禍いの科学/ポール・A・オフィット
「6000年前のシュメール人(訳注 メソポタミア文明を興した民族)が発見したフル・ギルーーー喜びをもたらす植物ーーーと呼ばれた植物は、ある薬物を誕生させ、現在は年間2万人の米国人がその薬物で命を落としている。」(p.11)
「ケシの実からとれるアヘンは非常に効力が強く、古代文明においては神から与えられたものだと考えられていた。シュメール人は、これを太陽神ラーの頭痛を癒すために女神イシスが与えた贈り物だと信じていた。17世紀のイギリスの医師・トーマス・シデナムは、「全能の神が苦しみを和らげるために人間に与えた治療薬のなかでも、アヘンほど万能で効き目のあるものはない」と言った。アヘンを神からの贈り物だとする考え方は、20世紀まで続いた。1900年代の初めに、当時最も高名な医師にしてジョンズ・ホプキンス病院の創設者でもあったウィリアム・オスラーは、アヘンを「神の薬」と呼んだ。」(p.17)
「ノーベル賞を受賞してから5年後の1924年、フリッツ・ハーバーはフィラデルフィアのフランクリン研究所で講演を行い、科学の力を絶賛した。「銀行家に法律家、実業家に商売人は、最高の地位についたとしても、しょせんは事務屋で、最高位に座するのは自然科学だ。科学の進歩が人類の繁栄を測る尺度となる。科学を発展させることは、次の世代の繁栄を育てる種をまくに等しい」。しかし、科学者だけでは何もできない。そして、解き放たれた科学には負の側面もつきまとう。」(p.85.86)
「1900年代の初めに、フランスの心理学者アルフレッド・ビネが知能検査を考え出した。数年後、スタンフォード大学の研究者らがこの検査を改良し、スタンフォード・ビネ検査と名前を改めた。さらに、優生学者たちは信頼性の高い判定に使える数字をすぐに手に入れた。70というのがその値だ。知能指数(IQ)のスコアが70未満のものは生殖に不適格であると判定される。」(p.117)
「ライナス・ポーリングは天才だった。」(p.220)
「1954年、化学結合とたんぱく質の構造に関する研究が認められ、ライナス・ポーリングはノーベル化学賞を受賞した。ポーリングは研究以外の活動にも精力的に取り組んでいた。1950年代から1960年代にかけて、ライナス・ポーリングは世界で最もよく知られた平和活動家の一人に数えられるまでになった。彼は原子爆弾の製造に反対し、政府の高官に原子核から放出される放射線が人間のDNAを傷つけることを認めさせた。彼の努力は、初めての核実験禁止条約という形で報われた。さらに、彼は2つ目のノーベル賞となる、ノーベル平和賞を受賞した。ライナス・ポーリングは、異なる分野で2つのノーベル賞を受賞した最初の(そして現時点では唯一の)人物となった。」(p.222)
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