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『アクシデント・レポート』/樋口毅宏


プロローグ(1816字)

もともと私は一九九五年にあった大洋航空機事故について書くつもりはなどなかった。しかし私が信用している二、三人の同業者が事故について調べていくうち、病死か事故死したり、あるいは行方不明になったりと相次いだため、俄然興味が沸いた。月並みな言い方になるが、ノンフィクション・ライターとしての血が騒いだわけである。


旧知の関係者から、手を引いた方が賢明ではないかと進言された。まるで口裏を合わせたように、彼らは同じことを口にした。


「事故からおよそ二十年近くが経過しているにもかかわらず、まともなドキュメンタリーやノンフィクションが一本も発表されていない。インターネットでは様々な憶測に満ちた検証記事を時折見かけるが、しばらく経つと削除されている。あの事故の背後には底の知れない闇が隠されている。その証拠に、きみより先に調べていたライターは、ひとり残らず姿を消してしまったではないか。悪いことは言わない。命が惜しかったら早々に手を引いたほうがいい」


だいたいこんなところだろうか。事故は風化するどころか、謎を深めていると言っていいだろう。


確かに、東京発沖縄行きの大洋航空461便と大阪発東京行き420便が空中衝突し、両機の乗客乗員計六七二人が死亡という、航空機史上最悪の事故について取材すべきことは多かった。旧運輸省を中心とした政府の事故調査委員会は事故の原因を「機長の操縦ミス」と結論付けたが、本当にその通りだったのか。事故機の二機ともコックピット内のブラックボックスが見つからない想定外の事態が発生し、また「事故原因の究明につながる機体の破片もほとんど見つからなかった」とする事故調の報告は到底信じられなった。いきおい陰謀や謀略説が多数流れた。それでも二〇〇七年頃から六人の生存者も含めて、事故の当事者たちに話を聞き始め、彼らの話に耳を傾けていくうち、わかったことがある。


大洋航空機事故は、ただの旅客機事故ではない。日本という国の本質や中身や裏側――つまりすべてを孕んでいる。


誤解を招かないよう断っておくが、私は世間によくある陰謀論者ではない。むしろ常に醒めているリアリストだと自己分析しているが、何人かの証言を聞くうち、人生でも指折りの興奮を覚えたことを白状しておく。


「どうしてノンフィクション・ライターになったのですか」と訊かれるたび、「人間の正体を知るため」と答えてきたが、この事故を調査するうち、錯覚や思い違いではなく、私はその一端を垣間見ることができたものと思う。


 事故の当事者と関係者を探すだけでもひと苦労を強いられ、ようやくインタビューの許可が下りたと思ったら、どこからか横槍が入ったのか、当日の待ち合わせ場所に取材対象者が現れなくなり、二度と連絡が取れなくなったこともあった。


私の携帯電話に迷惑電話がかかってきたり、自宅宛てに脅迫状が届いたのも一度や二度ではない。その度警察に通報したが、彼らは何ひとつ対策を講じてはくれなかったことをここに記しておく。


真相に一歩近づいたと思うたび、振り出しに戻っていたことも数えきれない。各々の証言者が自分にとって都合のいい「真実」を話すからである。事実はひとつだが、真実は人の数だけ存在することを今更ながら実感した。黒澤明監督の名作、『羅生門』の登場人物は多襄丸、金沢武弘、真砂の三人だが、現実の社会はもちろん彼らだけではない。このことに私はずいぶんと苦しめられた。それはこの先、読者にもわかって頂けるものと思う。


 なお、証言はすべて二〇〇七年から一五年の取材によるものである。人によっては複数回会い、話をまとめた。掲載順序は時系列ではない。証言者の年齢は事故当時のものとする。読者に証言者の意図を理解してもらうため、証言を整理して構成したことを明記しておく。また、取材対象者に迷惑が及ばぬよう、一部は仮名に、年齢も変えてある。事故とは無関係に見える証言も含まれているが、無秩序に思えるピースが後になってぴったりと当て嵌まることもあるため、あえて掲載した。


 取材開始時は、ここまで長大なレポートになるとは想定していなかった。ページ順に読み進めたところで、迷子になったような感覚を覚える方もいると思うので、どこから読み進めて頂いても構わない。願わくはエピローグで再び会えることを祈ってやまない。

                                      矢島博美

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