アニメ 進撃の巨人 最終話を終えて オーディオ視点からの楽曲レビュー「紅蓮の弓矢」「僕の戦争」

第一期OP「紅蓮の弓矢」のオーディオ的考察


 とにかく音が悪くて普通には聴くことができないと言われる、紅蓮の弓矢ですが、この曲をうまく鳴らすことを目標にオーディオシステムを整える事で、現存する音圧の高い鳴らしにくいアニソンのほとんどがうまくなるようになると思います。また、この手の鳴らしにくいアニソンが鳴らせるようになると古いジャズやクラシックの録音もまた気持ちよく聴けるようになるようです。

紅蓮の弓矢は、音の成分をキッチリ分解して低域を強調しつつ音場を補正しつつボリュームをかなり上げてやると、壮大なスケール感のあるステージ感が得られる曲だと思う。爽快でスケールの大きい豪快な曲で元々の下地はそんなに悪くは感じない。ただし、ボーカルに激しいこもりとマスタリング時に音圧を上げすぎたことによる、上から下まで歪みがありそう簡単には鳴らない音源である。特に音量を上げれば上げるほど低域が全面へ出てきてボーカルが埋没する。

全体的に音がぼやけており、ハイスピード、キレの良い音で鳴らすことが理想です。要求されるスピーカーそして駆動させるパワーアンプのレベルはかなり高くシビアに思います。特に低域の処理方法は最重要にして最難関であると思います。しかしここをクリアすることで全体の見通しが良くなります。加えて、音場はできるだけ広く展開させることが理想です。スピーカーの性能はもちろん、上流の環境、プリアンプや音場系の電源ケーブルと言ったアクセサリーにも気を配りたいところです。


紅蓮の弓矢が気持ちよく聞こえるシステムにもう”苦手”はなくなります。

☆チェックポイント
曲全体①~
・ボリュームを最大限上げたときに高域はピーキーになっていないか
→高域成分は非常に少ないため、通常高域が煩くなることはあまりないと思われる。ボリュームはいくらでも稼げます。

曲全体②~
メインボーカルの音像が大きくなりすぎてないか中央奥下側で定位しているか
→歌詞がちゃんと聞き取れるかが最低限のラインです。
イメージとしてはコロッセオのような大きなステージの中央に一人小さく見える感じ。声量は小さく埋もれますが、歌詞が聞きとりやすいと感じるならほぼ上手くなっているように思います。

2:20~:
中盤でのコーラス隊とメインボーカルは別れてコーラス隊はメインボーカルより奥でしっかりと広がっているか。ステージの配置に気を配ります。
→紅蓮の弓矢最大の見せ場であろうコーラスと掛け合いここをしっかりと表現したいです。

2:45~:ギターソロでは楽器としてのディテールは出ているかをチェック。
→ギターソロと併せて低域が暴れていないかも要チェック

3:15~:後半セリフ、ステージ全体に響くようなセリフとバックの楽器が分離しているか
→セリフが降り注ぐようにぐいっと前へ出てくるシーン。ここの音像はかなり大きくなっていても良いと思います。

4:20~終盤の盛り上がり 大サビ 序盤より音圧がやや上がりさらにシビアさは増すます。
→ここでもコーラス隊とメインボーカルが分離しているかコーラス隊の人数は分かるかチェックしよう。ここがきれいに鳴らせたらもう怖い音源はないです。

※時間は目安です。

進撃の巨人 Final Season「僕の戦争」/神聖かまってちゃん


50年に一度の名作、海外でも広く深く評価され始めた、進撃の巨人 FinalSeasonのOP主題歌です。
神聖かまってちゃんは、僕の戦争だけでなくYoutubeを介して世界でも今注目のアーティストです。好みは非常に分かれるところだと思いますが、私は非常に興味深く聴いています。かまってちゃんを知ったのは、エリオをかまってちゃんでした。あのときはただただ音圧が凄まじい個性が強すぎるアーティストが出てきた、くらいしか感じませんでした。また進撃の巨人 Season2での「夕暮れの鳥」もアニメ放送版ですら音圧が凄まじいく聴くに堪えないとしか思えずスルーしていました。相変わらずアニメ作品は大手メディアが深く関わると音楽が音圧で潰されてしまってなんだかなと思うのでした。

しかし、今回の「僕の戦争」に関しては、音圧が高いだけで片付けられるだけの音楽ではありません。大型スピーカーで爆音で聴くタイプの曲であり、聴くと言うより世界へ没入する。聴いている間は身動きもとれないほどにこの世界観に圧倒されます。この曲が持っているポテンシャルやエネルギーはただ者では出すことが出来ないまさに天才のそれ。実はこの曲について5千字ほどの記事を一本書くつもりでいましたが断念しました。
簡単に言うと、この手の”常識の範囲外にある作品”を作るには、生まれ持ったただ者ならぬ才能の持ち主か、誰もやったことがない特別な体験をするとか、ドラッグでトリップでもしないと作れない作品です。映画でも音楽でも、人を圧倒するレベルの作品が生まれる瞬間には、己を極限状態に放り投げたとき、それはまさに限られた人しか触れられない深淵の底の情報なのです。
かまってちゃんの創作活動ではどちらかというと、アウトサイダーアートに近く、草間彌生の世界にも通じるものを感じます。極限状態まで追い込まれた人間にしか捕らえられない”なにか”を、音楽として表現した”の子”は天才との一言では片付けられない、まさに異人です。
この曲でもう一つ注目したいのが、音楽として進撃の巨人の世界を表現しつつも、しっかりと”の子の曲”であることです。これはいくつかのメディアでも触れられていますが、一般的な商業音楽でこのような構成にすることは多くの場合で失敗します。それがこの曲では絶妙にバランスを保っていて、それが逆にこの曲の価値を高めているようです。
音圧が高いことについては、個人的な解釈を用いたら”の子”の表現が既存の音楽フォーマットを超えてしまっている、それはまさに現代のストラヴィンスキーのようであり、ジャクソン ポロックの画ようでもあります。しかし決められた箱の中にキッチリ納品できないアーティストは一流ではないと思うかも知れませんが、それは商業、資本主義での角度のお話です。
孤独、葛藤、混沌…複雑で許容しがたいレベルの感情が”押し込まれた”この「僕の戦争」はまさに本来の意味でのアウトサイダーアートと言って良いでしょう。誰に評価されるためでもなく、ただただ身からこぼれ落ちてくる純粋なカオスなのです。理解されるためのアートではないので非常に難解であり拒絶の境地にあります。それでも一人の人間の極限状態へ”追体験”が出来る数少ない音楽でしょう。

この世界観にピントこない方は、「夕方のピアノ」を聴くと良いでしょう。”の子”の表現と精神性に衝撃の一作です。
「僕の戦争」 、一度で良いので、低域が豊かで、できるだけ大きな音が出せる環境で聴くと良いでしょう。音楽史に残るアーティストだと思います。

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