惹かれて、自分でもそのことに驚いている。いままでにない感情だから、なんとか言語化を試みたい。
つい空を見上げたくなる
香港はとにかく土地が不足しているようで、古い建物も新しい建物もとにかく背が高い。そして、建物と建物の間が詰まっている。雲に手が届くのではないかと錯覚する高さの建物がすさまじい密度で並んでいて、歩いているとつい上を見上げてしまうような景色が本当に楽しかった。
昔ながらの建物(主にマンション)と最新のオフィスビルが入り混じって、街を人間が作りあげていった軌跡のようなものを感じられるのもすばらしく、ずっと散歩していたくなる。
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異国にとけこめる感覚
海外を訪ねると、見た目からして「異国の人」として認識されるので、最初から観光客として扱われることが多い。しかし、香港の街を歩いていると、誰が日本人観光客なのか区別がつかず、会話が聞こえる距離に近づいてはじめて、「あ、この人たち日本人だ」と気づく。同様に、自分自身も香港の住人と同化しているような感覚で街を歩くことができる(実際のところ、現地に暮らす方から見れば一目瞭然なのかもしれないが)。
市街地のなかで観光や食事を楽しむ旅程であればなおさら、「ここに暮らす自分」が自然と想像できるような不思議な感覚に陥る。広東語は話せないし家賃もものすごく高いらしいので、その想像はあまり現実的ではないはずだけれど。
街の広告に載る有名人をみても、こちらの記事の香港の女優さんみたいな雰囲気の方々が多くて、ファッションの感覚も日本と近しいように感じられた。
言語、7割の理解と3割のギャンブル性
香港の街中の文字情報は、広東語と英語の3種類で構成されることが多い。この組み合わせが、日本人にはけっこう相性がよい。レストランのメニューや美術品の解説などを眺めているとき、広東語から漢字を拾って意味を推測し、英語で情報を補うことで、文章の大意は把握できる。英語がかなり通じるので、拙いながらもこちらからのコミュニケーションも取れる。おかげで、まったく言葉が通じない異国では不安、という保守的な人間(わたしです)でも、あまりソワソワせずに過ごすことができた。漢字が与えてくれる安心感よ。
一方で、ローカルなお店に行くとメニューに英語表記がなく、漢字から推測して「えいや!」と注文する機会もあったりして、そのギャンブル性も少し楽しい。
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摩天楼と海と山
香港はあまり広くない。東京都の半分ほどの面積で、しかも市街地はたったの25%だそう。それゆえ前述のような高層ビル街が形成されてきたわけだが、一方で、有名なビクトリアピークをはじめとして、意外と緑も多く、そしてなにより、街のすぐ近くに海がある。
香港でバスに乗っていると、立ち並ぶビルの隙間を通り抜けたと思ったら、急に視界が開けて海が見えて、すぐそこからマカオへのフェリーが出発していたりして、めまぐるしく変わる景色に興奮させられる。
ビクトリアピークの山頂に1時間ほどのハイキングコースがあって、住民らしき方々がランニングやウォーキングに勤しんでいらっしゃったのがとても羨ましかった。
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100万ドルの夜景
香港といえば夜景、ということで、ビクトリアピークの展望台やらシンフォニーオブライツやら有名な夜景スポットをめぐってみたものの、正直そんなことをする必要がないくらい、街中からの夜景が美しかった。
高層ビルが多く、夜になると飲食店のネオンが光り、そしてすぐ近くには海!安いホテルのシティビューの部屋(17階)からの眺めでも充分に綺麗で、香港に住めばこの夜景を毎日眺められるなんて、信じがたく贅沢だ。九龍半島と香港島を結ぶ「スターフェリー」という船があって、その10分弱の航海で海上からみる夜景があまりにも美しく、でもわたしたち以外の乗客はほとんど外を見ておらず、ほんとうにこれが日常なんだなあ、と羨ましかった。沢木耕太郎が『深夜特急』で、スターフェリーを「60セントの豪華な航海」と評しているが、それも頷ける。
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ボトムアップのエネルギー
香港は東京とおなじく、あるいはそれ以上に開発の進んだ都市だが、デベロッパーによる大規模な開発に覆いつくされるのではなくて、市民が作りあげてきた賑わいがあちらこちらに残っており、それが居心地のよさに繋がっていた。
金融街の高層ビルから一歩路地に踏み込むと露天商が雑貨を売っていたり、古くからある路面の飲食店がものすごく繁盛していたり。整備されているゆえの快適さも担保されつつ、ボトムアップのエネルギーのようなものを感じられる街並みが愛おしかった。
機内の文庫本は無敵
もはや香港の話でもなんでもないが、帰路の飛行機で平野啓一郎『マチネの終わりに』を読んだ。行きの成田空港の書店で「なるべく長編の小説を」という動機で購入したのだが、世界を跨ぐ恋愛小説、国際線の機内で読むのにこれ以上ないくらいすばらしかった。
作中ではイラク戦争やユーゴスラビア内戦、東日本大震災が語られる。香港を旅していても、随所で不本意な歴史の跡を感じて、時代の流れに翻弄されてきた地域であることを思い知らされた(たとえば、かつて監獄だった施設をリノベーションした大館という観光地の展示では、かつての監獄システムへの反省が記されていた)。
自分が消費している観光資源の背景には複雑な歴史があるわけで、たかが数日訪れただけで「住みたーい!」などというのは、きっと安直なのだろう。それでも街に惹かれてしまう感情は制御できず、それが「正しい」感想なのがわからなくなりながら帰路についていた。
『マチネの終わりに』の主題はそういうことではなく、極めて上質な恋愛小説だったのだけれど、香港で感じた情緒とつい重ね合わせてしみじみしてしまった。
香港の魅力、感じたことの1割くらいしか言語化できていない気がする。
結局、なにかに惹かれる感覚を言葉にすることは到底できない。しかしほんとうに魅力的な街であった。
またすぐ行きたくて、帰国してから、毎日のように航空券の値段を調べている。