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本は読めないものだから心配するな/菅啓次郎

「あたりまえだ、すべての人間は根本的に無知であり、どの二人をとっても共有する知識よりは共有する無知のほうが比較を絶して大きいのだから。でもその無知に抵抗して、願わくは花粉を集める蜂蜜、巣をはる蜘蛛、ダムを作るビーバーのような勤勉さで、人は本を読む。」(p.7)
「歩行には、それ自体としての目的はない。だがそれは偶然の出会いを、いくつも用意する。」(p.20)
「誰だって、思い出すたびに心が揺れるような経験があるだろう。それにむすびついた言葉があるだろう。それにむすびついた人の顔、光、風、匂いがあるだろう。つい口ずさんでしまう歌があり、その歌詞やメロディーがあるだろう。何度でもよみがえってくる映像があり、それにつきまとうもやもやとした印象があるだろう。失われてしまったけれども呼びかけてみたい相手がいるだろう。そうしたすべては、いま、ただ言葉とむすびつくかたちでのみ、きみの記憶に住んでいる。それが詩であり、詩を根底からささえる言葉の黒土だ。」(p.51)
「人は「知らないこと」に誘惑されるが、「まるで知らないこと」には無反応に終るにちがいないからだ。どうやら既知の中にかすかに迷いこんだ未知だけを、新鮮な発見として、人はよろこぶ。」(p.76)
「世界にむきあい世界に覚醒するための読書、遠くを見て遠い声を聴き遠くを知るための読書をしたい。」(p.108)
「本を通じて、いまここにないものをありありと想像しようと試みる。たとえばスーダンの内戦を、中国の猛吹雪を、トンガの珊瑚礁の死滅を。あるいは、レンズを磨くスピノザを、周期表を発見したばかりのメンデレーエフを、アフリカ大陸から流木に乗って南米にむかう太古のサルたちを。」(p.165)
「悲しみとよろこびは、怯えと勇気は、平静と熱狂は、必ずいつも同時に存在する。」(p.205)
「経験は物語化され、たぶんありのままの現実の過去とはどんどん離れ、それでもときおり生々しくよみがえりながら、私たちにつきまとう。」(p.257)
「本の内容は手に入るものじゃない。手元に留めておけるものではないんだ。ただその風景を、その光を、その風だけを、よく覚えておけばそれでいい。」(p.268)
「読書の目的は内容の記憶ではない。そのときその場で本との接合面に生じた一回きりのよろこびを、これからやってくる未来の別のよろこびへとつなげてゆくことだ。」(p.279)

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