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宮崎駿監督がアシタカに込めた思い
諏訪へ農業のお手伝いへ行った時から
もののけ姫が気になり、宮崎駿監督が気になり、
よく知らないけれど
ジブリ作品の解説動画を上げている
岡田斗司夫さんの動画を観漁っていると
アシタカの本心に迫る部分があり、
無表情でジェントルで礼儀正しいが心の中には絶望や怒りがある。
ぼーっと見ているだけではそこまでの考察、受取はできないだろう。
弱音を吐くのは弱虫。
本当に不幸な人間は礼儀正しくなる。
もののけ姫の制作途中に
宮崎駿監督が司馬遼太郎さんとの対談で感銘を受けたそうだ。
これをアシタカに引用していると知ってとても深く感じた。
ここでいう“ 不幸な人間 ”とは
自分の意思とは違うことをされ、
嫌な思いや怒りが湧き出てきても感情に任せるのではなく、
グッと自分を抑え込んで冷静を保つ人なのではないかと思う。
ある意味、自我を抑え込んでいる=不幸という表現なのだろう。
これを逆の意味で
自我を出し続ける=幸せだとは一概には言えないと思う。
自分だけが良ければ幸せか?自分勝手が幸せか?
他人はどうでもいいのか?
人だけではなく、動物や自然、地球はどうでもいいのか?
じゃあどうすれば自分も周りも幸せなのか。
自然界も地球も幸せになっていけるのか。
我を出す、出さないの境界線をどこに引くのか。
考えれば考えるほど深みにはまってゆく。
とても難しい問題になっていくと思う。
最近の流行りなのか、
時代の流れなのかわからないけれど
多様性、自己肯定感を上げる、承認欲求を認める、好きなことを仕事にする、
やりたくないことはやらない。好きなことだけをする。
自分らしく生きる。
どれもよく耳にするキーワードだが、ここに自分以外のことは考えないのか?
それでいいのか?
嫌でも歯を食いしばってやってきた世代と
好きなことしかやりたくない世代に挟まれた
中年は何を信じ、核にして生きていくのが正解なのだろうか。
人生って儚いくせにとても難しいものですね。
nanao