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『アクシデント・レポート』(selection05)


浅木曜子の証言(30500字)

女子大を出て大手の広告代理店で三年ほど働いた後、上海に二年留学、帰国して別の代理店に再就職しました。それほど大きくはない会社だったので、若い女性社員の意見を積極的に取り入れてくれましたし、中国語を話せたおかげで何かと重宝されました。二〇〇二年から七年までの間のことです。

張さんとはその頃出会いました。クライアントのひとりでした。

「こんにちは、張樟柯(チャン・ジャンクー)デス。四川から来ました。わが国のミネラルウォーターを日本で売り込むために、今回みなさんのご協力をお願いすることになったデス。よろしくお願いします」

張さんは日本に進出してくる中国人にしては野心がないというかギラギラしてなく、ニコニコとして人柄が滲み出ていました。そう言えば良いふうに聞こえるかもしれませんが、朴訥というか、正直イケてない感じでした。髪型は戦前の日本人のように前髪をぱっつんにして、スーツを着てもどこか垢抜けません。でもお母さんが日本人ということで、語尾のアクセントが若干変わっているものの、一般的な中国人より言葉使いはまともでした。

張さんの目的は、四川省北部と陝西省を跨ぐような形で流れる龍門山脈(ロンメンシャン)の水を、日本で販売する飲料会社と契約することにありました。龍門山脈は縦五〇〇キロ、幅は三〇キロから七〇キロの規模を持つ景勝地で、張さんは市と組んで、上海や北京といった主要都市に住む富裕層に向けて、すでに五年ほど前から水を販売していました。

「国内でも十分な利益がありますが、そこだけに留まるつもりはありません。この先も世界中でミネラルウォーターの需要が増えていくことは疑いのないところですし、日本で成功すれば、欧米進出への大きな足掛かりにもなるデス」

 張さんは見かけによらず、商売人のようでした。それはちょうど中国という国が上り坂にあるように、そこでビジネスをする人たちを勢いづかせるものがあったのだと思います。二〇〇八年に北京オリンピック、一〇年に上海万博を控えていた中国は、めざましい経済成長を遂げようとしていました。いま振り返ってみると、ずいぶんむかしのことのように思えるから不思議です。

私たちが張さんのオファーを頂いてからしばらくして、有明にある東京ビッグサイトで、ミネラルウォーターのフェアを開催するというプレスリリースが回ってきました。土日を入れて四日間、最大三百社を目途に、海外の企業も含めて広く出展を公募するとのことで、さっそく張さんと連絡を取り、日本に来てもらい、打ち合わせをすることになりました。まだスカイプを使った会議が日本でも一般化する前のことでした。

「それでは張さんを交えてこれよりミーティングを始めましょう」
 張さんと私を含めた五人のチームでプロジェクトを進行することになりました。張さんはよろしくお願いしますとにこやかに頭を下げます。その日も彼の前髪は額の位置に水平に揃っていました。

 一・五リットルのペットボトルに入った龍門山脈のミネラルウォーターが、それぞれの目の前に置かれました。グラスに注いだ水を口に含んでみます。ほどよく冷えていましたが、水だけ飲んでみても、あまりよくわからないというのが本当のところでした。

「いやあ、これは美味しいなあ。喉越しが良くて実に飲みやすい」
 社内一のお調子者、萩山田がクックと笑います。
「近所のコンビニで売ってたら毎日買ってるなあ。硬水だから水割りにも合うと思う。高級感でアピールしてもいいんじゃないかなあ」

「ありがとう。他の方の意見も聞きたいデス」
 私と同じ転職組の牧野徹三が手を挙げました。
「いけると思います。ですが、国際フェアともなると世界中の水が一堂に期しますから、何かしらの特色を出すことが必要不可欠かと」

「そうだな。具体的には?」
 部下のアイディアを拝借することにかけては、萩山田の右に出る者はいません。それが許されるのは、彼がこの会社の創業者の婿養子だからです。

「さしたる目新しさは必要ありません。セールスポイントはやはり〝安心・安全〟。安さでは日本の消費者は手に取りません。例えばですが、〝自然に育まれた雪解け水を、空気に触れることなくボトルイン〟といったありふれたフレーズだろうと、商品のラベルに一行挟むだけでも違うかと思います」

「そうねそうね。うん」
萩山田が顎でしゃくると、沢見涼子という短大卒の契約社員の女の子がホワイトボードに書き上げていきました。今だとコピーボードで、板書したことをそのままデータにしてスマートフォンに転送するのでしょうが、当時は各人が手帳やノートパソコンに書き写していました。まだ七、八年前ほどのことですが、どこか牧歌的なものを感じさせます。

「張さんから頂いた資料によると、〝他社の平均的なミネラルウォーターと比べて、カルシウムとマグネシウムが一・七倍〟とありますから、そこも売りになるかと」

「うんうん。浅木さんは?」
「張さんを前に言い難いのですが……」
「構いません。お願いしますデス」
「正直なところ、日本人の中国に対するイメージはあまりよくありません。〝中国の水〟というだけで、敬遠する人も多いかと思います」

言葉を選んで話したつもりでしたが、萩山田は眉を顰めました。私は笑顔を崩さない張さんに向かって説明しました。

「ウーロン茶はむかし、中国人経営の中華料理店でしか飲めないものでした。それが七十年代の終わりに伊藤園が缶入りで商品化してから、発売当初は好調と言えなかったものの、地道に売り続けてきたことが実を結んで、現在では日本でも健康飲料として定着しています。そうした先例がありますので、中国の水を日本で販売することも、できないことではないと思います。張さんに申し上げたいのは、ウーロン茶が日本で認知されるまで時間が掛かったように、私たちとも長いスパンでお付き合いをお願いしますということです。〝中国の水〟をアドヴァンテージに変えませんか。〝中国四千年の秘境水、日本初上陸〟というコピーはいかがでしょう」

 笑顔の張さんが、いっそう頬を緩めます。萩山田がそれを見て声を張り上げます。
「いいね! いいね! それいただき!」
「フェアでは水以外に食べ物も少しぐらいなら出してもいいんですよね? 水ばかり飲んでいたらすぐにお腹に溜まってしまうし、飽きてしまいますから。飲茶とセットで来場者に味わってもらいましょう」
「〝中国ならでは〟っていうんですか。日本人から見てもオリエンタルな感じで売り込むのが必須ですね」

「中国だと、何があるかな」
「パンダ、ラーメン、チャイナドレスとか」
「いいんじゃなーい」
「映画だと、『さらば、わが愛/覇王別姫』に、『グリーン・デスティニー』」
「ふむふむ」
「あ、天安門! ……は、やめときますか」
「せっかく龍門山脈なんてカッコいい名前が付いていますから、パッケージに昇り竜を入れませんか。キリンに麒麟の絵が入るように」

 活発な意見が飛び交います。私も触発されてアイディアが浮かびます。

「そうだよね。高級感もいいけど、強さを前面に出しても効果はないから、昇り竜を可愛いキャラクターのイラストにするのもアリかも。〝ミネラルを豊富に含んでいるので、赤ちゃんのミルクにも最適です〟って一行を入れる場合は、赤ちゃんドラゴンも一緒に」
「それ、〝ゆるキャラ〟にしましょうよ。ぐっと親しみやすくなりますから。フェアまでにデザインを考えましょう。それの着ぐるみも作って」

「おまけのフィギュアも付けませんか。前にもウチで中国の工場を使ってやったことがあったじゃないですか。見積もりもすぐに出せますよ」
「中国の安い労働力を、どんどん使ってやって下さい」
 張さんがそう言ってみんなの笑いを取りました。
「私、水以外にもツテがあります。フィギュアから家電まで、何でも作る工場を知っています。私がいま使っているケータイもそこで作ったデス」
 張さんは自分の携帯電話を差し出します。その笑顔に悪びれたところはありません。萩山田があきれた声で、そこに書かれたブランド名を読み上げました。
「SUNY……スニー!?」

 張さんをエレベーターの前でお見送りした後、横腹を肘で突かれました。
「ヒヤヒヤしたよ。俺がフォローしたから良かったようなものの」
 萩山田が私の耳元で、ランチぐらい奢れよなと、大きな声を出します。しかも図々しく肩には手を掛けています。
「だけどちょっとびっくりしたよね」
 牧野くんが少し照れたような感じで白い歯を零します。
「SUNYのこと? あれねー。これ見よがしだもんね」
「僕も引きました」
「私もー」

 他の子たちも続きます。張さんがいなくなった後に、みんなの本音が噴出しました。
当時は中国といえば「パクリ大国」というイメージがありました。日本の人気キャラクターを勝手に使った商品が、彼の国では大手を振って横行しているというニュースを、テレビなどを通してずいぶんと見てきました。中国人には著作権という概念はもちろん、モラルもないというのが、日本人が抱く中国人の印象でした。

「コピー商品を何の衒いもなく使っているような人だよ。信用できるのかな」
 牧野くんの率直な不安げな呟きに、涼子ちゃんも、頷いていいものかと困った表情を浮かべます。
「部長、張さんは龍門山脈の水は企画基準をパスしていると言ってますけど、あくまでも中国内の検査機関ですからね。ちゃんと国際基準をパスさせましょう」
 萩山田が、んーと唇を真一文字に結びます。牧野が畳み掛けます。

「エビアンが日本でメジャーになったのは、伊藤忠が間に入って、伊藤園が売ったからです。ボルヴィックは三菱商事を通してキリンと。ウチが今回そうした仲立ちができたらいいんですけど、エビアンもボルヴィックもフランスが採水地。国のイメージが元からいいですから」

「まあなあ。家具でも北欧とか言われたら、日本人はもうダメだもんなあ」
 萩山田はつい先日、リビングのテーブルやソファをIKEAで買い揃えたと自慢していました。
「こんなことを言ってはいけないかもしれませんけど……自爆テロとか内戦とか、第三世界のミネラルウォーターだって言われると、何となく体に悪そうな気がしますものね」

 涼子ちゃんは言いにくそうにしながらも、素直な意見をあげます。おっちょっこちょいなところが多々あるものの、日頃から小動物のムードを漂わせて、なおかつ出しゃばりすぎないところが、男たちにウケる秘訣でした。

「オリンピックを来年に控えているけど、本当に実現するのかな。僕が聞いた噂によると、中国政府から弾圧されているウルグアイやチベットが蜂起するって言う話ですよ。欧米諸国もこのまま見過ごすわけがないし、ボイコットする国も出てくるのでは」

「そうなったら水だけでなく、中国のものをみんな買わなくなるなあ」
 どんどんネガティブな方向に行くので、私が間に入りました。
「でもさ、やる価値はあるんじゃない? 中国が伸びているのは事実だし、せっかく今度の国際フェアもあるんだから。同じ国際フェアでも本だと外国語だから中身がよくわからないけど、水ならそんなことないじゃん。試飲してもらうとか、直接アピールできることがいくらでもあるしさ」
 私の声に、その場は一応治まりました。
 しかし、まさかその後、あれほどの騒動に巻き込まれるとは思いもしませんでした。


 表参道にある伊藤病院の裏手から路地をひとつふたつと進んでいくと、隠れ家的なレストランがあります。そこで久し振りに仲間と会いました。まだ女子会という言葉はなかった時代です。女子高からの付き合いで、それぞれ純潔だった頃(懐かしい)からの間柄です。世間一般の男たちより強く勇ましい私たちは、「T女四天王」と呼ばれていました。

「あー、きょうはベビちゃんをママに預けてきたよ。ひとり、久々ぁ」
 いつもは手を繋いだり抱っこをしたりして塞がっている両手を、高く突き上げるのはミスミ。私たちのグループでいちばん早く結婚しました。相手は飲食店を手広く経営している二代目。クラブでナンパという軽い始まりでしたが、授かり婚により籍を入れました。もともとこの中ではいちばんぽっちゃりした子でしたが、出産を経験してから、顎のあたりにさらに丸みを帯びていました。私たちはその顎を「幸せプルプル」と呼んで、ご利益があると撫でたものです。
「ちかれたちかれた。地方で原発に反対するデモがあって、朝から一本取材してきた。もう大丈夫。きょうはとことん飲むぜー」

 ショートの前髪を掻きあげるみゆきはテレビ局のレポーター。仕事に生きる女です。ミスキャンパスだったこともあり、ルックスはずば抜けています。学生の頃から芸能界の仕事を始めていましたが、事務所とのトラブルがあり、タレント業を引退。今はマイクを片手に社会派の事件を追いかける姿を、私も何度かテレビで見たことがあります。三年前に同業者と結婚しましたが、子供はいません。

 昼間から白ワインで乾杯すると、お互いの近況を報告します。いちばんのお喋りである留美子が口火を切ります。

「昨日Kの幼稚舎を受けてきたんだけど、箸にも棒にも掛からないってあのことだわ。ウチが離婚してるってわかると、あいつら急に掌を返しやがって、ムカつくったらないよ。こっちが親だけで面接をしている間に、子供たちは一ヵ所に集まって遊んでいるんだけど、あれほどアキラに、〝ママが顔を見せてもすぐにママのとこに来ないで、遊んでたオモチャをちゃんと片付けてから来るんだよ〟って言いつけていたのに、真っ先にあたしの胸に飛び込んできた。ブロックを他の子の顔に放り投げて。まったくいったい――」

「母親に似たんじゃない?」
「やっぱそう思う~?」
 みゆきのツッコミに、留美子が笑顔で返します。このふたりは、幼稚舎からの付き合いです。
「きょうはアッくんは?」
「パパとママんとこ」
「持つべきものは親だね」

 留美子は大学を卒業後、アパレルの会社で企画を担当し、業績を上げてきました。そのすご腕を見込まれてヘッドハンティングされたネット通販の会社でさらに人脈を広げ、二股、三股、四股と、「カレシ行脚」の奔放な生活を続けていましたが、彼女のハートを射止めたのは、三十代にして自社を東証二部上場企業へと急成長させた若手実業家でした。ネットの広告代理店を運営するカレシはたびたびメディアに取り上げられ、一時は「ヒルズ族」の象徴的存在と謳われました。パーティーで出会ったふたりは忽ち意気投合し、その日のうちにベッドイン。翌月にはハワイでウェディングベルを鳴らしたのです。

「運命の人っているんだねえ。あたしはずっとずっとひとりで生きるのかと思ってたよ。みんなも結婚しな? ダンナくんっていいよお~」
 しかし、半年もしないうちにそのカレシは五股の「カノジョ行脚」をしていたことが判明したのです。
「男のくせに複数の女に手を出すなんてサイテーだよ!」

 普段は言いたい放題の私たちですが、そのときはグッと言葉を飲み込みました。

 留美子は妊娠二ヶ月目でしたが、母親になることに迷いはありませんでした。女手一つで育てると豪語していたものの、元ダンから毎月多額の養育費をもらって、この中でただひとり、悠々自適の生活を送っています。

「四歳だっけ?」
「やだなあ、誕生日忘れたの? まだ三歳と十ヶ月」
 ケータイ電話の写メを見せびらかしてきます。
「カワイイー!」

 みゆきが即座に反応します。私も黄色い声をあげて調子を合わせます。
「ねえねえ。うちのベビちゃんも見てよおー」
 ミスミも鼻に掛かった声でケータイの画像を差し出します。私は彼女の顎をプルプルと撫でます。友達にも甘えん坊な彼女がどうやって子育てをしているのか、まるっきり想像がつきませんでした。
「どれどれ。目元がそっくり」
「どっちにぃ?」
「井口くん」

 ミスミがズッコケます。井口くんとはミスミの元カレのことです。若くて誠実なところに魅かれたのですが、小さな躓きや誤解が重なって別れました。一緒に飲む機会も多く、お似合いのカップルだと思っていた私には、二人の破局がとても残念でした。しかしミスミはすぐに次の相手を見つけて即ご懐妊。「ホントに新しい男の子供? 井口くんじゃなくて?」と気を揉みましたがミスミは「女はわかるんだよ」と確信を持って出産。今はパートをしながら、幸せな家庭生活を築いています。ちなみに井口くんは、今もエレベーターの会社で働いていると人づてに聞きました。
「こっちも見て見て見て」
「すっごくカワイイー。いいじゃんいいじゃん。マジでカワイイぃー」

 私は上擦った声を出します。深く考える必要はありません。この場では条件反射的に「カワイイ」という賛辞が望まれているからです。それ以外の言葉を口にしようものなら、長年の友情にも一瞬で罅が入ります。それにもし、「子供など好きではない」などと本音を漏らしたら、「母親の愛情を受けて育ってこなかったのだ」と決めつけられ、「母性喪失」といった、聞いた風なレッテルを貼られるのがオチです。さもなければ、「慈愛の化身」とやらが、上から目線で、「産んだら変わるよ」などと、ありきたりな人生訓を投げつけてきます。だから私は、私にだけわかるように、片頬にのみ笑みを浮かべるのです。

「ホント、超カワイイねー」
「やっぱ子供はいいよ~。人生観変わるわあ」
 悪気はないのです。わかっています。


「競争」という言葉が男たちのためだけに存在していた時代は、およそ四十年前に終わりを告げました。「競争」はむしろ、女にこそぴったり適応しました。肉を奪い合う野犬の群れは、雄よりも雌のほうが似合っていたのではないでしょうか。それを本能的に察知して、むかしの男たちは女たちを、厳しい戒律で縛り付けてきたのだと思います。

結婚して家庭に入ったが、子供はいない女性。
結婚して家庭に入った後、子供を産んだ女性。
結婚した後も子供は産まず、働く女性。
結婚した後も子供を産んで、働く女性。
結婚した後も子供を産んで、育てた後に再び働く女性。
結婚して子供を産んだ後も働いていたが離婚した女性。
結婚しないで子供を産んだ女性。

子供がいるのといないのとでは、女には大きな違いが出ます。

シングルマザーと、家で夫を待ちながら子供を育てている女と、子なしの専業主婦の間にどれだけの断絶が横たわっているか、男たちには理解できないでしょう。

しかも、子供がいる女の間でも、そこに子供の性別、子供の数、親の年齢と実家の距離で、微妙に、しかし大きな差が生じます。

男とは比べものにならないほどの差異。そして、細分化された「女」のバリエーション。女性誌やブランドだけでもわかってもらえると思います。

高校時代は同じクラスで同じアイドルを応援し、同じ少女マンガを読んできました。しかし時は経ち、個々の状況が変わると、どの価値観に自らを見出すかで、残酷なまでに優劣はついていった。景気が停滞化し、格差が広がると、この頃から数年後ではなかったでしょうか。勝ち組と負け組という、社会的不平等の開きを事実上容認する言葉が生まれたのは。

男はすぐにあきらめますが、女は常に、「自分だけは損をしたくない」と思っています。

 女は欲張りなのです。男が考えるより、ずっと。
女は、女の体の構造がそうであるように、誰しも欲望の深き穴を持っているのではないでしょうか。


私は少し口を閉じてみんなの言葉に耳を傾けてみます。
それぞれが、それぞれの立場からポジショントークを語って自分の優位性を証明しようとします。しかし当然話はある種の平行線を辿って、以前のように「わかるわかる!」と芯から共感しあうことはありません。それは私だけでなく、口に出さずともみんな感じていたはずです。学生だった頃とは、大きく変わってしまったことを。そしてもう戻れはしないということを。
 ぼんやりしていたところに、みゆきのケータイが鳴りました。

「え、横山ファックが死んだ!? すぐ戻ります!」
 みゆきの表情が親友の顔から仕事のそれへと変わりました。
「ごめん、むかしのタレント知事が死んだって言うから今すぐ大阪に飛ぶわ」
 みゆきの顔に、「あなたたちと違うの」と書いてありました。私だけでなく、留美子とミスミにも読めたはずです。

「あたしも行くわ。うちの子泣いてると思うから」
「ダンナくんからメール来てたあー」
 みんなして、会がお開きになるタイミングができて、安堵していました。割り勘にしようとすると、いちばん金のある女がカードを取り出しました。素直な心で「ごちそうさま」と言えない私は、どこか敗北感を抱いているのでしょうか。
こうして以前は朝が来るまで一緒に笑い合っていた私たちは、陽が傾く前に早々と解散しました。


ひとりでタイムサービスの服を選んで、ひとりでスーパーの値引き惣菜を買って、ひとりの家に帰る。その間、いろんなことを考えました。

ミスミも留美子も子供を迎えにまっすぐ実家に帰ると言っていましたが、きっとどこかで寄り道をして、買い物でもしているはず。店でばったり会うと気まずいなあと思うものの、久し振りに子供の手が離れているため自由を満喫したいでしょう。学生の頃はイヤだったのに、この歳になると、通りすがりの男たちに振り返られてもいい。声ぐらい掛けられてみたいと思う。何を期待しているのか、自分でもわからなくなる。そうした由無しごとが取り留めもなく頭の中で思いついては消えていきます。

みゆきの颯爽とした身のこなしが瞼に浮かびます。私の働いている姿は、あんなにカッコ良くはないだろう。ちくしょーせっかくの休みも人をこき使いやがってと、言葉とは裏腹に、彼女はキラキラ輝いていました。

「ママ友」「公園デビュー」「キャリアアップ」「通勤服」「着回し」「お稽古事」「ヨガ教室」「千円ランチ」「ブログ」「ネコ」「無印」「PRADA」「あっちの親」……。使う単語が、そのままその人の現在地を言い表します。みんな小さな愚痴を零しながらも、自分の幸せを疑ったことがないように見えます。いや、疑いたくないのです。自分が考えたわけではない、誰かが作った幸せの鋳型に自分自身を流し込んでいることを、現実主義者の私たち女は気づかなくていい。だけどやっぱり彼女たちが語る幸せは、どこかで見た、手垢が付いたものだと思ってしまう。ネットで、テレビで、誰かが得意げに使っていた言葉。
――「自分らしいライフスタイル」。

なんてことはない。愛と幸福さえ誰かの模倣だ。パクリなのだ。

 私はなおもいろんなことを考える。
 ……「いろんなこと」? 
 全然狭い、半径三メートルの世界じゃないか。
だけど否定できないリアルに、押し潰されそうになる。
 歩きながら私はどこかで鳴り響く非情の音に耳を傾けていましたが、それは自分の靴音でした。どこにも辿りつけないような、そんな気がしました。


〝「中国・龍(ドラゴン)という名のおいしいミネラルウォーター」〟
〝富士山より高い山、九頂山(四九八四メートル)から汲み上げました〟
〝中国四千年の秘境水、日本初上陸〟
ブースの壁面パネルに、商品名とセールスポイントをまとめたコピーがライトアップされて、通りすがりの人たちの目に留まります。

 着ぐるみのドラゴンとイベントコンパニオンが、「龍の水」五〇〇ミリペットボトルを、熱々のひと口餃子とセットで配ります。コンパニオンの女の子にはチャイナドレスを着せることも検討しましたが、逆にやりすぎ感が出るためやめました。

 他のブースでは、豊かな自然のイメージ映像を流したり、レアなノベルティを配布したり、自然保護団体のバックアップを受けた文化人がスピーチをしたりして賑わいを見せています。東京ビッグサイトで開幕したミネラルウォーターのフェアは、初日から二万人の来場者を動員するほどの盛況ぶりでした。

「九頂山から龍門山脈の岩層まで、ゆっくりと時間をかけて濾過された水なので、天然ミネラルを多く含み、肌にもやさしい弱アルカリ性です。まろやかな水の味わいがお口いっぱいに広がります」
フェアにあたり、国際基準をパスさせた「龍の水」の成分表を、具体的な問い合わせを求めてきた企業に対してブリーフィングします。

「日中友好の懸け橋を記念して、一本に付き一円の売り上げを自然保護団体に寄付するキャンペーンはいかがでしょうか。世界では清潔な飲み水がないため、八秒にひとりずつ子供たちが命を落としています。その子供たちのために井戸を掘るプロジェクトです。こうした慈善活動は企業のイメージアップを図り、すでにヨーロッパでは消費者から広く賛同を得ています。きっと日本でも受け入れられるでしょう」

ここで言う慈善と偽善は同義語です。もっともらしく聞こえるかが重要なのです。私と牧野をはじめとしたチームは、上々の感触を得ました。

「いやあー、会場のどこに行ってもドラゴンの水の話で持ちきりですよー。これなら会期が終わるまでに契約を結べるんじゃないですかねえ」
 萩山田が張さんにおべっかを使います。張さんもニコニコと頷きます。
私も手が空くと飲茶を配る手伝いをしました。

「ありがとう」
粘り気のあるその声が耳に届くまで、男が眼前にいたことに気づきませんでした。
「お疲れ様。頑張ってるネ。小さい会社に移っても」
 私が以前在籍していた代理店の上司、麦旗でした。
「元気そうで良かった。若返ったんじゃないか」
 そう言って顔中を皺くちゃにします。五年ぶりに麦旗の微笑を見ました。

「クライアントからいい水がないかと訊かれてね。まさかここでキミと会えるとは思いもしなかった」
 作り物めいた白い歯が零れます。かつては狂おしいほど欲した男は幾星霜を経て、ただの中年男に変わり果てていました。いや、初めて出会ったときからつまらない男だったのに、あの頃の私の目は曇っていたのでしょう。幸せにはなれないと知りながら、衝動に駆られた私は、妻のいる男と愛欲に溺れました。男からすれば、「欲」しかなかったのに。

「きみがいるなら明日も顔を出そうかな。久しぶりにメシでも食おう。番号は変わってないだろ? きみの好きなクリュッグ・ヴィンテージを用意しよくヨ」
 ウインクを残して麦旗は去っていきました。
「浅木さん」
 振り返ると、牧野くんが心配そうな顔をして立っています。
「大丈夫。何でもないから」
 私はぎこちない笑顔を作って、来場者に水を配りました。


 夜は張さんのお誘いで、チームのみんなとディナーに行きました。お店は日本に初出展したばかりのBotanica。この年オープンした東京ミッドタウンにある人気のイタリアンで、予約を取るのは難しいはずが、張さんがコネクションを使って押さえてくれたのです。ガーデンテラスを囲む私たちに、帆立貝の燻製とフルーツサラダを添えた前菜が並びます。見目にも美味しい料理に、チーム最年少の涼子ちゃんは声を弾ませていました。

「前祝いといきますか。ドラゴンの水、カンパーイ!」
 私たちはシャンパンで景気づけをしました。
「きょうは何がウケたって、ドラゴンのあの被り物ですよ。中国チームにデザインをまかせて正解でした。カッコいいしポップだし、クリエイティブここにありき、みたいな。でももうちょっとクビを動かしたり、尻尾を振ったりすると愛嬌が出るんだがな」
「……あれが限界っス」

 萩山田の無理なリクエストに対して、着ぐるみの中に一日入っていた若い男性社員が溜め息をつきます。笑い声がどっとあがりました。みんな楽しそうです。しかし私の頭の中では、昼間会った麦旗の顔がちらついて離れません。

「萩山田部長、コレどうやって食べるんですかー」
「涼子クン、フォアグラのソテーはねー、こうして生ウニと一緒にだねえ」
 張さんや牧野くんもアルコールが入ったせいか、屈託のないおしゃべりで、和やかな雰囲気に包まれます。だけど私は心をどこかに置き去りにしていました。

 私は洗面所の鏡の前に立ちました。でもいくら見つめたところで、そこに答えなど書いてありません。テラスに戻る途中、張さんとすれ違いました。いま振り返ってみると、彼が私の名前を呼んだのは、あのときが初めてでした。その顔からいつもの笑みは消えて、シリアスな表情を纏っていました。

「浅木さん」
 張さんの少しもじもじとした、少年のような顔を、今でもはっきりと思い出せます。
「この後、一杯いかがですか。ふたりだけで」


 夜は深まりを増し、新しい日付をとうに過ぎた頃、私と張さんはショットバーに並んで座ります。カウンター越しにバーテンダーが注いだニューヨークを唇に当て、バーボンとライムとグレナデン・シロップが喉の奥を通ります。照明が暗いおかげで、赤く火照った頬を見られなくてよかったと思いました。

 私たちの他にも男女ふたりのお客が何組かいて、ドラマに出てきそうな訳ありカップルのように映ります。ほんの数年前まで、私もそのひとりでした。彼らを眺めていると、人間が闇に潜む生き物のように見え、そして当の自分の中にも、巣食う怪物がまだ生きているのだと感じました。

「何かあったら絶対僕を呼ぶんだよ。あいつが部屋のカギとか差し出してきたら殴っていいんだからね。なんなら僕が代わりにやってやろうか。あー心配心配。こっそり付いていこうかな」

 張さんからバーに誘われたことを、牧野くんにだけは話しておいたのですが、よほど気がかりなのか、十五分ごとにメールが届きました。正直、悪い気はしませんでした。

「一度浅木さんとゆっくり、お酒を飲んでみたかったのです」

 張さんは自分のことや今後の中国経済について話していましたが、それよりもっと、私について聞きたがりました。他人から見たら、これから恋を始める男女のように見えたでしょう。私は少女のように恥らって、薄く切ったライムのスライスに視線を落としていました。

「張さんの御母様は日本人なんですよね。御父様のどこに魅かれたのでしょう」
 彼が前髪を掻くと、広い額が現れて、それはそのまま張さんの知性や教養を感じさせました。なぜ彼に対してここまで好意的に解釈できるのか、そのときすでに、私にはわかっていました。メールを受信するたび、ケータイが振動します。私は電源を切りました。
「父の一目惚れと聞いています。母はテレビ局に勤務していて、文化大革命についてのノンフィクション番組を作るために中国を訪れたのデス。それが彼女の運のつきでした。慣れない異国に来て、わざわざ苦労をしに嫁いだようなものデス」

 言葉とは裏腹に、彼の目尻は下がっています。
「お父さまとお母さまはいまも仲がよろしいんですか」
張さんのハイボールの氷がグラスのなかで転がります。彼の笑みは、その告白の後も続きました。
「親父は健在デス。母は死にました。九十五年の、大洋航空機の乗客でした」



 有明ビッグサイトは黒山の人だかりで、ごった返していました。「龍の水」のブースにたくさんの人たちが詰めかけます。しかしそれは商社や飲料メーカーの方たちではなく、カメラとマイクを持った報道陣が、色めき立った目で私たちに群がりました。
 覚えていますか、当時、石景山遊楽園の騒動があったことを。石景山と言ってわからなくても、「中国のパクリ遊園地」と聞けば、みなさんの記憶に残っているのではないでしょうか。そうです、ミッキーマウスやドナルドダックといったディズニーのキャラクターに、セーラームーンやとっとこハム太郎、幽遊白書にエヴァンゲリオンなど、日本のアニメと瓜二つの着ぐるみやグッズで溢れ返った、中国最大のテーマパークのことです。知的財産権や著作権の概念がない中国のシンボル的存在として、日本でも数多のメディアで面白おかしく報道されました。

 特にテレビはワイドショーだけでなく、プライムタイムのニュース番組でも、連日大きく取り上げていました。中国人の粗暴さや無知をあげつらうことで、追い抜かされそうな日本人の不安を解消するカラクリでした。マスコミは「問題なのは石景山遊楽園だけではない」と、中国製のコピー商品を次々と見つけてきては、「あいつら中国人は本当にどうしようもない連中だ」と喧伝しました。そして次の生贄として、私たちが選ばれたのです。

 まったくもって迂闊でした。中国チームがデザインしたドラゴンの着ぐるみが、当時人気のあった日本のアニメに出てくるドラゴンにそっくりだという指摘を受けたのです。子供向けのアニメやマンガに明るくない、私たちの大きなミスでした。張さんも気が付かなかったようです。前夜から問い合わせの電話があったため、急いで着ぐるみを引っ込めたのですが、翌日駆け付けたマスコミがそれで納得するわけもなく、「偽物ドラゴンを出せ」と殺到したのです。

「おしまいだ。もう、おしまいだ」
 控室で、頭を抱えていた萩山田は、突然顔を起こしたかと思うと、
「牧野! おまえはいったい何をやっていたんだ! どうしてあれがパクリだと気付かなかったんだ! バカバカバカ! 浅木! おまえもおまえだ! 細心の注意を払って仕事をしろといつも言っているだろう! おまえら脇が甘いよ! 激甘だよ!」

目を真っ赤にして喚き立てました。手柄はすべて自分のもの、失敗はすべて部下のせいにする、実に萩山田らしい振る舞いに、涼子ちゃんが目に涙を浮かべていました。
「これだから中国は……」
 罰の悪い顔をした張さんにお構いなく、萩山田の愚痴は止まるところを知りません。差別的発言が出る前に、私は提案しました。
「とにかくこのままじゃマスコミは帰らないでしょうから、何かしらの事情を説明したほうがいいと思います」

 急いで牧野くんとプレスリリースを作成しました。今回の騒動が意図的ではないこと、しかし責任は自分たちにあり、世間を騒がせて申し訳ないといった弁解と謝罪の言葉を散りばめた用紙を大量に刷りました。
「これを配ったところで、連中は納得しないだろうな」

 牧野くんのつぶやきに私も頷きます。張さんが近付いてきました。さすがにその顔から笑みは消え失せています。
「私も行きます。みなさんに頭を下げたいデス」
 私は小さく首を横に振りました。
「いま出て行ったら、飛んで火にいる何とやら、ですよ」

 張さんは私の目を見つめます。時が止まったかのように思えました。
「すいません」
 張さんは、瞼を閉じて、頭を下げます。私と牧野くんは、いってきますと控室を後にしました。

 ドアを開けた途端、マスコミがわっと群がってきました。「ハイエナ」という比喩を、身を持って知った瞬間でした。しかしこんなときも、打算と妥協の愛想笑いを忘れてはいけません。プレスリリースを求める群れの中に、ひと際目立つ女性がいます。怪しげに輝く瞳と、あざとさが滲み出る頬。せっかくの美貌を台無しにして、マイクをまるで鋭利な凶器のように、こちらへと突き立ててきました。目があったとき、その唇から赤い舌がちらりと見えました。彼女にとってあれは笑ったつもりだったのかもしれませんが、私には獲物を捕らえた冷徹な獣のように映りました。

「こんな紙切れでは騙されませんよ。ひとことお聞かせ願います。日本で〝中国のパクリ水〟を売り込むことに、良心の呵責はないのですか?」
 みゆきの整形した顎が、上下に動きました。



「ヒドくなーい? 留守電に何件も吹き込んだのに、返事一本寄こさないなんて」
 裏口からこっそりと出た私を、聞き覚えのある声が呼び止めました。振り向かなくても、彼女だということはわかっていました。

「ペットボトルのラベルにも、パクリドラゴンのイラストが入ってたじゃん? あれはいいよ、こっちで入手したから。それより着ぐるみはどこに隠したの? あんたと私の仲じゃない。こっそり出してよ。私も手ぶらじゃ帰れないし」

 白のスーツに、ミニスカートから細くて長い脚が伸びています。このプロポーションを維持するために、五年前から炭水化物を断っているそうです。私は意図せず溜め息をつきました。みゆきの射るような眼差しに、一歩も引き下がるつもりなどないことがわかったからです。

「……あれ、テレビで流すんだよね?」
「仕事だから」
 ぴしゃりと、差し出した手を叩くような声でした。
「曜子、別にあんたの名前を出して、局をあげて糾弾しようってわけじゃないんだよ。あんたもどうせ仕事でしょ? フェアならあしたで終わりだし、だったらいいじゃん。もともとあんたは私に大きな借りが――」
「まだそんなこと言ってるの!」
「忘れた、とは言わせないよ」
「……やっぱり根に持っていたんだ」

 女子大生の頃のことです。私はみゆきの彼氏を奪いました。正確に言えば、みゆきの彼氏が私と二股をかけようとしたのです。私は男に、「みゆきは友達だから、その友達から奪うような形で付き合いたくない」と断りました。しかし男は執拗に食い下がり、みゆきとは別れると言い、その通りにしたのです。男と付き合った三ヶ月、私とみゆきは当然疎遠になりましたが、私が男の身勝手さに呆れて別れると、みゆきに謝りに行きました。

「もういいよ。気にしないでいいから。忘れよ? お互い、あんな男と別れて正解だったと思わない? 口先だけでヘタクソだったし。やっぱり恋愛より友情だよね。私たち、今回のことで学んだね」

そんな言葉を当の本人から聞いても真に受けてはいけない、特に相手が女なら尚更のことだと、その歳になって私はようやく恋の教訓とやらを知った気になりました。

「私は曜子のお姉さ~ん、バカな男のおかげでぇ、友情が深まりました~」
 ふたりで飲んで、みゆきはそうおどけたこともありました。でも彼女は私を許してなどいなかったのです。
「社会に出たら変わったでしょ。恋愛より仕事。仕事より友情を優先しなよ」
 みゆきの顎が、くいっと持ち上がりました。
「どうして……」

 言葉がうまく続きませんでした。しかし私には、泣きわめく資格などないことを、わかっていました。
「みゆきって、こんな人だったっけ?」
 思わず口からついて出た言葉でしたが、みゆきは過剰に反応しました。

「それ、どういう意味? 〝こんな仕事〟をしているから〝こんな人〟になったってこと? 私だって〝こんな仕事〟をしたかったわけじゃないよ。盲目のピアニストとデキて、そいつが私よりずっとずっとずっとブスな友達に手を出して、フラれた私は自信を無くした。

カメラの前で笑えなくなった。だけどカメラの後ろに立つと、それまであっち側にいた人間を遠慮なく嗤うことができた。あんたの前でだけは、私は精いっぱいの虚勢を張った。〝男を盗られた腹いせに友達関係を断つ〟なんて、私の中ではありえない。あんたから私にさよならしないかぎり、絶対にありえない! 
あんたがいなかったら、〝こんな仕事〟をしないで済んだ。だけどそれでも、芸能人を追い回すようなことはやりたくなくて、社会派の事件だけにしてくれって事務所とスタッフにはお願いしている。これでも一線を引いているんだ。〝こんな仕事〟でも、私の矜持なんだ……!」

血を吐くような叫びとともに、みゆきの肩が揺れていました。彼女の口から紅蓮の炎が見えました。この怨みの礫を私の顔に投げつけるまで、みゆきはどれだけの耐え難きを耐えてきたでしょう。降りやまない雨の中をじっと立ち尽くして、私が呼べば手は振るものの、心の中では呪詛を唱え続けてきた。それは如何ばかりの辛苦の日々であったか。加害者である私がわかると言ったら、嘘になるでしょう。

一度外れた理性の軌道(レール)を、元に戻す術はありませんでした。

「みんな私に対して腹に一物持っているんだ。わかってたよそんなこと! いちばん付き合いの古い留美子が、私がいないところでいちばん悪口を言い触らしている。〝みゆきが仕事ばかりしているのは子供が産めないから。あの子、中学の頃から堕ろしてばっかいたから〟。否定はしないよ。親も知らない秘密を、あの子が率先して触れ回っているんだ。〝ここだけの話だからね〟って、人がわざわざいちばん言い触らしたくなる常套句を付けて!」

 私の脳裏に浮かんできます。確かにランチの時間、留美子は私とミスミにも、同じ慣用句を先に付けてから、嬉々として話し出しました。

留美子がトイレに立つと、ミスミはぽつりと漏らしました。後にも先にも、ミスミの丸い顔が能面のように見えたのは、あのとき一度きりです。

「曜子さ、留美子のダンナが破綻したとき、大丈夫?って心配していたけど、ホントは嬉しかったんじゃない? ホッとしたんじゃない? 友達が自分より幸せにならなくてよかったって。私はしたよ! 私はした! 嬉しかった!」

 何も言い返せなかったのはたぶん、いや間違いなく、みゆきも同じように感じていたのだと知ってしまったせいでしょう。私はその場に立っているだけで精いっぱいでした。
 真っ赤な目を吊り上げ、角を立ち、大きな口で吼えるみゆき。
その異貌は、猛り狂う龍そのものでした。


 暗い帰り道、私は堪えきれずに電話を手に取っていました。しかしいくらかけても、留美子は電話に出ません。耳にあてた携帯電話からは、無機質な呼び出し音しかしない。気づかないふりをしているのではない。これは意図的なものだ。私と口を利きたくないのだと直感しました。次にミスミにかけてみます。何コールしてからでしょう、彼女はいつものおっとりした声で出ました。遭難しかけたところで灯が見えた私は、携帯電話を命綱のようにきつく握りしめていました。

「もしもし、ミスミ? こんな時間にごめんね。迷惑だったかな」
少しの間がありました。
「メーワクだお」
 起伏のない声でした。だけど私の心を震わせるには十分でした。

「ウチはベビちゃんがいるの。疲れたダンナくんが帰ってきて、ご飯を食べさせて、それから明日の用意をしなくちゃいけないのお」
いつもの甘えた声がこんなに怖く感じたことはありませんでした。
「ごめんね切る」
「切るな」

 背筋に冷たいものが走ります。

「いい機会だから言っておくね。どうせ覚えていないだろうけど、こないだ私が、ここ、ちょっと高くない? 次からは別の店がいいなって言ったとき、曜子、自分がどんな顔をしてたか知ってる? なんだこの子、お金ないのかって、顔に書いてあったお。家のためにローンを組んだ女の気持ちなんか、曜子は知ったこっちゃないよね。気楽なひとり暮らしで、専業主婦を見下している曜子には」

 どうして女という生き物は、人の心の奥底を見透かしては、そのときは笑って何もなかったようなふりをするのがうまいのでしょう。私も含めて。

「こないだ、ベビちゃんが井口くんに似ているって言ってたよね。ねえ、私がなんで井口くんと別れて、今のダンナくんにしたかわかる? どうしてすぐに子供を作ったか。わからないなんて、言わせないお」
 私の足が止まります。いよいよもって帰り道は、暗闇の度合いを深めていました。

「曜子、あんた、井口くんと付き合っていたんでしょお?」
 目を開けながらにして、完全な闇が訪れました。

「みゆきのときもそうだった。あんたは人のものほど欲しがる。だから不倫もやるんだお。私は心に誓った。次は盗られない。そのためには、すぐに子供を作ることだ。既成事実が必要だ。あんたの目の前で、あんたより幸せになって、あんたを見返してやる。そのためには自分から先に友達ごっこの輪から降りたりはしない。したたかに、しなやかに、じわじわと、自分が負け犬なんだと気付かせてやる。あんたの人生を全否定してやる。なのにあんたはどこまでも鈍感だった。ベビちゃんの写メを見せても、可愛いと口先ばかりの反応をしながら、表情ひとつ変えなかった。私はあのとき思った。いきなり終えるのは、今がいいって」

電話を切る直前、受話器の向こうでミスミを呼ぶ声がしました。ミスミは、はーいといつもの鼻声に戻りました。
「気付いてたと思うけど、私、あのなかで、あんたがいちばん嫌いだった。じゃあね」


 まぶしい陽光が降り注ぐ中、開場前から東京ビッグサイトのゲートの前は、黒山の人だかりができていました。コートを脇に抱えたビジネスマンが、パンフレットを団扇代わりにして扇いでいます。五月も半ばを過ぎて、新しい季節はすぐそこまで来ていました。
ミネラルウォーターのフェアは盛況のまま最終日を迎えました。前日ほどではないにせよ、「龍の水」目当ての報道陣が駆け付けている様子でしたが、その中にみゆきの姿は見当たりませんでした。

「浅木さん、無理しちゃダメだよ」
控え室で牧野くんが声をかけてくれます。私は前日から一睡もできない状態でした。とりあえず白い歯を零して返しましたが、目の下にできた疲労の隈もすべて、彼にはお見通しのようでした。

 萩山田は「中国パクリ水、国際水市で大パニック」と書かれたスポーツ新聞に目を血走らせています。正確に伝えることより、大袈裟に見せるのがマスコミの仕事です。それに世間の人からしたら、自分には直接関係のないことです。気にしすぎないことです。それでもチームの頭上に不安げな雲が立ち込めるのを見て、牧野くんが大きな声で晴らそうとしました。
「きょうも連中がたくさん来ているけど、ヘンに気後れすることはないから」

 だけどその呼びかけに荻山田だけでなく、張さんまで腕組みをしたまま、唇を弱々しい真一文字で結んでいます。
「コンパニオンもなしで、私たちだけで飲茶を配りましょう」
「あの……」
 涼子ちゃんが遠慮がちに声をかけます。

「実は……予備にデザインしていたドラゴンの着ぐるみがあるんです」
「え。ひょっとしたら……誤発注?」
 涼子ちゃんは、力なく首を縦に振ります。ここぞとばかりに萩山田が責めにかかります。

「カアーっ、何やってんだよ涼子クン。予算をそんなことで無駄遣いしちゃダメだろ。だいたいきみはいつも――」
「いまあるかな? ちょっと見せてよ」
 涼子ちゃんは大きなバッグからそれを取り出しました。
「これは……!」
 私たちは机の上に広げた着ぐるみを取り囲みました。キラキラと円らな瞳に、端然として美しいヒゲ。赤くて丸い舌が、ペロッと口から出ています。ユーモラスで、チャーミングなドラゴンでした。

「これ、誰がデザインしたの?」
 涼子ちゃんはおずおずと手をあげます。驚きの声があがります。
「ダメダメ。中国のパクリ遊園地のときと同じだ。余計な――」

「やりますか。せっかくマスコミが大勢来て注目しているんだ、逆に利用してやろうよ。何を言われたっていいじゃない。〝ヒンシュクは金を出してでも買え〟の精神だな。ねえ、張さん」
 話を振られた張さんが、慌てて頷きます。

「涼子ちゃんのおっちょこちょいがいい方向に出たね。今度こういうことがあったら正直に発注ミスとか言わないで、〝こんなこともあろうかと思って用意しときました〟って、どや顔で出すといいよ」
 普段から頼りになる牧野くんですが、この日はいっそう見直しました。涼子ちゃんが、上目勝ちに応えました。


「龍の水」のブース中央にそれが現れると、詰めかけていたマスコミが一斉に沸き返りました。頭から羽織っていたガウンを取ると、涼子ちゃんがデザインした龍の着ぐるみが姿を現しました。報道陣はわけもわからずといった感じでシャッターを切ります。

「なんだこりゃ」
「違うだろ、これじゃねえよ」
「俺たちが欲しいのはパクリドラゴンだよ! いんちきドラゴンを出せ!」

 出ばなこそ呆気に取られていた彼らが俄かに殺気立ちます。袖で見ていた私たちは、火に油を注ぐかたちになったと一瞬焦りましたが、報道陣の不満や怒りを吹き飛ばしたのは、ほかならぬ二代目ドラゴンでした。

 かくかくとした動きを見せたかと思うと、短い手足を器用に動かしてブレイクダンスを始めたのです。エントリーからフロア、果ては床に背中をつけたままぐるぐると回る、パワームーブを楽々とキメます。長い尻尾を胸のほうに持ってきて、怪しげな腰つきとコミカルな動作で笑いを取ると、報道陣の怒声が止みます。他の来場者からもやんやの喝采があがります。萩山田が両手を振り上げて喜びます。

「はじめからこっちのドラゴンを出しておけばよかったな!」
「いいんですよ、これで」
 萩山田と牧野のやりとりの隣で私はハッとします。
「ねえ牧野くん、あの中、ドラゴンの着ぐるみの中には誰が入ってるの」
「あれ。そういえば」

 涼子ちゃんや、他の若手の子たちとともに顔を見合わせます。このチームで、ひとりだけ今この場にいない人の存在に気づきます。
「ま、まさか」
「ウっソ……!」

 盛り上がるうちに自然とできていった手拍子に合わせて、ドラゴンが、着ぐるみと思えないほどのフットワークを次々と披露します。倒立してからヘッドスピンで、コマのように高速回転をキメたかと思うと、軽い身のこなしで体を逆さにして、左手一本で一、二秒間制止しました。マックスという高難度の技でした。常人では到底マネのできないハイスキルなブレイクダンスに、会場中が魅了されました。

 みんなして驚きすぎて言葉が出ない中、萩山田が賛辞の声を絞り出します。
「さすが、雑技団の国だ……!」


 素材となる絵を撮り終えて報道陣の一行が帰った後、控室に戻ってきたドラゴンを私たちは、割れんばかりの拍手で迎えました。被り物を取るとやはり、満面の笑みの張さんです。久し振りに彼の気持ちのいい笑顔を見た気がしました。

「凄かったです! 敵だったマスコミが歓声を上げて、味方に回りましたよ!」
「張さん、あんた漢(おとこ)だ! シェイシェイ! シェイシェイ!」
 萩山田が両手で張さんに握手を求めます。張さんは照れ笑いを浮かべると、神妙な声で答えました。
「元はと言えば、私のせいデス。みなさんに迷惑をかけましたから、こうして少しでもお詫びをしたかった。むかしから頭は悪いけど、体操には自信があったので」

 いつもの水平に揃えた前髪が、着ぐるみを被っていたせいで、オールバックになっています。意外と男前なのだとわかりました。

「こう見えても私は叩き上げの男デス。これぐらいのことはやらせて頂きます」
 胸にこみ上げてくるものがありました。社会に出てキャリアを重ねていくうち、私の中で下落していくばかりの男の評価がこの日はぐんとあがりました。牧野くんと張さんの頑張りにより、男の良さを見直す日になるはずでした。ここまでは。

「大変な騒ぎだったね。心配したヨ」
 ブースに戻った私に、麦旗が声をかけました。にやけたその顔を見ていると、苦い感情が甦ってきます。
 この男は部下の私が仕事でミスをしても、助けの手を差し出したことはありませんでした。いつも嵐が過ぎ去った後に、何事もなかったような顔で、安全地帯からノコノコと姿を現した。今回の対岸の火事を、もっとも楽しんだ一人でしょう。


 きっかけは、小さなしくじりでした。それがいつの間にか他の不手際や失態まで押し付けられて、会社に居づらくなりました。女が面目を保つ辞め方はふたつしかありません。寿か留学です。私には後者しかなかった。中国を選んだのは、これからめざましい経済発展を遂げていくことが見込まれた国だったから。その国の語学を身に付けることで捲土重来(リベンジ)を図りたかった。たまに日本にいる親から電話が掛かってきましたが、私がコレクトコールを受けなくなると、実家からの連絡は途絶えました。

 寂しくなどない。私には希望がある。拓けた未来がある。そう言い聞かせても、受信フォルダを何度もクリックする自分がいた。二、三日返信がないだけで、日本にいたときは仲のいい振りをしていたが、相手にとって自分はどうでもいい存在なのだと思い込んだ。
中国に渡っていながら、それでも心のどこかで逃げ場所と捉えていた私の胸を貫いたのは、かつての同僚から送られてきた一本の匿名メールでした。そこには、麦旗が私との関係を解消したくて、責任を押し付け、辞めさせる方向に持っていったと書かれていた。

 そこでようやく、覚悟が決まりました。

 自分は生まれ育った街から遠く離れた地に流れついた。誰もこれまでの私を知らない。だけどここにいれば、会社の自分でも、友人の自分でも、親の娘である自分でもない。本当の自分を一から作り直すことができる。模倣ではない、オリジナルの自分に。

 しかし帰国してみれば慢性的な不景気により、以前より高給の会社に再就職することなど夢のまた夢と知りました。華やかに返り咲く自分の予想図は脆くも崩れて、今の勤め先にどうにか潜り込みました。それでも私は歯を食い縛るような気持ちで頑張ってきました。たとえ親友だと思っていた相手から、「人のものを欲しがる性悪」と罵られようとも。

 そして私の眼前には再び、男というだけで出世してきた卑怯者がいました。反省の色もなく、懺悔の値打ちもない下衆が――。

「〝龍の水〟は本来ウチで扱ってもおかしくなかったビッグビジネス。きみの今いる会社では対応しきれないだろうと思ってネ」
 人のものを欲しがる性癖は、この男譲りだろうかと勝手なことを考えていました。その一方で、閃くものがありました。

「あんたでしょう……? マスコミに今回のことを売ったのは……!」
 見る見るうちに眉間に皺を寄せていく私に、麦旗は肩を竦めます。わざとらしいポーズに苛々が募ります。手にしている「龍の水」を顔にかけてやりたい衝動に駆られました。だけど周りには知っている顔が多すぎました。代理店の世界では力関係が決まっていて、大きいところに歯向かったら最後、外注の受託業者は仕事を断たれます。ここまで苦労してきたのに、会社やチームのみんな、そして張さんを私怨に巻き込むわけにはいきませんでした。

「前日まであった企業の問い合わせも、この騒動でどこもキャンセルだろう。ウチにまかせてみたらどうかな。キリンやアサヒといった大手から出すのがいちばんいいと思わないかい? それにボクの一存で、浅木くんはこの仕事ごとウチに戻ることも可能なんだヨ。もちろんきみの出方と、ボクの気分次第だけどね」
 麦旗がにやりと頬を緩めます。卑猥な笑みは加齢とともに、醜悪さを増していました。

「ふたりで朝まで過ごした思い出のホテルに、きみの好きなクリュッグ・ヴィンテージを冷やしておくヨ。グラスはふたつで。どうする?」
全身が歯軋りしたような感覚に襲われます。
握りしめたボトルの水が、たぷんと揺れました。


 赤プリの三十九階から見える夜景は、左手にニューオータニ、正面に清水谷公園の暗い森と、私が日本を離れる前と少しも変わっていません。小波のように縒れたシーツに火照った身体で揺蕩いながら、小さな死から目覚めた私は、このホテルを設計した丹下健三デザインのソファに座る男に声をかけます。

「ねえ、何してるの」
 それでも彼は窓の下に広がる視界から目を離そうとしません。痺れを切らした私はベッドから出て、ガウンの背中にしがみ付きます。
「風邪を引くよ」
 彼はソファから立って、裸の私を自分の懐の中に引き込みます。私は後ろから抱きしめられながら、月明かりとイルミネーションがコラボした世界を見下ろします。
「きみと初めて結ばれた日の夜を目に焼き付けておこうと思った。……曜子さん、私はいま、とても幸せデス」


 すいません、話が急に変わってしまって。
 麦旗と向かい合う私にただならぬものを感じ取ったのか、気が付いたときには張さんがやってきて、憎たらしい奴の胸倉を掴んでいたのです。

「わ、暴力反対! 日中友好! 尖閣諸島は中国領土!」
 張さんに突き飛ばされた麦旗は無様に後ろへと転倒しました。
「……あ、ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げる私のほうを振り向いた張さんは、怒りと悲しみの混ざった表情から、ゆっくりと微笑に変わりました。あのとき、確実に何かが変わりました。誰かの模倣ではない笑顔を見たのは、無邪気だった子供のとき以来だったと思います。

 国際フェアの打ち上げの後に、私から張さんを誘いました。クライアントと寝るのは初めてではありませんでしたが、相手の社会的地位を頭に入れなかったのは、彼が最初で最後でした。私たちは何度も愛し合った後、汗で濡れた肌もそのままに、互いの寝物語に耳を傾けました。その中でもっとも印象強かったのは、彼のお母さんの話でした。

「日本人の母はそれまで築いてきたキャリアを棄てて中国人の父に嫁いだ。物心ついたときから、そう聞かされてきた。なのに息子の私から見ても、ふたりがどうして結婚したのかわからなかった。どこの国でも、長く過ごしてきた夫婦はそういうものかもしれないと思っていた。父と母の間に愛がないなんて、信じたくなかったのだろう。

九十五年、私が二十五歳のとき、大洋ジャンボ事故が起きた。あのアクシデントは乗客の命を奪い、残された者の心まで殺し、残酷な真実を突き付けることとなった。

 母にとって四半世紀ぶりの帰国になるはずだった。一旦生まれ故郷の大阪に着いて、東京に向かう飛行機で悲劇に見舞われた。ふたりの息子も手を離れて第二の人生が始まる、その矢先に。悲しみに暮れる私に父は、〝まだ許されていなかったのか〟と、溜め息まじりに呟いた。私はどういうことかと、事情を聴いた。

 母はノンフィクション番組のディレクターだったが、国の根幹を揺るがす大きな事実を突き当ててしまい、命を狙われるようになってしまった。命からがら日本を脱出して、取材対象者だった父と結婚した。父の一目惚れは本当かもしれない。だけど母は、父のことを愛してなどいなかった。父が政府高官だったから、結婚すれば自分に手出しができなくなると目論んで、いわばカモフラージュとして父と結ばれた。愛がなくても子供は作れる。それが私と弟です。その後、父は九十四年に退官したが、母も時効だと思っていたのだろうが、日本に帰った途端に、命を奪われた」

 あまりに重たい告白に、あれほど熱を発していた私の身体が、どんどん冷えていくのがわかりました。だけど張さんが、どうしても私に伝えたいと思って話しているのだと思うと、彼を抱きしめる手にぐっと力が入りました。

「母は東京で人に会う予定だった。それが誰かはわかりません。しかしその誰かも、もう生きてはいないだろう。彼女が日本に帰った理由、それはその人に、自分が二十五年前に掴んだ真実を伝えるためだったのではないかと私は睨んでいる。まだ間に合う、と母は父に言っていたそうだ。彼女は父にも詳しいことを話さなかった。自分以外の人間を巻き込みたくないと、母は生前よく言っていたそうだが……。

 あれから十二年が経った。今でも私の心は引き裂かれたままだ。母は、父を、私たちを、愛していなかったのではないかと考えると、目の前が暗くなる。それほど仲がいいようには見えないけれど、母は父を愛していたからこそ、何もかも投げ打って大陸に渡ってきたのだと信じていた。なのに本当のところは命が惜しくて、日本から高飛びするためだったなんて……。私は心に誓った。自分は、打算や逃げ場所ではなく、私を心から愛してくれる人と契りを交わしたいと」

張さんの横顔は、今にも目から涙が溢れそうなのを堪えているようでした。輝くような笑顔の人ほどその裏側に、悲しい過去を背負っているのかもしれません。でも私は、ありきたりな慰めの言葉しか持ち合わせていませんでした。

「そんなこと、ありえないと思う。はじめはそういう理由だったかもしれない。だけどお母さんは御父様のことを愛するようになっていった。あなたの弟さんも、あなたのことも」
 彼の視線は天井を向いたままで、私は寂しそうなその首元に顔を沈めました。


 二週間の休暇を取る前に、私はある人に伝えておこうと考えました。張さんから飛行機が墜落した話を聞いたばかりだったので、万が一という気持ちがあったのでしょう。朝の早い時間に出社すると、きょうも涼子ちゃんは愛らしい顔でスタッフの机を拭いて回っていました。

「ちょっといいかな」
私が声をかけると、彼女は目をくりくりとさせてこちらを向きます。会議室へと誘って、ずっと前から心に秘めていたアドバイスを彼女に打ち明けました。
「萩山田と、別れたほうがいいよ」
 彼女の目から、迸るものがあります。

「嫌われても構わない。だけど涼子ちゃんのことを思って言わせてもらうね。私は自分の体験からこれだけは言える。不倫をしていいことなんて一個もない。人のものを欲しがり続けても、心は虚ろなままだよ」
 私は彼女にハンドタオルを渡して、勝手なことを言ってごめんねと言い残して、会議室を後にしました。廊下には、私を待っていたのでしょう、牧野くんが立っていました。いつもと顔付きが違います。

「ウソだよね? あしたから、張さんの家に行くって」
 牧野くんは、置いて行かれる子供のような目をしていました。
「ごめんね」

 私はそこを去ります。これまでの人生で、立て続けに人に謝ったことがあっただろうかと、頭の隅っこで考えました。振り返ることはしませんでしたが、角を曲がるまで背中を見つめる彼が見えるようでした。牧野くんのおかげで、私はいい女を気取ることができました。

 そしてその日の午後、四川行きの旅客機に私は飛び乗りました。



 張さんの実家は郊外にある築三十年のマンションで、日本なら平均的なレベルなのでしょうが、中国では裕福な部類に入るようでした。彼のお父さんと弟は、長男が日本から連れてきた恋人を温かく迎えてくれました。とてもよく似た親子です。私は無理をせずに、白い歯を零すことができました。家に着いて最初に、仏壇に飾られた美しい女性の写真に手を合わせます。私は彼女の数奇な人生について、思いを巡らさずにはいられませんでした。

 九十五年の「史上最悪の航空機事故」が起きたとき、私は高校一年生でした。ニュースは連日事故後の経過を詳しく報道していましたが、乗客に身内や友人がいたわけではなかったし、テレビで遺族の悲痛な会見を見るのが忍びなくて、チャンネルを変えるか消していました。それだけに、あの事故で亡くなった人の子供と、まさかこうやって結び付くとは思いもしませんでした。

義母は五十三歳だったそうです。これから第二の人生が始まるはずだったのに、彼女の無念さは如何ばかりだったか。自分が十代だった頃、五十年も生きれば満足だと思っていましたが、この歳になるとまだ若かったのにと、実感としてわかるようになります。この家の人たちを見守ってあげて下さいと念じずにはいられず、つい手を合わせる時間が長くなりました。目を開くと、隣で親子三人が、同じように仏壇に祈りを捧げていました。

「ありがとう。曜子さん、ありがとう」
 お父さんはまるで菩薩を拝むように、私に何度も頭を下げます。分厚くて、ごつごつとした手を取ると、ぽつりぽつりと、滴が落ちました。
その夜は繁華街まで出て、大層なもてなしを受けました。お父さんはビールを数杯飲んだだけで顔が真っ赤になりましたが、私によく聞き取れるように話してくれました。

「年の割には老けているなと思いませんでしたか。こう見えてもむかしは自信満々で、野心家と呼ばれたのですよ。だけど歳を取るとだんだんわかるようになる。人が生きているうちに手にすることができる幸せは、せいぜい両手でいっぱいなのだと。私はそれを、妻の死から学びました」

「パパ、よしなよ。兄さんと陽子さん別れることになったら、僕たちは一生恨まれることになる」
弟さんが笑います。張さんにそっくりの笑顔でした。
会話に暗いものはありませんでしたが、女手がなく、何かと不便だろうと感じたので、次の日は私が家の中を掃除して、手料理を揮うことにしました。一度も日本に行ったことのない中国人に喜ばれる家庭料理とは何でしょう。カレーなら日持ちしますが、もう少し日本らしさが感じられて、野菜もしっかりと採れるようなものはないか、あれこれ考えました。

三人とも仕事だったので、私はひとりで大きなスーパーと市場を回って食材を吟味した後、ちらし寿司を作ることにしました。実家にいた頃、夏祭りの日に母がよく作ってくれたのでレシピは覚えていました。外食が多く、栄養も偏りがちでしょうが、これなら美味しく野菜が採れます。それに義母は日本人ですから、他の中国人と比べて、日本文化に触れる機会も多かったでしょうし、きっと喜んでくれるのではないかと思ったのです。

 中国とひと口に言っても、国土が広大なため、地方によって言語や食文化が大きく異なります。私が留学した上海は海に近いため、魚介類をふんだんに使ったごちそうが多かったのですが、四川は山だらけなので、麻婆豆腐や棒棒鶏にも、とりわけ山椒を多めに入れるのだと、市場のおばさんが教えてくれました。私はおばさんにお礼を言いました。

 張さんたちがタイミングよく同じ時間に帰ってきたのと同時に、団扇でぱたぱたと風を送った酢飯を、いい塩梅で冷ますことができました。

 テーブルに寿司桶を運びます。掛けていた手拭いを取ると、海老、蓮根、人参、さやえんどう、きざみ海苔、色取り取りの食材が目に鮮やかに飛び込んできて驚いてくれる、はずでした。

 三人は目を丸くして、口が利けない様子でした。さっきまで頬を緩めていたのも束の間、目の前にあるものが信じられないといった表情です。悪い意味で驚いています。恐る恐る訊ねてみました。

「ちらし寿司、嫌いだった? これは日本の料理で――」
「知ってる」
 張さんはちらし寿司に目を奪われたまま、ぽつりと呟きます。弟さんが続きます。
「大好きです。子供の頃から」
 お父さんは黙ったままでした。それから張さんが、やっとの思いでといった感じで、こう言ったのです。まったくの、予想外の言葉でした。
「母が、日本に行く前に、最後に作ってくれた料理だった」
 時が止まったような、気がしました。いいえ、本当に止まったのだと思います。渇いた声を絞り出すのがやっとでした。
「ごめんなさい。知らなかったとはいえ」
 私は寿司桶を持ち上げます。すぐにこの人たちの視界から消さなくてはいけないと思ったのです。しかしその手を制するものがありました。張さんの、やわらかな手でした。

「いいんだ。食べたい」
 弟さんが頷きます。「食べましょう」。お父さんは、何も言いません。
「三つ、ください」
 私の困惑した顔に、張さんは精いっぱいの笑顔を作って、しゃもじを私に差し出しました。私は茶碗にちらし寿司をよそいます。
「いただきます」

 張さんと弟さんが手を合わせます。それから箸で蓮根を摘まんで、口に運びました。弟さんも具材をひとつひとつ、口に付けていきます。お父さんだけが、お茶碗を前にどうしたらいいのかわからない様子でした。もぐもぐと食べる音がふたつ重なった後、ほぼ同時にその声が聞かれました。
「美味い」
 弾けるような笑顔がふたつ、見られました。それは私にとって、最高のごちそうでした。
「パパ、食べてみて」
「パパ早く」
 お父さんは箸で酢飯を軽くひと摘まみして、口の中で何度か動かします。
「美味しいだろ?」
 張さんと弟さんが顔を覗き込みます。
 お父さんは、大きく頷いた後、私の目を見てひとこと、中国語で「美味しい」と呟きました。それから三人は思い思いに箸を動かしていきました。

「美味い」
「うん」
「ママのより美味い」
「まさか」
「本当だよ」
「うん」
「母はオーサカの人だったから、ここに三つ葉や卵に、イクラが入ったこともあった」
「そっか。関西風だったのかな」
 次に作るときはそうするね、という言葉を堪えます。
 張さんは空になった茶碗を私に突き出します。

「おかわり」
「あ、僕も」
 私はちらし寿司をもう一杯ずつ、よそいます。
 山盛りになったちらし寿司を前に、張さんは目元を細めます。
「困ったな」
 その表情とは裏腹な言葉に、私から何が?とは訊きません。
「僕も同じことを考えていた。こうやって、母の作ったご飯の味を、忘れていくんだろうなって」
 弟さんのしんみりとした声に、張さんは、頷きもせず、首を横に振ることもしませんでした。お父さんが口を開きます。
「美味しい。確かに曜子さんは料理上手だ。しかし曜子さんには申し訳ないが、妻のほうが――」
「パパストップ。兄さんに恨まれる」
「美味しかったんですよね。お母さまの手料理は、愛情がたっぷりと入っていて」
 お父さんの目に、光るものがあります。
「曜子さんも、息子にこれから二十五年、美味しい手料理を作り続けてくれたら――」
「そんなにいらないよ。あっという間にママを抜いちゃうよ」
「馬鹿者。おまえは知らないかもしれないが、あれは実に料理が美味かった」

 そのやり取りを、張さんは温かい目で見守っていました。
私は彼に心の中で話しかけました。
――お父さんとお母さんに愛はなかったって言ってたけれど、そんなこと、なかったじゃない。
家族とともに笑う。それだけで人は生まれてくるに値する。
むかし読んだマンガにあった格言が、私の中で何度も反芻しました。



 夜明けとともに湖が少しずつ琥珀色に染まっていきます。高層ビルのオフィスで迎える朝はいつも私を絶望的な気持ちにさせましたが、その日のそれは打って変わって、希望の色に包まれています。朝の光は人の心を測るものさしなのだと思いました。

 私と張さんは一睡もしないまま明け方の田園地帯を散歩しました。調子っ外れの口笛を吹く彼に手を曳かれて、どこをどうということもなく歩きながら、ピクニックでもしたくなるような気分でした。これからのことを考えると、心配事はないわけではありませんでしたが、咲き乱れている花が見えるような、ふたりとも暖かな風に守られているような、そんな気持ちになったのは、久し振りのことでした。

「母に生前訊ねたことがある。日本からこんな田舎に来て、後悔したことはないの?って。まだ子供だったし、相手が親とはいえ、まるきり無防備な――ちょっと言葉が違うかな――問いかけだったと思う。でも悪意があったわけじゃない。だから母はにこやかに答えてくれた」

 聞いているよ、という意味を込めてその手にぎゅっと力を込めると、同じ強さで彼が返しました。
「母が日本語を使うときはたいてい標準語だった。でもそのときはめずらしく関西弁だった。標準語ではうまく答えられないと考えたのだろう。母はこう返した。〝人生は、後悔してナンボよ〟。だけど、いまだにこの〝ナンボ〟の意味がわからない。どういう意味かな」

 私は声を立てて笑います。自分でも、愉快そうだなと思いました。

 そのうち湖に行きあたって、しばらくの間そこに佇みました。永遠の誓いでも立てたくなるような、輝くばかりに美しい光景です。どれだけの言葉をもってしても、世界の始まりを告げるあの眺めを言い表すことはできないでしょう。そんなとき私は、「言葉なんか覚えるんじゃなかった」という、詩人の言葉を思い出す。

 朝焼けに照らされた張さんの顔は、いっそう優しく見えました。黙りこくった合間に、ふと彼は口を開きました。

「この湖にはこんなおとぎ話がある。男が湖に鍋を落とした。すると湖に棲む神さまが湖面にすうーっと現れて男にこう言った。〝おまえが落としたのは金の鍋か。それとも銀の鍋か〟」
「パクリ?」
「いま考えたんだから大目に見て。男は答えた。〝いいえ。金の鍋でも、銀の鍋でもない。普通の鍋〟。〝おまえの正直な心に感心した。金の鍋を持っていくがいい〟」
「やっぱりパクリじゃない」
「男は神さまにこう言った。〝いいえ。金の鍋など要りません。私にあの鍋を返してください。母が大切に使っていた、あの鍋を」
「…………」
「うちの、鍋になってくれませんか。金の鍋より、銀の鍋より、素晴らしい鍋に」
「これってプロポーズのつもり?」
「逆に質問。もしかして、家庭に入ることを、負けと思ってますか?」
「思ったことないよ。イヤねえ、勝手に私をわかったふりして」

 小さな、優しい風が吹いて、張さんの前髪が揺れます。とてもチャーミングなものに見えました。彼は気を取り直そうと声を張り上げます。
「とにかく、僕が言いたいのはだ」
 なぜでしょう。いつかこんなことが、前にもあったような気がしました。彼がそう言う前に、私は次の言葉をわかっていました。
「曜子さん、結婚して下さい」



 あれから七年が経過しました。「龍の水」は現在、日本でも販売しています。国際フェアの後、地方の中堅飲料メーカーと契約できたのです。ラベルの絵はなんと、涼子ちゃんデザインによるものです。公募から彼女の絵が採用されました。それを機に彼女は会社を辞めて、今では名の知れたイラストレーターに成長しました。先日彼女から国際便が届きました。中身はハンドタオルでした。いつか私が手渡したものに、彼女がデザインしたキャラクターが刺繍してありました。
「龍の水」は順調に売り上げを伸ばしていましたが、一時期供給ができなくなりました。

二〇〇八年五月十二日、マグニチュード8・0の四川大地震があったためです。街は壊滅的な状況に追い込まれ、死者は十万人近くにも上りました。両親は日本に戻ってこいと言いましたが、帰ろうとは思いませんでした。「あいつは日本人だからここを見棄てた」と言われたくなかったのです。それに、お父さんと弟と、家族が誰も死ななかったことが救いでした。しかし、地震により工場が半壊したため、その建て直しに大きな借金を背負うことになりました。

「苦労をかけるね。すまない。でもまだ我慢してもらえるなら、ここに一緒にいてほしい」

 日本に戻ろうなんて、少しも思わなかったのに。
「龍の水」は一本に付き一円の売り上げを自然保護団体に寄付するはずでしたが、そのお金は四川でも特に被害の大きな地域に寄付されることになりました。このニュースは日本で大きく取り上げられて、「龍の水」の売り上げは飛躍的に伸びました。日本人がみんな、中国のことを悪く思っているんじゃないんだと、少しホッとしました。水を汲み上げる機械を直して、生産が再開した頃には、売り上げは元に戻りました。

 結局、結婚してからは一度も日本に帰っていません。かつての仲間や同僚とも、今では連絡を取っていません。「結婚して家庭に入った後、子供を産んだ女性」になった私のことを、彼らが何と呼んでいるのか、正直気になります。玉の輿に乗った「勝ち組」か、東京から下った「負け犬」か。ときどきたまらなく日本に電話を掛けたくなります。でも自分より少しでも幸せだったらと思うと、無性に苛立ちます。

 競っているのは、今でも私のほうのようです。

 昨日も愚痴ったんです、夫に。
「あーあ、なんで私、東京を棄てて、こんな田舎にいるんだろう」
「きみがみんなの見ている前で、私とお付き合いをお願いしますって言ったからだよ」
「私、じゃないよ。私たち、って言ったの」
「細かいことはどうでもいい」
 相変わらず前髪をぱっつんに揃えたあの人は、にこにこと両手いっぱいの我が子をあやしています。
「あーあ」
「ほら出た。また〝あーあ〟だ」
「あーあ、人生ってどうして思い通りにならないんだろう。あんたと結婚なんかしないで、あのまま東京に残っていたらもっといい男と知り合えたんじゃないかなあ」

 夫は私の軽口に取り合いません。駄々っ子を諭すように、ニコッとして答えるんです。
「まるで僕たち、父と母のようだ」

https://ebook.shinchosha.co.jp/book/E036921/

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