子どもには失敗を選択する自由がある
ひぐらし坂の母でございます。
数年前に中学受験を終え、無事に開成中学に合格しました。
このnoteでは息子の中学受験を振り返り、親子のメンタルを最強にするための考え方をお伝えしています。
中学受験は究極的には【親子のメンタル】が重要です。
特に【母親のメンタルが9割】というのが私の持論です。
このnoteの基本姿勢はプロフィールをご覧ください。
さて。
いよいよ2月の受験まであとわずか。
お子さまのテンションと緊張感も高まっていることでしょう。
それ以上にお母さまが神懸ってしまっているお宅も多いのでは・・・
それもこれも【子供の合格のため】・・・だけど。
中学受験の神様
週刊文春2021年1月28日号に掲載されているコラムに深く考えさせられたので、まさに受験直前のいまだからこそここでご紹介いたします。
臨床心理士である東畑開人さんの連載『心はつらいよ』で、今回は自身の中学受験を振り返っています。
筆者は麻布中学を受験します。
親が夢を見て、親が計画を立てる。
親が指揮して、子が勉強する。
親が将校で、子は兵卒なのが中学受験だ。
ただし、我が家の場合はなぜか、勉強まで母親がしていた。
お母さまが本人以上に勉強しており、麻布中学の過去問も何度も何度も解いていたということです。
こういう親御さんは結構いますよね。
最近はお父様のほうがガチで勉強しまくって、我が子の中学受験にフルコミットしているご家庭もちらほら。
ついに中学受験の神様が降臨した。
私ではなく、母親に。
いよいよ明日は麻布中学の入試という受験前夜に、筆者の母親に受験の神様が降臨し、「焼津港の水揚げ高出るぞ出るぞ」と言いながら参考書の漁業のページを開いて迫ってきたと。
ヤマをかけるというのではなくて、一生懸命やりつくした末に見えてくる経験ってありますよね。
本人ではなく、お母さまに降臨するというのがなんとも・・・
そして入試も終わり、2月3日。
麻布中学合格発表の日。
掲示板に向かう緊張感がこちらにも伝わってきます。
皆一様に緊迫した表情をしている。
だけど、奥の院から戻ってくる親子たちには二種類の表情がある。
歓喜に満たされた親子と、絶望に打ち砕かれた親子。
不安になる。
俺はどっちなのか。
第一志望校の合格発表の日のことは本当によく覚えています。
足が進む速度と気持ちの焦りのスピードがぜんぜんかみ合わない感覚。
期待と不安が交互、というか同時に押しよせてくるのです。
人をかき分ける。
私より目のいい母親が先に歩みを止めた。
見上げると、凍りついた表情で、掲示板を見つめている。
私はもっと近づき、自分も番号を探す。
ない。
嘘だ。
もう一度探す。
前後の番号はある。
だけど、私の番号はない。
確かにない。どうして。
筆者の麻布中学の受験は不本意に終わります。
合格発表の記述には、どうしても感情移入してしまって辛くなります。
漁業のせいだ。
なぜよりによって漁業が出たんだ。
日本が魚食大国だからなのか。
いや違う。そこは問題じゃない。
どうしてあのとき、漁業の勉強をしなかったのか。
母の開いたページに載っていた図がそのまま出題されたというのに。
入試前日に受験の神様が降臨したお母さまの【漁業】というアドバイスを聞かなかったから落ちたのだ・・・と筆者は思うのです。
なんと、母親の予想が的中していたというわけです。
沈黙に耐えられずに母親と別れて一人で帰途につく筆者は、国語の参考書に載っていた「みじめな」という形容詞はこういうときに使うのだと実感しながら帰宅します。
自宅では親戚が集まって合格を祝う会を開く予定だったらしく、お通夜のような雰囲気で冷え切ったみじめなローストビーフを食べて、筆者は泣いてしまいます。
この部分、本当につらくなってしまい、読んでいて私まで涙が出てしまいました。
筆者の気持ちも痛いほどよく分かりますし、お母さまの悔しい気持ちも理解できます。
受験前夜に降ってきた【焼津港の水揚げ高】がそのままテストに出るなんて、本当に奇跡です。
お母さまの麻布中学への気持ちがいかほどだったかということがわかります。
大人になるということ
その後、時は経って筆者は大学院に進学し、教授に上記の中学受験の思い出話をします。
教授は「ローストビーフはもとから冷たい食べ物やった気がするな」と言います。
確かにそうだ。
ローストビーフは本質的に冷たい。
教授は続けた。
「漁業をやらなかったのが素晴らしい、と僕は思うな。
そこで勉強していたら、
お前の人生は母ちゃんのものになってたんと違うかな」
嗚呼!
なんと素晴らしい先生なんでしょう!
この一言で筆者も救われるのです。
まさにこれが反抗と成長なのです。
これから歩いていく道の小石をすべて取り除いてもらい、落とし穴の場所、水たまりの場所をあらかじめ教えてもらって、器用に避けて歩く。
そんな人生は、果たして自分の人生と言えるのでしょうか。
言う通りにやれば、目の前のことはうまくいくのかもしれない。
それでも「そんなもの出るはずがない」と思ったら、やらない。
その結果、勝つこともあれば、負けることもあるだろう。
いずれにせよ、その結果を自分の歴史として引き受けることができたとき、心は少し大人になる。
自分だけの心が生まれる。
筆者は中学受験だけでなく、その後も色々なアドバイスをあえてやらずに、結局また同じことを繰り返してきたと言います。
私はこういう人が本当に生きる力のある人間だと思うのです。
周りの人間は「あれほど言ったのに!」とか「ほら見ろ。言うこときかないからだ!」などと言うこともあるでしょう。
けれど、成功ばかり、近道ばかりの人生が良いわけではありません。
「漁業をやらなかったのが素晴らしい」
あれは金言だったし、あれこそ心理学の本質だった。
心には心のロジックがある。
お子さまはどんな出来事からも成長します。
「合格ばかりがゴールでもないし、成功でもない」と、私が何度も言っているのはこういう理由です。
親の手を離れて失敗する経験
ちょっと余談です。
ウチの息子は中学に入ってから、学校の友達とあちこち旅行に行きます。
10時間以上寝台列車に乗ったり、青春18きっぷで一日中移動したり。
旅行のプランもすべて息子たちだけで決め、予算を計算して親に許可を取るというスタイルです。
旅行は子供たちだけで行くので、途中トラブルもあります。
どれだけ綿密に予定をたてていても、寝台列車が何かの事故などで予定時刻に到着しないことはよくあります。
そうすると、すべての予定を組みなおさなければなりません。
頼れる大人はいないので、自分たちだけでなんとかします。
途中で友達が荷物を置き忘れたり、ごはんを食べ損ねたり、バスに乗り遅れたり、洗濯が間に合わなくて下着が足りなくなったりするそうです。
そういう小さな失敗を繰り返しながらなんとか旅行から帰ってくると、本当に成長したなぁと感動することもしばしばです。
開成の柳澤前校長は、「大学生になったら小さなアパートで独り暮らしをさせなさい」とよくおっしゃっていました。
食べること、寝ること、洗濯すること・・・生活のすべてに不自由を感じたり失敗することで、一人前の大人になれる。
そうして親への感謝が生まれるのだと。
子どもの自立と成長は、親の管理から離れて初めて実感できるものです。
中学受験で失敗しないように、手を引き、足元の小石を拾い、行く先を照らしてあげても、あえて手を振りほどいて反対方向に走り出す子もいるかもしれません。
それは立派な成長なので、泣きながら喜んであげてください。
みなさまに受験の神様のご加護を!
母親のマインドチェック
・子供は失敗からこそ学び、成長する
・親の言うことを聞かない子のほうがオトナである
・反抗はむしろ喜ぶべきこと
・中学受験は長い目で見れば小さなイベント
・その後の人生で、糧となる受験経験にしましょう
・合格だけが成功ではありません!
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