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小学校受験 考査の結果を受け入れる

秋の風に往復ビンタを食らった。

たしか「秋の風が頬をうった」と始まる小説があったが、今の自分はビンタだ、しかも往復の。

11月1日。ついに小学校受験の初日を迎えた。
いわゆる「ついたち」校だ。第一希望や、熱望校と呼ばれる学校の受験をこの日に選ぶ家庭は多い。我が家も迷わずその日を選んだ。

今思えばもっと戦略的にできたのかもしれない。子どもの状態や過去の倍率などを参考に違う選択肢もあったのかもしれない。

でも「全てのポイントで気合を見せる」という私の全力中年のねじれたド根性で
戦略なんて考えずに気合で挑んでしまった。

考査に向かう子どものことを私はきっとぼけてからも忘れずに繰り返し話すだろう。

「おうちの方にごあいさつしてから行きましょう」

先生にそういわれた後、

「行ってきます!」と大きな声で挨拶する姿、

少しの緊張と、頑張って創り出した笑顔、母に手を振ったあと前を向いて二度とこちらを振りかえることなくまっすぐに歩いて行ったその姿を。

私が子どもだったらどんなに不安だっただろう、いますぐ「お母さん」と言って母のところに戻って抱きつきたい。そして優しく抱きしめてもらいたいと思う。

11月1日からの1週間、ほぼ毎日考査に向かう度にその凛々しさは増していったように思う。最高に恰好良かったし、間違いなくキラキラとしていた。
親ばかと言われても良い。世界で唯一、我が子に対してばかになれるのは親だけだ。

そしてあれだけ何度も気絶しそうになった9月、メンタルがどん底に到達した10月を経て、11月は時空が歪んだのだろうか。
もう結果発表を迎えている。

オンラインの結果発表が主流となったいま、他の方の合否が分からないので精神的なダメージが無い分、あの無機質な灰色の画面には心をえぐられる。

8時50分、55分、58分、59分58秒…

カウントなんてしなければいい、あとで時間が過ぎてから見ればいいのに、時間ぴったりにアクセスしてしまう。手が震えながら。
そして神奈川校の発表の時と同じように、すぐに結果が知りたいという気持ちと、アクセス障害が起こって画面遷移ができなくなればいいのにという気持ちが交錯する。

目に入るのは、灰色の画面。そして合格の前に変な文字が付いているのが確認される。

今でも「不」の文字は私の嫌いな漢字のベストランキング1位だ。
糞、屑という言葉の方が喜んで受け入れようとさえ思う。

先日Twitterで「合不合」というなんとも好感の持てない文字が流れてきたので、検索しようと打ち込んでみたが、私の携帯では「豪富豪」と変換され、聞いたことのない大金持ちが爆誕した。

その瞬間に合とか不合なんて、「都か区か」くらいどっちだっていいと腹が立ってきた。もう私にとって合不合は山本山と同じ類のものだと理解することにした。

話を戻そう、灰色の画面を「×」でそっと閉じ、瞳を閉じる。それしかできない~とつい歌いそうになるがその時は本当にそれしかできなかった。

翌日も発表がある。大丈夫、次へ。次へ。

今回はきっと自分が緊張しすぎて手が震えたから良くないボタンを引き当てたのだ。この手がっ…この手が悪いんですってやつだ。

そう自分に言い聞かせて、その学校の過去問をびりびりに破って捨てる。
神奈川校の時から続いたその行動はもはやルーチンと化してきている。

翌日も57分、59分、00分02秒。
どうだ、今日はちょっと遅くにアクセスしたぞ。これで受かっているだろう。
ちょっと寝かせるのだ。ご飯だって炊けたあと少しおいて蒸らすのが良いと聞いている。
その日から「ちょっと数秒おいてから」という謎の願掛けが始まった。

また灰色の画面が目に入る。でも今回はどこにも大嫌いなあの不の一文字は無い。長々とした文章を読んでいくと「残念ながら」だと言うことに気が付いた。
不、またお前か。

アクセス時間が悪かったか…?

今回はアクセス時間のせいにしてみて、5分経ってからまたアクセスし直してみるが、その画面が心変わりしてくれることは無かった。

君のドルチェ&ガッバーナの香水のせいにするくらい手あたり次第毎回何かのせいにしてみるが、結果は変わらなかった。

そしてまた恒例の「過去問びりびりの儀」を執り行う。部屋がどんどん広くなっていく爽快感と同時に空虚な気持ちが増していった。

翌日もまた発表だ。次だ、次。

そう思い、ぐっと涙を堪えて風呂の掃除にとりかかる。

そういえばすごく霊感の強い会社の先輩に言われたことがある。トイレや風呂、排水溝などの穴が汚れているとそこから「来て」しまうと。逆にいうと、そこを綺麗にすることで運気が良くなるらしい。
家中のありったけのパイプフィニッシュを導入して親の仇をうつかのように徹底的に穴という穴の掃除をした。

ゴボッ!ゴボッ!ブッ!ビシャー!

掃除を終えて「給湯」ボタンを押したら、風呂の湯が勢いよくふき出した。

ふき出し口のところに何か詰まっていたのかなと思うと同時に私の中の感情もとめどなく溢れた。

なんで。ゴボッ!
うちの子が。ゴボッ!
あんなに頑張ったのに。ブッ!
私がだめだったからだ。ビシャー!

私がもっと早くから取り組んでいたら。ゴボッ!
私がもっと丁寧な暮らしをしていたら。ゴボッ!
私が学校にハンドバッグを忘れたから。ブッ!
私がもっと良い属性だったら。ビシャー!

ひたすら自分を責め続けて泣いた。今思うと、そこまで自分ばかりを責める必要は無いし、もっと言うと誰のせいでもない。

あの頃は「もしも」を追い求めることで「そうであった側」の肯定的な未来を想像し、自己非難と後悔を繰り返していた。

ダメだった理由を作り上げることができたら、自分を納得させられるからだ。

でもきっと、こと母親というものは全てを自分のせいにしてしまいがちな生き物なのかもしれない。
お母さんだから、お母さんは我慢するものだから、お母さんとは優しく強いものだから、そうずっとどこかから言われて続けてきたような気がして、そうじゃないといけないと思い込んでいる。
社会の背景から植え付けられてしまった呪縛のようなものだ。

あの頃の自分に今度こそ全力中年で言いたい。

お母さんは悪くない、子どもは悪くない、家族も、みんな悪くない。
これが小受の「ご縁」と言われる所以だ。

ひとしきり泣いた後、私はこの結果を子どもには伝えないと決めた。

いま結果を伝えたらショックを受けるだろう。
次の考査を受けたくないと言い出すかもしれない。
子どもの心の傷を作るようなことだけは絶対にしたくない。

なによりも、伝えないことで子どもを守ること、子どもとの絆を守ること、そして自分自身を守ることができると思った。

レジスターマーク(R)もついている。本物だ。

11月某日。
私はいま、胸に「Lee」と書いてあるTシャツを着ている。
私以外の家族全員がLeeのTシャツを持っているのに、私だけ持っていないからと子どもが描いてくれたのだ。
ここ数日の母の情緒不安定さを幼いながらに、子どもは気が付いていたのだろう。ゴミ箱に無造作に捨てられていたTシャツにそれを描いてプレゼントしてくれた。

「お父さんに描いていいかちゃんと聞いたよ」遠慮がちに母の様子を伺いながら
「合格のお守り」と言って手渡してくれた。

もう捨てようと思っていたTシャツが、私のお守りに生まれ変わった。

この先も国立考査が待っている。
いやもっとこの先、中学、高校、大学、大学院、留学、いやいや突然ミュージシャンになるという決意など、子どもの進路を考えるときが数えきれないくらいくるだろう。
まだ先は長いのだから、小学校受験なんて人生の1つの通過点に過ぎないし、いい思い出ときっと言えるのではないだろうか。

小受の先に待ち受けるこれからの人生の岐路を共に悩み、本人の決断を見守ることができる母でありたい。

その頃は全力熟年だけれど、母のド根性はさらに熟しているから大丈夫。

正直に言えば、今は辛くてまだ這い上がる元気がほんのちょっとしかない。
でもお母さんはいつも元気でいなくちゃいけないなんてルールはないんだ。

だからこの「おまもLee」(お守り)シャツを着て、次の画面へ行こう。

相変わらず手は震える。03分になったところまで少しおいてから、結果画面をクリックした。

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