『アクシデント・レポート』(selection03)
岩崎八千代(58)の証言(12000字)
「まことにお気の毒様でした。生憎ですが、息子さんは教祖様を信じていませんでしたからな」
線香をあげにきた文京区支部長の日野は、どうしてこんなことになったのでしょうと責める私に対して、冷たい眼差しで答えました。
私は背中に、黒い額縁の中に入った三人の視線を感じながら、なおも詰め寄りました。
「岩崎さん、いいかげんにして下さいよ。信仰を深めるいい機会とお思いなさいな」
日野は私の手を払い、渋い表情で黒のネクタイを直すと、斎場を後にしました。
茫然と立ち尽くす私の脳裏には、日野の胸元で鈍い光を放つ泰幸会のバッジの残像が、いつまでもチラついていました。
一九九五年七月二十六日、私はすべてを失いました。息子の昌義と、嫁の朴淳花と、孫の義樹の三人をいっぺんに、飛行機事故で亡くしたのです。普段は韓国で生活していましたが、夏休みに大阪を観光した後、私たち老夫婦に、孫の義樹を会わせようと乗った東京行きのジェット旅客機が、運悪く事故に遭遇したのです。
「おばーちゃん、いまからヒコーキに乗るよ」
搭乗前に大阪の関西空港から掛けてきた電話が、最後に聞いた義樹の声になりました。これから降り懸かる災難を知る由もない、碧い珠のような声が今でも耳の奥に残っています。
合同葬儀の後に、改めて家の近くの斎場で葬式を済ませました。昌義と淳花の遺体は辛うじて断片が残っていましたが、義樹は体が小さかったために、跡形も無くなってしまったようで、私が無理に持たせた泰幸会特製の御守りで本人と確認されました。義樹の無病息災を祈った御守りが、あの子の形見になるとは思いもしませんでした。
しばらくは何もできず、家でただぼんやりと過ごしました。
気の毒に思ったのでしょう。事故直後こそ近所の人たちが頻繁に顔を出してくれましたが、やはり他人事なのか、それとも私のやつれ方が見ていられないのか、櫛の歯が欠けるように訪れる人も減っていきました。
ひとりでぼんやりテレビの前にいることが増えていきました。見るのとは違います。ただ眺めているだけで、一日が終わるのを待ちます。定年退職した夫は庭の離れに引き籠るようになりました。別にいいのです。事故の前から夫婦らしい会話もありませんでしたし、顔を突き合わせていたら、また底なしの悲しみに沈んでいくだけでしたから。
点けっ放しのテレビには、事故の生存者である少女が映し出されていました。もともとアイドル志望だったそうで、この事故で有名になったのを機に、映画に出演するということでした。不思議と怒りは湧いてきませんでした。それより自分が長年信じていたものに裏切られたショックのほうが、依然として尾を引いていたのです。
こうして奇跡的に生還した子もいれば、乗り合わせた家族全員が死んでしまい、血が絶えてしまった家もある。私は幾度も考えずにはいられませんでした。
これを運命だからと、あきらめなければならないか。
天の配剤というものがあるのか。本当に、神はいるのだろうか。親の因果が子に報い、と言いますが、私がどんな悪事を働いたというのでしょうか。
遅くできた息子が喘息に苦しみ、日頃から学校を休みがちで、東京都の四級障害者に指定されるほど悪くした時期がありました。病院をいくつも回りましたが、どこのお医者からも匙を投げられました。
「焦らずに、この病気と一生付き合うものと考えたほうがいいですよ」
お定まりの言葉に思わずカッとして返しました。
「一生付き合えって言いますけどね、この子が八十歳まで生きるなら八十年苦しまなくちゃならないし、この病気のせいで、二十歳で死んだらそれきりなんですよ」
医者は眉間に皺を寄せるばかりで、何の手立てもない有様でした。
夫は薬品会社に勤めていました。専門分野が異なることを知っていながら、喘息の特効薬は作れないのと訊ねて困らせたものです。不憫な我が子に乳母日傘で面倒を見る妻に愛想が尽きたようで、その頃から夫との関係は冷えていきました。
そうして困り果てていた頃、近所の人に誘われて、ある集まりに顔を出しました。名前だけは知っている新興宗教の会合でした。
「ここに入った途端、夫が課長になったの。揉めていた姑とも仲が良くなってね。みんな教祖様のおかげだわ」
「うちも息子が大学に合格した。あなたも泰幸会の信者になったら望みが成就する」
居合わせた人たちみなさんに入信を勧められました。身なりこそ良くありませんが、笑顔の人たちが多いことに、心が解けました。
それでもまだ迷ったのですが、決め手となったのは、似たような境遇の人による体験談でした。
「あたしんチはね、娘が医者から不治の病と宣告されてね。涙も涸れ果てていたときに、大河内泰様という教祖様と出会って命を助けて頂いたんだよ」
「どうすれば息子の病気は治りますか? 教えて下さい」
藁をも掴む思いでした。
「簡単だよ。天泰幸妙って唱えさえすればいいんだ」
「テンタイコウミョウ……?」
「これを一日に一回呟けば、誰でも極楽浄土に行ける。それだけじゃあない。現世でも必ず幸せになれるって、泰様はおっしゃってるんだ」
私は一日に何度も天泰幸妙と唱えました。無心になって手を合わせて拝んでいると、もやもやした心が嘘のように晴れていきました。昌義を集まりに連れて、ふたりでお祈りをするようになると、徐々にですが学校を休む日が減りました。食欲が出てきて給食をおかわりするようになり、体育も見学ではなく、ドッジボールやサッカーにも参加できるようになったのです。
泰様のおかげだ。泰幸会に入信してよかったと、心から思いました。
時間が空けば仏壇に向かって、天泰幸妙と唱えるようになりました。夫にも熱心に勧めましたが、聞く耳を持ちません。それでも構いませんでした。私には昌義という、目に入れても痛くない子供がいましたから。日曜日もどこかに遠出するわけではありません。手を繋いで近所を散歩するだけで楽しかったのです。あの頃は幸せでした。
「岩崎さーん、いるぅー?」
遠い思い出を遮ったのは小宮山さんでした。色の黒い、目の小さな、牛に似た顔の人ですが、心根の優しい女性です。
「岩崎さん、ご飯食べてる? 無理してでも口に入れなきゃダメよ。息子さん夫婦もお孫さんもそう言ってますよ。食べないとあたしみたいにガリガリになっちゃうって」
小宮山さんは体つきそのままのコロコロとした笑い声で和ませてくれます。十年前にご主人を、五年前に息子さんに先立たれた小宮山さんに、ずいぶん気にかけてもらいました。
「よかったらこれ食べて。ライフで惣菜安かったから」
「いつもすいません」
苦しみの底にあっても、まだ手を差し伸べてくれる人がいることに感謝しました。
とはいえ、我が身の境遇を呪わずにはいられません。ふと気がつくと、どこで道を踏み間違えたのだろうと、帰らぬ日々を思い返してしまうのです。
昌義は年を追うごとに健やかになり、咳き込むこともなくなりました。私は昌義を丈夫にして下さった泰様に感謝し、泰幸会のことを知らない気の毒な人たちに教えてあげようと、布教活動に精を出しました。
自分が良いことをしていると信じて疑いませんでした。しかし成長した昌義は、泰幸会の集まりに行きたくないと口にするようになったのです。
「日曜は友達と渋谷に行く用事があるから」
「いったい誰のおかげで今のあんたがあると思ってるの。こうしていい高校に入れたのも──」
「滑り止めの学校だよ」
「部活の野球で活躍できるのも」
「予選二回戦で敗退。しかも補欠」
「みんな、泰様のおかげなんだよ」
「気の持ちようだって」
そして私におこづかいをせびって、遊びに出かけていきます。
集まりに出てそのことを零すと、「反抗期なのよ」「難しい年頃だから」「そのうちまたここに来て手を合わせるようになります」と、他の信者の方たちが慰めてくれました。
いつかわかってくれる──。淡い期待を持っていましたが、あるとき家に帰ると、テーブルの上に週刊誌が開いて置いてあった。
「国家を操作する雑司ヶ谷の妖怪と金殿玉楼」
広大な敷地に大きなお屋敷を空撮した写真が掲載されていました。
こんなことをするのは、ひとりしか考えられません。
「昌義!」
部屋に行くと、こういうときに限って机に向かっています。
「なあに」
振り返りもしませんでした。
「あんたね、こういうのに騙されちゃいけないよ。教祖様もおっしゃってるの。泰幸会を良く思わないマスコミが、わざとこうしたデマを流すんだって。何度も言うけどあんたの病気を治したのは医者じゃなくて泰様なんだよ。その御恩を一生忘れちゃいけない」
昌義は椅子に座ったまま、ゆっくりとこっちを振り返りました。
「母ちゃん、母ちゃんが近所でなんて言われているか知ってる。〝泰幸会の勧誘ババア〟って言われてるんだ。うちにあまり人が寄りつかないのは、母ちゃんが泰幸会の信者だからなんだぞ」
「そんなことはわかってるよ。でもね、私はひとりでも多くの人に泰様の教えを広めたいだけなんだ。なんて言われてもいい。泰幸会のおかげで救われる人がひとりでも増えるなら、お母さんは後ろ指を指されたって、町内から爪弾きにされたって構わないよ」
そのとき、あの子の私を見る目は、とても息子が母親に向けるものではなかった。
昌義は立ち上がると私を部屋から追い出し、お隣に聞こえるほどの大きな音で襖を閉めました。居間に戻ると、夫はひとり手酌でビールを飲んでいます。週刊誌はゴミ箱に捨てられていました。
昌義は高校を卒業と同時に、家を出ていきました。
私はそれでも信じていました。いつかわかってくれる。泰幸会に感謝する日がくると。
「オカサン、ヨロシクオネガイシマス」
昌義が連れてきた嫁は韓国人でした。正直、抵抗がないわけではありませんでしたが、あの子が幸せになりますようにと、毎日、天泰幸妙と唱えてきましたから、その御加護があるような、良い娘に違いないと思いました。
朴淳花は目が細くて色白で、美しい分だけ気が強く、だけど夫となる人に対しては甲斐甲斐しく尽くすといった、私がイメージする韓国の女性そのものでした。
「淳花は俺が働いていた弁当屋でもいちばん頼りになるバイトで、入った初日から可愛いと思っていたんだ」
愛する人と目を合わせて微笑む表情に、それまで子供だとばかり思っていた我が子が、いくら血が繋がっていようと、自分とは別の人格を持ったひとりの人間だということを、今更ながらに思い知らされました。
翌年には赤ん坊が生まれました。義樹です。
「どっちに似ているかな」
「昌義よ。男の子だし。昌義の子供の頃そっくり。ほら、鼻に面影があるわ」
初孫を囲んで、夫も久しぶりに目を細めていました。
平穏で幸せな日が続くとばかり信じていました。しかし、昌義の口から、思いがけない話を聞かされました。韓国に移住するというのです。
「これから韓国でも日本食がブームになる。もともと人気があるし、若い世代は日本に対して抵抗がない。淳花の実家が金を出してくれるって言うし、このまま日本でちまちまと商売をするより夢がある。そんな不安そうな顔をするなって。大丈夫だよ。治安だって日本と同じぐらいいいし、母ちゃんが思っているほど離れていない。飛行機で二時間だよ。沖縄に行くより近い」
「義樹は、韓国人になるの」
昌義は笑いました。「日本で生まれたから日本人だよ」
「でも、韓国の学校に通ったら、日本語を忘れちゃうんじゃないの」
「家では日本語だから」
堪えようとしても堪えきれない不安が口から言葉になっていました。
「昌義、よく聞いておくれ。お母さんは結婚にも反対しなかった。韓国に行くなとも言わないけど、ひとつだけお願い」
昌義は次に私が何を言い出すのか感じ取ったようで、途端に目元に険しいものが走りました。
「ソウルにも泰幸会の支部があるから、せめて日曜日はお祈りに行きなさい。義樹を連れて──」
昌義は腕の中に抱いていた義樹を、淳花にそっと手渡して、部屋を出るように促しました。扉が閉まった後にこちらを見据えると、顔を朱色に染めて、私に向かって声を絞り出しました。
「俺が子供の頃どれだけ恥ずかしい思いをしてきたか、母ちゃんは知っているのか。そりゃ母ちゃんは俺の喘息が治ったのは大河内泰のおかげだと思っているかもしれない」
「呼び捨てにしたらバチが当たるよ!」
「本当は医療のおかげだ。祈って病気が治るなら、この世に医者は要らない。それに俺がいちばん言いたいのはな、信仰を他人に強制するな、ってことだ。あの婆さんは処女のまま自分の子供を産んだとかほざいているけど、そんな頭のおかしな教祖を信じろなんてムリに決まってるだろ。人の弱みにつけこみやがって。〝雑司ヶ谷の妖怪〟め」
泰幸会の信者からしたら、「これでは一家まるごと滅んでも仕方がない」と思うでしょう。私は昌義がまくし立てた直後、膝をついて、泣きながら許しを乞いました。泰様、申し訳ありません。この子はどうかしているのです。どうかどうか、罰をお与えにならないで下さいと。
しかし、泰幸会の狂信者だった私が言うのも何ですが、おかしな話だと思いませんか。
悪態をついたからといって、神が人間に罰を与えるなんて。
「信じなければ地獄に堕とす」というのは、脅迫とどう違うのでしょうか。このような考えを持つこと自体、罪なのでしょうか。
会合にも顔を出さなくなった私を、かつての仲間たちが非難し始めました。
「岩崎さん、まさか脱会する気じゃないですよね? 息子さんたちが成仏できなくなりますよ。大事なご家族が極楽浄土に行けなくなってもいいんですか」
「これまで積んできた徳が無くなってしまいますよ。もっと不幸になってもいいんですか」
「そりゃ今は悲しみに暮れているだろう。しかし後で振り返ったら、これも大きな試練だった、飛行機が墜ちてよかったと、心から思える日が来ますよ、必ず」
私には、言い返す気力もなかった。夫は離れに引き籠ったままです。商店街を歩いて顔なじみの人たちに気を遣われてつらいので、夜中にコンビニエンス・ストアに食料の買い出しに行きました。ーー愛する人を失っても、人は腹が減る。思えばそれだけが、老いぼれた私がようやく掴んだ、たったひとつの真理かもしれません。
居間の点けっ放しのテレビだけが、私とこの世界を繋いでいました。さして好きな芸能人はいません。ニュース番組だけは食い入るように見ていました。
「千葉県○○郡の町立中学校に通う中学二年生の女子生徒が、学校の屋上から飛び降り自殺をした件で、学校側は、いじめはなかったと会見で発表しました」
「十三日深夜、一家を乗せた乗用車が信号待ちをしていたところ、後ろからトラックが追突。車に乗っていた野木原健作さんの長男、誠也くん七歳が窓から投げ出され、全身を強く打ち即死。運転手の父親も首の骨を折り、病院に運ばれましたが間もなく死亡しました」
卑しい考えだとはわかっています。しかし、愛する者に先立たれて苦しんでいるのは、自分だけではないのだと思いたかったのです。
「阪神淡路大震災により自宅を失くした家族が、十三日未明、仮設住宅で無理心中を図りました。五歳と二歳の男の子は意識不明の重態です」
義樹は三歳であの世に旅立ちました。あの子より一歳でも若く死んだ子供のニュースは、鬱屈していた私の溜飲を一時下げました。
「次のニュースです。チベットの修行僧が中国政府の弾圧に抗議するため、焼身自殺しました──」
綺麗な顔をした理知的な女性が、いかにも深刻な表情を装いながら、次から次へと不幸な知らせを読み上げていきます。そこに感情はありません。とても血が通っているようには見えず、朗読機械といったほうが正しいかもしれません。
この女性もいつか結婚して、子供を産んだりするのだろうか。
私は密かに祈ります。
泰幸会に見切りをつけた私は、自分が神にでもなりたかったのでしょうか。いいえ、神じゃなくてもいいのです。念で人が殺せるようになりたかった。人の道に反した考えに私は支配されました。わかって頂けなくても構いません。わかるはずなど、ないのですから。
私はテレビを見続けました。ニュースが終わると他の局のニュースを探します。小さな子供が死んだニュースを伝えていないか。私はリモコンを手繰ります。
生前の子供の写真が可愛ければ可愛いほど、心がときめきました。
「これまで寄付してきたお金を全額、返してもらえませんか」
泰幸会文京区支部長の日野の顔がさっと青褪めました。たばこを銜えた唇が微かに震えています。
「岩崎さん、あんたね、そんなことを言って、自分がみじめだと思わないんですか」
「みじめで結構です。私は一生を泰幸会に捧げてきました。それなのに、こんな報いを受けたのですから、本当は訴えたいぐらいです」
自分で口にして、ハッと気づきました。
「訴えても、いいですか」
灰皿に落とした指先がビクついたのを、私は見逃しませんでした。
日野は私とそんなに年齢は変わりません。茗荷谷にあるスーパーマーケットの店主で、お客や業者を泰幸会にごっそり入会させる手腕を買われて、区のトップにまで上りつめました。かつてはどちらが多く泰幸会に勧誘させたか競い合ったものですが、一介の主婦でしかない私と、手広く商いをし、人脈を持つ日野とでは勝負はついていました。私の背信行為に、ブルドッグそっくりの垂れた両頬がぷるぷると揺れます。酷く滑稽な気がして、口元を緩めました。この歳になって初めて自分の中に嗜虐的な部分があることを知りました。
「訴訟を起こす相手が間違ってるし、そんなことをしたって亡くなったご家族は戻ってきませんよ」
「承知してます。どうせ教祖様を信じても同じことですから」
「息子さんだって喜ばないと思うけどなあ」
「もともと私が泰幸会に入っていることも喜んでいませんでしたから」
日野は部長室のソファに座り直しました。古株がやっと会合に顔を見せたと胸を撫で下ろしていたらこの乱心です。口振りこそ落ち着き払っていますが、飼い主に従順な犬にも似た目が、あたふたと泳いでいます。
「あんたね、泰幸会を信じてきたって言うけど、信心が足りなかったとは思わないの。息子さん、本当だったら十歳で死んでいたかもしれないでしょ。それなのに、三十近くまで生きて結婚もできて、子供も授かったじゃない」
私の中で、何かが割れた音がしました。
「出るとこに出てやる。泰幸会はインチキ宗教だって、世間に訴えてやる」
「岩崎さん、ご存じのようにウチの信者はね、テレビや新聞、マスコミ各社、他の分野にもいっぱいいるんですよ。無駄なことはおよしなさい」
「あんた、自分の子供が同じような目に遭ってもそう思えるの」
「思えますねえ。すべては泰様がお与えになった試練ですよ。もしくは運命です」
「……じゃあ私に殺されても、運命なんだね」
私はバッグから取り出した包丁を日野に向けました。
日野がまるで阿修羅でも見るかのように凍り付いている隙を見て、私はバッグから固く結んだ手拭いを取り出しました。こういうこともあろうかと用意していました。日野のライターを奪って火を点けると、サラダ油をたっぷりと吸わせていたため燃えるのが早く、それを床に放り投げました。
「誰か! 誰か来てくれ!」
叫ぶ日野の喉元に包丁を向けたものの避けられました。
あとはやってきた他の信者に取り押さえられて、気がついたら病院に運ばれていました。
頬に大きな絆創膏を貼った日野は、私のバッグの中身を見て言葉を失っていました。教団を非難したビラが入っていたからです。
「この女を家に帰してはいけない。野に虎を放つようなものだ」
ベッドに手足を縛られて、口には猿轡を嵌められた私を見下ろします。
「再教育が必要だな」
部屋をノックする音の後に、医者と看護婦に続いて警官が現れました。私は体を揺すって助けを求めましたが、彼らの目は冷ややかなものでした。
「岩崎さん、言ったでしょう。泰幸会の信者はマスコミ各社だけでなく、他の分野にもいっぱいいるって」
日野が医者と看護婦に向かって目配せをします。彼らは黙って頷きます。
警官が慣れた手つきでカーテンを閉めました。
何年か経ったと思います。しかし私の時計はあの事故から止まったままなので、よくわかりません。
私は大洋ジャンボ事故で身内を失った人たちの集まりに参加しました。そこは悲劇の見本市のような感じで、誰も彼も、不幸がとてもお似合いでした。そこに集まった人たちはそれぞれの職場や学校、映画館や野球場や日曜日の人混みに紛れても、「不幸な人」として人々に気づかれるような空気を身に纏っていました。そして私もそのうちのひとりなのです。
「うちの子供が……」
「結婚式を目前に控えていました」
「有望な未来が約束されていたのに……」
「定年退職を迎えた後は、美味しいものを食べたり、いっぱい旅行しようねって……」
それぞれの人たちが、それぞれに不幸でした。
しかし私が息子夫婦を一度に失い、後継ぎがいなくなったと話すと、誰もが息を飲むというか、一目置くのがわかりました。
「初孫を私に会わせるためでした。私のために死んだも同然です。自分を責めずにはいられません。なぜ未来のある若い人が死んで、老い先のない自分が残ったのか。なんで、なんでこんなことに」
こみあげてくる涙で、言葉が続かなくなります。どんなに歳月が経とうと悲しみが癒えることはありません。心の中で、まるで昨日経験したばかりの痛みとなって甦ってくるのです。
しかし、私は新たな生きがいというべきものを持ち始めていました。きょうはこの前よりもっとうまく喋ろう。涙をひと粒でも多く搾り取ろう。もっともっと悲しそうに見せてやる。
そうすると、憐れみの視線がまるで花束のように私の前に差し出されます。
こうして不幸の祭典は、私の頭上に栄冠が輝きます。
さらに歳月が流れました。その間に夫が死にました。どうやって葬式を出したのか、今も思い出せません。
いよいよひとりぼっちになりました。気がつくと家の中にモノが溜まっていました。
始まりは、壊れた三輪車を拾ってきたことでした。これならまだ新品に見えるし、夫は手先が器用だから直せるだろう。昌義と淳花は嫌な顔をするかもしれないが、義樹は喜ぶに違いない。そう考えたら、手に取って家に持って帰っていたのです。
どうかしているのかもしれません。でもどうしたらいいのかわからないのです。
わかっています。テレビでいつか、「ああはなりたくない」と同情を寄せていた人に、自分がなっていました。
話を聞いてくれるのは小宮山さんだけでした。彼女も私と同じだけ歳を取ったはずですが、色黒と、小さな目と、牛に似た顔はそのままです。
「岩崎さーん、サンキューストアでお惣菜が安かったの」
私が働いていたあの店です。もう足を運ぶことはありませんが、小宮山さんの好意に甘えることにして、ありがたく頂戴しました。
「気を悪くしないでね。あたしはそうは思わないんだけど、近所のみなさんがね、岩崎さんの家のゴミ、どうにかならないかって言ってるの。違うわよ。みんな心配してるの」
腰を下ろす場所もない玄関の上がり框で、小宮山さんはいつものようににこにこと、言いにくそうなことを話してくれました。
「ゴミなんて言ってごめんなさいね。ここに積んである飲みかけのコーラが入った空き缶も、お孫さんが帰ってきたときに飲ませてあげたいから、岩崎さんとっといているのよね。だからあたしはいいと思う。岩崎さん、全然間違ってなんかない」
私は、嗄れた喉で返しました。久しぶりに声を発するので、自分で自分の声か、わからないほどでした。
「間違いだらけの、人生でしたけどね」
私は頬を動かします。笑ったつもりです。こんな酷い状況にいるように見える私でも、まだ冗談が言えるのですよと意思表示をしたつもりでした。そしたら小宮山さんは途端に顔を強張らせて、そんなことないと、何度も大きな声で叫んだのです。
長い付き合いになる小宮山さんが、初めて涙を見せました。
「間違いなんかじゃない。間違いだらけの人生なんかじゃない」
私は、小宮山さんの膨らんだ頬を伝う涙に、皺だらけの手を伸ばしました。
「ありがとう。あなた本当に優しいね。あなたみたいに生きられたら、私も間違いじゃないのだけれど」
小宮山さんは目を真っ赤にして洟を啜ります。
「あたしは立派な人間なんかじゃないけど、ひとつだけ誇れることがあるわ」
小宮山さんは買い物袋からパンフレットを差し出しました。
そこには、天生教と書かれていました。
「あたしね、岩崎さんに嫌われたくないと思ってずっと言わないできた。なんだこの女、だから私に親切にしてきたのかって思われたくなかったから。だけど岩崎さんがそんなこと言うからさ。ーーあたしも威張れるような人生じゃないよ。だけど夫が死んでも、息子まで失っても、自分の信じた神様を恨んだりしない。教祖様を誇りに思っているから」
空き缶がひとりでに、カランと音を立てて落ちました。
「岩崎さん、もっと大事なことを言っていい?」
小宮山さんは、私が頷く前に続けました。
「岩崎さんの旦那さん、天生教の信者だったの」
何も言うことなどありません。何と口にすれば正しいのかもわかりませんでした。
「あたしね、旦那さんに頼まれていたの。何を言っても聞かないから、自分が死んだ後、誘ってあげてほしいって。あんなインチキ婆さんじゃなくて、三浦寿嶽様の教えに従うようにって。そうすればね、〝自分の人生は間違っていた〟なんて気持ちはなくなるから。
騙されたって、さんざん思ってきたでしょう? 言葉は悪いけど、もう一回騙されるつもりでうちの会合に顔を出してみたら? 今度の日曜日は空いてる? 一緒に行かない? こっちに鞍替えしたっていいと思う。あたしだったらしちゃうな。ねえ、あたし岩崎さんのことを思って──」
小宮山さんの邪気のない笑顔に向かって、もらった惣菜を投げつけていました。
愚鈍な時が流れました。私を置き去りにしたまま。
家の中には義樹に会ったらあげようと大事に取っておいたモノがどんどん増えていきました。しかし歳のせいか、食べかけのアンパンやみかんやうどんを、どこにいったん仕舞ったのか思い出せず、ごっちゃになってしまいました。餌をやるうちに住み着いた野良猫が、足の踏み場もない台所に巣を作っています。
テレビは大洋ジャンボ事故から十三回忌を迎えたと伝えていました。
あの事故で奇跡的に生還した少女が有名な女優になって、事故を基にした映画の主役を演じたというのです。
「亡くなった六百七十二人の方々のために頑張りました。『ジャンボ超特急』は日本映画史に残る名作です。みなさんよろしくお願い致します」
八菱山に登って、犠牲者に弔歌を捧げに行くとのことです。
私には思うところがありました。やっとお返しをするときが回ってきたのだと直感したのです。
夫の離れに入ります。天生教の信者と証明するようなものを探すためではなく、もっと役に立ちそうなモノが欲しかったのです。
特殊な薬品を見つけました。試しに床に零してみたら、ジューっとまるで鉄板に肉でも焼くような効果がありました。どう使うか、私は考えました。
むかし、そうです。美空ひばりが十代のアイドルだった頃、同世代の娘がひばりの顔に塩酸をかけた話を思い出しました。その娘はひばりが羨ましかったそうです。今同じような事件があったら、「この頃の若い人たちは怖い」などと言う人がいるのでしょう。違います。人間はいつの世もそう変わりません。むかしも今も悪いことを考え、それをやる人がいるのです。
「テレビや新聞は嘘ばかりだ」と数多の宗教団体が、自分たちの教えこそ正しいと吹き込みます。確かに、マスコミは嘘ばかりというのは、当たっているかもしれません。
私はその女優に怨みや特別の感情などありません。ましてやその映画の上映に反対するつもりもない。だから彼女に直接、害を与えるつもりはなかった。そのへん私は、狂っていないと思いませんか。
目的はただひとつ、報道陣が多数駆け付ける中、泰幸会の不正を訴えることでした。ビラを作ったり、教団の小者を殺そうとしたところで、連中は巧妙にもみ消します。だけどたくさんのカメラが女優に向けられている最中に、私が大きな声で大河内泰の名を叫び、自分の顔に薬品を振りかけたら、さすがにニュースとして取り上げないわけにはいかないでしょう。チベット僧による抗議の焼身自殺を無視できないように、今度こそマスコミが大きく取り上げると考えたのです。それで泰幸会の悪事が世間に広まると──。
そして、私は実行しました。
それからまた何年か経って、今の私がいます。
病院から退院して、この家に戻ってきました。
私のいないうちに自治体かボランティアが掃除してくれたようで、家の中は綺麗に片付いていましたが、ついまた、棄てられた玩具を見ると拾ってきてしまいます。
曰くつきの家から腰の曲がった、顔の爛れた老婆が出てくれば、近所の子供たちが石を投げてきます。
「ダメよ。気の毒な人なのよ」
夕暮れ通りを母親と子供は長い影を引き連れています。小さな手を引く若い母親に、いつかの自分を重ねます。私は急いで人の道に反した考えを打ち消し、小さくなる背中に向かって、亡くした息子の名前を呟きます。だけど彼女たちには聞こえません。ふたりは遠くへと去っていきます。
きょうも私は、ニュースを見ます。心を少し、ときめかせてくれるニュースを。