M・STORIES 35/100 「わがはい日記」
ある日の事
「たった一人救いたい人は誰か」そして「たった一つ伝えたいことは何か」そのために生きる。
以前ある人に言われた事。
どういう事かわからなくて、悶々としていた。誰を救って伝えるのか。そんなのその時にならないとわからない事ではないのか。今現在、まさしく今誰かを救う?訳がわからない。目の前に困った人がいなければ救えないではないか。困った人がいなければ伝えることもない。その質問は何を正解としているのか?
最近周りにカウンセラーと名乗る方々がたくさん現れた。「生き辛さを話してください」「楽しい未来のために」「夢は何ですか」「生き方教室」「考え方教室」・・・不安にさせているのか、不安を作っているのか、そんなに困っている人がいるのか?そんなに生きる事について誰かから助言を守らなければ生きてゆけなくなっているのか?そんな人がたくさんいるのか?カウンセラーと名乗っている人達は一体何者なんだ?
例えば、それを仕事としてやっていて、食っていけるんか?いや いけてる人もいるだろう。だけど 一人2時間カウンセリングして2万円?(もっと?)一日何人やれる?8時間働くとして4人 8万円。それを20日 160万円。コマーシャル、営業、フォローアップ。年間960人を君セリング、うまく回ったら美味しい商売? ごまんといるカウンセラーの中からその人を選んでカウンセリングを受ける。どうやって選んでもらう?大変よ。
さて人の懐の考察はこの辺に、先の救いたい人、伝えたいことに戻って。無理やり誰かいないかと考えて見たんだけど、考えれば考えるほど 自分なんだよ。
人様・・・誰か、と考えても ある人をと思っても 厚かましいよね。私何様だよね。その人を救うって、その人にとっては大きなお世話。その人の人生、何で私の救いと私の伝えたいことが必要?ってことだよね。でも自分と思ったのは消去法で最後人こった方自分と言ったのではないよ。どう考えても私は救って伝えたいのは自分しかいないのよ。自分が一番大切だもの。自分を大切にできるのは自分しかいないじゃない。
私に「救いと伝え」を教えてくれた人は、決して私に助言を言ってこない。それなのに答えを言わない問題を出す。意地悪なのか、嫌われているのか、おちょくられているのか。
だから悶々として、カウンセラーという言葉に当たったりして。ごめんなさい。否定するつもりは無いのです。カウンセラーという言葉がたまたま目に入ってしまったのです。
私は自分が大好きで大切で愛おしい。誰よりも。だから自分を一番に救う。
以上