砂浜より海に謳う

クウォーターライフクライシスである。

詳しくは、以下引用のデータまでまとめられた優秀な記事を読んでいただきたいが、ざっくり言うとアラサーの「俺、これでいいのか……?」と言う焦り不安がクウォーターライフクライシスである。私は今年で29歳で、大体26歳くらいから苦しみ始め、最近はあまり苦しんでいない。クライシスから脱却したのではないが、渦中にいる訳でもない。いつか解決した時に誰かの知見になるよう、未解決の今を残しておこうと思う。


なぜクライシスがアラサーに立ちはだかるかと言うと、就活生や新人社員といった溺れぬよう一心不乱に荒波をかき分けるような生き方から解放され、海上でふと自分がちっぽけな浮遊物であることに気づくからだ。自分は、何も持っていない。それは遥か遠くで同じく浮かんでいる他人に比べてだったり、遠い昔に波打ち際で別れた両親に比べての欠落感だが、どれにせよ現実のものでなく幻影だ。だが、足もつかない行く先も示されていない大海原で不穏に囚われず小さな波に翻弄されず浮かぶだけ、というのはとても難しい。

就職して親元を離れ、私もやっとひとつ息をつくことができた。大学では「こんなことでは社会でやっていけない」と怒鳴られ、両親には「いつまでも家には置かない、さっさと出ていけ」と冗談混じりに言い聞かされていた。
その二つを、私はクリアした。就職時に母から「アンタは最初は調子の良いこと言うけど実力がないから失望されちゃうかもね」と笑われたが、会社からの評価は決して悪くない。出来損ないとして監視されていた窮屈さと親に養ってもらっていた罪悪感から、ずっと食欲も物欲もセーブされていたことをこの時に自覚した。本当に、初めて、自分を誇りに思った。
しかし、穏やかな海に浸っていられるのは束の間だった。

母の娘としての私は

「あんた、そろそろ結婚とか彼氏とか、どうなのよ。孫が見たいわ。」

電話越しの母の言葉で、口に含んだ紅茶の味が無になっていったのを鮮明に覚えている。入社2年目、26歳の時だった。多分その場は愛想笑いなんかしてやり過ごしたのだと思うが、本当にショックだった。
母は私の大学院進学を後押ししてくれ、「女の人生は結婚やモテだけじゃないわよ」とよく言ってくれていた。むしろ女だからと甘えるな、自立しろ!というのが我が家の方針だった。だから、私は"上がり"だと思っていたのだ。両親に星野リゾートの宿をとって慰安旅行をプレゼントしたり、ほんの少しだが親孝行もしていた。子供として十分よくやれてる、問題ないと思っていた。

やっと親の期待すごろくをゴールしたと思っていたのに、後出しでステージが追加されたこれから私は男に中出しされることを目指さなければいけない………。

母の言っていた「結婚だけが人生じゃない」は「仕事だけの人生でもいい」ではなかった。「結婚も仕事もやって当然なのが女の人生」だったのだ。

社会人としての私は

社会人3年目で伸びないやつは3年目以降も伸びない。弊社ではよく言われていた文言だが、これは一般的なものだろうか?とにかく、私もやる気だけじゃなく実力を会社に見せなければならない段階に来ていた。上司から言われていた課題は明確だった。「ムラを無くせ」。これは、私には厳しいものだった。

私はチョコレート嚢胞を伴う子宮内膜症を患っている。簡単に言うとめちゃくちゃ生理が重くなる病気だ。出血が起きる月経日と、排卵がおきる排卵日の両方、それと不定期で、えずくほどの激痛が腰骨と腹に起きる。痛み止めで抑えるも完全ではなく、軽度の鬱状態は取れず、仕事のパフォーマンスを保とうと努めてはいたが、事実クオリティを下げてしまっていた。それまで低容量ピルにより生理周期を伸ばし、BADに入る頻度を下げてはいたのだが、「モチベーションにムラがある。もっと安定した仕事をしてほしい。」と評価された。
低容量ピルの他に、黄体ホルモン製剤・ジェノゲストというものがある。完全に生理が起きないように性ホルモンを制御するものだ。排卵も月経も起きないから周期的な症状はなくなり、チョコレート嚢胞を縮小するのにも効果的だ。私は、かかりつけの婦人科に相談してそれを服用し始めた。

これが泥沼への一歩だった。
病院からの説明はなかったが、ジェノゲストには低確率の副作用に"抑鬱"がある。知らずに服用していると、まずは希死念慮(これは若い頃からあったので不思議に思わなかった)、めまい、胸痛、動悸とどんどん肉体が立ち上がれなくなっていく。出社が難しくなり保険医の手が入ると、心療内科の受診を勧められる。睡眠導入剤や不安鎮静剤の服用も虚しく、改善されない。ある時に飲んだある抗うつ剤の副作用で胃痙攣を起こし、心が折れて休職に至った。
その後に再び婦人科に相談して、おそらく黄体ホルモン製剤が鬱的症状の原因で、抗うつ剤との飲み合わせが胃痙攣を起こしたのだろうと判断された。性ホルモンを無理矢理抑えつける薬を私は6ヶ月間飲み続け、副作用に苦しんだ。

「ムラをなくす」ために、男性判断の社会評価に応えるために、なにか私は間違った選択をしただろうか。

私の延長線の私は

俺、このままでいいわけがないのに身体が動かない。そうなっても一度目の休職では諦められなかった。早く治して、親と会社の期待に応えたい。それだけでは怖いから、趣味のコミュニティでも認め合える仲間を作りたい。まだ20代、焦るなという方が無理な話だ。
しかし、復職してから私はさらに膝を折ることになる。テレワークから始める計画が反故にされ、作業のみ担当で計画には関わらせてもらえない業務、「休んでたやつが口出すなよ」と嫌な態度を隠さない後輩……休職していた、また休むかもしれない人間には仕方のない処遇だ。
理解はしているものの、私は大きな承認を失ったような錯覚に陥った。自分は大きな選択を間違え、それは取り返しがつかないことだと思い込んだ。その思い込みはまた私の身体に染み込み、沈ませた。趣味で作ったもののいいね数は、今まで通りゼロ。二度目の休職は、復職の半年後だった。

母の娘として、「この前の人はセクハラのトラウマが蘇ってダメだったけどきっと次は上手くやる」「少し休んだら本気で婚活するから待って」と冗談混じりの言い訳をしてきた。
会社の従業員として、「病院に診断されたので、きっとすぐ良くなります」「自分でも生活習慣を気をつけています」「薬が落ち着くまでもう少しだけ様子を見させてください」と何度も説明してきた。

どうして、自分にも分からないことを相手の気にいるように無理矢理整え、必死に釈明しなくてはいけないのだ。

もううんざりだった。会社や家族だけでなく、本当に理解する気もないのに耳障りの良い言葉だけを欲しがる、少しでも事を荒立てれば拒絶する、全てに。

クウォーターライフクライシスの渦からも弾かれて、今は砂浜に打ち上げられている。自分が「でも私にはこれがある」「きっと出来るようになる」と自分に釈明し宝石のように大事に握りしめていたものが、陸地に並べればただのガラス瓶の破片だったことに気付く。

また海の世界に戻れるのか、今はまだ分からない。このまま干からびて死ぬのかもしれない。
ただきっといま私は、本能レベルで刻まれた習慣が忘れられなくて文字を打っている。波打ち際で鰭をばたつかせている。

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