LGBT議論を広げていくためには
LGBT理解増進法案について議論が活発化している。超党派のLGBT議員連盟が案を出すところまできたが、それでも今国会では決まらなそうだ。
LGBT法案、異例の「3つの案」で混迷。今国会成立の見通し立たず(松岡宗嗣) - 個人 - Yahoo!ニュース
LGBTの話は気が重い
私が授業を受け持ったクラスでは、必ずLGBTについての話をするようにしている。バカにするような言動や行動はすべきでないし、世界的にも絶対に許されないよ、という程度ではあるが。
そんな私でも、LGBT法案について記事を書きだしてからずいぶん時間がかかってしまった。記事を書く手が重いのだ。その原因は、先月の記事を書いていてようやく理解できた。
この記事は、見知らぬおっさんの前を通り過ぎるときに咳ばらいをしたら、「お前は差別主義者だ!」と言われ続けたというウソのような実体験をありのまま書いたものだ。
非常に感情的になって言い争ってしまったが、あんなヤバいおっさんに絡まれたら「平謝りでその場をやり過ごす」のが圧倒的な最適解だ。逆上して暴力を振るってきたかもしれないし、凶器を持っていたかもしれない。それでも私は感情的になってしまった。
「差別主義者」と言われるダメージ
その理由は明白だ。安心・安全・快適な環境で生きてきた私にとって、「差別主義者」と言われることが耐えられなかったのだ。
父親として、教員として、普通に生活をしている限り、「お前は差別主義者だ!」と言われることは起こりえなかった。仮に相手が思ったとしても、それを正面切って言われることはありえない。
だから実際に言われたことによるダメージは、想定外に大きかった。数か月経った今でも、思い返すと苦いものがこみあげてくるくらいだ。
重さの正体
見知らぬヤバイおっさんから誤解されて言われただけでこんなに精神的ダメージを負ってしまうのだから、法案を作ろうとしている国会議員はなおさらだ。彼らは「差別主義者」というイメージがつけば社会的地位を失いかねない。だから法案の文言一つのために多大な時間と労力を費やすし、それに対して「差別的だ」と言われたら全力で否定しにかかる。
私もこうやってLGBTに関するnoteを書いていて、これを推進派の発信力のある人が見て、「あなたは差別を助長しています」などと言ってきたらどうしよう、というようなことを常に意識してしまう。だから記事を書く手が重くなってしまうのだ。
それほどにLGBTをめぐる議論はトゲトゲしている。冒頭で紹介した記事は冷静だが、同じ人が書いた以下の記事からは、少し違う雰囲気を感じざるを得ない。
明白な「LGBT法案」賛否の構図。国内外から成立求める声、反発する宗教右派と保守派議員(松岡宗嗣) - 個人 - Yahoo!ニュース
このように反対派はもちろん、慎重に議論したい人まで含めて、「差別をし続けたい人」とか「宗教絡みの人」だと断定的に書いているように読めてしまう。
LGBT理解の前に
露骨に露悪的な差別をしたいと思っている人なんて極少数である。「LGBTの人たちが差別されず、生きやすい社会になれば良いな」という程度の想いは、日本でも大多数の共通認識である。ただその中で様々なグラデーションがあるというだけだ。
それなのに自分と色味が違うだけで「オマエは差別主義者だ!」と批判することは、相手をひどく傷つける。そして防御反応として、「LGBTの人たちが差別をされないための議論」ではなく、「自分は差別をしていない」と言うための議論になってしまうのだ。
「お前は差別主義者だ!」と相手に投げつけることの攻撃性を、あらゆる立場の人が自覚することで、LGBTに関する議論はもっと建設的なものになる。
6月5日追記
私が書いた内容をそのまま体現しているニュースが出た。
人気YouTuberグループの「黒塗りメイク」企画が“人種差別”と物議…マネージャーは「逆差別」と反論 | 女性自身 (jisin.jp)
LGBTではなく黒人についてであるが、YouTuberの企画が差別的だと批判されたことに対するマネージャーのコメントは以下の通りだ。
私が言いたかったのはまさにこれである。露骨な差別心を持っている特殊な人でない限り、「お前は差別をしている」と言われたら全力で反論したくなるものなのだ。そしてその反論として真っ先に浮かぶのが、「お前こそ差別している」である。
「お前は差別主義者だ!」という言葉をどれだけ我慢できるかが、LGBT議論がもっと広まっていく大きなカギとなる。