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ユベントス'90s

セリエAが世界最強リーグと呼ばれていた1990年代。ユーべとそれを取り巻くライバルたちについて振り返るシリーズ第4弾。あの頃のサッカー少年、みんな大好きだったスーパースター。

Part4. 追悼、ディエゴ・アルマンド・マラドーナ

お久しぶりでいきなりですが、今回は『ユベントス』も『90's』もあまり関係ありません。マラドーナです。
早いもので、彼の死からもう3ヶ月が過ぎました。今更追悼もないだろう、という気もしないではないのですが、1980年代から1990年代をサッカー少年として育った世代には避けては通れない存在なのです。


日本のサッカー少年にとってのマラドーナ

1980年代、現在と違ってクラブレベルのヨーロッパの試合を観る機会などほとんどありませんでした。トヨタカップくらいですかね。あとは三菱ダイアモンドサッカー。
そんな我々にとって、ワールドカップ中継だけが世界の最先端に触れられる機会であり、小学校低学年時に観た1986年のメキシコワールドカップは、前年のトヨタカップのプラティニに並ぶ衝撃でした。あの頃のサッカー少年なら99%は左足でボレーシュート撃つときに『ノヴァ!』と叫んだはずです。(それはCMだね)

そんなメキシコワールドカップ準々決勝イングランド戦。伝説の神の手と5人抜きの映像を見返してみました。今では貴重になってしまったマラドーナが出てるフルマッチ映像ですね。


観始めてまず驚くのが、スピード。子供の頃の記憶では、圧倒的なテクニックが強く印象に残ってるんですが、改めて観るとクイックネスが尋常じゃないですね。3歩くらいで相手を置き去りにするスピード。

そして、フィジカルの強さとボディバランス。この2枚の写真、まったく体幹がブレてませんね。圧倒的なフィジカル。

そして何よりスゴいのが、完全に空間というか、間合いを支配してますね。対峙した相手を完全に自分のコントロール下に置いている。でないといくら今と違ってプレッシャーの緩い時代と言っても、5人抜きなんてあり得ませんよね。
よくメッシと比較されますけど、メッシの3割増しですね。比べるもんじゃない。こんな選手他に観たことない。そりゃあ、世界中が熱狂しますね。1986のマラドーナ、神の子というより、神でした。

ナポリの太陽

はい、月ユベですからね。ユーベとどうやって絡めようか悩んだまま書いてますけど、せめてカルチョとの関係くらいはね、触れていきましょう。

【サンパオロに6万人】

お披露目ですよ。試合じゃないんです。6万人集まったそうです。

このナポリとマラドーナ、ってテーマで掘り下げようと色々動画を観たり、文献読み漁ったりしてみたんですけど、まあ、イタリアの南北格差の問題に必ず行き着きますよね。
そこで語り尽くされたようなことここに書いても面白くもなんともないんで、筆者の独断と偏見による印象を書きますと、ナポリって、大阪みたいだなと思いました。大阪と阪神タイガース。

マラドーナが来るまで、ナポリは中位から残留圏を争う弱小クラブだったのが、彼の加入でいきなり黄金時代を迎えるわけですね。そこでのナポリの人々の熱狂。その中心にいるマラドーナ。


はい、2003年の阪神タイガースと金本知憲にそっくりですね。その後、聖域と呼ばれ不可侵な存在になりチームを衰えながら去っていく姿までくりそつ。



と、ここまで書いてて自己完結したのですが、金本なんてもんじゃないですね。
『ナポリ市民にとってのマラドーナ』

とは

『阪神ファンにとってのバース』

これですね。まさに神。唯一無二。


だいぶ話が横路に逸れました。とにかくマラドーナ加入後のナポリは、8位、3位、優勝(初)、2位、2位、優勝(2度目)と、それまでのクラブの歴史上考えられない成績を残すわけです。しかも、UEFAカップも優勝、これはナポリ唯一の国際タイトルです。

傷だらけのワールドカップイタリア1990

満身創痍で挑んだ第二の故郷、イタリアでのワールドカップ。マラドーナのコンディションとともに徐々に調子を上げたアルゼンチンは決勝トーナメント一回戦で宿敵ブラジルと対戦。
試合を決めたのはやはりマラドーナ。
マラドーナからのたった一本のスルーパスをカニーヒアが決めて1-0でブラジルを破る。
このパス、今でも鮮明に覚えてますね。そしてカニーヒアはかにーじゃっ!って呼ばれてました。

準々決勝、ユーゴスラビアを退け、準決勝の相手は地元イタリア。それも舞台はナポリ、スタディオサンパオロ。

歓声とブーイングが混じり会う異様な雰囲気を覚えてます。やっぱりワールドカップはマラドーナのためにあるのか…と感じましたね。

そしてアッズーリを破り決勝の相手は西ドイツ。NHKのゲスト解説は何故か世界の王貞治。とにかく退屈な試合だった。マラドーナはブッフバルトに完封され、終了直前のPKを沈めた西ドイツが三度目の優勝。
そして舞台がイタリアだったこともあり、マラドーナ狂想曲は激しさを増していくことに。


コカイン 出場停止 ナポリとの別離

ナポリの王として君臨するも、光が輝くほど影もまた濃くなるもので…
麻薬使用とマフィアとの関係をマスコミに再三報じられ、周囲が騒がしくなる中選手としてのパフォーマンスにも影響が見られるようになり、ドーピング検査に引っ掛かったことで遂にはイタリアサッカー連盟から15ヶ月の出場停止処分を受け、ナポリとの蜜月の日々は終わりを告げました。


一瞬の復活と最後のワールドカップ


ナポリを追われ、セビージャ、ニューウェルズ・オールドボーイズと渡り歩くも、実質は半引退状態。
そしてアルゼンチン代表はマラドーナ抜きのチーム作りを進め、その歩みは確実なものと思われたのも束の間、ホームでコロンビアに敗れたことで出場すら危ういことに。
待望論の末、代表復帰を果たしたマラドーナとアルゼンチンは大陸間プレーオフでオーストラリアを破り無事にアメリカへ。

マラドーナのこの咆哮、一生忘れないでしょう。

そしてこの直後、またもやドーピング検査に引っ掛かったことで再度15ヶ月の出場停止処分。
マラドーナのワールドカップはあまりにも彼らしく突然の幕引きを見ました。

健康問題と監督復帰

その後の姿は、もうお騒がせ男の本領発揮でしたね。動く度に何かが起きる、何かをやらかす…。それでもいつも絵になる男でした。60歳、あまりにも早すぎ………いや、よく60歳まで持ったな、というのが正直なところですかね。RIP.


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