『アクシデント・レポート』selection06
山島久美子(良知クミ)の証言(26600字)
あの突然の事故により、みなさん、人生が一変されたでしょうが、私ほど目まぐるしく変わった人は他にいないでしょう。あれから十七年が経過したわけですが、思いがけない夢が覚めずにまだ続いているような気がします。
五年前からこちらで暮らしています。むかし映画の海外ロケで訪れたことがあって、まさかそのときは、ここに住むことになるとは考えてもみませんでした。
ゴンドラにはもう乗られました? 優雅な感じがとてもいいでしょう。この季節はちょうどいいんですよ。水の都と呼ばれるだけあって、今だと川面もキラキラと輝いて絵に描いたように美しいけど、夏になると饐えた臭いが酷く、鼻をずっとつまんでいなければならなくなりますから。
海外とは思えないほど治安がいいため、夜になってもお店が開いていて、身軽な恰好で出歩くことができます。ここなら私だと気付く人もいませんし、リラックスした毎日を過ごせています。
でもときどき日本から来た観光客に、「女優の良知クミさんですか?」って声をかけられます。ニコッと笑って、「あんなに綺麗な人じゃないですよ」と返すことにしています。
ここに移り住んだ今も、七月二十六日が近付いてくると、粛然というか、厳かな気持ちになります。私はあの日、一度死にました。自衛隊員に抱きかかえられてヘリコプターで救出される映像は、あの夏すべての日本人がテレビや新聞を通して目撃しました。これはすでにあちこちのメディアで語ってきたことですが、墜落現場を上空から俯瞰したあの瞬間、私の死生観ができたのだと思います。
──人はいつ死んでしまうかわからない。ならば生きているうちに、自分のやりたいことをやらなければいけない。
極秘で入院したはずの私のもとに届けられた膨大な数の励ましの花束と手紙は、どれも心から勇気づけてくれました。私はおひとりおひとりにお礼の返事を差し上げたかった。「これから私がやらなければいけないことを、どうか温かい目で見守ってやって下さい」と、書いてお伝えしたかった。
事故に遭う前からいくつかのオーディションを受けていましたが、せいぜい二次止まりでした。そもそもあの飛行機に乗ったのも、東京のダンススクールのレッスンがあったからです。それがこんな運命に巻き込まれてしまった。弱小プロダクションの片隅で、なんとか自分の居場所を探している小娘が、目には見えない何者かの手によって、一夜明けると悲劇のシンデレラに選ばれていた。連日病院に忍び込んでは、私のことを隠し撮りしようとする写真週刊誌のカメラマンから、必死になって匿って下さるお医者様や看護師さんたちに、本当はこう言いたかった。
「ベッドまであの人たちを呼んできて下さい。あなたたちの望む奇跡のヒロインを私は演じてみせます。どんなパジャマに着替えましょう。子供っぽく見えるほうがいいですか。背伸びをした感じのほうがいいですか。少し小さめで、身体を捩るとおへそが見えるなんてどうでしょう」
ですから私のほうから、退院と同時に記者会見を開いてもらうよう、お願いしました。
これだけ大変な目に遭ったのだ。利用すべきところは思い切り利用させてもらう。チャンスは、いま手の中にある。そう自分に言い聞かせて、あの場に現れました。飾り気のない水色のワンピースを着たのは、私という素材を引き立てようという狙いからでした。人生で初めて、まばゆいほどのフラッシュに囲まれたあの日が、私の第二誕生日です。
「夢は女優になることです。この場をお借りして、私を売り込ませて頂きます。ご批判の声があることはわかっています。だけど私は自分の夢を、このまま墜落させるわけにはいかないのです。きょうをもって本名の山島久美子から、自分で考えた芸名である良知クミに生まれ変わります。みなさん、どうぞ応援をお願いします」
感動と涙が約束された会見が一転、怒号に包まれました。いま考えてみると、十六歳の田舎娘の発言とは思えませんよね。記者さんに挑発されて、フラッシュに頬が上気してしまい、気が付いたら口走っていたんです。咄嗟に、反射的に。自分でもまったくの想定外でした。
会見を見た飛山社長から、その日のうちに電話がかかってきました。当時は携帯電話も普及していません。たくさんの報道陣に包囲された自宅に帰ったと同時に、狙いすましたように電話が掛かってきました。「どういう育て方をしたらあんな恥知らずな娘に成長するんだ」「おまえの娘が死ねばよかった」といった抗議やイタズラ電話が殺到して、両親は震え慄いていました。親は普通の人でしたから、会見から半日でげっそりしていた。でも私には、けたたましい音色の呼び出し音が、幸福の鐘に聞こえたのです。ふたりが止めるのも構わずに受話器を取ると、電話の向こうから、テレビでいつも自信満々に自らの成功体験を語る飛山社長の声が聞こえました。
ご存知のように当時の社長は、出版社と映画会社の社長を掛け持ちして、社会現象と言われるほどのヒット作を連発していました。けれど「九〇年代の角川春樹」という呼び名には、正直ご不満のようでした。本人が表紙になった雑誌のインタビューで読んだことがあります。
「ボクをあの程度の凡人と一緒にするな。あいつが地震を止めたというなら、ボクは富士山を噴火させてやる。あいつが薬師丸ひろ子や原田知世を世に送り出したなら、ボクは将来大統領夫人になるような大女優を育ててみせる。ボクは未来を予知できる。五分後の世界から万劫末代まで、手に取るようにわかるのさ。十年後、ボクはプロデューサーとして、日本人初のアカデミー外国語映画賞をもらう。二十年後に医療の世界に進出してガンの特効薬を開発する。三十年後はまったく新しい事業に殴り込みをかけるんだ。〝フリーエネルギーマシン〟という名の永久機関を開発して。松永安左衛門が〝電力の鬼〟と呼ばれたように、ボクは〝新エネルギーの創造主〟と後世に語り継がれるだろう。これで原子力発電所は要らなくなる。バイオマスや地熱発電も時代遅れになる。そう考えたら、飛山コンツェルンという名の千年王国はまだ始まってさえいない。とりあえずの目標は、百年後の一万円札をボクの肖像画にすることかな」(『BIG TOMORROW』一九九三年二月号)
迎えにきたハイヤーに乗って、社長室直行のエレベーターで連れて行かれた先に、小柄で小太りな、だけど途轍もなく大きく見える人が私を待っていました。出会った瞬間に、「ああ、これから私は、想像もつかない人生を歩んでいくのだな」という直感がありました。そしてそのとき感じたことは、まったくもって正しかったと思います。
私はその後、数々のプロデューサー、映画監督、ロックスター、芸人、スポーツ選手、IT社長など、時代の寵児とも言うべき方々とお仕事、あるいは個人的にお付き合いをしてきましたが、飛山社長に匹敵する才能を持った人にお会いすることはありませんでした。
飛山社長は初対面の私に、手を大きく広げたり、オーバーアクションを交えたりしながら、満面の笑みで語りました。社長の大言壮語には慣れっこなのか、側近の方たちは聞き流していました。いま振り返ってみると、社長もあの事故で妹さんを亡くしたばかりでしたから、その悲しみを忘れたいために、大きな仕事に打ち込んでいたのだと思います。太くて長い毛に覆われた指に、何度も気を取られそうになったことを覚えています。
「山島さん、今って世の中がすごく閉塞的な感じがしませんか。息苦しいというか、先行きが不透明っていうか、どんどん悪くなっていくような気がしますよね。だけど、もがくことすらできない。袋に入れられた猫がずぶずぶと沈んでいくように、ゆっくりと窒息するのを待つことしかできない。大衆はそんな感じだと思うんですよ。そこにあなたが現れた。〝悲劇の事故現場に咲いた一輪の奇跡〟だと思って、かわいそうにと手を差し伸べたら獰猛な牙を剥かれた。みんな驚かないわけがない。
大衆はあなたの会見を見てどう思ったか。やれ〝売名行為だ〟〝そこまでして有名になりたいのか〟〝他の死者の魂を踏み台にするな〟と批判した。だけど違うんですよ。彼ら彼女たちはもっともそうなモラルを振りかざしてあなたを攻撃したけど、本当のところは、生き物としての本能から、あなたに怒りを爆発させていたんです。それはね、あなたに、あなたの目に、自分自身を見たからだ。この先ずっと特別良いことなどないとわかっていながらおめおめと生き続けるしかなくて、だけどどうしたらいいかわからずに、もやもやしたものを抱えて生きている。そこに突然、テレビの向こうに自分と同種の人間が、奇跡のスターとして持ち上げられた。嫉妬しないわけがない。
かつて山口百恵が七〇年代という空気を纏っていたように、良知クミ、きみは、そうした大衆の最大公約数とも言うべき空気感そのものなんだ。だからあの会見はここまでのニュースになった。きみがメディアに出れば出るほど、ヒートアップする人は今後も増えるだろう。だけどね、嫌われることを恐れてはいけない。すべてのジャンルにおいて〝売れる〟とは誤解されることなのだから」
応接間にある成金趣味丸出しの金時計が、正確に五つの鐘を鳴らした後、飛山社長は私ひとりのために開いた講演会をこう締め括りました。
「あなたが時代を選んだんじゃない。時代があなたを選んだ。これはもう仕方がないことなんだ。ボクと一緒に、仕事をしましょう。そして世界を、変えていこうじゃないか」
差し出されたその毛むくじゃらの手を、私は強く握り返しました。
一週間後、飛山社長は自社の版元、飛山出版から『TOBI』緊急増刊号を出しました。表紙は会見の私の写真に、「良知クミの時代が来ます」とタイトルキャッチを打ちました。以前から『TOBI』は不定期で刊行されて、その度物議を醸す内容でしたが、その号は全国から注文が相次ぎ、十五万部が完売した。飛山出版が買い取ったテレビとラジオ番組のCMに社長自ら売り込みをしていました。
社長は今でいうところのソーシャルメディアの使い方をとてもよく熟知していました。センセーショナルな売り方や話題作りは当時から批判の的でしたが、私を主役に抜擢した映画『私というベクトル』の製作を発表した直後、右翼の街宣車に囲まれても一歩も引かないなど、非常に腹が据わっている方でした。
しかし、突然有名になった私は、プレッシャーに押し潰されそうな日々もありました。両親が通り魔に襲われたり、実家に銃弾入りの脅迫状が送りつけられたりしたときも、「どうせあの女が自分で仕込んだことに違いない」と、いわれのない誹謗中傷に凹みました。そんなときも、自らを「名言製造機」と呼んでいた社長にどれだけ励まされたかわかりません。
「クミ、騒がれているうちが花なんだ。〝あの人はいま〟にさえ挙がらなくなったら終わりだぞ。大衆なんてね、田中角栄が逮捕されたときは日本が転覆するかのような大騒ぎをしても、時が流れて、日本の総理大臣でいちばん偉大だったのは誰か?なんてアンケートを取ったら、ケロッと忘れて一位にあげる。かつては〝角栄御用!〟〝日本の恥!〟と罵っていた奴が同じ口で〝角さんは立派な政治家でした〟ってしみじみ語るんだ。まったく愚民って始末に負えないよ。
こんな言葉を知っているかな。〝死んだ女よりもっと哀れなのは、忘れられた女です〟。逆を言えば、いつまでも人々の記憶にある女は幸福だということだ。永遠の命を得ることができるからね。憎しみは時間が経てば愛に変わる。クミ、未来が見える僕は、きみに約束をしよう。きみは百年先もずっと、幸せな女でいられるよ」
私の目からこらえきれずに涙が溢れてきました。いいえ、そのときは演技ではありません。毀誉褒貶が多く、変人扱いされた方でしたが、まごころに触れた気がして嬉しかったのだと思います。たぶん、きっと。
『私というベクトル』では、お城のような家に住む美少女を演じました。財閥の令嬢に生まれ、名門校に通い、学業の成績も優秀で、ラクロスの選手として活躍し、許嫁は大病院の御曹司……と、生まれながらにしてあらゆるものを手に入れていた。ところが若き女王として振る舞う生活から急転直下、十七歳の誕生日の夜に、日頃から苛めてきた住み込みの家政婦が本当の娘だとわかり、家と学校の両方から追い出されてしまう。しかし絶望のどん底から這い上がり、復讐を遂げるという青春ミステリーものです。観客は主人公の少女に良知クミの姿を重ねて観たことでしょう。評論家に酷評されつつも、フタを開けてみれば、観客動員数五百万人の大ヒット。新人賞も総ナメ。私が歌った主題歌が、不買運動が起こる中でオリコン一位を獲得。すべて社長の狙い通りでした。『わたベク』は「自らの目的のためなら手段を選ばない、恐るべきいまどきの少女」として世間に認知され、その年の日経ヒット商品番付の横綱に選ばれました。
共演した白洲屋玲人くんも、瞬く間にスターの階段を駆け上がっていきました。今でこそ言えますが、私の初めての男性は、白洲屋くんです。
女の私が抱きしめても折れそうなほど華奢で、人前でもバックステージでも裏表のない、素敵な男の子でした。演技経験ゼロのふたりは、身内であるはずのスタッフからも「素人」と陰口を叩かれて孤独だった。飛山社長はこの後お話しする海外進出のため日本に長期不在中でしたし、現場には口出しをしないことを信条としていました。それぞれの作品の監督の好きなように撮らせたから、あれだけの数のヒット作や傑作、問題作を世に送り出せたのだと思います。
あのときの私には他に頼れる人がいなかった。私と白洲屋くんが結ばれたのは、大雪の山小屋に避難した男女が裸で体を温め合うような、自然のなりゆきとも言えるものでした。心がバラバラになりそうなふたりは強く結ばれることで、撮影に挑むことができたのです。
クランクアップした後は、せいぜい舞台挨拶で顔を合わせる程度の仲に戻りました。お互いに忙しくなりすぎて、一緒に仕事をすることもなかった。そうなることは、私より震えていた彼に抱きしめられたときに、すでにわかっていたような気がします。これは極限状況の愛と同じだ。賞味期限を過ぎたら魔法は解ける。私も同じ場所に留まっているわけにはいかない。空蝉のような短い恋でしたけど、少しも後悔していません。
白洲屋くんは本当にいい人でした。でも、心が弱かった。だからせっかくスターになれたのに、激変した自分の境遇にうまく対応できず、クスリに溺れたのだと思います。それでも、今なお彼には戦友のような気持ちを持っています。
断っておくことがあります。私は飛山社長の愛人だと頻繁に書かれましたが、そんな関係になったことは一度もないです。私は飛山学校の生徒です。フィクションの世界に生きた私ですが、禁断の恋はドラマの中だけでたくさん。でも一度だけ社長室で、裸になれと命じられたことがあります。私は体の成長が遅かったものですから、当時まだ芽吹いたばかりのつぼみのような乳房をむんずと掴まれて、こう言われたことがあります。
「十年だ。十年後またボクに見せるんだ。どれだけ果実が実ったか、テストする。それまでにたくさんの恋をしておくこと。恋愛と発情を取り違えた昨今のバカ女にはならないように。ここぞというときだけ股を開け。抱かれているときも演じなさい」
今も心には、あのとき掴まれたときにできた痣が残っています。
私の出演する映画はすべてヒットしました。あんなに憎まれていたはずなのに、歌手としてアルバムを出せばミリオンセラー。数年も経たないうちに女性誌では「自分の生き方を貫く理想の女性像」と持ち上げられ、CMの依頼が数多く舞い込みました。
テレビ局で打ち合わせをしていたときのことです。以前オーディションで私を扱き下ろしたプロデューサーが、揉み手をしながら近づいてきました。私は「息が臭い」と難癖をつけて急所を蹴飛ばしてやった。私を敵に回したことで、そのPは地方の資料室に飛ばされたそうです。「この世は強者の好きなようにできている」。社長の口癖の通りでした。
手のひらを返した世間を味方につけて、私はわが世の春を謳歌しました。
誰もが私に憧れ、謁見を求め、足元に跪いた。社長に政財界の黒幕がバックに付いているという噂がまことしやかに流れると、社長だけでなく、社長の秘蔵っ子である私に対しても、マスコミはバッシングを控えるようになった。表立って指を差すことはなくなりましたが、それと同時に男も寄り付かなくなりました。怪我をしたくないので、遠巻きに眺めることしかしない男たちがいる一方で、果敢に秋波を送ってくる勇者たち。その身を焦がしても街灯に突き進む夜の蛾のように、彼らはみな無謀で、それゆえ美しかった。
満天の星のように、数えきれないほどの思い出が、今も胸の中で輝きを放っています。
飛山社長とのことを除けば、私に関する噂はすべて本当です。「恋多き女」と書かれましたが、社長の教えを破ったつもりはありません。
横綱とはお忍びで旅行をしましたし、監督には楽屋で「演技指導」を受けました。カツさんの最期を看取ったのも私です。
あの人がアメリカで活躍している姿を見かけると、つい目元が細くなります。プロポーズされましたが、お断りしました。あの頃の私はまだ女優としての夢を捨て切れなかった。それでもシーズン最多安打記録を更新したときは、自分のことのように喜びました。背番号「51」は、私の永久欠番です。
タックンはヒールを履くと、私とそんなに身長が変わらなかった。
「ぶっちゃけ、どうなのそれ」
そう言って顔を見合わせて笑った。文字通りの「ビューティフル・ライフ」を、一生忘れないと思います。
なんだか私と別れたほうが、みなさんその後幸せに過ごしているようですね。私は男をダメにしてしまう女なのかもしれません。
他にもまだいますが、きりがないので、ここではあとふたりに絞りましょう。
お金の使い道を知らない彼は、平日にもよくパーティーを開いていました。
六本木ヒルズの最上階で夜景を眺めながら、彼は私を口説くのではなく、自分に言い聞かせるように夢や信念を語りました。
「愛は金で買える。それを証明するためにも俺は勝ち続ける。俺が死ぬと同時に、この世界は消えて無くなってしまう。そうなる前にあらゆるものを手に入れておきたい」
本心だったと思います。彼は私が成功者を、もっと言えば権力を持った男が好きなことを知って、この世界の王になろうとした。すべては私の関心を引くためでした。私が先述の野球選手と付き合っていたことに嫉妬して、選手なんかより統轄するオーナーのほうがエライんだと、ルールも知らないくせに野球チームを買おうとした。それに失敗すると、次はもっと大きなターゲットに狙いを定めた。
「クミはどうして映画ばかりでテレビドラマには出ないんだ」
「テレビ局にはいい思い出がないの。華やかに見えるけど、スタジオも楽屋も通路も私好みじゃない」
「だけどこの前、いいとも!には出てたじゃないか」
「あれは映画の宣伝のため。前の月から出演するって決まっていたから」
「よし、じゃあおまえのためにテレビ局を一個買ってやる」
「またそういうこと言って。でも球団のときと同じで、どうせマイナーなところなんでしょう」
「言ってくれるな。いいとも!を放送している局を、クミにプレゼントしてやるよ」
そしてそれにも諦めざるを得なくなると、政界に進出した。
彼も私と同じ、自分を中心に世界が回っていると信じていた。無数のカメラが自分を追いかけ、メディアに囲まれてやっと、うまく呼吸ができた。あらゆるものに値札を付けて、世界を買い占めようとしたけど、買ったものは、飛山社長と背後にいる人たちの反感だけでした。裏から見えない手が動いて、証券取引法違反というわけのわからない容疑をかけられ、あの人はいまも牢獄の中にいます。収監される前夜、どこをどう調べたのか、私のところまで国際電話が掛かってきました。
「ここから出たら、結婚してほしい。僕が世界を変えていくところを、そばで見ていてほしい」
私は、それはできない相談よと、ひとことだけ言って受話器を置きました。
その間にもうひとり、真剣にお付き合いしている人がいました。天秤にかけたつもりはありません。私は目の前にいる人を、真剣に愛してきただけです。
彼はプライベートでもよく笑わせてくれました。私がときどき関西弁が出そうになるのは、彼から移ったのだと思います。世間のみなさんは気難しそうな印象をお持ちでしょうが、自分のことを真剣に考えてくれる人にはじっくりと耳を傾けるといった、忍耐強くて従順な一面を持っていました。たとえば、髪をきっちりセットするのもいいけど、頭の形がいいし、スキンヘッドにしたら、「お笑いの修行僧」みたいな感じで似合うと思うよと言ったら、すぐに「それええな」と、バリカンで自分の頭を刈り出しました。テレビの仕事に飽きていたので、映画でもやってみたら?と勧めたところ、「俺もそう思うてたん」と、監督業に乗り出したのには驚きました。
格闘技が好きなのに、自分は見るだけで、痩せっぽちで非力なことを、とても気に病んでいました。
「エラそうなことばかり言うてるけど、何かおうたときに、好きな女ひとり守れへんようではアカンやろ」
だから、ボクシングでも始めてみたら?ってアドバイスをしました。きっといまも後輩の芸人さんに紹介してもらったジムに通っているのでしょう。
しかしあの人といい、この人といい、どうして私が思いつきで言ったことを、実際にやってしまうのでしょうか。好きな人に気に入られようと、女がダイエットをしたり料理を作ったりすることしかできない一方で、男は大きなことを成し遂げようとする。これが、新しい生命を生み出せるものと、そうではないものの違いなのでしょうか。
ボブ・ディランだったと思いますが、「男は、女が〝いい〟と言ったことしかやらない」という言葉を思い出して、本当にその通りなんだなと感じ入ったものです。
あの人と私の恋は順調でした。しかし、やはり蜜月は終わりを告げるのです。
くちばしを入れてきたのは飛山社長でした。ネット界の寵児と付き合っていたときでも干渉することのなかった社長が、このときだけは違ったのです。
「クミ、悪いことは言わん。あの男はやめとけ。ボクはこれまできみの交際に口出しをしたことはないが、今回だけは言わせてもらう。彼が天才であることは間違いない。しかし、早晩涸れる。なぜか? あの男は、センスはあるが教養はないからだ。
教養は若い頃に培わなければ身につかない。十代から二十代の間に、膨大な数の本を読み、映画を見て、音楽を聴いて、どれだけ深く共鳴し、自分の血肉にできるかで、その人間の感性が決まる。ものを作る人間にとってそれは本質的なものであり、生命線だ。彼にはそれがない。お笑いの天下を取った後、たけしさんと同じように、映画業界に進出するだろう。そのときボロが出る。底が見えると予言しておく。
私も彼のことを素晴らしいと思っていた。天才だと崇拝していた時期があった。それは正直に認める。しかし、この先、心の底から失望させられることになる。
彼はそのうち筋肉を誇示するようになる。予言者のボクには見える。
ものを作る人間で、成功を収めた後に、体を鍛え始める者を私は信用しない。
三島由紀夫を見ろ。長渕剛を見ろ。身体をマッチョにし出したのと同時に、クリエイティビィティのピークが落ちていった。虚弱体質に生まれて、肉体のコンプレックスが根底にあるからこそ才能が発揮できたのに、世間からチヤホヤされるようになって、それでも自分の貧相な肉体に負い目が付きまとい、ふがいない自分から逃れようと、これ見よがしの筋トレに精を出す。ボディビルやウェイトで見せかけの身体に改造したところで、精神は強靭なものになりはしない。第一、強くなろうとしても基が弱いのだから無駄なことだ。
なるほど。歳を取ると体力も落ちていくし、ストレス解消や健康のためならいいだろう。それに、それで強くなったと錯覚し、仕事へのモチベーションを上げられるなら結構な話かもしれない。しかしなんだかねえ。その点小林よしのりのほうが立派だ。潔い。無駄な抵抗をしない。きみが彼と付き合うならボクも反対しないな。
厳しいことを言わせてもらったけど、彼の高値安定はこれからも続くだろう。やっぱりいちばん面白いという事実は揺らがないから。
笑いは格闘技の側面を持っている。お笑いの主戦場がテレビに移ってから久しいが、特に重要なのは、そこでの立ち振る舞いと反応、言わば瞬発力だ。そういえば彼って、四十歳に引退するって公言してなかったっけ。瞬発力が落ちて、自分の理想とするお笑いができなくなる。そう遠くない未来の自分を見込んで引退を口にしたものの、お笑いに関しては基礎体力が違うし、磨いてきたスキルと積んできた経験値で今後も容易く凌いでいける。それに自分の存在を脅かすような、寝首を掻くほどの才能も現れると思えないから撤回したのだろう。何より、彼の所属する事務所は途轍もなく巨大だ。地上波のテレビ局より力がある。彼はこれからもビッグネームを維持し続けるだろう。
そうだね、他にも予知できることがある。
彼がしたためた名著には〝結婚はしない。家にいつも同じ女がいると思うとゾッとする〟とあったが、もちろんそれも撤回する。別に構わない。孤高の芸人としてではなく、一個人としての幸福を追求すればいい。あれだけ他者に対して厳しく振る舞ってきた人間が、自分で自分を蝕んでいることに目を逸らし続けていけばいい。
数年前からM─1グランプリという漫才の大会が始まった。そこにあの男は審査員として一枚噛んでいる。この先彼は、自分を信奉していた者たちを裏切ることになるだろう。優勝したコンビにどうして票を投じたのかと訊かれて、〝がんばってきたから……〟と、凡庸な人間そのもののコメントをする。〝ボクシングで第三者が判定するのはおかしい。闘った者同士はどっちが勝ったかわかっている。闘った者に決めさせたらいい。お笑いも同じ。やった者同士で決めさせればいい〟。ボクシングとお笑いを同列で語るほど、お笑いに対して厳しかった男が、〝がんばってきたから……〟と、お笑いの世界に温情を持ち込むようになる。そのとき、神は死ぬだろう。見ててごらん、彼は自ら君臨していた王座から降りるのだ」
私はお笑いに関して難しいことはわかりません。だけど、ボクシングを始めてみたら?と唆したのは私なんです。彼に非はありません。それに三島はボディビルを始めた後に『金閣寺』を上梓していますと、私なりの知識を動員して訴えましたが、聞き入れてはもらえませんでした。
社長も社長で、そんなことを言っておきながら、自分の出版社から出したあの人の本が百五十万部も売れたときは、花束を持ってパーティーに駆けつけました。相変わらず長い毛に覆われた指を差し出して、満面の笑顔で握手を交わしていました。経営者として複数の舌を使い分けるのは、当然のことなのかもしれません。
私は時代と寝続けました。このままずっと、やっていけるものと思っていました。
しかし時代はベッドから抜け出して、次の女を探しに出て行くときがきたのです。
人気とは人の気と書きますがその通りで、大衆は少しずつ、私にそっぽを向き始めました。ありていな言葉でいえば、飽きた、のでしょう。ピーク時には東京ドームのライブのチケットが一時間でソールドアウトしたのに、武道館はおろか、ZEPP2DAYSに当日券が出るようになったときはすでに遅かった。「気付く」って言葉は、本当はありませんよね。「気付いた」が本当で、そしてそれはいつも過ぎた後です。
飛山社長はニューヨークとパリに飛山映画専門の劇場を作りましたが、お客の入りは芳しいものではありませんでした。ワンマンでも好調なときは、世間は「リーダーシップがある」ともて囃してくれますが、ひとたび陰りが差せば、「暴君」「独裁者」と呼ぶようになります。『七人の侍』や『太陽を盗んだ男』など、過去の名作リメイクが不発に終わり、海外の映画製作もことごとく失敗すると、飛山映画の業績悪化が、不況下の出版部門にも影響を及ぼすようになりました。
「みんなボクに嫉妬しているんだよ。悔しいのさ。全部マスコミが悪いんだ。自分は大した努力もしないくせに、人が成功するのは気に食わないらしい。どいつもこいつもボクの足を引っ張ろうとしやがって……! あいつらマスゴミはね、ひとのことをどうぞどうぞって二階に上げておきながら、掛けたハシゴを外す奴らなのさ。それでこちらが文句を言えば、〝今度は自力で三階に上がってみろ〟と言う。そういう最低な人種さ。
まあ見てなよ。来年、製作費百億円をつぎ込んだ『天と地と神と』って超大作のメガホンをボクが取るから。世界はあっと驚くことになるよ」
そして結果は、確かにある意味、社長の言った通りになりました。
ベストセラーを映画化してヒットを飛ばし、映画のヒットにより本がまた飛ぶように売れる──。理想的なサイクルがいつしか壊れていきました。
「あー、金がありすぎてもう見たくない。洟を噛みたかったら諭吉をお使い。尻を拭いても構わない。いっそアフリカの小国でも買っちゃおうか。ルワンダあたりがお手頃じゃないかな」
そうした大法螺を叩けるほどの巨利を得てきたはずなのに、飛山社長の放漫経営のせいで会社が傾き出しているという噂が、私の耳にも飛び込んでくるようになりました。
映画の宣伝のためならと、新築の自社ビルを爆破したり、劇場の舞台から総額十億円の紙吹雪を演出したりするものの予想していたほど効果もなく、内部の不満を募らせるばかりで、すべてが裏目に出ました。
私と同じように飛山社長にデビューさせてもらい、スターになった人たちまで、次々と彼のもとを去っていきましたが、社長は引き止めませんでした。
「去る者は追わず。いい大掃除ができたよ」
口ではそう強がるものの、寂しそうな目をしていました。
状況は悪くなる一方ですが、誰も飛山社長を止めることなどできません。酒量は増え、私も毎晩のように連れ回されました。行きつけの銀座のクラブで、朝まで持論を展開していたときのことです。私が恐れていた「最悪のシナリオ」を、社長は口にしたのです。
「クミ、出版社は自社の株を上場しない。ということは、会社がどんなに大きくなろうと、株主の言うことを聞かなくてもいいというわけだ。つくづく出版社の社長で良かったと思うよ。好きなものだけ作り続ければいいのだから。
〝世間のニーズを読め〟〝綿密なリサーチをしろ〟と言う輩がいるが、そんなものは自分でも何が作りたいのか、何が欲しいのかわからないバカの戯言だ。こちらから大衆が欲しがるものを作り出せばいいだけの話さ。大衆がビートルズのような音楽を求めていたからビートルズが現れたのではない。ビートルズが現れたから、大衆は自分たちがビートルズのような音楽を求めていたと知ったんだ。ジョン・レノンがいなかったら、新しい音楽がどんなものなのか、大衆は想像することなどできなかった。作り手側が提示して、大衆は後から付いてくる。ボクは出版界と映画界のビートルズになる。ツェッペリンにも、ピストルズにも、ニルヴァーナにもなってみせる。あ、そうだ。いま言ったバンドをみんな再結成させちゃおうかな。ボクの全面プロデュースで」
この頃になると、私も社長の考えについていけなくなっていました。周囲のホステスだけが、辛抱強く彼の戯言に相槌を打っていました。
「今に見てろよ。このままじゃ終わらんからな。起死回生の一手がボクにはあるんだ」
社長は片頬を吊り上げます。こんな下卑た笑い方をする人だっただろうか。どんなに大風呂敷を広げても、不思議と気品は失われない人だったのに……。私は頭の片隅に思い、すぐに打ち消しました。
「クミ、来年は何があるかわかるか」
カルアミルクで唇を湿らせていた私は、途端に喉の奥が渇き出し、突き上げてくるような嫌な予感に全身が貫かれる気がしました。私には飛山社長が自慢するような予知能力はありません。ですがそのときは、社長が次に何を口にするか、わかりました。
「来年は、きみが乗った旅客機が墜落して、たくさんの人が亡くなって十三回忌を迎える」
全身の毛穴という毛穴が、悪寒で開きました。
「あの大惨事を基にした映画を作る。タイトルは『ジャンボ超特急』。きみはそこで脱ぐんだ。初ヌード、濡れ場にも挑戦する。八菱山で死んだ恋人を弔うため、事故現場で彼とエアー・セックスをする。どうだ、凄いアイディアだろう。こんなことはボクしか思いつかない」
あれが、分岐点だったのだと思います。あのとき私が席を立っていれば、女優生命を断たれることはなかったし、社長もあんな末路を辿ることはなかった。だけどあのときの私は、生きたまま身体が硬直化していた。沈没する船から一歩も動けないまま溺れ死ぬ人がいるように、足が竦んで動けなかったのです。
「シャーリーズ・セロンを見ろ。スーパーモデルだった彼女は女優業に転向した後も、〝美貌だけで演技力はない〟と、添え物的な女の役しか与えられなかった。一念発起した彼女は『モンスター』でわざと醜女にメイクして、体重を十キロ以上増やし、ブヨブヨに弛んだ身体にレズシーンという離れ業をやってのけた。その勇気を称えて、アカデミーの会員はその年の主演女優賞をシャーリーズ・セロンに授けた。
チョン・ドヨンを見ろ。家庭の事情で小学生をやり直すティーンエイジャーを演じて、ロリコンおやじの股間を鷲掴みにして人気を得たが、次作ではなんと不倫妻に挑戦し、冒頭から濃厚なセックスシーンをやってのけた。韓国中が上から下まで大騒ぎになったことは言うまでもない。チョン・ドヨンの役者根性はその後も貫かれた。どんなに売れても出し惜しみをせず、『スキャンダル』では処女のまま未亡人になった朝鮮王族を演じて、ペ・ヨンジュンを相手に涙を流しながら破瓜するシーンを披露した。チョン・ドヨンは来年あたり、大きな映画祭の主演女優賞に輝くだろう。
翻って日本の女優はどうだ。昭和の女優のような気品も演技力もなく、イメージ優先のため同じような役柄ばかり演じ、大衆ではなく広告代理店にばかり視線が向き、結婚する相手はIT社長か実業家。脱ぐのは映画ではなくヘアヌード写真集という体たらくだ。女優もどきが! クミ、きみはそんなズベ公どもをすべて蹴散らしてやるんだ」
飛山社長の言うことは正論かもしれません。しかし正論は、いかなる場所でも正しいわけではありません。それに社長は「イメージ優先」を批判しますが、この国では実態よりイメージのほうが百倍も千倍も、いいえ、すべてと言ってもいいぐらい大事なのです。
その後は、どうやって家まで帰ったのか、覚えていません。
一週間ほど家から一歩も出ずに考えました。社長は私をこの世界に送り出してくれた恩人です。一蓮托生のごとく、心中するべきか。それともこのタイタニックから脱出するべきか。考えて、考えて、私はひとつの決断をすると、アポなしで社長室に向かいました。側近の人がいない時間を狙って、これまでのお礼と、お別れを伝えに行ったのです。
そこで私は見ました。社長室からは耳なじみの曲が大音量で掛かっていた。そっと扉を開けると、革張りのソファに座った社長が、おいおいと声をあげて泣いていたのです。膝には写真立てが乗っていました。大洋ジャンボ事故で亡くなった、最愛の妹さんの写真です。
いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
あなたが住んでるマンション
床には たぶん バーボン ソーダ グラス
抱きしめてよ 今もしも叶うなら
裸でまだいましょう
週刊誌は ぼくらのことを知らない
おねがいだよ 僕だけのひとになってよ
眠れない夜は屋上にのぼって 風に尋ねてるんだ
「ねえ ドンファン 虚しいことなのか」
彼女のLove、Sex、Kiss 朝からずっと待っている
いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
真夏の雨のように 18、9が蒸発したけど
このぼくらは 今ならば大人だろうか
切ない夜は屋上にのぼって 壁にもたれてるんだ
「ねえ ドンファン 正しいことなのか」
彼女のLove、Sex、Kiss 朝からずっと待っている
いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
My Girl、My Girl、My Girl……!
生前妹さんが大好きだった、岡村靖幸の『イケナイコトカイ』でした。
社長はカラオケに行くと、必ずこの名曲を歌っていました。
あるとき、社長が話してくれたことを思い出します。
「きみは、ボクがこの世でもっとも愛した女に似ている。だからといって、ボクがきみに手を出すことはない。ボクはクレージーな男さ。人に言われなくても、自分でちゃんとわかっている。だけどこんなボクだって、心に〝薔薇のつぼみ〟を持っている。それがあるから正気を保っていられるんだ。その女への思いを、ボクは死ぬまで抱いたままあの世に行くつもりだ。こんなふざけた男が、汚れのない、純粋な一面を持っていたっていいだろう?」
社長は嗚咽を漏らしながら、何度もこの曲を繰り返し歌っていました。
私は見なかったふりをして、その場を離れたのです。
「亡くなった方々のために頑張りました。『ジャンボ超特急』は日本映画史に残る名作です。みなさんよろしくお願い致します」
完成披露記者会見では怒号が飛び交いました。袋叩きや集中砲火といった言葉では到底言い尽くせません。「正義」を振りかざした大手メディアは、飛山社長と私の社会的抹殺を企ててきました。テレビは見ないようにしていましたが、一度油断してリモコンを点けたら、脂ぎった中年の司会者が「おもいっきり」尊大な態度で長広舌を振るっていました。
「ぼかあね、こういうの大嫌い! 人の生き死にを商売に利用してね、売名行為や金儲けにする人たち。冗談じゃありませんよ! いったい何を考えてるんだろうね。飛山社長も妹さんを事故で失っているとはいえね、こんな映画を作っても妹さんは喜ばないと思うし、他の遺族の人たちの心情も考えなきゃ。ふざけるんじゃないよ! テレビを見ているみなさんにも言っておくよ。内容云々以前に、こんな映画は絶対見ちゃダメ! わかった!?
ハイ、この後はね、お嬢さん方に朗報。バナナで十キロ痩せる方法」
この世の全部を敵に回したように感じました。飛山映画社には連日街宣車が押し寄せ、一一〇番に通報しても「警察は民事不介入ですから」と黙殺される始末。嫌がらせは私だけでなく、またしても実家に及びました。ノイローゼになった両親を入院させましたが、どこで調べるのか、患者を装った「善意の第三者」が病室に忍び込み、「自殺しろ! 死んで償え! 心中しろ!」と喚き散らしたそうです。
それでも飛山社長と私は、できるかぎりのパブリシティーを打ちました。飛山出版の雑誌はすべて、『ジャンボ超特急』を表紙にしましたが、出版業界の卸売問屋である取次が書店に流通拒否。早朝から深夜まですべての生放送の番組に出演して宣伝することをテレビジャックと言いますが、飛山社長が子飼いにしていたはずのプロデューサーは門前払い。『ジャンボ超特急』のヒット祈願にと、八菱山まで弔歌を捧げに行ったところ、私に硫酸を掛けようとした遺族が誤って自分の顔に浴び、運ばれた病院で抗議の自殺未遂。その後はどうなったかわかりません。
挙げ句の果てには映画館に爆破予告の脅迫状が届き、警察から「上映を見合わせるように」という通告が来た。無慈悲な決定にがっくりと肩を落としていると、飛山社長が声を震わせました。
「時代が早かったか……!」
宣伝スタッフは彼に言葉をかけることもできずに、無表情で通していました。
しかも公開無期延期の間に、『ジャンボ超特急』がインターネットにまるごと流出したのです。試写会で隠し撮りしたものでしょう。見せ場であった私のヘアヌード画像が至るところに貼られ、「うめぼし」「洗濯板」「鼻くそ」「世界最貧乳」と、悪意と嘲笑の書き込みが拡散しました。あのときほど人間不信に陥ったことはありません。ひょっとしたらこの中には、私と付き合った男が書いたものがあるのだろうかと考えると、昼も夜も眠りにつくことができなくなり、処方された睡眠薬を服用しても安息な日々は戻ってきませんでした。
──まさか係り付けの医者が大洋ジャンボ墜落事故の遺族で、私に対して憎悪の感情を抱いているのでは? 私を殺してやりたいと、睡眠薬ではなく死に至る劇薬を調合しているのでは? いや、あのとき死んだ他の乗客の霊が私に取り憑いているのか? なるほど、道理で肩や全身が重たいと思った。男が離れていくのも霊が原因だったのか。いや、やっぱり違う。本当はあの飛行機が墜ちて傍から見れば私は意識不明の重態の状態で、現実だと思っているこの世界が実は夢なのでは? そうでなければ、私程度が映画スターになれるわけがない。そうだそうなのだ。じゃあ夢の中なら死んでもいいのでは? 夢の中で死ねば目を覚ますのか? いや、二度と覚めなくても済むかも──。
疑心暗鬼と妄執で自ら命を絶つことを何度も考えました。聞くに耐えない名前を数えて、両手で足りないことを知り、さらなる苦しみや悲しみを呼び寄せていた。「女優らしくあれ。女優らしく生きて、女優らしく死ね」と、呪いをかけられた気がして、その日をやっとのことで乗り切っていた。
あの頃の私は、あとちょっとのところで踏み止まっていました。誰かから背中を押されたら、それで終わってもおかしくなかった。目の前に拳銃があったら、迷うことなくこめかめにあててトリガーを引いていたでしょう。いま生きていることが、不思議に思うときがあります。
大金を注ぎ込んだ映画は上映されない。それでも世間のバッシングは一向に止む気配がない。そうした最中、奇跡の逆転劇が起きようとしていました。
『ジャンボ超特急』が、カンヌ映画祭に出品されることになったのです。
展望デッキから「国辱」の誹りを浴びながら、私たちはコートダジュール行きの自家用ジェット機に乗り込みました。機中の社長は久しぶりに息を吹き返した様子でした。
「村上春樹と宮崎駿がどうしてここまで絶大な人気があると思う。クリエイティブのピークを明らかに過ぎているにもかかわらず、セールスは反比例している。答えはイージー。海外で評価されているからだ。ここでいう海外とはもちろんアジアではない。欧米だ。日本人はひとり残らず、白人への媚びが死ぬまで抜けない民族だ。連中にちょっと頭を撫でられただけで、〝世界の○○〟と吹聴したがる。そこまで本気で相手にしていないのにな。まあいいさ。世界の映画祭という金看板を大いに利用させてもらおうじゃないか。
ボクに言わせりゃこの国はねえ、〝東京オリンピックがあった頃は今と違って人の心が通ってて幸せだったね〟みたいな、嘘八百で懐古主義のお涙ちょうだいが観客動員数や映画賞を総ナメするような、文化最低国なんだよ。紙切れのように薄っぺらな人物が自分の気持ちをいちいち口で説明しないと、頭の弱い観客は理解できないんだ。〝泣ける映画がいい映画〟だ? 主人公が最後に死ぬ学芸会を観て、感動の涙を流す自分に疾しさを感じないクズどもめ! 〝普通に生きていることが素晴らしいんだと思いました〟〝涙が止まりません〟〝あと十回見ます!〟。映画を見てこんな凡庸な感想しか出てこないバカどもはまとめて全員射殺しろ! 道徳の授業のような感想しか出てこない映画が映画だと思っている民は滅ぶしかない。こうなったらボクしか日本映画を救えない……! 『ジャンボ超特急』が日本を変える。絶対にカンヌで作品賞、監督賞、主演女優賞、主要部門を制覇する。賭けてもいいね。昨日夢にご神託があったんだ。ノストラダムスは外れたけど、ボクの大予言はみーんな的中するんだ。もうすぐ朝青龍がプロレスデビューするし、なんのかんの言っても自民党政権が続くし、北京でのオリンピックが中止になって急きょ東京に場所を移して開催するよ。ホントだから!」
『ジャンボ超特急』が、フランス南部の由緒ある劇場で上映される日が来ました。
しかし、目も当てられないほど残酷な現実を突き付けられることとなるのです。
世界中から集まった観客は、上映中に次々と席を立っていきました。ばたーん、ばたーんと、折り畳み椅子の座面が背もたれを叩く虚しい音色が劇場中に響いて、私の背筋を凍りつかせました。エンドクレジットが終わった後、明かりのついた劇場には観客がまばらにしか残っておらず、社長が手を振るとブーイングが飛んでくる有様でした。
賞の発表を待つまでもありません。フランスの高級誌の記者の批評は、息が止まるほど辛辣なものでした。
「どうしてこんなお粗末すぎる作品をコンペに挙げたのか。選考委員の取り巻きのポケットにどれだけ札束が捻じ込まれたのか、映画よりその想像のほうが楽しい」
「つまるところ、ここ二十年の日本映画は、タケシ・キタノといった例外を除けば、およそ収穫と呼べるものはなかった。クリエイティブな才能のほとんどはアニメやゲームに行ってしまったのではないか。日本で映画を選ぶのは権威に憧れる無能な者たちだけではなかったか。そうでなければかつてクロサワやオヅ、ミゾグチ、イマムラ、オーシマが築いてきた作品と、これほど次元が違うものが同じ国から生まれるだろうか」
歯に衣着せないテキストはこう締め括られていました。
「『ジャンボ超特急』は、六十余年の歴史を誇るこの映画祭に出品された作品の中でも、ぶっちぎりのワースト候補。日本映画は、『ジャンボ超特急』に出てくる旅客機同様、地に墜ちた」
この悪評は海を越えて日本にも届きました。帰国した私たちを待ち受けて、空港にはおよそ三百人の「自称愛国者」が詰めかけました。
「日本の面汚しめ、よくもおめおめと帰ってこれたな!」
「北朝鮮に亡命しろ! 将軍と一緒に怪獣映画でも撮ってろ!」
「AVに転向して、一からやり直せ!」
「逝ってよし! 迷うことなく逝ってよし!」
飛んで火に入る……とはこのことでした。自宅もレポーターや記者が取り囲んでいることはわかっていたので、私は都内のホテルに避難することにしました。飛山社長も会社に出社せず、姿を暗ますと言いました。
「熱に浮かされた連中を相手にしてもしょうがない。クミもほとぼりが冷めるまでトンズラするといい。いい機会だからボクも長期休暇をもらうよ」
社長は誰にも行く先を伝えなかったため、失踪説や自殺説が一時飛び交いました。
雲隠れしていた飛山社長を見つけたのは警察でした。麻薬取締法違反の容疑で、社長に逮捕状が請求されたのです。
二〇〇七年五月三十日、新潟県の寺泊にある民宿に潜伏していた飛山社長が、宿のあるじの説得により出頭しました。身柄を東京の小菅拘置所に移された後、飛山出版は会見を開き、社長に解任を通告。事実上の追放です。併せて飛山映画の解散が発表されました。宴は終わったのです。
バッシングは最高潮を迎えました。飛山社長に擦り寄っていた人たち、有形無形の恩恵を受けてきた人たち、他にも「一生ついていきます」と誓った人たちが、彼のもとを足早に去っていきました。黙って消えるのはまだいいほうで、先頭に立って、溺れる犬を激しく打擲するように弾劾する人もいました。こちらが反論できる立場にいないのをいいことに、ワイドショーから週刊誌、タブロイド紙やネットの掲示板まで、大勢の人たちが飛山社長と私を物笑いの種にしました。
「仰天情報! 飛山社長は社内で覚せい剤をキメてた!」(『週刊文春』六月八日号。以下の記事の見出しはすべて二〇〇七年)
「元「喜び組」が告発! メッキの剥がれた予言者による、酒と暴力と女優喰いの日々」(『週刊ポスト』六月十一日号)
「極秘スクープ! 良知クミは飛山社長の子供を堕ろしていた!?」(『東京スポーツ』六月十三日付)
「飛山元社長と良知クミのニャンニャン写真、高く買います」(『BUBKA』七月号)
中世の魔女狩りでもかくはあるまいといった、国民総出のリンチが続きました。
暴行、恐喝、銃刀法違反、脱税、業務上横領など余罪が次々と明らかになるため、弁護士が飛山社長の保釈請求をして、その度却下されました。第一保釈金を支払おうにも、社長は映画を作るため、成城にあるご自宅をすでに抵当に入れていましたし、そもそも私腹を肥やすという発想がない人なので、貯金もなく、無一文に近い状態でした。
返す返す残念なのは、社長のために保釈金を払うと言ってくれる人がいないことでした。
話は変わりますが、その後何年か経ってから、小室哲哉さんが著作権譲渡に関する詐欺の容疑で逮捕されたとき、全盛期の小室さんに曲を依頼して、自分も大金を稼がせてもらった人たちが蜘蛛の子を散らすように居なくなった中、エイベックスの松浦社長は個人で、保釈金の三千万円だけでなく、事件の被害者に六億五千万円もの大金を代わりに支払いました。
俳優の押尾学さんもそう。罪を犯したのは事実ですが、(明らかになっていない事情もあるにせよ)彼のために高額の保釈金を積んでくれた友人がいたのもまた事実です。
言いたい放題、書きたい放題で彼らのことを無責任に貶したテレビのコメンテーター、エッセイスト、ネットの住人たちに、そうした存在がいるのでしょうか。世界中から敵に回された人物に、救いの手を差し伸べることのできる勇気と気概を持った、本当の友人が。
小室さんと押尾さんを徒に擁護するつもりはありません。でもひとつ言えることは、「他の人たちもやっているから」と、吊るし上げをして楽しむ愚かな人たちより、小室さんと押尾さんのおふたりのほうが、自信を持っていいような、誇りのある生き方をしてきたのではないでしょうか。
話を戻します。
「やあ、よく来たね」
透明の遮蔽板の向こうにある狭い面会室が、常に時代を先取りし、栄光に包まれてきた社長の終着駅でした。落ち窪んだ目と無精ひげと貧相な首回りは、尾羽うち枯らしてという言葉がぴったりで、息が止まりそうになりました。ブロックバスター・ムービーで興行成績の記録を塗り替え、金儲け主義だという批判があれば、評論家の溜飲を下げるような単館系映画を採算度外視で製作してきた。そこに座っていた人は、束の間とはいえ、日本映画界を牽引してきた大人物には見えなかった。社長はそれでも、私に対して虚勢を張りたかったのか、沈黙と退屈を恐れるような、口数の多さは健在でした。
「冤罪だよ。冤罪。ボクはドラッグなんかに手を出さない。あれは凡人のやるものだ。脳内麻薬を思いのままに分泌できるボクには不要だ。そうだと思わない?」
くたびれた髪が頭部に張り付いています。何とも言えない憐れみを誘いました。
「時間がない。大事なことを伝えなくては。──あのね、ボクは切られたんだ」
そのときの社長の目を、私は一生忘れないでしょう。
「大洋ジャンボ事故の真実を描いたために、ボクはいまこんな目に遭っているんだ。いいからちょっと聞いてくれ。むかしも今も、この世界はたった数人の支配者によって動いている。ボクは彼らに見込まれて、意に沿うように動いてきた。
たとえばスティーブン・スピルバーグ。彼も選ばれたひとりだ。彼が作ったサメが出てくるパニック映画は、その夏の海水浴場から人々の姿を消した。全米国民を操作できるほどの非凡な才能に目を付けた連中は、それまで外部から来た敵としてしか描かれることのなかった宇宙人を主役にして、地球人とのハートウォーミングな大作を撮らせた。当時の映画史上最高の観客動員数を記録して、十分な準備ができていたのに、連中も気まぐれなのかそれともまだ躊躇っているのか、いまだにNASAに、地球外生命体の存在を公式に認める発表をさせていない。その後のユダヤ人迫害をテーマにした名作も、九・一一以降に撮られたテロ反対のメッセージを込めた政治的な作品も同様、彼らの依頼を受けて作られたものだ。スピルバーグが映画史を超えて人類史にその名を刻むほどの成功を収めることができたのは、彼らが背後に控えているからだ。DREAMWORKSという彼の製作会社の名前も連中の中から取っている。ボクも彼らに好かれているうちはよかった。ところが意思に背いた。『ジャンボ超特急』で真相を暴いたために、怒った連中が、ボクをパージした。新エネルギーの開発に着手しようとして、原子力発電所を不要とアピールしたこともまずかった。
世界を変えようとする者は必ず消される。歴史がそれを証明している。坂本竜馬、キング牧師、ケネディ大統領、ジョン・レノン……」
私は、どんな顔をしていたのでしょう。社長の表情が我に返りました。
「理解できないか。無理もない。こんな落ちぶれた男の言うことなんて、気がふれた奴の言うことと変わらないものね。まったく情けないよなあ。今こうしてガラスに映る自分を見ても、これが本当の自分の姿だったんだなあって、否が応でも思わされるよ。虚勢を張り続けて、自分を過信して──」
「社長、もうよろしいですから」
「何を勘違いしていたのか、大きくなった自分の影に唆されて、怯えて、さんざん人を利用してきて、エラそうに断罪して、神は死んだと天に唾を吐いたらこの末路だ。これが本当の自分か。できることなら、会いたくなかった」
「社長。これからですよ。ここを出てからです」
「ありがとう。そんなことを言ってくれるのはクミだけだ。弁護士ときみを除けば、他に面会に来る者もいない。ボクはもう生きてここを出られない。わかっている。ボクは戦争に負けたんだ。敗軍の将は兵を語らずと言うがあれは違う。弁解したくても、語る場を与えられないんだ。打ち首にされた後ではね」
私は泣いていました。涙を止めることができませんでした。
「ボクにも覚えのない悪事が、この先どんどん出てきて押し付けられる。あれと同じだ。日本が戦争に負けた後、覚えのない犯罪を次々とでっち上げられたことと。アジアでたくさんの戦争犯罪をした日本には原爆を落としても止むを得なかった──アメリカによる世紀の大虐殺を、後世の人たちまで〝あれは正しかった〟と容認するわけだ。歴史の教科書は勝者が作る。負けた奴はみんな悪人。ボクは悪人。ボクは負け犬」
「社長」
「でもね、ボクはきょうのような日を、心のどこかで待っていたのかもしれない。初めて妹を抱いたときから、いつかきっと天罰が下るだろうと。わかっていながら手を出した。だけど彼女が死んだとき、ボクは神を呪った。どうせ殺すなら、なぜボクを殺さないんだと? 心から愛する者こそが殺す資格があるのに。きみが目の前に現れたとき、ボクはやり直せると思った。きみを使って、神に復讐できると思っていた。バカだよね、神と闘って、人間が勝てるわけがないのに」
私は声を殺して泣き続きました。
「いいや、違う。きみに会えるのはこれが最後かもしれないから、本当のことを伝えておかなければならない。──連中が妹を殺したんだ。ボクは復讐のために生きてきた。それが生きる原動力だった。そして妹の弔い合戦は、返り討ちに終わった。ボクの争いに、きみを巻き込んですまなかった。これ以上、きみにまで被害を及ばせたくない。どうかこの国を離れてくれ」
係官が、時間だと伝えました。
「あと一分だけ。自分の悲惨な末路を予言することができなかったボクの最後の大予言を、遺言だと思って聞いてくれ。この国は、終わる。数年後に原子力発電所が爆発して、食品はもちろんのこと、電化製品まで輸出禁止になり、外国人の入国も制限される。政府と大手マスコミによる事故の隠蔽が明るみになり、日本は世界中から信用を無くして株価は暴落する。さらなる景気悪化が国民の家計を直撃し、生活保護を受けるホームレス家族がめずらしくなくなる。まき散らされた放射能の影響は年々深刻化していく。かつて経済大国と呼ばれた島国は終焉を迎える。そして窮乏状態のドロ沼に倦んだ大衆は、極右的指導者を自分たちの代弁者として崇め、再び銃を取るだろう」
「時間だ」
「待って下さい」
私は椅子から立ち上がりました。
「社長、十年経ったらもう一度見せろって言っていたのに、忙しすぎて忘れていたでしょう。自分で監督をやっているのに、肝心のシーンはいつも目を逸らしていたこと、私が気付いていないとでも思っていたのですか」
ブラウスの胸元を開きました。
「何をやっているんだ!」
血相を変えて怒鳴る係官を、社長は次の瞬間殴り倒しました。
飛山社長は笑みを湛えたまま、ゆっくりと頷きました。
「卒業だよ。おめでとう」
駆け付けた他の係官たちに取り押さえられる寸前、社長は私にウインクをしてみせました。
それ以来、社長にはお会いしていません。
私は自由になりました。しかし、籠から放たれた鳥はどこに飛んでいくべきでしょうか。
いかがですか。ここまでが、世間で流布している私の半生です。
今から本当のことを言います。心の準備はよろしいですか。
ジャンボ機墜落から奇跡的に生還した会見を開いた後に、飛山社長と初めてお会いしたと話しましたが、本当はそれ以前からお会いしています。映画のオーディションでした。そのときは不合格でしたが、控室に呼ばれました。
「きみはいい目をしている。この暗い時代にひときわ暗い目をしている。大衆はきみの目に大きなものを感じ取るだろう。そういうのが大事なんだ」
飛山社長とはたまにお会いして食事をご一緒するようになりました。高校を途中で辞めて、居酒屋のバイトで食い繋いでいる名もない小娘にとって、映画会社の社長さんと「ご飯を食べる仲」というのは、どれだけ矜持を保てることだったか。
良知クミという芸名を考えたのも、本当は私ではなく社長です。
「この名前はね、ボクが大変お世話になっているお方が付けて下さったんだ。きみの写真を何枚か見てもらって考えて頂いた。次の総理大臣を選ぶときも、〝この方のお許しを頂かなければならない〟というぐらいエライ方なんだ。ボクが今日この地位にあるのも、全部そのお方のおかげだ。その方に、〝将来の飛山映画を、いや、日本映画を背負って立つ大女優の名前を〟とお願いしたら、快く引き受けて頂いた。良知クミ。いい名前だろう。売れることを約束されたようなものだ。
ここまで来たら、次はどうやってきみを売り出すかだな。数千人のオーディションから選ばれたなどという手垢の付いたやり方はもう古い。どうせなら日本中が注目するイベントを起こして、そこで華々しく、否が応でも人々の目に触れるようにしたい」
社長の目が変わりました。人を殺したことがあるような、目的のためなら手段を選ばない人間の目がそこにありました。
「いまから話すことを、天国まで持っていけるかな」
見えない空気の塊に押されて、私は頷くこともできませんでした。
「七月二十六日、伊丹空港十六時四十五分発の大洋航空461便に乗りなさい。──残念ながら、その旅客機は墜ちるけど」
気のせいではありません。あのとき確かに私は、耳の奥からゴゴゴゴゴと、強い風が吹きつけてくるのが聞こえました。
その飛行機に乗れば、ほとんどの人が死んでしまうだろう。しかしそこで生き残れば、きみは望んでいた人生をぐっと手元に引き寄せることができる。このままうだつのあがらない人生と、人々から注目される人生。どちらを選ぶ?と訊かれました。絶対にスターになりたいと思っていた私に、選択の余地はなかった。
そして、前日もろくに眠れないまま飛行機に乗り、あたりを見回して気が付いたんです。
サラリーマンがいました。子供連れの家族がいました。ひとりで乗っている小さな子供がいました。それからちらほらと、年恰好が私ぐらいの少女が。そのとき、はっと気づいたのです。
これは、命を懸けたオーディションなんだと。
飛山社長はただのお人好しではありません。社長は私以外の娘にも同じことを言って、この飛行機に乗せたのだと直感した。私は目を伏せました。彼女たちに悟られてはいけない。もちろん勘のいい娘は私と同じように、すでに察知していたでしょう。
墜ちることがわかっている飛行機に乗る勇気、あなたにはありますか?
確実に死ぬ確率が高い飛行機に乗る。生き残ればシンデレラが約束されている。死んでしまったらそれきり。たとえ生き残っても顔に大けがを負ったら? 寝たきりになるほどの重傷を負ったら? だけどこのままスターになれず、誰にも知られずにひっそりと、優しい夫と可愛い子供に囲まれて過ごす、ささやかで幸せな人生なんて、生まれてきた意味がない。死んでるみたいに生きたくない。
私のことを異常だと思いますか? 頭がおかしいと思われますか? いいえ、アイドルになりたい、女優になりたい、スターとして輝きたいと願っている少女はみんな、私と同じように墜落する飛行機に搭乗するでしょう。だから私も、乗客乗員五五七人中、結果的に生存者は四名という、極めて死亡率の高いロシアンルーレットに身を任せたのです。
飛行機が急降下する中、私は膝の間に身を折り畳んで祈った。
私は生き残る。私は生き残る。私は、アイドルになる。
そして暗闇から目を覚ますと、スポットライトを浴びていた。
「私は自分の夢を、このまま墜落させるわけにはいかないのです」
飛山社長が考えた言葉を会見で発言した。それから人生が開けて、今があるのです。
またご批判を受けるでしょうね。しかも以前にも増して嵐のようなバッシングを。
「墜落することがわかっていたなら、どうして先に発表しなかった」「墜ちるとわかっている飛行機に乗るなんて、奇跡的に助かったから良かったものの、ご両親や友人に申し訳ないと思わないのか」「話題作りの虚言だ、妄想だ」「飛山社長が指示を仰いでいた人物を公表しろ。事件に関与しているなら検察が動くべきだ」
しかしみなさん、あの飛行機事故が現前としてある今だからこそ言えるのであって、当時の私がそう叫んだところで耳を傾けてくれたでしょうか。事故の前から「メキシコの地震を止めたのはボクだ」とか、「カート・コバーンの生まれ変わりだ」と公言して憚らなかった社長が「予言」したところで、信用してくれましたか? 万が一飛行機が墜ちなかったら、人騒がせにもほどがあると、また非難していたのではないですか?
飛山社長にお会いしたとき、「〝ああ、これから私は、自分の想像もつかない人生を歩んでいくのだな〟という直感があった。そしてそのとき感じたことは、まったくもって正しかったと思います」と言いました。でももしこれほどの人生になると知っていたら、怖気づいてやめていたでしょうか。いいえ、やったでしょう。今度こそ死んでしまうかもしれないよと言われても、何度でもあの飛行機に乗るでしょう。
それが私、良知クミだから。
聞いて下さってありがとうございました。こいつは誇大妄想狂だ。病院に行ったほうがいいって思いませんでしたか。でも、私の人生が、誰かのフィクションだったら、どんなに楽だっただろうかと思います。
──飛山社長は東京─沖縄行きの大洋航空928便に、最愛の妹が乗ることを知らなかったのか?
どうでしょうか。「きみに会えるのは、これが最後かもしれないから、本当のことを伝えておかなければならない。連中が妹を殺したんだ」と言っていましたが、本当に本当でしょうか。いかなる状況でも嘘をつけるのが、私は人間の正体だと思います。
社長は、妹さんを殺したかったのではないでしょうか。
以前、こんなことを口走っていました。
「次々と男を替えて、こないだまで整備士の男と付き合っていたと思ったら、今度はケータイショップを辞めて、サーファーと沖縄に移住するという。最愛の妹がヤリマンだなんてね。つくづく思うよ。──人生なんて、悪い夢にすぎない」
なぜここまで話したかおわかりですか。それは、あなたがあの国民的画家、丹生雄武郎の本を書かれた方だからです。私は雄武郎の絵画も、あなたのノンフィクションも両方とも大好きなんです。どうしてあの巨匠があなたにはすべて打ち明けたのか、お会いしてわかった。今回の飛行機事故でも、誰もが初めて会ったあなたに何もかも洗いざらい語りたくなる。吐露というか、懺悔をしたい。あなたの前ではすべてを曝け出したくなる。
私も、丸裸になりたい。
いかがでしょう? あの事故の関係者の話をまとめるのも結構ですけど、私だけで一冊にするのは無理ですか?
もっと面白い話を考えることができると思うんです。
この後まだお時間あるのでしょう。もっとゆっくり、お話ししませんか。
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