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フェルナンド・ジョレンテという男

おはようございます。ぽっこりお腹がどうやったらキレイに凹むのか悪戦苦闘中の店長です。

さて、お久しぶりのスーパースターじゃない列伝は第5弾。
今回は先月スペインのテレビで電撃的に引退を発表した流浪のストライカー、ジョレンテです。

1985年、スペインバスク地方のパンプローナに生まれたジョレンテ。ちなみに「ジョレンテ」は父方の性で、母方の性である「トーレス」と合わせて、フェルナンド・ジョレンテ・トーレスというのが本名のようです。
鳥栖にきた世界的スーパースターと被りますね…

バスクといえばアスレチック・ビルバオ。ビルバオの下部組織で育ち、2005年からトップチームでデビュー。
順調にキャリアを積み重ね、チームのエースへと成長。09-10シーズンのEL得点王に輝き、2010ワールドカップ南アフリカ大会のスペイン代表にも選出。ポルトガル戦に出場しています。

おいおい、スーパースターじゃないなんて言っていいのか?って気もしてきましたが、書き始めちゃったんでこのまま突っ走りますよ。

2012年夏、残り1年となったビルバオとの契約延長を拒否。当時の移籍金は3500万ユーロとも言われましたが、2013年1月にユーベと合意。13-14シーズンから移籍金ゼロでの加入が決定しました。

これについては、後年一悶着あったみたいですね。ビルバオって結構特殊なクラブですから、後ろ足で砂をかけるような選手は嫌われるようで、移籍金残したハビ・マルティネスなんかも裏切り者扱いらしいですし。
キャリア晩年に愛する地元クラブに戻ることをジョレンテも望んだようですし、クラブの補強ポイントにも合致してたようなのですが、複数の理事が強く反対したことから古巣への復帰は叶わなかったようです。

話が横道に逸れました。加入当初はなかなかコンディションが整わなかったジョレンテですが、徐々に真価を発揮。テベスとのコンビでゴールを量産。
195cmの高さを活かしたヘディングの強さは圧巻、ペナ角あたりからポグバやビダルがフワッと上げたボールをヘッドで角度を変えて流し込む、なんて光景をよく目にしましたが、流石にスペイン人、足元もなかなかに華麗。サッスオーロ戦で決めたサイドからのグラウンダークロスをヒールで決めたしゃれおつなゴールなんかも印象に残っています。

勝負強さ、という印象は個人的にはあまり持っていないんですが、CLのマドリー戦でもゴールを決めていますし、最終的にこのシーズン、リーグ16ゴールを決めています。コンテ時代の他のフォワードと比較してもなかなかに立派な数字ですね。

翌14-15シーズンは擦った揉んだがありました #宮沢りえ  なせいで、急遽コンテからアッレグリへと監督が交代。クラブもスペインの新鋭ストライカー、アルバロ・モラタを補強。
シーズン序盤はテベスとのコンビに一日の長を見せたジョレンテがスタメンで出場し、交代でモラタが入るというパターンが多かったものの、徐々にその序列は変化していき、モラタのほうがテベスのパートナーとして起用されることが多くなり、ジョレンテはこのシーズン7ゴールと、前年に比べると寂しい成績に終わります。
アッレグリの好みに合わなかったんですかね。上手い、強い、いい選手だと思うんですけど。

そんなジョレンテのユベントス時代のハイライトはこのシーズンのオフ。
新婚旅行でなんと日本にやってきました。
彼のSNSには姫路や清水寺での写真がアップされ、我々も大興奮。ラストは白川郷という渋すぎる選択。日本を大いに満喫していただいたようで何よりです。


温泉にしっぽり浸かって迎えた15-16シーズン、移籍の噂もありましたが、ひとまずは残留。が、クラブはジョレンテとプレースタイルが丸かぶりなマンジュキッチを補強。押し出されるようにジョレンテはセビージャへと旅立って行きました。

2シーズンという短い在籍期間の割に濃ゆい思い出を残していったジョレンテ。
その後はイングランドに渡りプレミアでも活躍。ナポリに戻り最後は田邊草民も在籍したエイバルへ。実に8クラブを渡り歩き、エイバルとの契約満了とともに静かにピッチを去りました。
現在はパデル(壁打ちテニスみたいなアレ)に夢中と先日のテレビ解説に登場時に言っていたようです。
ユーベ退団後も、ユーベに対してポジティブな発言をしていた覚えがあります。これからも続くであろう彼の旅の中でまたいつかどこかで出会えたら、なんて思っています。
Bon Voyage!Llorente!


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