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涙にも国籍はあるのでしょうか/三浦英之

「事実ーーーこの国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。」(p.3)
「東日本大震災の直後の一年間、私はこの港町で人々と暮らした。震災翌日に津波被災地の最前線に入り、多くの遺体と、それを遥かに上回る泥の上で泣き崩れる人々を見た。自転車にまたがったまま体の半分が泥に埋まった野球帽の少年や、汚泥の上にアヒル座りして「ここで娘が見つかりました。私がやってあげられたのは、いつも歯磨きでしているように娘の口から泥を搔き出してあげることだけでした」と泣き叫ぶ若い母親や、顔のない遺体を運びながら目をとがらせて泣く自衛隊員や、避難所で私のセーターの袖口をつかみながら「あの、新聞記者の人、この写真を新聞に載っけてくれませんか?私のお母さん、どっかに行っちゃって、たぶん私と弟を探していると思うから」と家族のスナップ写真を震えた手で差し出す幼い姉弟や。」(p.18.19)
「それらはおそらく「伝えることのできない類いの悲しみ」だったのだ。一足すーが二にはならない。異なる絵の具を混ぜても黒にはならない。そんな条理や物理が成立しない悲しみが、この世の中には確かに存在していることを、私はあの春の日にこの町で打ちのめされるようにして学んだのだ。」(p.19)
「誰かが言った。「自分の親が亡くなった時の悲しみを想像してごらん。被災地には今、その二万倍もの悲しみが人々の肩にのしかかっているんだよ」。」(p.19)
「涙にも国籍があるのかしらね。」(p.37)
「涙や悲しみといったものにも国籍はあるのだろうか。」(p.37)
「「だって……」
婚約者は郭の台詞を必死に日本語に通訳した。
「あの日からずっと、彼らは僕に『お前は一人じゃないんだぞ』って伝え続けてくれているんですよ」。」(p.59)
「学校の外に出られたのは震災から10日が過ぎた頃だった。同僚教員の車に乗って実家のある南三陸に向かうと、見慣れたはずの雄勝や南三陸の街が完全に姿を消していた。ニュースでは「壊滅」と伝えられていたが、阿部にはそれが「消滅」、あるいは「蒸発」してしまったように見えた。」(p.73.74)
「被災地ではいつからか、「復興」が「開発」とセットで語られるものになってしまった。それは誰のためのものなのか。」(p.98)
「世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。」(p.107)
「There's nothing as beautiful as dedicating one's life for a cause.」(p.107)
「愛する人を守るために。あるいは、愛する人を見殺しにしようとしている自分自身を直視できないために。」(p.145)
「日本酒の揺らぎの中でそんな遠藤の話を聞きながら、私は人間とはやはり過去の中にしか生きられないのだろうかと、そんなことをぼんやりと考えていた。」(p.182)
「人は何のために生きるのかーーー。」(p.182)
「人に生きる意味など存在しない。」(p.182)
「我々はただ与えられた「命」をまっとうするために「生きている」のだ。」(p.182)
「そして思った。人間とはどうしてこんなにも弱く、こんなにも温かい生き物なのだろう、と。」(p.185)

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