Why I became a supporter of Albilex Niigata〜私がアルビサポになった理由〜
光陰矢の如し。
早いもので今年のJ2リーグ開幕戦から今日で丁度3ヶ月が経過した。新品のユニフォームに袖を通し上州のからっ風に吹かれながら声を張り上げたあの日が遠い昔のようだ。
それもそのはず、誰もがこれほどの中断期間が訪れるとは思ってもいなかったはずだ。最初はたった3週間、丁度良い戦術浸透期間だと思っていた。当時の自分のTweetを振り返ってもまだ余裕が感じられる。
それが3ヶ月経った現在も未だにホームのユニフォームを着て躍動する選手達を一度も見ることが出来ていないのだ。
この間一体何度思ったことか。
早く試合が観たい。
そして3ヶ月経った今日やっと無観客ながらリーグ戦再開の可能性が報じられた。
僅かな希望の灯が見えただけで何と心躍ることか。
改めてこの中断期間に自分の中のアルビの存在の大きさに気づかされた。
さて前置きが長くなったがこの中断期間にやっておきたいことがある。
それは心の棚卸しとも言えるなぜ自分がサポーターになったのかを振り返ることだ。
隠すことでもないので最近Twitterのプロフィールにも載せたが僕はアルビサポとしては新米だ。
だからサポーターになるまでの心情を忘れる前に改めて言語化してみたいと思う。
Why I became a supporter of Albilex Niigata
〜私がアルビサポになった理由〜
今でこそ自分にとっては食う寝るアルビであり、心のインフラと化しているが一体いつからそうなったのか。
遡れば僕のアルビに関する最古の記憶は同級生がアルビレオというチーム名を公募で出して採用されたところから始まる。
その後10年以上経ち、進学の為に上京した僕がビッグスワンデビューをしたのは友人の結婚式で帰郷した2008年だった。それからは帰郷する折に友人に誘われて年に一回程度は観戦に行くようになった。馴れ初めという意味ではこの頃が僕とアルビの出会いなのだろう。
だがその頃の僕はヨーロッパを中心とした海外サッカーにどっぷりとはまっており、海外サッカーこそが自分の「恋人」でアルビは飽くまでも故郷の「気になる人」の域を出なかった。
2012年の奇跡の残留も、当時住んでいた大阪から祈るように中継を観ていたことを思い出す。2013年に大躍進するも、それ以降毎年のように続いた主力を引き抜かれてしまう苦しい戦い。薄くではあるが長い間、地元の「気になる人」の動向を追いかけていた。
それがいつからこれほど火がついたのか。
火がつくキッカケがあったのだ。
僕にとって2017年11月18日がそれだ。
忘れもしないアルビのJ2降格が決まった試合だ。
この年アルビは序盤から降格圏を抜け出すことが出来なかった。そしていよいよ土俵際まで追い詰められ、いてもたってもいられなくなった僕は東京から新幹線に乗っていた。
初めて人に誘われるのではなく自分の意思でビッグスワンを訪れ、アルビに会いに行ったのだ。
冷たい雨が降りしきるなかで懸命に戦う選手達。声を振り絞って応援するサポーター。勝利こそすれどとうとう訪れた降格の瞬間。それでもスタジアムにこだまするアルビレックスコール。
それは長く苦しい時間を戦ってきた選手と自分達を称えているように思えた。
そのアルビレックスコールは試合が終わってもまるで鳴り止むことがない。
‥‥なんなんだ。
一体なんなんだこの人達は。
どうしてそんなに夢中になれるんだ。
何がそこまでこの人達を駆り立てるんだ。
このチームはこれからどうなってしまうんだ。
不思議な感情に包まれた。
たった一度だけ
帰る間際に僕も一度だけ
「アールビレックスッ!」と
声を出し手を叩いた。
アルビが「自分ごと」に変わった瞬間だった。
それからの日々
そこからはアルビのことが気になって仕方がない。大丈夫なのか?主力は残るのか?ストーブリーグに突入してからも選手の契約更新に一喜一憂する日々。歯痛のように片時もアルビのことが忘れられない。いま思えばこの時すでに「気になる人」から「好きな人」に変わっていたのだろう。
この年も序盤からなかなか勝てない日々が続いた。J1時代の主力はほぼ残ってくれたし一年でJ1に戻れると僕もタカをくくっていた。なのに勝てない。勝てないから尚更、新参者の自分も応援をしなくてはという気持ちに駆り立てられる。この恋人は手がかかる。何でこんなにヤキモキさせてくれるんだ。
そしてこの年は関東アウェイを中心に観戦したが、忘れられない試合がある。
6月24日のアウェイ町田戦だ。
え、なんで?
なんでなんで?
今日W杯のセネガル戦当日だよ?なんでこんなに大勢新潟サポーター来てるの?この人達大半は新潟から来てるわけでしょ?試合終わって自走して帰ったらW杯観れないよ?おかしくないか?
と真剣に疑問を感じたことを覚えている。
当時の僕に今の僕から回答してあげたい。
「サムライブルーよりオレンジブルーなんです」
そしてこの頃まだサポーターという生態をよく理解していなかった僕は真剣にこう考えたことがある。
「ゴール裏の人達はクラブからお金を貰って来ているのだろうか」
遠征費が支給されるから遠くのアウェイまで行くし、報酬を貰えるからこれだけ大声で応援をしているのだろう。
本気でこんなことを思った時があった。
それほどまでにサポーターの行動はおよそ一般的には理解しがたい。
改めてアルビの応援席を見ると学生、会社員、主婦に至るまで老若男女さまざまな人が集まり声を出していることに気がつく。
この人達は時間とお金を犠牲にしてアウェイスタジアムまで大挙して駆けつけて来るのだ。
ただひとつ。
おらが街のクラブの勝利を願って何の見返りも求めず応援する為だけにだ。
そして気がつけば僕も今ではゴール裏で声を出して応援するようになった。
知ってしまったのだ。
大空の下でチャントを歌い手を叩き、ゴールが決まればそこが一瞬で興奮の坩堝と化すあの楽しさを。
知ってしまったのだ。
毎週末繰り広げられる筋書きの無いドラマの中に我が身を置くあの愉しさを。
そこに集まる人達はそれぞれ普段思い通りにならない現実を抱えているのだろう。
でもピッチの中はそんなことは全く関係がない別世界だ。
選ばれたプロ達が真剣に戦い、勝てば喜びを爆発させ負ければ本気で悔しがる。
磨き上げられたその技、気迫、身体のぶつかり合い。それらのなんと眩しいことか。彼らがピッチに創り出す世界はお金を払ってでも見る価値がある。
きっとその素晴らしい世界を構成する一員になりたくて僕らはスタジアムに足を運んでしまうのだろう。
そして僕は思い違いをしていたことに気づく。
サポーターは何も犠牲になんてしていないのだ。
好きだからだ。
それだけで何の問題もない。
僕らはあの非日常に恋をしてしまっているのだ。
あの頃の自分にこう教えてあげたい。
「お金貰わなくても恋人には会いに行くだろ?」
こうしてみると僕がサポーターになった理由はアルビレックス新潟というチーム含めそれを取り巻くサポーターの生き様に魅了されてしまったからと言えるだろう。
「はいえん」と名乗る理由
最後にこれだけ自分のサポータープロフィールを書いたのでぼくが「はいえん」を名乗る理由にも触れておきたい。
その理由は昨年の10月にマイコプラズマ肺炎に罹患して生死の境をさまよったことに由来する。
そう、なんのひねりもないのだ。
かなりの重症で熱は42度を前後し、心臓も不整脈を起こした。僕が入院した当日に妻は先生から「夜中に電話が行くかもしれませんのでその心づもりでいてください」とまで言われたそうだ。
幸いそのあとは快方に向かい今こうしているわけだが、入院中にそんな自分が滑稽に思えて作ったTwitterアカウントがそのまんま「はいえん」なのだ。
平仮名で「はいえん」と書くとなぜか「債権」や「概念」のように最初の「は」にアクセントが来るのが不思議だ。
ちなみに入院中にこのまま死ぬのかもしれないと思った時にとっさに浮かんだ心残りは二つ。
まだ幼い息子とアルビレックスのことだった。
前者は当たり前だが後者に関しては、かなり妻から呆れられたことを付け加えておく。
そして大袈裟かもしれないが、この瀕死の体験をしたことで僕は少し死生観が変わった。
それは天国に持っていけないものにさほど意味は無いなと思うようになったことだ。
その点でこれから訪れるであろうアルビの昇格やタイトルといった体験は天国へ持っていけるのだから、生き甲斐として申し分ない。
その光輝く体験の日々がもうすぐ帰ってくるかもしれないのだ。
今はまだ再開の狼煙が上がるのを固唾を飲んで待つ毎日だ。そして来たるべきその時に備えてエネルギーと少々のお金を貯めておくべき時間だ。
再開しても当面は無観客試合だろうがそれでも構わない。
愛すべきあの非日常が帰ってくるのだから。
そしていつか再びスタジアムで応援が出来る日が戻って来たのならば。
その時は今までで一番大きな声を出し
今までで一番惜しみなく手を叩き
今までで一番楽しそうに応援をする自分がそこにいるだろう。