近くて遠い存在だった北信越リーグに行ってみたら、いろんな出会いがあっておもしろかったよ、というお話
今回のお話は、昨年の11月のある出会いから始まります。
昨年の地域リーグチャンピオンズリーグの1次ラウンド、彦根会場に行った時のこと。試合後に知人と飲みに行くことになり、その場で初見の方何人かとお話しをする機会がありました。そのうちのお一方、福井ユナイテッドの試合を見に来られていた、北信越リーグの別のチームのサポーターの方とお話しした際「北信越リーグってほとんど見たことないんですよね〜」と言ったら「じゃあ、ぜひ来てください!」との返答。「じゃあ、来年お伺いしますね〜」とその時はたぶん、軽い気持ちでお答えしたんだと思います。
その後、今年の元日に発生した能登半島地震。その時、ふと気になったのでその日のうちに、その方へ安否の確認メールをしたあたりから「今年はちょっとタイミングを見て北信越行かないとな〜」と真剣に思うようになり、日程が出た段階ですぐにスケジュールを押さえました。こうして、人生初の北信越リーグ観戦に向かうことが決定したのでした…(笑)
ということで、今回のカードはこちら!
6/9 北信越リーグ1部@岩瀬スポーツ公園サッカーラグビー場 富山新庄クラブ 1-2 福井ユナイテッド
試合は日曜日ですが、ご招待いただきました知人より「前泊なら軽く飲みませんか?」とのお誘いがありましたので、特に指したる用事もなかったこともあり、夕方くらいに富山に着くようにスケジュールを組んで、のんびりと北陸旅行を楽しむことにしました。
「そういえば福井って関西から近いせいか、ちゃんと観光した記憶がないな〜」と思ったので、この日はまずは福井を目指しました。でも、福井といっても目的地にしたのは福井市のお隣の丸岡という小さな街でした。実はここには、唯一行ったことのない現存12天守である丸岡城がありました。まずはそこを目指すべく、福井までサンダーバードも新幹線も使わず、のんびりと向かいました。
丸岡城のある旧丸岡町に行くには福井駅か、あるいはもう少し進んだ丸岡駅からバスで向かうことになります。帰りは福井駅まで戻ることになるので、行きは丸岡駅から向かうことにしました。
丸岡の街の象徴でもある丸岡城は街同様、こぢんまりとしながらもその存在感は抜群でした。天守から街を見下ろすと遠くに福井の街が見えました。城下町特有の古い街並みはあまり残されてなかったですが、昔の堀と思われる水路や古くから営んでいるであろう甘味処、地元の地酒を売る酒屋などを見かけると、昔の城下町風情が残されていてなんだかホッとしました。
そんな丸岡の街を歩いていると、ところどころでサッカー絡みのポスターを見かけました。一つは北信越リーグ1部にいる、地元のサッカーチームである坂井フェニックスのポスター。そしてもう一つは、日本女子フットサルリーグに所属している、同じく丸岡を拠点としている福井丸岡ラックのポスターです。どちらも町内のお店にごく自然に何気なく、しかもある特定のお店に限らずいろんなお店に貼ってあることから「やはり丸岡って、サッカーのまちなんだな」と改めてそう感じたのです。
北信越リーグとはいえ、地域の最上位チームである坂井フェニックスと、女子のしかもフットサルという世間的にはなかなか日の目を浴びない存在の福井丸岡ラック。世間的には全くメジャーではないですが、それでも丸岡の人たちにとっては「地域の誇り」であることは間違いないでしょう。そして、そういうクラブの存在がその街を活性化させる一つの要因にもなりうるのです。それが証拠に、丸岡の玄関口となる丸岡バスターミナルには「to the world」と書かれた、福井丸岡ラックのかっこいいポスターが貼ってありました。福井のサッカーといえば福井ユナイテッドが真っ先に挙がると思います。しかし丸岡の人たちにとってみれば、北信越リーグにいる福井ユナイテッドよりも、全国リーグを戦っている福井丸岡ラックの方が上だ、という自負があるかもしれません。丸岡に限らず、地元を代表するクラブというものがもっとあちこちに増えれば、地域の人たちももっと元気に明るく過ごせるのではないだろうか?などと思いながら、バスに乗って福井駅に戻ったのでした。
14時過ぎに福井駅に戻ってきました。それではそろそろ富山に向かいます。時間も時間なので、さすがにここからは新幹線を使って行きます。16時過ぎに富山駅に到着。ホテルにチェックインしてから、今回お招きをいただいた知人と合流。まずは地元の食材を使いながらも、リーズナブルな地元民でごった返す居酒屋に連れて行っていただき、そこでは美味しいお魚を戴きました。そして2件目は、熱狂的なカターレ富山サポーターのマスターが営むバーに連れて行ってもらいました。美味しいお酒と肴、そしていろいろな人たちとのお話にと、実に楽しいひとときを過ごすことができました。特に2件目のバーでは「サッカーはやっぱり守備からだよね!」とバーのマスターと意気投合したことや、店内に貼られていたJリーグの順位表の、あるチームだけがなぜかどっかに行方不明になってしまうエピソードなど、実に楽しいお話ばかりでした。また富山を訪れた時は、必ずお伺いしますのでよろしくお願いいたします。
翌日、試合会場である岩瀬スポーツ公園に向かいました。ここはまだカターレ富山がアローズ北陸とYKK APとの2チーム別々だった頃、YKKとの試合で1度だけ来たことがあります。確認したら2007年のことでした。それ以来でしたが、その当時と雰囲気は変わってなかったですね。
この日お誘いをいただいた知人というのは、実はこの試合のホームチームの富山新庄クラブのサポーターの方です。富山新庄クラブというチームの名前はなんとなく知っていても、どういうチームか分からないといういわゆる「日清紡状態」だったので(笑)、そのあたりも教えてもらいつつ、初の北信越リーグを堪能しようというのが今回の目的です。
富山新庄クラブというと昨年、J3の富山との天皇杯の県代表決定戦での激闘で注目されたので気にはなっていたのです。ただ、なかなか情報が集められなかったので、いろいろとお伺いしました。
練習は夜練がメインのアマチュアクラブで、多くの選手は特殊な勤務体系ではなくごく一般的なサラリーマンと同じ、昼職とのことでした。元Jリーガーで選手兼コーチを務めている窪田良選手も、昼はサラリーマンとしてお仕事をされつつ、チームの練習メニューを自らで考えておられるそうです。そのバイタリティには頭が下がります。ヴェルディユース出身の窪田選手、将来的にどこかからコーチとして声が掛かるかもしれません。おそらくその時のためにコーチとしての下地づくりをされているのかもしれませんね。
そんな富山新庄クラブのホームに乗り込んだのは、北信越地方で唯一Jチームのない福井県からJリーグ参入を目指す福井ユナイテッドです。かつて、サウルコス福井という名前だったこのチーム。サウルコス福井は元々、FC金津という名前で北信越リーグ2部にいた2006年シーズン後にチーム名をサウルコス福井と改めて出来たのが始まりです。すぐに1部に上がるも、当時の北信越リーグ1部には松本山雅、長野パルセイロ、ツエーゲン金沢がいて、そう簡単に勝たせてくれるようなリーグではありませんでした。しかし、そんな過酷なリーグから一つ抜け、また一つ抜けと競合クラブが抜けていくと、自然とサウルコス福井の天下となっていきました。
そうして2012年から4年連続で優勝、地域リーグ、決勝大会に進むもそこで力尽きる年が続きます。中でも2014年の大会が一番JFLに近づいた年ではなかったでしょうか。その年は14チームでの開催に加え、レノファ山口がJ3への参入を決めたため、チーム数調整のため上位3チームが昇格することになってました。その決勝ラウンドで4位に沈み、結局サウルコス福井はJFL昇格を逃してしまいました。そして、その年昇格した奈良クラブとFC大阪は今ではれっきとしたJクラブになっています。完全に明暗を分けたと言ってもいいでしょう。
しかし2016年シーズンあたりからチームに暗雲が差し掛かってきます。その年、アルティスタ東御が優勝し北信越1強時代が終わると、翌年は再び優勝するもその頃からチームの財政難を危惧する声が聞かれるようになってきます。そして福井国体が開催される2018年、資金難から6月に県のサッカー協会に救済を申し出ることになってしまいました。そして、その年のシーズン終了後にサウルコス福井は、その運営会社を破産手続きを行うことでチームを解散。残ったスタッフや選手は、新たに出来た福井ユナイテッドに籍を移すことでチームを継続することになりました。それが今の福井ユナイテッドとなります。
試合の前からやたらと前置きが長くなってしまいましたが実はこの対戦、試合前は両チームとも勝ち点が並んでの首位ということで(正確にはもう1チーム並んでいて富山新庄クラブが2位、福井ユナイテッドが3位という状態でした)、前半戦の首位攻防戦ということになります。注目度はそこまでではないかもしれませんが、楽しみな試合です。
立ち上がりから両チームとも激しい当たりを繰り返す、首位攻防にふさわしい試合です。そんな中、13分に富山新庄の高いDFの裏をうまく取った福井ユナイテッドの高貝が、一気にゴール前まで持ち込みキーパーも交わして先制ゴールを決めます。オフサイドギリギリの微妙なプレーではありましたが。福井ユナイテッドがリードします。
しかし、リードはされたものの試合の流れはどちらかというと富山新庄にあり、ボールは支配できてはいましたが、福井ユナイテッドのDFが決定機までは与えませんでした。逆にカウンターから福井ユナイテッドにゴールを脅かされる場面もあり、主導権を握っているようで実はそうでもないという、富山新庄クラブとしてはモヤモヤする前半となりました。
後半に入ると、ボールを支配していた富山新庄がフィニッシュまで持っていけるようになります。逆に福井ユナイテッドは後半開始から調子が上がらず、失点するのも時間の問題と思われましたが、それでも粘り強く戦い続けて飲水タイムが過ぎます。そこで気が緩んだのか、その直後の72分に細かく繋いで逆サイドに振ったボールを受けた、途中出場の牛田がドリブルからシュート気味のラストパス。それを滑りながら足に当てたのはやはり途中出場の9番西。富山新庄クラブがようやく同点に追いつきました。
勝ち越したい両チームはさらに中盤での激しいバトルを繰り返します。しかし互いにゴールを奪うことはできず、時間だけが過ぎていきます。このままドローで終わると思われましたが、終了間際のしかもアディショナルタイムも残り1分に差し掛かった90+4分、ラストチャンスと思われた福井ユナイテッドのCKをDFの嶋津が、頭で合わせて勝ち越しゴール。勝利への執念でわずかに勝った福井ユナイテッドが激戦を制して勝利。負けた富山新庄クラブは、最低でも痛み分けのドローに持ち込みたかったところでの勝点0。悔いの残る試合となりました。
北信越の盟主、福井ユナイテッドの苦悩と現状
福井ユナイテッドを最初に見たのは2022年の鹿児島全社でした。藤吉監督が就任したこの年、リーグ戦はまさかの3位。そして「地域CLへの復活」をかけたこの大会でもPK負けで初戦敗退となりました。その試合を見ていましたが、正直3位になったのも納得といった内容でした。その時点ですでに藤吉監督の続投が決まっていたのですが「大丈夫か、福井。もしかして監督を変えるお金がないくらい財政的に苦しいのか?」とすら感じました。
そして昨年の地域CL。1年経った福井ユナイテッドは非常に強いチームになっていました。藤吉監督に対する福井ユナイテッドのフロントの先見性というか、あるいは藤吉監督の秘めたるポテンシャルの高さか…。それでも勝ち抜けないのが地域CLの恐ろしいところで、前回お話しした栃木シティもその罠に嵌り続けたクラブの一つでした。
そしてこの日、改めて福井ユナイテッドを見て感じたのは、実に強かな戦い方をするチームだなということです。この試合、先制をしてからは富山新庄クラブがボールをキープする時間が長くなりました。リードしているとはいえ、つい相手の戦略にハマってDFが引きづられてしまいがちなところをしっかりと我慢して、深い位置で奪ったボールを縦に素早く展開することで押し返す。苦しい時間をどのようにして乗り切ればいいかを、チーム全体で共有できているからこそ、後半に追いつかれても慌てることなくラストツープレーで勝ち越すことができたのではないかと思います。これも就任初年度の苦しいシーズン、さらに突破できるであろうと思われた昨年の地域CLで痛い経験した藤吉監督だからこそ、そのようなリスク管理を徹底できたのではないかと思います。
今年の福井ユナイテッドはなかなか手強いチームだと思います。後は、チームとしての経験値をいかに高めることができるか?それ次第ではないでしょうか。昨年、惜しくも地域CLで決勝ラウンドに進めなかったのも、直前の全国社会人サッカー大会に出られなかったことが大きいと思います。そこで得た経験のあるなしが、特に昨年はその1ヶ月後の地域CLに影響しました。決勝に残った4チームはいずれも全社出場チームだったからです。昨年出場出来なかった全社に出場することができた今年の福井は、もしかするとJFL昇格の最有力候補かもしれませんね…
アマチュアからノンプロへ。変革期を迎えるクラブへの想いとエール
全く初見の富山新庄クラブですが、チームの特性上毎日練習のできる環境ではない(もしくは毎日出来たとしても全員が揃わない)中で、質の高いサッカーを展開出来ていましたね。このレベルなら関西リーグでも全然問題なくやれるレベルだと思いました。どうりで、今年富山新庄クラブから関西リーグのクラブに移籍した選手が、開幕からスタメンで普通にやれているのですね、納得しました。でも、選手もチームもこんなもんで満足してるわけはないと思います。横断幕にもありましたが、富山新庄クラブは本気でJFL昇格を狙っているのですから…
そんな、本気でJFLを狙う富山新庄クラブ。JFLを目指すとなると必然的にチーム編成も大幅に変わることでしょう。そんな選手たちの中には、不安や葛藤などさまざまな思いがあるのではないでしょうか。「チームに残るには、今の仕事を辞めないといけないかも?」「仮にチームに残るために新しい仕事に切り替えたとして、今と同じくらいのお給料をもらえるだろうか?」「今の職場でキャリアを積むための大事な時期なのに、サッカーにだけ集中していて果たしていいのだろうか?」「今しかできないサッカーを取るか?それとも将来の人生設計を優先すべきだろうか?」などなど…。選手一人一人がそんな、これから来るであろう大きな変化に対して、どこまで「覚悟」が出来ているのだろうか?もしかすると、その「覚悟」が出来ているか否かのほんのちょっとの差が「ボールは持てているがシュートまで持ち込めない」前半の停滞感や「追いついたけど、そこから勝ち越しまで持っていけない」もどかしさや、さらには終了間際の失点にまで影響を及ぼしていたのかもしれません。
チームが成長するにはいくつかの大きな変革期が必要です。その変革期に当たってしまった選手は不運と言えるかもしれません。しかし、その困難をチームも選手個人も乗り越えていかないと、新たなステージには行けません。そんなクラブの変革期にある富山新庄クラブに残る選手も、あるいは去る選手もそれぞれに「覚悟」を持って決断しないといけない。その「覚悟」が定まるとチームとして一枚岩に一気にまとまり、さらにパワーアップすることでしょう。そのタイミングがシーズン終盤なのか、シーズン終了後なのか、あるいは来年なのか…。シーズン終盤に間に合えば、まだ富山新庄クラブにも地域CLのチャンスはあるかもしれません。地域CLは「行ける時に行っておかないといけない」大会です。チャンスがある限り目指してもらいたいですし、もしダメでも来年に繋がる何かを掴んでもらいたいです。そして、この変革期にチームを去ることを選択した選手たちが、これからもどこかでサッカーを続けられるように、細やかですがお祈りしたいと思います。
温かい人たちに囲まれた、初めての北信越リーグ
初めて訪れた北信越リーグ。これも昨年、彦根での出会いがなければおそらくなかったと思います。改めて、ここに感謝を申し上げたいと思います。
知り合いになった富山新庄クラブのサポーターの方が「福井ユナイテッドのサポーターもぜひ紹介したい」とのことでしたので、試合前に一緒に福井側にご挨拶に伺いました。紹介していただいたのは、福井ユナイテッドのコールリーダーの方と青色のアフロのカツラを被って声を出している女性の方でした。
コールリーダーの男性は東京生まれ、東京育ちにも関わらず、サウルコス福井、福井ユナイテッドが好きすぎてとうとう福井に移住されたほどの方でした。私よりも若いからこそできたと思う、思い切った行動力と決断力には頭が下がる思いです。とても明るくてポジティブな彼がコールリーダーを務めるからこそ、他のサポーターもみんな何があってもポジティブな姿勢を貫けるのではないかな、と思いました。
アフロの女性の方は逆に福井生まれ、福井育ちの地元のサポーターさん。この方も負けず劣らず、とにかく明るい。富山新庄のサポーターさんも含めて4人で、笑いの絶えない実に楽しいひとときでした。次に福井ユナイテッドの試合を見に行く時にもご挨拶に伺いますので、その節はよろしくお願いします。何かお土産でもお持ちします(笑)
一方の富山新庄クラブのサポーターさんですが、その応援スタイルがかなり独特で、チャントを歌ったりはせずに試合中、ずっとサンバヘギと呼ばれるサンバレゲエのリズムを刻みながらの応援でした。そのリズムを刻むのは、今回いろいろとお世話になった知人と高校生の娘さんの親子。実に息の合ったリズムが実に心地よく、ピッチの選手たちもリズムに乗りやすいのではないでしょうか。そして、もっと凄い方にもお会いしました。カターレ富山の前身のYKK AP時代に声を出しながら太鼓を叩いていた方が、まだ現役でサポーターをされていました。お伺いすると、今年68歳とのこと。流石に太鼓を叩く機会はほとんどありませんでしたが、それでも同点に追いついた後のイケイケの時間帯にはエンドレスで3、4分太鼓を叩かれていました。叩き終わった後、「も〜無理じゃ〜〜」とおっしゃっていましたが、そのお歳でそこまで出来れば凄いと思います。私もぜひ見習いたいですね…
北信越リーグって「ネガティヴ」?
そんな、実に楽しい方々との出会いがあった北信越リーグですが、福井サポの女性の方からは「北信越ってネガティブなイメージですよね?」とお話しされました。実は私も最近までは、北信越リーグはネガティブなイメージがあったのですが、それには思い当たる節がありまして…。私がこれまで北信越リーグの情報を得るルートというのが、新潟や長野方面からだったのですが、もしかするとそれが原因かもしれないということです。ということで、私が感じていた「北信越リーグのネガティブな面」について、少しお話ししたいと思います。
今でこそ各地のリーグに学生チームが参戦しているのが不思議ではなくなりましたが、それがずっと問題視され続けていたのが、この北信越リーグでした。サッカー専門学校として名高いJAPANサッカーカレッジが2003年に北信越リーグに昇格すると、いきなり北信越リーグ(当時はまだ2部はありませんでした)で優勝してしまいます。その後も松本山雅や長野パルセイロ(当時は長野エルザ)、ツエーゲン金沢などの列強と凌ぎを削りながら上位をキープし続けます。それに続いて、同じ新潟の新潟経営大学のセカンドチームが昇格すると、2004年に出来た2部に次から次へと大学や専門学校のチームが昇格するようになってきます。新潟医療福祉大学、北陸大学、当時長野にあった大原学園、さらにJAPANサッカーカレッジや新潟医療福祉大学のセカンドチーム、サードチームなどなど…。あまりにも酷い状態になったので、同一学校のチームはリーグに1チームのみ、仮に昇格できる順位にいたとしても、同一学校のチームがいる場合は昇格は出来ず、昇格チームは繰り下げられ、逆に降格する場合は下位のリーグに同じ学校のチームがあれば、仮に残留出来る順位であっても強制的に県リーグに降格させられる、という規約を設けないといけなくなってしまいました。
そして、この流れは特に新潟県の社会人サッカー界に大きな影響を与えました。新潟では県リーグに学生のサブチームが乱立し、しかもそれらのチームが軒並み勝ち上がってリーグの勢力図が完全に変わってしましました。なかでも一番顕著なのは天皇杯や全社新潟予選です。上位を占めるのはほぼ学生チームで、社会人のクラブはベスト8に入れば御の字、といった様相です(今でもその流れは続いています)。そのため、新潟で社会人クラブを立ち上げたとしても、学生に勝てないのでモチベーションが続かずに頓挫するケースが多いということを聞いたことがあります。
昔から社会人サッカーを見ている人たちの中でも、学生チームが社会人サッカーに混じるのを嫌う方がそれなりにいます。しかし、そうではない私から見ても、そんな今の新潟の状況はちょっと異常な気もします。なので、ある程度の規制をかけた北信越リーグ関係者の判断は正しかったと思います。
一方、長野県の状況を見てみるとこちらもやはり北信越リーグネガティブな面が浮かび上がってきます。県内3番手につけているアルティスタ浅間が、数年前にクラブ運営が怪しいとの噂を耳にしたことがあります。ただ、詳しく調べてみてもそれらしき情報が出てこないので、おそらく噂レベルだったのかもしれません。でも、その噂が真か嘘かは分かりませんが、昨年あたりから急に登録メンバーが少なくなっていき、今年に至っては全部で18人。開幕の富山新庄クラブとの試合ではベンチメンバー4人と15人しか試合にいませんでした。もしかするとチーム運営自体がそうとう厳しいのかもしれませんね。いくら面積の広い長野県とはいえ、経済圏を二分する長野と松本にはすでにJクラブが存在し、それ以外の地域単独で1チームを支えられるのか?というとやや疑問符がつきます。さらに、県内でも歴史のあるアマチュアクラブだった上田ジェンシャンの解散もあり、長野県のアマチュアサッカーを取り巻く状況は、同様に厳しいと言えるでしょう。
と、ここまでは信越地区のお話でした。対する北陸地区はと言うと、実はここまで深刻な事態ではありません。確かに、ツエーゲン金沢とともにJリーグ入りを標榜していたフェルヴォローザ石川・白山の解散という暗い出来事はありましたが、それ以外にはそこまで悲観的になるほどの大きな出来事はありませんでした。サウルコス福井の件も、今となっては新潟や長野のような痛手は被っていないと見ていいでしょう。
北信越で唯一Jクラブのない福井ですが、福井ユナイテッドの他に冒頭に少し触れましたが旧丸岡町を中心に活動している坂井フェニックスがありますし、富山には富山新庄クラブや北信越リーグにも所属したことのあるヴァリエンテ富山、新興勢力で一昨年に北信越リーグに昇格したエヌスタイルといったクラブが頑張っています。石川はというと、名門クラブだったテイヘンズが衰退し、県リーグに降格してからしばらくは苦しかったですが、3年前にツエーゲン金沢で現役の豊田陽平が代表を務めるSR Komatsuが北信越リーグに昇格、さらに2006年に一度だけ北信越リーグ2部に在籍していた同じく小松市を拠点としたLion Power小松が今年、北信越リーグに帰ってきました。学生チームに負けず、既存のクラブや新たなクラブが台頭していて活気が見られます。
厳しい状況にある新潟や長野も、一時期から比べるとかなり状況は改善されてきたとは思います。新潟には育成にも定評のあるグランセナ新潟のトップチームや、帝京長岡と連携をとっている長岡JFCのトップチームにあたるNAGAOKA Estilo、長岡ビルボードFCなど、いつくかのクラブが北信越リーグ2部に在籍していました。長野もかつて天皇杯に何度も出場したことのある日精樹脂工業の流れを汲むリベルタス千曲や、アンテロープ塩尻といったクラブが1部と2部を行ったり来たりしながらもリーグに残り続けていますし、昨年は1年で降格してしまいましたが北信越リーグ初の南信地区からアザリー飯田が昇格しました。明るい話題も聞こえてきたようで、低迷期はもう脱したのかな?という気もし、以前感じていた「ネガティヴ感」もかなり薄れてきているように思えます。
社会人リーグに学生チームがいることをネガティヴに思う人の気持ちも分からなくはないのです。とはいえやや厳しい言い方にはなりますが、関東関西ならまだしも北信越の、しかもトップではないサブやセカンドチームの子たちすら勝てないようでは、全国の猛者が集まる地域CLで勝てるわけないですし、社会人のクラブだけで高いレベルを維持できるのが理想ですが、社会人だけでは高いレベルを維持できず、高いレベルでサッカーを続けたいと思って卒業後も仕事と両立してサッカーに取り組もうとしている選手たちにとっては、社会人だけのリーグはもしかしたら「物足りない」と感じる可能性だってあります。
北信越リーグの学生チームの問題として伺ったのは、卒業後そのまま北信越に残らない子がほとんどだ、ということです。これって非常にもったいないことで…。せっかく4年間過ごしてもらったにもかかわらず、そこには残らず(残れず?)みすみす他所にいい人材を逃してしまってはいないのか?と。特に近年、新潟医療福祉大学が全国大会でも結果を残しています。そのセカンドチームの子たちとはいっても、それなりの実力の持ち主なはずです。それらの子たちを引き止めるだけの魅力がないのか?それとも単に学生チームとの接点がない(持ってない)のか?貴重な人材が流出するという事態が、ここ10年以上ずっと続いているように思えます。そろそろ社会人チームと学生チームとが、同じ北信越のサッカーを盛り上げようと協力し合う時期ではないでしょうか。その兆候が見られ始めた時こそ、本当に「ネガティヴ」な北信越リーグから脱却できるのかもしれませんね。
福井サポさんから発せられた「ネガティヴ」とは、おそらく「自分たちがなかなか上がれないから」という思いから出た言葉ではないかと思います。でも、そんなことないです。会う人みんながとても明るくて、見ているこちらも自然と明るい気持ちになりました。そんな楽しい北信越リーグ。なんと今年から、東京から新幹線1本で福井まで行けるようになりました。さらに年に1、2回ほどある敦賀開催にも新幹線だけで行けるようになりました。これを機に、一度北信越リーグに足を運んでください。きっと楽しい気分になれると思います。
最後に…。岩瀬から富山県総合運動公園に移動して、ルヴァンカップの富山vs札幌を見ました(こちらも富山新庄のサポさんが招待してくれました。ホントに何もかもお世話していただき、感謝感謝です)。ホームの1戦目はメンバーを落としてドローだった札幌。流石にこの試合はリーグ戦の「ガチメン」で臨んで勝利。まあ、札幌もガチメンで勝てなきゃマジ終わりですからね(苦笑)。この試合の札幌の守備について「サッカーは守備から」と昨日意気投合したバーのマスターさんと共に語りたかったですね…(笑)あの守備をどう見られたのかな…
そして個人的には地元出身、富山第一から中京大学、そしてカターレ富山に入った碓井くんのゴールを見られたので大満足でした。彼が4年の時の5月、浜松の遠州灘での試合の際、行きの遠鉄バスの車内にカターレ富山のポロシャツだったかを着た、明らかにスタッフらしき人と一緒だったことは絶対にナイショです(笑)。そしてそれを見て「あ〜、碓井くん。来年富山か〜」と帰りのバスの車内でそう思ったのも、当然のことながらナイショです!(笑)
追記:福井から新幹線で富山に移動しようと乗ったかがやき。ホームで待っていたところ、ジャージ姿でどうやらどこかに遠征に出発するのかな?と思われる女子の集団を見かけました。後から気がついたのですが、どうやら福井丸岡ラックの選手たちだったようです。翌日の埼玉での試合へ向かう途中、たまたま見かけたようです。彼女たちも、新幹線が出来て移動が少しだけ楽になったのかな?と思ったのでした。
追記:一部記事を加筆、修正しておりますことをご報告しておきます(7/21現在)