『アクシデント・レポート』(selection01)
新沼秀夫(41)の証言(16226字)
警視庁公安部公安課に二十五年間、勤務していました。公安(ハム)といえば、古い世代からすると過激派を取り締まるイメージが強いかと思います。しかし私が入ったときにはとうに学生運動は終わっていましたので、古参の連中から折りにふれ当時の武勇伝を聞かされて、酷くうんざりしたものです。やれ安田講堂がバリゲード封鎖される前日に委員会の動きを掴んでいたのは俺だとか、樺美智子に縄目の恥を与えたのは自分だとか、こう言っては失礼だが年寄りほど吹聴していました。私の世代では、日本列島を震撼させるような、騒擾と呼ぶべき大事件はありませんでした。一九九五年を迎えるまでは。
地下鉄サリン事件があった年は、言うまでもなくオウムを担当しました。あの年は忙しすぎて、家に帰って眠れた日は数えるほどしかなかった。それまで捜査の対象として、テロリスト、政治犯、カルト宗教団体、市民運動家、日本共産党といった面々の情報収集や内偵に当たってきましたが、とても同じ範疇に収まるものではなかった。
守備範囲が広いと思いますか? この国にはKBGやCIAのような諜報機関が表向き存在しないため、自分たちが日本の治安を維持しているという矜持が、私にも公安にもありました。
オウムの一連の騒動以降は、「反体制勢力が破壊的な活動を起こさぬよう、もっと早い段階から警察が介入すべきだ」という世論が高まったため、私たちの仕事は増えるばかりだった。加えて大衆は破防法の拡大適用を望んだ。「悪そうな奴らは牢獄にぶち込んでおけ」という発想です。その中に自分たちは入らないのでしょうな。
国民の要望に応えようと、こちらの戦術も以前より多様、かつ複雑化しました。ヒューミント、CR作戦、転び公妨をはじめとした別件逮捕など。容疑は何でもいい。言いがかりを付けたモノ勝ちですから。背任だろうと、偽計業務妨害だろうと、何なら痴漢や万引きでも構わない。昨今はむしろ後者のほうが、社会的抹殺を図るのに効果的かもしれません。
「あの男は政府のやり方を強く非難していたが、実は反社会的な行為を働いていました」とアナウンスすれば、私が言うのもアレですけど、御上やマスメディアに対する依存率の高い日本人は、「なんだ、アイツ本当は悪い奴だったのか」と、簡単にだまされてくれます。罪のない善人を一夜にして凶悪な犯罪者に仕立て上げることに関しては、この国で公安と検察に並び立つものはいません。証拠不十分の容疑者はマスコミにリークして世間を煽ってから逮捕すればいい。手垢の付いたやり口です。自分たちの力で捕まえることができないときは、そうやってマスコミの力を利用すればいい。和歌山青酸カレー事件とか木嶋何某とか……「真実」は世間と異なる。
新聞社やテレビ局の記者を警視庁クラブの金で飲み食いさせているので、余計なオピニョンを挟むことなく、こちらが発表した会見を一字一句間違えることなく文字に起こしてくれます。週刊誌には、ホシは風俗通いをしていたとか複数の借金があったようだとか、いかにもな情報を与えてやれば、ろくな追加取材もなしで活字にします。連中を手なずけるのはそれほど難しいことではなかった。現在も同じような状況ではないでしょうか。
これからお話しすることは、二〇〇一年に、私が最後に扱った事件についてです。
事件、というか、事故、というか。終わりまで聞いて頂ければわかるでしょう。
一九九五年、先に言及した地下鉄サリン事件と同じ年に起こった大洋航空墜落事故と大きく関係しています。事故があった後、遺族会を結成し、大航側と運輸省を相手に、訴訟を起こした老婆がいました。Y・Sです。イニシャルにする必要などないほど著名ですが、長年公安に身を置いておきながら、こうした内部告発をする自分の中の後ろめたさを緩和せんとする、せめてもの足掻きと思って下さい。
Yは、検察審査会に要望書を叩きつけ、不起訴処分が出た後も、テレビや講演会に出て顔を売ったおかげで、「大洋ジェット事故の母」と呼ばれるようになった。もとから名の知れた社会運動家でしたから、切れ味のいい毒舌と諧謔で、世間へのアピールに長けていた。世論調査によると、「大洋航空墜落事故には大きな陰謀が隠されていると思いますか?」という質問に対して、八割が「はい」と答えている。これはケネディ暗殺と同じレベルだ。息子の弔い合戦のつもりかもしれないが、あの婆さんのスタンドプレーは目に余るものがありました。
Yに事故後の経過を説明するため、調査委員会に同行した運輸省のキャリア官僚は、気の毒だったとしか言いようがない。名刺を渡したがゆえに、その後何度となくメディアを通じて名指しでダメ出しをされたため、出世コースから大きく外れることとなった。
静観を決め込んでいたはずの官僚が、それを機に重い腰を持ち上げた。我々公安に対して、「あの婆さんを何とかしてくれ」と依頼をしてきました。
公安と時の与党は一心同体なので、官僚が政治家を通して、あるいはダイレクトに指示を受ければ、我々は動かざるを得ない。連中は国税局に要請するときもある。国税庁査察部(マルサ)が入って潰された人間を、挙げていったらきりがありません。
政治家がいくら叩かれようと官僚は気にも留めませんが、自分たちを批判された場合、彼らは本気になります。エリートコースを歩んできた連中からすれば、他人に批判されることなど絶対に耐えられません。もちろん官僚に頼まれる前々から、我々も目を光らせていた。ピーク時に比べれば、あの婆さんも歳を食ったたせいか、家から出ることも減り、その割には依然として社会への影響力が大きかった。メディアを選んで、ここぞというときに登場するなど、ああ見えて実にクレバーでした。
ことを重く見た当時の首相が、人気取りを狙ってブッチホンをしました。
「私の娘の名前もY子と言います。娘と同じ名前のあなたにお約束致します。大洋航空事故の真相解明に、全力に当たります」
首相は眼鏡を曇らせながら、何度も同じ言葉を繰り返したそうです。当初より十倍の賠償金を支払うから、大洋航空機は撃墜されたとか、それは国の命令だったとか、はたまたアメリカが絡んでいたとか、根拠のない虚言は控えてくれと懇願した。一国の最高権力者が電話越しに平身低頭で頼んだのです。事故直後ならともかく、六年が経過していました。遺族とはいえ、自らの感情的な発言に後悔した夜もあったでしょう。言い過ぎたところがあったと、少しでも非を認めてくれてもいいと思うのです。
なのに逆ギレした婆さんは首相を叱りつけ、政策に対しても厳しく言及した。「これから自由党と話し合いに行かなければいけない」と、電話を切ろうとした首相を詰り続けて、遂には涙声で謝罪させた。挙げ句の果てには翌日、こっそり録音していたテープを報道機関に送りつけた。
首相が脳梗塞を引き起こしたのはその夜のことです。我々公安からしてみれば、通信傍受法を成立させてくれた恩人だったのに。
首相が急逝してから二週間が経過した後、私に密命が下りました。
――Y・Sを嵌めろ。罪状は後から決めて構わない。一刻も早くパクれ。
しかし婆さんはそのあたり用心をしていたようで、家から出ることはほとんどなかった。前任者は誰もたいした効果をあげられずにいたので、私にまで御鉢が回ってきたわけです。
年下の上司が、こう言いました。
「新沼クン、ターゲットを変えるのはどうだろう。〝将を射んと欲すれば先ず馬を射よ〟と言うじゃないか。あの婆さんは事故で大事な子供を失ったが、もうひとり息子がいる。そいつを罠に掛けるんだよ」
にやりと頬を緩めるものの、目は笑っていませんでした。私と違って東大出のキャリアですから、彼にとっても威信が掛かっていました。机の上に並べた資料には、私と同い年の男の写真がありました。人が好さそうな、小太りの壮年男と目が合います。あの婆さんに対して面白く思わないとはいえ、気乗りのしない仕事でした。
「くれぐれも秘密裡に。単独で動いてくれたまえ」
私は恭しく頭を下げます。拒否権などなかった。
課内で封を切ることが許されないミッションのため、家に帰り、自分の部屋にカギを掛けてから資料を開きました。
――S・S。一九五三年(昭和二十八年)生まれの四十七歳。神奈川県川崎市出身。芸術大学写真科を卒業後、プロのカメラマンに師事。七七年、フリーになる。九一年、江東区にある撮影スタジオに入社。企業から依頼を受けた商品をクライアントのイメージ通りに撮影する仕事で、その中には、私も街や駅で見かけたことのあるポスターがありました。
父親とは幼くして死別。社会運動家の母親に育てられる。三つ上の兄がいたが、一九九五年の大洋航空事故で死亡。人柄は温厚。勤務態度はマジメで誠実。クライアントからの指名も多い。既婚歴なし。現在は母親と都内○○区に同居。
私はSの写真を熟視しました。顔を記憶するためです。至って平凡な面差しの、どこにでもいそうな男でした。自分のほうだけが一方的に相手の情報を知ることは、この仕事に就いてから慣れっこのはずでしたが、そのときはどうにも罪悪感に近いものを覚えました。自分は明日からこの男を罠に嵌めるため動くのだ。そしてそのことをこの男は知らない。部屋にひとりでいながら気づまりな感じがした。ぼんやり考えていたところに、家の電話が鳴ったので私は軽く飛び上がりました。
「もしもし、ヒデかい? きょうは休みだろ? いつこっちに来るんだい? シンちゃんにも、たまには顔を見せるように言っておくれよ」
「ごめんよ、きょうも仕事なんだ。今度の日曜日、そっちに顔を出すよ。昨日もそう言ったじゃないか」
老人ホームにいる母は、介護の目を逃れて一日に何度も家に電話をかけてきました。私の稼ぎでは入れることのできないほどの上級の施設でしたが、伝手があって、まずまずの料金で母の面倒を見てもらっていました。しかし母には「棄てられた」という思いがあったのでしょう。私も申し訳ない気持ちがありましたし。
「ヒデ、いい人はいないのかい。私に孫を抱かせてくれるような娘さんは」
「僕も探しています」
私の脳裏にひとりの女性が浮かびます。同じ課に、篠宮さやかがいました。さやかは国家公務員試験に合格すると、公安を希望して入ってきました。大学が同じであることに親近感を持ったさやかは、私によく声をかけてきました。不必要なほど胸の大きな娘で、正面から向き合うと、目のやり場に困ったものです。親子ほど歳が離れているというのに、私は秘かに恋心を抱いていました。なぜ公安なんかに働こうと思ったのかと訊ねてみたところ、その頃から流行り出してきた、刑事小説のドラマを見たからとのことでした。
「私ってミーハーなんです。子供の頃からそうで、周りの子たちが光GENJIに騒いでいたら私も光GENJI。ドリカムが好きって言ったらドリカム。ビジュアル系がキテると言われたら、一緒になってライブでhydeぉ―!って叫んでいました。頭が悪いんですね。自分の意見がなくないですか?」
さやかの目はいつもキラキラと輝いていて、私のほうは何だか見透かされたような気になり、わざと素っ気ない態度を取ることもありました。それでもふたりで食事に行ったり、ライブに行ったりしたこともあります。その頃ですと、倉木麻衣とかMISIAとか。私も好きになろうと思ってCDを買って、歌詞カードを読んで、興味もないのに必死になって覚えたものです。
同じ課の先輩後輩で、たまに休日を一緒に過ごす。それだけの間柄で十分なはずでした。彼女の笑顔を見守るだけでいい。でも本当はそれ以上の関係になりたかった。しかし口に出してしまった途端、彼女が離れていかないか、心配だった。不安で仕方がなかった。いつだってそう。私はここぞというときに大事なことを言ったり、行動に移せない人間でした。
それでもさやかと、そうした関係でもいいから続けたいと願っていました。
ですが、母との電話の一ヶ月ほど前に、さやかは突然、署に来なくなりました。
熱意を持って仕事をこなす娘でしたし、私もたびたび相談に乗っていたのですが、いきなり姿を現さなくなったのです。彼女の携帯電話にかけてみましたが、繋がることはありませんでした。その後、さやかの辞表が郵送されてきたと聞きました。
私の人生の最後の恋は、そうしてあっけなく終わりを告げました。
「ヒデちゃん、ねえ、ヒデちゃん」
私の甘い追憶は、母の呼びかけに遮られます。
その数日前にも疲れて帰宅すると、留守電が無機質な声で「三十四件です」とコールするのに続いて、一方的な用件が延々と吹き込まれていました。私は罰を受けるような気持ちで最後まで聞き届けました。母の留守電の締め括りは、決まっていつも同じセリフでした。
「父ちゃんやシンちゃんにも伝えて。早く……早く迎えに来ておくれよおって」
翌日からSの尾行を開始しました。○○区にある築三十五年の家(ヤサ)の前で張り込みをしていると、玄関からSが出てきました。ネクタイこそ締めていませんが、さしたる特徴のない勤め人という印象で、私はこっそりと彼の後を付けました。
結論から言うと、Sは極めて模範的な一般市民でした。
例えば、日頃から近隣住民への挨拶はもちろん、電車の中で老人や妊婦に席を譲ったり、目の不自由な人の手を曳いて横断歩道を渡ったりと、ドラマのなかの優等生がそのまま大人になったような男で、嫌みたらしいほどでした。因縁をつけてやろうと一度思い切り肩にぶつかってみたのですが、逆に私のほうがふっ飛ばされてしまいました。そのときも、
「申し訳ありません。大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか」
甚だ心配されて、私は尻の埃を叩き、急いでそこを退散しました。
家に盗聴器を仕掛けました。本当は家宅捜索(ガサ入れ)をしてもよかったのですが、後になって赤旗が、「人権無視だ!」とか騒ぎそうなのでやめておきました。「おまえらだって散々やってきたことだろう」と言ってやりたかったですがね。そうしてSの家を四六時中傍聴しましたけど不審な点は皆無で、非合法の活動も一切認められませんでした。
本当は写真を見たときからわかってました。私は長年ああいう仕事をやってきましたから、人間を見る目は人よりあるつもりです。Sは疾しいところなどない男でした。
その日も、耳に差し込んだイヤホンに、母子のやり取りが飛び込んできました。
「母さん、きょうはよく晴れてるから散歩にでも出ようよ」
「嫌なこった。私ゃあウチのなかが好きなんだよ。あんたは世間様から冷たい息子と思われたくないから、私といるところをアピールしたいんだろ。お見通しなんだよ、あんたの悪巧みは」
「そんなんじゃないよ。外に出て歩かないと足腰が弱ると思って」
「ひとりで出ておいで。まったくいい歳をして女もいないからって、母親以外に手を握る相手がいないのかねえ」
なんてクソババアだ。こんなに手の掛かるウメボシは、躊躇うことなく老人ホームにぶち込んでおけばいいと、私のほうが憤りを感じました。
「それじゃあ出かけてくるよ」
「まだいたのかい。夕飯を作る気はないから食べてきな」
Sは近所の公園に出向くと、首から下げたカメラで撮影を始めました。彼の得意分野は、動物や植物など、自然の風景でした。秋が近付くにつれ茂っていく樹木や、ベンチに座る老人から餌をもらう野鳥にシャッターを切り続けている様子を眺めているうち、よしなしごとが頭に浮かびました。いつかずっと前、どこかでSと会ったことがなかったか。昔からの友人のような気がして、他人とは思えなかった。もちろん後で調べ直しましたがそんなことはなかった。私はどこか感傷にも似た気持ちを打ち消そうと、吸っていたタバコを足で何度も踏み躙りました。そのときです。
「あの、すいません、撮ってもよろしいでしょうか?」
ブランコに腰をかけていた私の前に、Sはやってきました。
「え……え?」
すっかり声が裏返っていたと思います。
「いや、あなたがさっきから、美味しそうにタバコを吸っているなあと思いまして」
先ほども言ったように季節は初秋でしたから、暑いということはないのです。なのに私の腋や背中からは、汗が噴き出していました。
「よろしいですか?」
邪気のなさそうなSの顔に、私は曖昧に頷いていました。
Sがレンズ越しに覗いてきます。シャッターの音がするたびに、どぎまぎと私の心音まで写し取られていないかと、落ち着かない気持ちになりました。いいですねーとSの口から発せられると、何とも言えない、一種の恐怖を感じました。
「もっと自然な感じでお願いします。あ、いいですよー」
Sは前の週に、私が肩をぶつけてきた男だということを覚えていなかったようです。彼は口元の笑みを湛えながら、話かけてきます。
「私もね、以前はタバコを吸っていたんです。ところが母親に止められまして。私の健康を気遣ってくれているのかなと思ったのですが、彼女曰く、〝あんたが先に死んだら、誰が私の面倒を見るんだい?〟。酷い母親でしょう?」
言葉とは裏腹に、Sの声は弾んでいた。私は無理に笑顔を作るしかなかった。
「どうもありがとうございました」
それではと、被っていたハンチングの庇に手をやるSの背中に、私は気がついたら声をかけていました。
「あ、あの」
Sの大きな背中に、自分でも予想外の言葉が出ていました。
「一杯、飲みに行きませんか」
我々は新大久保で乾杯しました。
「無理に誘って申し訳ありません。家に帰りたくないんですわ。ババアと顔を合わせながら、まずいメシを食いたくなくて」
少しウソを混ぜましたが、本音でもありました。そうしてSの共感を得て、心を開かせようとそのときは考えたのです。いま思い起こしてみても、自分への言い訳なのですが。
「何ニシマショカ?」
若い韓国人の店員が注文を取りに来ます。メニューはSにまかせました。店内をしげしげと見回していたら、彼はこう言いました。
「新沼さんとおっしゃいましたね? 新沼さんは普段、韓国料理は食べませんか。そうですか。私はしょっちゅうこの街に来るんです。何でかと言いますと、ご飯が美味しいのはもちろんのこと、人が生き生きしているからです。見て下さい、彼らの表情。私たちの知っているそれと全然違うでしょう。彼らは自分の国を出て、異国の言葉と文化を勉強しに日本に来ています。来年は日韓でワールドカップを開催しますが、韓国のほうが上回るでしょう。選手の技術もさることながら、応援する人々の熱意が段違いです。残念ながら日本はあと数年のうちに、韓国に追い抜かれるでしょう」
この売国奴め、ヌカしているのはおまえのほうだ。日本が韓国に遅れを取るなんて、そんな日が来るわけないだろう。アカの母親にしてこの息子ありだなと、内心ムカムカしました。私は苦いビールをぐいぐいと呷るうちに、自分の職務も忘れて酔っ払ってしまった。
いえ、保険業界で働いているとか、自分の仕事に関しては適当なウソをついたはずです。
それよりなぜでしょうか。さっきまで向かっ腹を立てていたはずなのに、鬱憤というかそれまで蓄積してきたストレスを、会ったばかりのSに洗いざらいぶちまけていました。
「物心がついた頃から母親に競争を強いられてきました。〝お父さんを見習いなさい〟〝どうしてお兄ちゃんのようにできないの〟。私はろくに頭を撫でてもらえず育てられた。常に自信を持てないまま図体ばかり大きくなって、今に至っている。自慢じゃありませんがね、私は生まれてこの方女性と付き合ったことがないんです。なんだか誰かに愛されるなんて、そんな資格ない。そう思ってひとりぼっちできました。私をね、こんな風にしたのは母親なんです。今になって、老いさらばえたから優しくしろなんて言われてもね、私にはできませんよ」
Sは少し赤ら顔でしたが、深く頷いてくれました。
「お気持ちを察します。私と弟も、子供の頃から母親のヒステリックな性格に振り回されてきました。女手ひとつで育ててくれたことにもちろん感謝はしていますが、もう少し良識があるというか、まともな人だったら良かったのになあと、子供の頃から思ってきましたし、今も思います。きょうも思いました」
Sの笑い声に、私は慰められるような気がしました。
「お互い大変ですな。あーあのクソババア、早くくたばってくれたらいいのに……!」
マッコリの入った器をテーブルに叩きつけます。それでもSは長年の友人のように、私を穏やかな目で見守っていました。
「でもね新沼さん、私の母は、私と弟のために、私の知らないところで何かを犠牲にしたこともあったと思うのです。本当はもっと運動をやりかったかもしれない。しかし息子たちに害が及ぶことを恐れて、信念を貫けないことも多々あったと思う。でもそうしたことを億尾にも出さず、わざと偽悪的に振る舞ったりする。本当は、いい人なんだと思います」
「いい人なのはあなたのほうですよ」
Sと私はお互い母親の愚痴を零し合いましたが、大きく違うのは、愛情があるのとないとの差でした。Sは続けます。
「母はむかしから、こうと決めたらやり通す人でした。立派な人でしょう。私も諸手を挙げて賛同してあげたいと思う。ただし、自分の母親でなかったら、の場合です。信念はときに意固地と執着に姿を変えて、周囲の人間を傷つける。気づかぬところで大きな不幸を招くことがあります」
私はどきりとしました。本当は私が何者かを、知っているのではないか。カマを掛けているのはではないかと訝りました。私は頭の醒めた部分で、Sの次の出方を伺いました。ふたりの間に降った沈黙を破ったのは、やるせない溜め息でした。
「……もう、六年前になりますか。母の偏屈な性格を、より拗らせてしまう不幸な出来事があった。それ以降、どうしようもなくなりました。詳しいことは差し控えさせて下さい。それは母にとって途轍もない悲劇だったにもかかわらず、今では逆に生きがいのようなものになっている。それが彼女にとって長寿の特効薬なのだとしたら、好きなだけやらせてあげようというのが私の考えです」
私は後にも先にも、あんなにあきらめた笑顔を見たことがない。
「Sさん、意地悪に聞こえたら申し訳ない。いま、幸せですか」
「ひとくちでは言えませんね」
「こんなことを言ったら失礼だが」
「どうぞどうぞ」
「お母様の面倒を見るために、結婚をしなかったのではないですか」
「そう、かもしれません。そうじゃなかったかもしれません。相手が親だからとはいえ、自分の人生の失敗を他人のせいにしたくはない」
そう言って、マッコリを啜ります。私が酌をしようとすると、彼は小さな声ですいませんと言って器を向けました。それからまた口唇にあててから、徐ににこう言ったのです。囁くような声でした。
「なんであなたにこんな身の上を話しているのでしょう。どうもあなたには話しやすかったようです」
私もです。本当はそう言いたかった。だけど胸がいっぱいで、言葉を続けることができなかった。
「もうこんな時間か。お会計をお願いしましょう。割り勘でいいですか」
「いいえ、私が誘いましたから」
「いえ、そうなると私もまた誘いにくくなる。私は日曜だとたいていあの公園にいますから、また声をかけてやって下さい」
「はい、遠慮なく。そうさせてもらいます」
「じゃあやっぱり半々にしましょう」
「いいですか、お言葉に甘えて」
「はい。きょうは久しぶりに、楽しいお酒が飲めましたから」
そのときの、Sのニコッとした顔を、私はいまもはっきりと思い出すことができます。
私とSは電車に乗って、他愛のない世間話をして、笑顔で別れました。後になって、あんなことを言って自分のことを嫌いになっていないか、鼻毛が出ていなかっただろうかとか、妙に気になりました。断っておきますが、さきほどさやかの話をしたことでもおわかりのように私は異性愛者です。しかしその夜は終わるのがたまらなく寂しかった。
そして、今から話すことで、私のことを汚い人間だと、どうぞ軽蔑して聞いて下さい。
酒の途中、Sがトイレで席を立った際、私はこっそりと、彼のカバンのなかを覗き込みました。
わかっていたことでしたが、銃刀や薬物の類いはなかった。ましてや漁色家や変態と露見するようなブツもなかった。いっそ入っていてほしかった。「あんなにいい人ぶっているが、実はこっちが隠された素顔なのだ」と、安堵させてほしかった。人間の正体を見た気にさせてほしかった。私が彼にがっかりしたのは唯一、このときだけでした。
その後、私は何度も、Sと酒を飲みに行きました。日曜だけでなく平日も声をかけて、新大久保で飲み明かすのです。最初のうちは生理的に違和感があったあの街が、キムチやチジミを食べていくうち、次第に好きになっていきました。Sのことは、ますますです。歳を取ってからの友人は宝だと言いますが、本当にその通りですね。あんな落ち着く感情は久しくありませんでした。もっとも彼が私のことを、友達と思ってくれていたかどうかはわかりませんが。
今となっては、確かめようもありません。
「ずいぶん手間取っているじゃないか。新沼クンらしくもない」
生まれてこの方、一度も友人を必要としてこなかった人間が、上質な革張りの椅子に背中を預けたまま、冷笑の視線を投げかけていました。この男にとって必要なのは友ではなく、利用できる人間でした。だとしたら、私は真っ先に排除されると思いました。いっそそうしてくれと心のなかで願いましたが、もちろん口に出す勇気など持ち合わせてはいませんでした。
「弱みのない人間などいない。突け。穿れ。なきゃ作れ。どんどん酒を飲ませて、何でもいいから不祥事を起こさせればいいじゃないか。きみもここに四半世紀いるんだ。伊達にタダ飯を食ってきたわけじゃない。いちいち言わなくてもわかるだろう。母親を除けば、Sには後ろ盾になるような人物はいない。社会的地位のない人間なら罠に掛けた後も何かとやり易い。Sは毎日会社に通勤している身なんだろう? だったらさっさと〝鉄板〟をやればいいじゃないか」
ここで言う〝鉄板〟とは、痴漢の冤罪をかけることです。尻を触られたと主張する女、目撃したと名乗る人物、そして取り押さえる男の三人がいれば、冤罪の一丁できあがりです。電車内なら、誰でも容易に犯罪者に仕立て上げることが可能でした。伝統の常套手段です。
「またぞろあの婆さんが野党とグルになって、事故調査報告書から削られた機密の文書と、それを指示した議員を名指しで挙げて、国会に証人喚問させようという腹積もりらしい。気が狂れてるとしか言いようがない。ヒステリックな醜女が社会正義に目覚めたら、これほど手に負えないものはない。何とかならんものかね、まったく」
私は授業中に立たされた生徒のような気持ちでした。それよりその日の夜もSと飲む約束をしていたので、頭のなかではつまらない仕事をとっとと終えて、彼と楽しく語らうことでいっぱいでした。
「何とかならんのかと訊いているんだ、さっきから何だその憮然とした態度は!」
年下の上司から罵声が飛んできます。それだけでなく、顔のすぐ横を物が掠めましたが、それは彼の意図したことではなく、単に外してしまったのでしょう。そうした行為も、二〇〇一年だからまだ許されたことでした。現在だとパワハラとして庁内でも問題になるので、キャリアを気にする上司ほどやらないと思います。すべての行動規範が、出世にあるような男でしたから。
「新沼ぁ、よく聞けよ。Sを嵌めろと指令を受けたのは、あんたが最初じゃない。もっと仕事ができる適任者がいた。篠宮さやかを刺客としてSに差し向けた。ハニートラップだ。日照りが続いているだろうと思ってな。自然を装って出会わせたが、あのカタブツは、ホテルに誘った篠宮を断ったんだ。美人で、乳が大きい女からの誘いをだ? 変人にもほどがあると思わないか」
頭のなかが、ぐるんぐるんと回っていました。どうして自分がまだ立っていられるのか、不思議なほどでした。
「ところがだ、手を握ってきた篠宮に対して、あの男はこう返したそうだ。〝きみみたいな綺麗な娘さんが、僕のようなおじさんを相手にしちゃダメだよ〟。ありえないだろ? 頭がおかしいのは遺伝するものかね。母子揃って狂れていることは間違いないな。だからカマ野郎かと思って次にあんたを派遣したわけだが、どうやらそれも違うという。自分のことを聖人君主とでも思っているのか。まさか、そんな奴がいるわけない。人間はみんなドロドロに汚いところを隠し持ってて当たり前なんだ」
「Sは、そんな人ではないと思います」
自分でもカラカラな声だと思いました。上司はいっそう冷たい顔になると、私に手招きをしました。顔を近づけると、頬を叩かれました。
「おまえ、俺を馬鹿にしているのか」
普段血が通っていない人間が、ふっと顔を紅潮させた瞬間でした。
「どうしておまえのおふくろがあんな立派な、本来ならハイソな人間しか入れないセンターに預かってもらえると思う? あの施設の介護士の老人虐待を揉み消してやったことで枠ができた。そのおすそ分けを分けてやったのに、あんたは職務も忘れて被疑者(マルヒ)と友達ごっこか。あんたに付けた監視から報告を受けている。この後も会いに行くんだろ。きょう中に何とかしてこい。さもなければ……わかってるよな。代わりはいくらでもいるんだよ、新沼クン」
上司の非情な視線が、私の胸を深々と射抜きました。
母のいる老人ホームに足が向いていました。Sと飲む前に、どうしても会っておきたかったのです。私は電車に揺られながら、母の人生について考えていました。
曽祖父の代からの官吏一族に生まれ、物心がついた頃には、住み込みの使用人を顎で使う生活を送ってきた母にとって、女性が社会に出て働くことなど考えられないことでした。「女は家を守るもの」と教え込まれてきた母は結果、男に頼る人生しかなかった。
新沼家に養子に入り、厚生省の政務官を務めていた父が、薬害エイズ問題の罪責感から命を絶った後も、母はまだ何とか持ち堪えていた。しかし六年前、外務省のキャリア官僚だった兄の真一が、栄転先のシリアで家族全員、自爆テロに巻き込まれてからというもの、いよいよおかしくなってしまった。
兄に比べて愛情も希薄に育てられた私は、それでも彼女に気に入られようと、自分の意に反した職業を選択した。「どんなに大手だろうと、民間企業は落ちこぼれが行く場所」という考えが根付いた新沼家で、私が入れたのは、当時は人気がなかった公安警察だけだった。公僕なら、何でもよかった。その後も私なりに頑張ってきたが、それでも母は、少しも私に微笑んでくれなかった。
老人ホームのベッドで、いつまでも母の寝顔を見つめていました。痩せ細った頬は痛々しく、以前家で自らの喉に刺してできた穿孔が、嫌でも目を引きました。僅かな安息から覚めるや否や、母は私に縋りついてきました。
「ヒデかい、お父さんとシンちゃんに、ちゃんと伝えてくれたかい。早くお母さんを迎えにきてくれって」
「母さん、父さんも、兄ちゃんも、もう、死んじゃったんだよ」
私の返答に、母は一瞬ゼンマイが切れた玩具のように動きを止めたのも束の間、壊れているがゆえに、同じ言葉を繰り返します。
「早く……早く迎えに来ておくれよお」
私は立ち上がると、母の頭に敷いていた枕を手に取りました。それは眩い光を放っていました。
「……ヒデ」
母はことを悟ったのか、ゆっくりと目を閉じます。私には母が覚悟を決めたように見えました。
白くて大きな、見た目よりずっしりとした枕を、彼女の顔に押し付ける――その間際、扉をノックして、介護士が入ってきました。
「新沼さん、きょうは息子さんが来てくれてよかったですねえ」
私はそっと枕の位置を直すふりをして、母の白髪だらけの頭を持ち上げました。
「早く迎えに来ておくれよお」
「新沼さん、息子さんを困らせちゃダメですよ」
いつか見たことのあるような、キラキラとした笑顔を介護士が振り撒きます。私は込み上げてくるものをぐっと堪えながら、言葉を絞り出します。
「そうだね……早く、迎えにくるといいね」
母は幼女のような顔で、うん、うんと頷きました。
そして忘れもしません。その日は、二〇〇一年一月二十六日でした。私にとっても、Sにとっても、運命の日になろうとしていました。
私とSは、新大久保のいつもの店で、差し向かいで飲みました。私としては、別れの水杯を交わすつもりでいました。マッコリを胃の腑に流し込み、腹を固めてから、自分の身分を打ち明けたのですが、彼は、露ほども驚いた様子はありませんでした。
「わかってましたよ。あなたが警察関係の人だということは」
Sはニコリと笑います。長い睫毛に吹き飛ばされそうな思いがしました。
「長年あの母親の息子をやってきましたから、人間を見る目は、一応持っているつもりです。それに少し前に篠宮さんという女性が、やはり同じ目的で私に接近してきましたから」
私が訊く前に、彼はことのあらましを話してくれました。
「篠宮さんには、そんな仕事はやめろと伝えました。何も言わず、辞表だけ送って辞めてしまえと言ったのは私です。彼女、そうしたんですよね? それならよかった」
私は思わず膝を乗り出していました。
「彼女は……篠宮は、あなたの言うことを聞きました。私も、あなたに聞いてもらいたいことがあります。お母さんに、大洋ジャンボ事故の責任を糾弾する運動を、これ以上は控えるよう説得して下さい。ひとり息子の、あなたの頼みなら聞いてくれるでしょう。それがダメなら、家に帰ってこの後、お母さんを病院に入院させて下さい。頭がおかしくなったとか、何でもいいから。私からも、この通り」
私は、自分が罠に掛けようとした男に、いや、この歳になってできた友人の前に、両手をつきました。頭を下げたが反応はなかった。だからSにうんと言わせたいために続けた。
「私は、自分の意に沿う人生を歩んでこられなかった。それでもこれまで自分なりに、この国の治安に貢献してきたと、胸を張れるだけの仕事はしてきたつもりだ。私なりに、人生を引き受けて生きてきた。それでもできないことがある。Sさん、あなたを嵌めることなど――」
「新沼さん」
頭を上げると、Sは穏やかな顔をしていました。私は安らぎさえ覚えそうでした。自分の頼みを受け入れてくれるものと、すっかり思い込んでいました。
ところが、Sはその波風のない表情のまま、緩やかに首を振ったのです。
「前にも言いましたよね。あれは、母の生きがいなんです。長生きの秘訣なのです。それを奪うことを、息子の私ができるわけがない」
温もりのある声で、彼はぴしゃりと言い放ちました。
私は微動だにせず、息をすることも忘れていました。
Sが、私の前に、腕を二本突き出します。
「私を捕まえますか。何の容疑で? 酔っ払って、暴れたからという理由にしますか? 新沼さん、気を悪くしないで聞いて下さいね。あなたはまだ、ご自分の人生を生きたことがない」
この言葉には、さすがにカッとしました。
「あなたはどうなんだ! そんな立派なことが言えるのか。自分の母親ひとり説き伏せることができないで、私に人生がどうだとか言わないでくれ!」
「あなたはお母さんから逃げ続けてきた。受け入れたことなどない。胸を張れるだけの仕事をしてきたというが、それは本当でしょうか」
「……俺をバカにするな!」
反射的に、器の中身を彼の顔にかけていました。
「あ、あ、あ……」
私自身が、自分のやった行為に驚いていました。しかしSは、まるで私があらかじめそうすることがわかっていたとでもいうように、落ち着いた表情のまま、手元のおしぼりで白く濡れた顔を拭いました。
Sは、それでもいつものように、柔和な笑顔を見せていました。私は言葉を失いつつも、そっと手を合わせそうになりました。
「帰りましょう」
Sが伝票を持ってレジに立ちます。てきぱきとした動きに、慌てて後を追うのがやっとです。店を出て、そのまま駅まで何度もその背中に向けて呼びかけました。しかし彼は振り向かない。Sの大きな背中に追いつこうと手を伸ばしたが、掴まえることは叶わなかった。
改札を抜けてホームに入った。他に人は、それほど多くなかったと思います。このとき初めて、私にも理解し難い感情が沸き起こっていました。
――押せ。落とすんだ。Sを線路へと突き落としてしまえ。
唾を飲む音が自分の耳の奥で反響します。やれ。やれ。やれ。誰かが囁いていた。
そのときでした。
「誰か落ちたぞーっ!」
声の方を振り向くと、線路の中央にスーツを着た男が倒れていました。そしてそれを目にするや、Sは走り出していた。私もついていった。Sは迷うことなく線路に降りると、一向に起きようとしないサラリーマンを抱え上げようとした。若者がもうひとり、レールに飛び降りて、救助の手助けをした。しかし私はといえば、ホームから一歩も動けなかった。足が竦んで、身動きが取れなかった。電車が激しく汽笛を鳴らしながら滑り込んでくる。前照灯が照らし出す。暗い闇の中で、Sにだけ光が当たっているように見えた。ひとことで言うと、神々しかった。私は手を伸ばした。いや、本当は伸ばせていなかったかもしれない。警笛にかき消されたが、Sの口唇がこう動いた。
「あなたはいい人だ」
電車が三人を轢いた。
世間では美談と持ち上げられたあの話の裏にはそういう事実があったのです。
その後、私がもっとも驚いたのは、国は報道機関を使って、亡くなったもうひとりの、韓国人のほうだけをクローズアップさせたことです。映画まで作って、Sも一緒に死んだことは、まるっきり知らん顔をしてね。あれはうまくやったと思う。しかも映画の上映会に皇后まで出席させた。つまり、大洋航空の事故を揉み消すために、宮内庁もグルになったということです。運輸省と通じているキャリアがいるのでしょう。たいしたものだ。
しかし陛下の腰を上げさせたということは、この問題は我々の想像を超えたところにあると考えたほうが自然だ。あなたも命が惜しければ、大事な方がいるなら、これ以上首を突っ込まないほうがいい。Sのようになりますよ。
せめてもの抵抗と言うべきか、Sの死後、有志が集って彼の写真集を出しました。その中の一枚に、私の写真がありました。所在なさげな顔をしてね。さしたる特徴もない、至って平凡な面差しの、どこにでもいる、ありふれた男が写っていた。
Sの母親は息子の死により、糾弾活動がさらに激しさを増すのではないかと恐れましたが、精神を病んで、我々にとって結果オーライになった。そして数年後、九十歳で亡くなりました。往生と言えるでしょう。私の母のほうも、私が公安をクビになった後、センターから引き取って、最期まで面倒を見ました。
遺品を整理していたら、母と男の手紙が出てきました。使用人との恋文でした。そしてそこには、兄が使用人の子だとわかる文言がありました。母には母の人生があったのです。
きっと母はいつも自分を責める気持ちがあったでしょう。私を頭ごなしに叱るときも、誰かを、何かを、そして自分自身に対して、そのような感情が。
父と兄が死んだ後、彼女に慰めの言葉を掛けられなかった私ですが、それでも何か、言うべきだった。いいんだよと。もう、自分を許してあげてと。しかし結局、彼女が生きている間には言えませんでした。
いつだってそう。私はここぞというときに、大事なことを言ったり、行動に移せない人間なのです。
でも思うのです。大事なときに大事なことが言える人とは、いったいどんな人だろうと。
自分への許しでも、慰めでも、憐憫でもない言葉を言えるような人。
そんな人に、私は今後もなれるでしょうか?
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