最近メキメキと力を付けてきているチームをよく調べてみたら「なるほど、そういうことだったのか」と納得したよ、というお話

GWも終わってホッと一息、なんてついてる場合じゃありません!ここから、遠征芸人の本領が発揮される季節になります(笑)
というわけで、今回は今年初の大学サッカー。もはや定点観測と化した東海学生リーグを見に行きました。例年、昨年度の上位vs下位の対戦でシーズン序盤は大きな動きもなく淡々と消化されるはずなんですが、今年は開幕から動きがありました。昨年のインカレ出場チームの東海学園大学が開幕戦で岐阜協立大学に敗れるという事件が起きました。東海学園大学は次の名古屋産業大学にも敗れ、さらにその次の昇格したばかりの愛知東邦大学ともドローと、開幕から出遅れてしまう形となりました。「これはどうしたことか?」というわけで、そんな東海学園大学を見るために先々週も訪れた東員町のLAPITA東員スタジアムに足を運ぶのでした…。まあ、東海学園大学の「これ」がなくても当初からこの日のここと決めてはいたんですがね…(笑)

5/11 東海学生リーグ1部@LAPITA東員スタジアム 東海学園大学 2-0 四日市大学、名古屋産業大学 4-1 中部大学

ほんの2週間前に来たスタジアムにまた来るとは…(笑)別にそこをホームスタジアムとするチームのサポでもファンでも関係者でもないのに別の大会、別のカテゴリーで来る、しかも遠方からなんて、なんておかしな話なんでしょう(笑)
ということで、2週間前にも乗った近鉄特急に乗って桑名に向かいます。今回は前回よりも1本早い特急です。前回は乗り換えなしで桑名に着くアーバンライナーでしたが、今回は手前の津で乗り換えが必要な、特急ひのとりに乗りました。近鉄はスマホからチケットレスで特急に乗れるので、新幹線並みに楽で助かります。
津で乗り換えて桑名まで向かいます。そうそう、どうでもいいことなんですが「津」をハングルで表記するとこうなるんですよね!

「つ」のハングル表記はこうなります。完全に顔文字です(笑)

今回は時間のそんなにないので(笑)すぐに三岐鉄道に乗って、2週間ぶりとなる東員駅に向かいます。や〜、久しぶり!東員町!(笑)

や〜!久しぶり!桑名!←2週間ぶりです(笑)
や〜!久しぶり!三岐鉄道!←だから、2週間ぶりです(笑)!
や〜!久しぶり!…←いい加減にしろ!(笑)

今年初の大学リーグ観戦が東海学生という、今までの流れを知っている方からすれば「でしょうね!」といった感じでしょうが、そもそももう少し早く日程が出てくれたら調整もできたのに、などと思わなくもなく…。まあ、そんなこと言ってもしょうがないんですけどね…

東員町陸上競技場。大学サッカーで昔、一度だけ来たことがあります。一時期、インカレが関東、関西、東海、九州の4地区で予選ラウンドのリーグ戦方式を取っていた頃。その時の東海ラウンドの会場として使われたことがあり、その時に来た記憶があります(調べてみたら2007年でした)。東北学院大学には仙台や鳥取、今はコバルトーレ女川にいる奥山、静岡大学にはHonda FCから鳥栖、札幌に行った早坂、早稲田大学には横浜Fマリノスなどで活躍した兵藤や大宮、札幌などにいた横山が、桃山学院大学には三菱自動車水島にいる宮澤龍二の名前があって、意外と錚々たるメンバーの試合を見ていたことに改めて気づいたのでした(笑)そうだ!今年からインカレの大会方式が変わって、その頃の4地区同時開催になるんでした…。
スタンドは当時とそんなに変わらないものの、今は完全にヴィアティン三重のホーム仕様のスタジアムになっています。スタンドの壁面もヴィアティン仕様になっています。桑名市一帯はもう完全にヴィアティン三重のホームタウンになってますね!

メインスタンドの壁面に描かれていたのはヴィアティンの選手。
14番をサポーターナンバーとするヴィアティンらしい絵です。

さて、試合ですが開幕から調子の上がらない東海学園大学ですが、序盤からエンジン全開で四日市大学ゴールに攻め寄ります。10分にあっけなく先制すると続く14分には追加点。足下でキープしつつ、相手のDFを巧みに交わしながら振り切ってからのゴールという、いかにも東海学園らしいプレーからのゴールでした。これを見られただけでも今日は目的達成です(笑)ちょっと安心しました。
その後もガンガン攻めるのですが、フィニッシュの精度が悪くさらなる追加点を奪えません。かと言って四日市大学が相手陣に攻め入る場面があるかと言えばそれもほぼなく、シュート数も東海学園大学7に対して四日市大学は0と、前半の飲水以降はやや停滞感の残った前半でした。

エリア手前でキープする東海学園大14番の守屋。
突破を図ろうとする守屋を止めにかかるDF。
しかし、そんなDFを振り切ってシュート!
必死に反応するキーパー。
しかしわずかに及ばす…
守屋の「このコースしかない」ファインゴールで追加点。

前半は緩々の守備だった四日市大学でしたが、後半からは流石に締めてきました(笑)前半ほぼノーチャンスだった四日市大学が、後半は東海学園大学ゴールに迫るシーンが増えてきました。しかし、単騎での攻撃が多く効果的な展開も少なく、東海学園大学のDFの前にあっさりとクリアされてしまいます。一方の東海学園大学はというと、攻撃自体が雑になって無駄なボールキープや意図の見えないフィードなどを繰り返して、こちらも攻撃の手詰まり感は否めません。結局、後半は四日市大学はシュート1本、東海学園大学に至ってはシュート0というややお粗末な内容の後半となりました。東海学園大学は勝つには勝ったが課題山積な、四日市大学は前半の試合の入りの失敗が祟った試合でした。

後半は果敢に東海学園ゴールに迫る四日市大学。
DFに阻まれながらも交代で入った10番有賀が…
シュートを放つも味方に当たってしまいます。
当たった味方も後ろに逸そうとするもうまくはいかず。
前半から果敢に突破を試みていた西村ドゥラアムザ洸汰。
スピードは目を見張るのですが、ボールコントロールが悪く…
さらに周りが追いつかないので、彼のスピードが活きません。
ちょっともったいなかったですね…

東海学園大学ですが、いい面と悪い面が出た試合だったと思います。狭いエリアでのボールキープとテクニックは相変わらずですが、それをどう攻撃に活かすかが永遠の課題ですね。ボールキープするエリアを5ゾーンの一番サイド側か、ゴール前に限定するようになったのは評価できるのですが、そこからの展開が…。もう少し早く放すという選択肢を持った方がボールが流れて攻撃の幅が広がると思うのですが、どうなんでしょうか…。今の状態だと、全国には出ても通用しないという「いつもの東海学園」のままで今年も終わりそうです。そうならないためにも、今から攻撃の幅を持たせることが大切ではないでしょうか。
四日市大学なんですが、ここまで上位陣との対戦で厳しい戦いとなっています。岐阜協立大学と翌週の愛知東邦大学には勝ちましたが、開幕の愛知学院大学に敗れてから中京大学と常葉大学に負け。例年ながら総理大臣杯やインカレ出場はなかなか難しいのが現状でしょうか。個々の選手としてはスピードを活かした突破を見せた9番の西村ドゥラアムザ洸汰や、奈良クラブユースから来た22番西田、富山U-18出身の14番干場など、2年生や1年生も多くスタメン起用されていたので、彼らのこれからに期待したいです。

先制ゴールを決めた2年生の9番久保。
デンチャレにも選ばれ、早くもチームの主軸として期待です。
2点目のゴールを決めた守屋は3年生。
久保と2人で東海学園を引っ張る存在になれるか?
東海学園大2番今村は鳥栖U-18出身。
なかなか珍しい経歴の子ですが、ちゃんと馴染んでましたね。
1年生ながらスタメン起用された30番の高橋。
気持ちが逸るあまり、プレーが空回るシーンも…
10番の村田は安定感あるプレーっぷりでした。
4年の彼の次の進路が気になりますね…
DFラインから果敢に攻め上がる22番の西田。
前半はやや守備に追われて、苦しい展開でした。
26番の関口は浜松開誠館から来た1年生。
14番の干場は前半で交代。動きは悪くなかったと思いましたが…
ボランチの一角、8番の宮地も2年生。
前半、リズムを作れなかったのは今後の課題か?

続いて第2試合。2020年に1部に昇格し一昨年、昨年は5位と躍進。4強にはまだ追いつかないものの、岐阜協立大学や四日市大学から中位グループの座を完全に奪い取った名古屋産業大学と、今年1部復帰を果たした中部大学との試合。中部大学といえばデンチャレ東海選抜の監督を務めた堀尾監督が指揮を取るとあって、どういうサッカーを展開されるのか楽しみです。
試合は開始から激しい攻撃の応酬。そしてこの試合も10分に名古屋産業大学が先制、その4分後には追加点と1試合目同様の展開となります。とはいえ、スコア的に劣勢な中部大学もさっきの試合の四日市大学ほどは劣勢ではなく、ゴール前までは行ってもフィニッシュまで行けていないだけ、という内容。ただ、名古屋産業大学の方がややプレーの丁寧さと精度で上回っているのがスコアに表れている、といった印象でした。

先制した名古屋産業大のFKを蹴るのは6番の吉松。
ゴール前に精度の高いボールを入れると…
中で待っていた選手が頭で合わせようとします。
が、わずかに当たらず、そのまま流れていきます。
角度が変わると思ったキーパーは読みが外れて反応が遅れます。
そのままボールを見送るしか出来ずにゴールイン。
精度のいいボールを蹴った吉松もそうですが…
「手前でうまく合わせられなかった」ことが
かえって功を奏したゴールでもありました。

後半は立ち上がりにリズムを掴んだ中部大学がペースを握り、名古屋産業大学ゴールに迫るシーンが増えます。そして69分に中部大学が1点返します。しかし名古屋産業大学も徐々に押し返してどう展開するか分からなくなりました。共に決定打のないまま2-1で終わるかと思われた90+5分に、名古屋産業大学が追加点。さらにその直後にももう1点追加して4-1で名古屋産業大学の勝利。中部大学は中盤でのあと一押しがあれば勝てたかもしれない試合でした。

早く1点でも返したい中部大学は69分
パスカットした9番小島が持ち込んでシュート!
前目のポジションを取っていたキーパーが飛び込むも…
わずかに及ばず…
ボールはゴール左隅に吸い込まれ、中部大学が1点返します。
「反撃はここから」と言わんばかりにボールを取りに行く選手。
ここからあと一押しあれば…、と悔やまれます。
その後押し返した名古屋産業大学はAT5分に決定機。
途中出場の14番宮澤がエリア内でDFを交わして…
コースを見極めてシュート!
キーパーの横を抜けてボールはゴールへ…
中部大学3番北村が必死で追いかけます。
しかしそれも虚しくゴールラインを割ってゴール!
この時間での失点にガックリとする中部大学の選手。
決定的な3点目に喜ぶ名古屋産業大学の選手。
明暗がくっきりと分かれたシーンでした…

どうしても見ておきたかった中部大学のサッカーに秘められたからくり

まずは、デンチャレから見たいと思っていた堀尾監督率いる中部大学から。この日、ベンチで指揮をとっていたのは堀尾監督ではなく前監督で現在は総監督を務めている北辻耕司総監督でした。でも、やっているサッカーはデンチャレの東海選抜で見せたような、キープ時もオフ・ザ・ボールでも出来るだけフィジカルコンタクトを避けるサッカーでした。なるほど、こういうサッカーを意識してやっているんですね…。

堀尾監督の経歴ですが、実は名古屋グランパスのトップチームで分析担当のコーチをされていたそうです。その後、スカウトを経て2020年に中部大学のコーチ、その翌年から監督に就任されました。そんな経歴の堀尾監督ですが、なんとなくこのサッカーに見覚えがあったのでちょっと手がかりを探ってみました。すると、このサッカーに大いに影響を与える人物が浮かび上がりました。それは風間八宏さんです。
名古屋で分析担当コーチをされていたのは2016〜2019年。その時の名古屋の監督は風間八宏さんでした。
風間監督のサッカー理論は独特で「ボールの位置を少しずらすだけで、相手からボールを奪われるリスクが格段に下がる。だからその状態をキープしつつ、パスやドリブルをすればボールを失うことなく攻撃も守備もできる」というものです。確かに理屈ではそうなんですが、なかなか体現するのは難しいです。実際、指導者としてスタートした桐蔭横浜大学では退任する直前まで関東大学リーグでもなかなか成績が残せませんでしたし、その後監督に就任した筑波大学でも安定した成績は残せませんでした。J1川崎でさえもいい年と悪い年の差が極端でしてし、名古屋に至っては就任した年は3位でしたが、翌年に15位と低迷。素晴らしい理論の「再現性」という点ではなかなか厳しかったと思われます。

そんな風間八宏さんですが、実は2023年2月から中部大学のテクニカルアドパイザーに就任されたようです。でもたしか、セレッソ大阪のアカデミー技術委員もされていますし、もっというと南葛SCの監督もされています。おそらく中部大学にはほとんど絡んでいないかもしれませんが、堀尾監督とはそれなりに指導法などのやり取りはされていると思われます。また、タイミングが合えば実際に指導をされたりしているのかもしれません。その程度の関わりかもしれませんが、少なくとも風間サッカーを伝えるという点では、堀尾監督だけでも十分ではないでしょうか。そう見ていくとなるほど、確かにこのサッカーは風間さんのサッカーに間違いないです。そして、そのサッカーに中部大学の子たちがどこまでついていけるか?身につけることができるか?今後のサッカー人生の貴重な糧となるのか?そんなことも気になってきます。
現状、中部大学からJリーガーは輩出されていませんし、JFLレベルでも見た記憶はありません。でも近い将来、JFLやJで中部大学卒の選手が活躍する日が来るかもしれません。そんな日が来ることを期待しています。

近年躍進している名古屋産業大学から見た「名古屋のサッカーの底力」

ここ2年、東海学生でじわじわと力を付けてきている名古屋産業大学。創部が2010年とまだ15年の歴史しかありませんが、あとちょっとのところでインカレや総理大臣杯に手が届きそうなところまで来ています。どうしてここまで急激に強くなったのか謎でした。でした。そこであれこれと調べてみたところ、その秘密は監督さんにあるのでは、という結論に至りました。

名古屋産業大学の監督は小崎峰利という方です。恥ずかしながら、全く存じ上げていませんでした。でも調べてみると、自身で書かれた書物が出版されているらしく、アンダーカテゴリーの指導者の中では有名な方なのだということはなんとなく想像はできました。で、今回改めて調べてみたところ、どうやら名古屋フットボールクラブというクラブの理事長をされているとのことです。
名古屋フットボールクラブは1982年に名古屋SCのいう名称で、小中学生を中心としたサッカークラブとして発足。1989年には名古屋JFC、1995年には名古屋GJと名称変更し、1998年に今の名古屋FCになりジュニアユースチームを結成しました。その後、2005年にNPO法人として法人化し、その年にジュニアのチームも立ち上げました。2014年にはレディースチームも作った育成に特化したクラブです。
とはいえ、不勉強なもので前知識が全くない状態でしたので、クラブのイメージを掴むためにどんな選手を輩出しているのかも調べてみました。すると、有名なところだと中央大学から千葉に入りU-23代表にもなった、現在湘南に所属する大岩一貴がいました。また、藤枝東の選手権準優勝メンバーで慶応義塾大学から清水、愛媛などを経て現在は岡山にいる藤田息吹や、鹿児島実業から磐田に入り、柏時代には代表経験もある、現在は川崎所属の大南拓磨、さらに変わったところでは国内でのプロ経験はほぼないものの、海外を転々と移籍し38歳の現在でもルーマニアリーグでプレーしている瀬戸貴幸などがいました。そしてなんと、横河武蔵野にいる山田梨功も実は名古屋FCの出身らしいです。へ〜、分からないもんですね〜(笑)

そんな、名古屋でしっかりと育成ができるクラブの理事長を務める小崎監督の名古屋産業大学。とはいえ、それほど知名度のある学校でもチームでもないので、集まっている子は愛知県やその周辺の地域の、それもお世辞にもサッカー強豪校とは言いづらい学校の子たちが多いかと思いきや、スタメンで出ている選手たちの出身校を見ると青森山田から来た10番田中や帝京長岡出身の8番山本、昌平から入った11番の上野と4番の今井など、強豪校から来た子も実は多く見られます。でも、彼らがみんな高校の時からスタメンで出られていたかというと、必ずしもそうではないかと思います。逆に、そういう子たちをちゃんと育てていけるだけの環境があり、実際ちゃんと育てることに長けているということこそが、このチームが1部でも中位から上位を狙える成績を残せるようになった要因と言えるのではないでしょうか。

強豪校で試合に出ることができなかった子達に共通して言えることは「自信を失っていること」そして「『他の人より劣るっている』いう強い劣等感を持っている」ということです。少なくとも彼らは、高校入学時に全国レベルのサッカー強豪校に入れているので上手いはずなのです。でも強豪校には彼らよりもっと上手い子たちが沢山います。そういう子たちを見て自信喪失したり、自暴自棄になった子たちも多くいます。そしてそういう子たちは、残念ながらだいたい高校でサッカーを辞めてしまいます。
そんな子たちの中には「それでもまだまだ大学でサッカーを続けたい」と強く思う子がいます。そういう子たちを卒業後「どこの大学に送り出せばいいだろうか?」ということに各学校の監督や先生たちは頭を抱えています。そういう困った先生たちにとって、名古屋産業大学のような育成で実績のある指導者が監督のチームというのは、非常にありがたいと思います。もちろん全国的にあまり知られていない学校の子も多いですが、全国の強豪校からも学生が集まっているのでしょう。なるほど、納得です。

名古屋地区のアンダーカテゴリークラブで真っ先に思いつくのは愛知FCだと思います。その愛知FCの創設は1979年3月。その3年後に出来たクラブということは、三河地区や一宮あたりに行くとまた話は変わってくるのかもしれませんが、少なくとも名古屋のサッカーをこの2クラブで支えていたと言ってもいいのではないかと思います。そんなクラブの理事長のされている小崎さんがどうして大学チームの監督を引き受けたのか?と考えてみました。
一番考えられるのは、名古屋FCの卒業生の将来の進路を考えた時「安心して生徒を預けられる学校(チーム)があまりにも少ないと感じた」からなのではないでしょうか。高校までならまだなんとか目が行き届いたとしても、それから先となると一地方の育成クラブの理事長といえど、人脈だけではOBみんなを追えるだけの範疇を超えているとだと思います。しかし、自らが大学の監督になればそこから他の大学の監督との横の繋がりができ、その人脈を使えば自らが信用して卒業生を預けられる監督やチームが分かってくるのではないか?さらには、自分で他のクラブや学校の子たちを預かって、彼らをもっと成長させられるのではないか?そのように考えたらのかな?と推測します。
当然ながら、小崎監督が自ら指導される名古屋産業大学からもいい選手は育っています。まだ創部15年、東海1部に上がってまだ5年目と歴史の浅いチームですが、2023年シーズンには学校は中退しましたがV・ファーレン長崎にジョップ・セリンサリウが入りました。学生時代の彼のプレーを少しだけ見たことがあるのですが、ほぼ身体能力だけでプレーをしていたように覚えています。そんな彼でも青田買いに近いかもしれないですが、Jから声が掛かったというのは素質とさることながら、その素質を活かせるだけの能力を身に付けさせた、大学での指導の賜物だと思います。
さらに昨年も明秀日立から来た大山晟那がヴァンラーレ八戸に、そして高井健太はJFLのラインメール青森へとJや JFLに選手を送り出すくらいにまでなりました。おそらくこれからも、何人かのJリーガーやJFLプレイヤーを輩出していくことと思われます。小崎監督の熱意と指導が選手たちの成長を大いに促しているのでしょう。

名古屋産業大学といえば、以前見た「気になる子」の存在が…

と、そんなことを思っていたらふと、以前に名古屋産業大学の試合を見た時に気になった子がいたことを思い出しました。その子は青森山田出身のキーパーの子です。高校時代はセカンドキーパー、あるいはサードキーパーということでほぼ公式戦出ることなく卒業した彼でしたが、大学では2年からレギュラーとして試合に出ていました。
彼を見たのは3年生の秋でした。さすが青森山田と思わせるくらい技術は高いのですが試合中ずっと、味方に対してかなり高い要求をしていたのが印象的でした。そして、その要求通りに動いてくれないと激しく怒鳴ったりして、それを見かねたに相手チームのコーチも流石にたまらなかったのでしょう、4審に「あのキーパーを黙らせてくれ」と訴えたくらいでした。
私の見解としては。青森山田にいると周りのレベルがみんな高いので、彼の中ではそれが基準になっていて、その基準に達していないチームメイトに対して「もっと出来るだろう」といった思いから、そういう厳しい言葉を発するようになったのではないかな?と思って見ていました。また、技術レベルは高くてもメンタルのコントロール、特にアンガーマネジメントが上手く出来ないのかもしれないのだろう、とも思いました。おそらく、そういうメンタルの部分で高校時代はレギュラーを取れなかったのかも、という結論に至りました。

そんな彼を見たのは一昨年の2022年の秋。その時3年生だったのでもう卒業しているので、この日は当然いなかったのですが、ふとその後の彼がどうなったのだろうか?まだサッカーを続けているのだろうか?と気になったので、ダメもとでちょっと調べてみました。すると興味深い記事を見つけました。

記事の内容は、Jに内定した青森山田のOBが母校に教育実習のために戻ってきたというもの。高校時代は控えだったが、その後大学で成長。レギュラーを獲得し、3年次のインカレでの活躍が目に止まって水戸から内定をもらった得能草生についてですが、同じタイミングで教育実習に来ていた彼についても書かれていました。

得能と同じ、高校時代は控えだったが青森山田でGKコーチをされていた大久保隆一郎さんが名古屋産業大学のコーチになった縁で、名古屋産業大学に進学を決めたとのこと。高校時代の悔しい思いから「とにかく試合に出られる学校」という選択肢だったようです。その思いを察すれば、確かに大学でもチームメイトに高いレベルのプレーを要求するでしょうし、現に青森山田で2年後輩だった10番の山本くんには特に何の指示もしていなかったので、やはりそういう思いが強すぎるが故のことだったんだと思われます。
教育実習では、教員側や指導者の立場から青森山田を見ていろいろと感じたことも多かったようで「その当時は理解していた気になっていた監督やコーチからの言葉も、ちゃんと理解できてなかったかも?と気づき、そうした気づきを大学に戻って還元したい」という立派な言葉を残していました。「教育実習で学んだことを卒業後に役立つことが多かったし、サッカー以外のことにも活かせると思っています」ともコメントしていました。

そして、その記事の最後にこう書かれていました。「卒業後はサッカーから離れる予定とのこと」あ〜、やっぱりそうか〜…。ちょっと残念だけど、ここで過ごした4年間は彼にとってかけがえのない時間になると思います、いや、きっとなるでしょう。最後の年に彼のプレーを見られなかったのは残念でしたが、それでも高校の頃より、大学3年の頃より一回りも二回りも成長して社会に出ていったのだと思うと感慨です。

名産大が東海学生リーグの起爆剤となれるか?

以前からずっと言い続けていますが、大学サッカーは「サッカーを続けていくところでもあり、サッカーを辞める(諦める)場でもある」のです。サッカーを辞める、と言ってもいろんなケースがあると思います。「プロ(職業)としてサッカーを続けていくことを辞める(サッカーではお金を貰わず、たとえ就職したとしても競技性の高いレベルのサッカーは続ける)」というケース、「サッカーは趣味レベル(なので、自分の時間を削ってまでサッカーは続けない)」というケース、そして「プライベートも含めて一切サッカーを辞める(完全にサッカーという競技自体を辞めてしまう)」というケースとさまざまありますが、サッカーを続けていくにしろ、何らかの形で「辞める」にしろ、大学を卒業すればみんな社会の一員として生活していかないといけません。それに必要な資質を学生の間に身につけておく必要があります。
サッカーに限らず運動部で活動し続けている学生の中には(もちろん、そうでない学生もですが…)社会の一員としての資質にやや欠ける学生が少なからず存在します。そうした学生を、卒業までに社会に送り出しても何の差し支えもないレベルにまで高めてあげることも、部活動の指導者に求められると私は常々そう思っています。とても地道で時には困難なタスクではありますが、そうした実績が積み重ねることで送り出す側の高校やクラブの監督や指導者の方々からの信頼を得て初めて、いい選手や能力の高い選手を進学させてもらえるようになることでしょう。名古屋産業大学は「いい選手を供給してもらえる」ところにようやく辿り着いたのではないかと思います。
ここからは「結果」が求められることになるでしょうが、いい選手が集まるようになり、良い指導を受けられるのであれば自ずと結果はついてくると思います。東海は全国への枠が多いようで意外と少ないです(総理大臣杯、インカレとも3つ)。その枠を今は中京大学、常葉大学、東海学園大学、静岡産業大学の主に4つで争っています。そこに割り込んで来るのもそう遠い話ではないと確信しています。逆にそうならないと、一向に東海のレベルが上がりません。九州と共にやや停滞感のある東海が、その停滞感から抜け出すには名古屋産業大学のような4強を脅かす存在が出ないといけません。いわきFCに行った近藤くんがいた時の名古屋学院大学のように一過性で終わってはいけないのです。継続して4強を喰っていけるチームが出てくることを期待していたところに、彗星のように現れた名古屋産業大学。今はまだ無名の存在ですが、ちょっとだけ頭の片隅に置いてもらえるとよろしいのではないでしょうか。

最後に小ネタを…

LA•PITA東員スタジアムに行くには、三岐鉄道という幅の狭い車両が走る鉄道に乗らないといけません。この車両幅の狭い鉄道、一般的にはナローゲージと言って、国際規格では線路幅が1435mm以下のことを指しますが、日本では国鉄(JR)の線路幅の1067mmよりも狭い鉄道のことを指してこう呼びます。今、日本で残っているのは今回乗った三岐鉄道北勢線と同じ三重県の四日市あすなろう鉄道、それと富山の黒部峡谷トロッコ電車のみとなってしまいました。そもそも、なぜこんなに狭い線路幅の鉄道になったのか?考えられるのは貨物のために敷かれた線路ではないか、ということです。石灰石などの鉱物資源を運んだり、山林で切り出した木材を運んだり、あるいはダムなどの建設現場で使われる資材を運ぶために作られることが多かったようです。そうした山奥を走る鉄路は、線路を敷設出来るだけの土地がないのでそのような狭い線路を敷くしかないのです。貨物メインの路線のことも多く、かつて存在したナローゲージの路線では蒸気機関車が走っていたところも多かったようです。
武蔵野で来ると、試合後はそのまま真っ直ぐ西桑名まで戻ってしまうことがほとんどですので、せっかくのこういう機会にそんな貴重な乗り物をもう少し満喫したいということで、帰りに東員から終点の阿下喜まで乗ってみました(笑)
東員駅から終点の阿下喜駅までは約30分、たった4駅です。2つ先の楚原駅まではまだ住宅地がそこそこあったのですが、楚原を過ぎると両側に高い木が迫る中を走っていきます。終点の阿下喜駅の周辺は比較的住宅も多く、それなりの集落がありました。そして土曜日の夕方ということで、学生の乗り降りが多かったですね。それなりに需要はあるようです。

阿下喜駅のホームにある駅名標。
あ〜、たしかにここは終点ですね〜!
阿下喜の駅舎は風情のある木造なのに
入り口だけはなぜか小洒落た感じのアンバランス感(笑)

実はここから南の方向に約30分ほど歩いて、同じ三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅まで行って、そこから近鉄富田駅まで戻って帰るという手もなかったのですがこれから暗くなる中、慣れない道を歩くのは得策ではないし、そもそも富田駅だと特急も止まらないし晩ごはんにも困るということで、大人しくそのまま戻ることにしました。三岐線については、東藤原駅にあるセメント工場と石灰石かセメントを運ぶ貨物目当てに来ることにします(笑)

ということで、戻ってきた桑名駅でお弁当を買ってアーバンライナーで帰りました。大満足の遠征でした。

阿下喜駅から伊勢治田駅までのルート。
たしか、コミュニティバスも走っていたような記憶が…
阿下喜駅のホームに止まる三岐鉄道の車両。
パッと見では分かりませんが、めちゃくちゃ細いです(笑)
かつてはここで機関車が方向転換していたのでしょう。
このターンテーブルがそれを物語っています。
LA•PITA東員スタジアム近くの東員町役場の中に
こんなオシャレなカフェが…
よく見たらヴィアティン三重のオフィシャルカフェでした。
ヴィアティン三重の男子バスケットチームのポスター。
こちらはヴィアティン三重の女子サッカーチームのポスター。
スタジアムだったり、桑名駅周辺に何枚も貼られています。
桑名駅前にある三重交通のバスターミナル。
盛岡や諫早レベルの「ボロさ」でした…(笑)
帰りのアーバンライナーで食べたお弁当。
はまぐりのフライがメインのお弁当でした。


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