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バブル経済崩壊を経験したこと
大学を卒業した私は、仕事・ラグビーの両立をモットーに掲げました。
前回の記事でも話題にしたロスジェネ世代の私達は、日本経済が大変に
雲行きが怪しくなり、荒波がたち、世の中が急激に変化していきます。
同期に入社したメンバーは30名、3年連続で30名以上に新卒を採用し
バブル景気に合わせ業績も右肩上がり、会社も過去最高の売上、利益、
都内には本社ビル、学生時代にはよく駅を通過した、渋谷からも歩いていける素晴らしい立地、山梨にも新しい工場がたち、ラグビー専用にグラウンドも隣接され、期待が高まりました。
関東社会人リーグに加盟し、その当時は200チーム以上 関東社会人に所属する企業チーム 1部から4部までその上に東日本社会人リーグの名だたる企業チームが、ラグビーの最盛期でした。
チームの練習は仕事が終わり、夜の19時~ 平日は週2回、その他は
休日に! 残業が長引くと練習に参加できませんので、早めに仕事を終わるように仕事を早めに切り上げるようにと思いきや、なかなか最初は職場の理解を得ることは難しく、練習に参加できない日もありました。
週休2日の会社でしたが、金曜日の夕方になると 職場の係長が、
明日(土曜日)休日出勤できる人を確認し、休日出勤ができないと報告すると「まずいだよね!部長がうちの部は仕事をさぼる人が多いし、他部署は
明日休日出勤にたくさんの人が仕事をするから」
ラグビーの練習があるからとは最初に頃はいけなかったこともありました。
別に休日出勤するまで工程も遅れているわけでもなく。
しかも 周りを見ると 残業の時間に入ると 本気モードで仕事をしている人が沢山いました。
「なんだ!お金がほしいだけか?」若いころは反骨精神もあり、練習に参加できるようになるべくムダな残業をしないように工夫しました。
上司の評価は当然 低くかったですね!
その当時は社会人ラグビーチームは製造業のチームが多数 工場に隣に
グラウンドがあり、よく試合にいきました。
それが バルブ経済が崩壊し、極度の円高、大学の同級生が大手自動車メーカーに就職して、しばらくしてから 相模大野の社宅に泊まりに来た時に
「いいか 俺たちの会社は1円円高になると 数百億?数千億の損失額に
なるんだ」お前の会社はどうだ!
「俺の会社は一部 輸出しているが、ほとんど国内にユーザーがいるから
大丈夫だと思う」当時は楽観的、
友人は「もう日本では人件費が高くで 海外に工場をシフトしていくだろう!
30年前の話であるが、彼の予想通り 日本の製造業はどんどん 海外に
人件費の安い地域に工場が、日本国内は空洞化!
社会人ラグビーチームも製造業の会社は廃部、休部するチームが年々増えていきました。
時代の背景とともに ラグビーの活動も変化しました。
私が入社いた翌年の新卒の採用は4名となり、一気に採用が減り、
景気に左右されないとなれた業界にも多大な日本経済の影響を広がり
銀行、証券会社が倒産するなど 先行き不透明な時代に突入していきました。
それでも 私は 諦めない 人材の確保とチームの強化で社会人ラグビーチームは5年で関東社会人1部に昇格しました。
大卒も高卒も工場で汗を搔きながら技術を磨き、リストラの中でもラグビーの選手は社員としてたくさんの仕事をこなしていきます。
後のこれらの経験が私の起業に多大な影響を与えて頂くことになり
人生すべてに意味があることが身体から身に沁みました。
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