三木防災10時間耐久サッカーを見ながら、とあるチームとそれにまつわるいろんな選手について語ってみた、というお話
全社の遠征先である佐賀から帰り、翌週は青森に行くも見る予定だった試合は直前にドタキャンを喰らい、ただ単なる青森日帰り旅行と化してしまった…(笑)まあ、東北ではよくあることでして…(汗)最近は減ったものの、一昔前はチーム同士の話し合いで急遽延期になったり、または開始時間が早まったり遅くなったり、あるいは会場が変更されたりは日常茶飯事のようにありました。基本的に「見る人」のことをあまり気にしてない雰囲気があるので仕方ないのですが、それもあって個人的には東北にはあまり近寄りたくなかったわけで…(笑)
おかげで、弘前界隈でのんびりできたというのは、それはそれでよかったのかな?などと思いつつ…。
線路の不具合で全線不通となり、代行バスでの運行となっている弘南鉄道に乗ったり(当初から乗る予定だったのですが…)、温泉に浸かるわけでもないのに大鰐温泉の街中を散策したり、何もない駅の待合室で1時間以上もぼーっとしたり、列車の運行のない中央弘前駅に行って「あ〜、本当に動いてないんだな〜」と思ったり、弘前の中心地にある地元百貨店の中金がまだ健在なのを確認したり…。まあ、ごくありふれた観光旅行ですよね(笑)
そのまま帰って翌日は滋賀の東近江へ、11月の3連休の初日は4年ぶりの開催となったKSLカップを見るために、三木防災公園まで行ってきたのです。
この日の三木防災。朝10:00キックオフの第一試合から、夜18:15キックオフの第四試合までの約10時間に渡ってKSLカップを開催するという、狂気じみた日程になっております。そんな日程組まれたら、そりゃ行くしかないでしょ!ということで、三木防災の最寄駅、神戸電鉄緑ヶ丘駅に着いたのは朝の9時前。まあ、自分で言うのもなんですが、ホント偉いと思います(笑)
11/3 The KSL アストエンジカップ@みきぼうパークひょうご第3球技場 神戸FC1970 1-1 関大FC2008、高砂ミネイロ 0-5 アルテリーヴォ和歌山、FC AWJ 0-1 St. Andrdw's FC、Cento Cuore HARIMA 1-1 京都紫光クラブ
朝10時開始の第一試合は神戸FC1970vs関大FC2008。神戸FCはすでに予選敗退が決まっており、さらにこの試合のベンチメンバーはたった1人。しかもその1人は便宜上、登録はFWですが本来はキーパー。ほぼ交代はないものという状態です。リーグ戦はなんとかメンバーを揃えたけどカップ戦までは無理です、という、まあよくある話です。一方の関大FCはこの試合に負けさえしなければ決勝トーナメント進出が決まります。
そんな試合は予想通り関大が一方的に攻める展開となります。神戸FCは前線に1人か2人だけ残して、ああとはゴール前に張り付いて守りながら前半を凌ぎます。後半も同様、なんとか凌ごうとしましたがあっさりと54分に関大が先制。これで流石に関大のゴールラッシュになるかと思われたのですが、神戸FCには頼れるエースがいます(笑)。EASY02明石でも活躍した小林が、DFとGKの間に出たボールに反応。キーパーを交わして無人のゴールにシュート。いかにも彼らしいゴールで追いつき、1-1のドロー。関大FC2008がグループ1位となり予選突破を決めました。
勝った関大FC2008。Division2降格から一年でDivision1に復帰したものの今季も7位。アルテリーヴォ和歌山が地域CLで予選敗退したので、またD2へ降格となります。関西学生リーグ2位でインカレ出場を果たしたトップと比べると、やはり苦しい一年だったのかな?と思います。クラブとしては関西大学サッカー界でもタレント豊富なチームなだけに、やや勿体無い気はしました。今年のトップチームの主力、そして奈良クラブ内定の百田やまだ進路が決まっていたないものの、関大のエースとして活躍した西村はそれぞれ2008でも活躍した選手。そうした選手がこの中から現れてくることを期待したいです。
執念のドローでシーズンを終えた神戸FC。Division2とはいえ、レベルの高いリーグで苦しみながらもここ3年間残留を決めたのは、以前までとはいかないもののチーム力が付いてきた証拠でしょう。まだD1は厳しいかもしれませんが、今のレベルをキープしていけばまた再びD1に復帰する時も近いような気がします。
以前にもお話ししましたが、転勤などで関西に来た選手が仕事をしながらサッカーを続けていく時に、真っ先に名前が挙がる神戸FC。この日も活躍したキーパーの岡田はエリース東京からの移籍。他にも関東のクラブから移籍したと思われる選手がいます。それに加えて、地元で働きながらサッカーを続ける選手たち、そういう選手が一定の高いレベルのサッカーを続けていけるチームとして、これからも残っていく必要があります。個人的には「諦めの悪い大人」とよく表現しますが(笑)、卒業後もサッカーを続けたい子たちをそんな「諦めの悪い大人」たちが迎えるチームが増えるようになればいいなと思うのです。そして、そんな「諦めの悪い大人」を支える人たち、家族や彼女、配偶者や会社や仕事場の同僚の理解がもっと深まることを願うのです。
第二試合はすでに県リーグへの降格がほぼ決まっている(この原稿を書いてる間に確定しました)高砂ミネイロと、地域チャンピオンズリーグ出場の決まっているアルテリーヴォ和歌山との試合。高砂ミネイロとしては、このカテゴリーでの最後の試合となるかもしれない試合。そしてアルテリーヴォ和歌山としては、地域チャンピオンズリーグに向けての最終調整としたい試合。そんな試合でしたが、和歌山は主力半分、控え半分といったスタメンで臨みました。今から思うと、すでにケガ人とかが多く、ベストメンバーを組める状態ではなかったのでしょうね…。そして高砂ミネイロは控えメンバーはほぼ交代できない布陣。アラフィフのコーチ兼任の選手とキーパーのみ。さらに、FWにいた選手は元々はキーパーですがフィールドプレイヤーとして登録、出場していました。神戸FC同様、ギリギリの状態での試合でした。神戸FC同様、リーグ戦はなんとかメンバーは揃えられたけど、カップ戦までは無理、言うことでしょうし、ましてや来年このカテゴリーにいないのに、と思うと、まあ選手もみんなそのへんはよく分かっていて、いる人間だけでなんとかやろうというのだけはなんとなく伝わりました。
当然ながら試合は和歌山の一方的な展開。でも、まあシュートが入らなかったで、そもそもシュート数もそんなに多くなく、あれだけ攻めててわずか9本というやや物足りない内容でした。12分、13分と立て続けにゴールが決まった時はゴールラッシュの予感がしたのですが、実際にはそれから次のゴールまではハーフタイム含めて約1時間かかりましたから(笑)。今から思うと、この状態で地域CLに臨まざるをえなかったと考えると、あの結果もやむなしかもしれませんね。それにもう一つ。エースの北野がベンチ外だったのも、もしかしたらその時すでに調子を落としていたか、もしくは怪我でフルに出られない状態だったのかもしれないと思うと、和歌山としては不運だったと言えるのかもしれませんね。高砂ミネイロは最後の試合もヘロヘロになりながら、なんとか5失点で切り抜け終了。みなさん、おつかれさまでした…
和歌山の「関西リーグ残留」を受けて県リーグへの降格となった高砂ミネイロ。よく考えたら10年も関西リーグにいたんですよね。よくここまで残れてたな、というのが率直な感想です。1年だけD1にいましたが、あの1、2年はたまたま戦力が整いすぎていただけで、実際はD2の中位から下位レベルを行ったり来たりしていました。それでも残留でしたのは「彼らよりも弱いチームがいたから」という側面は否めません。でも、勝負所でちゃんと勝ったり引き分けたりしていたからこそ、その結果に繋がったわけで、それこそさっきの「諦めの悪い大人たち」の本領を発揮したと言えるのかもしれません。
しかし今年の高砂ミネイロを見て感じたことは、そんな「諦めの悪い大人」が黙々も試合をこなすだけになっていたこと。それを6月の試合で感じたので「あ〜、今年が最後かな」と思ったのです。仕事をしながら、そして貴重な休日を削ってまでサッカーに打ち込むには、それ相当の努力と覚悟が必要となります。若い時はそれが出来ても、年齢を重ねるにつれて仕事は責任のある立場になり、プライベートでは結婚して家庭を持ってしまうと、そこまでの覚悟を持って続けていくことが難しくなります。そんな中でもチームを維持し続けるには、新しい若い選手を集め続けるしかない。それが出来なくなると、徐々にチーム力は低下します。もちろん高砂ミネイロにも入ってないことはないのですが、残念ながらこのような結果になってしまいました。
神戸FCと高砂ミネイロ。同じようなチームでありながら何が違うのかを見た時、1番の違いは育成年代との繋がりがあるかどうか。もっとピンポイントで言えば、下部組織があるかないかの差ではないかと思うのです。高砂ミネイロもサッカー教室とかをやってるのかもしれませんが、単発のサッカー教室より定期的に練習をして試合も行う下部組織の方が、子どもたちへのチームに対する気持ちや思い入れは強くなります。武蔵野を見ていて感じるのは、小中やU-18などで武蔵野の下部組織にいた子が大学を経てまたトップチームに戻ってくるケースが多々あります。大学卒業時に、彼らが複数ある選択肢の中であえて武蔵野を選んだ理由は「小さい頃から慣れ親しんだチームだから」というのがほとんどです。神戸FCにも少ないながら、U-15やそれ以下のチームにいた子が戻ってくる子がいます。でも高砂ミネイロにそれがないのが、新しい選手を獲得するのに苦労している要因の一つかもしれません。
ただ、そのような下部組織はそう簡単に作れませんし、クラブにも選手にも相当な負担となります。また、無理に作る必要もないですし、関西リーグであろうと県リーグであろうと今のスタンスで活動していくというのであれば、それもありです。クラブなんて、これという決まった形があるわけではないので、クラブそれぞれでいいのです。ミネイロはミネイロらしく、神戸FCは神戸FCらしく。それでいいのです。
高砂ミネイロが今のスタンスで再び関西リーグに戻ってくることを楽しみにしています。県リーグ見に行けるなら見に行きたいですね、スケジュール的にかなり厳しいかもしれませんが…汗
第三試合はFC AWJ vs St.Andrew's FC。共に勝てばワイルドカードで決勝ラウンドへの望みが繋がるが、負ければ敗退という試合。スピードで勝負するAndrew'sに対し、どちらかというとドリブルや個の能力で勝負するAWJ。試合はカウンターの応酬でした。AWJはサイドを破られることが多く、なかなか攻めることが出来ない苦しい展開。個人でのドリブル突破も止められ、DFの裏にボールを出すも誰も反応できずと攻撃が機能不全状態。後半もそんな悪い流れの中、再三破られていたサイドからのラストパスに中央から決められて失点。失点したFC AWJはさらにチーム全体が機能不全に陥り、そのまま終了。St.Andres's FCは翌日の試合の結果、惜しくも決勝ラウンドには進めず、負けたFC AWJはこのまま予選敗退となりこの試合でシーズン終了となりました。
勝ったSt.Andrew's FC。ご存知の方もおられるかと思いますが、桃山学院大学のセカンドチームです。今年のトップチームは2年ぶりの1部復帰となりましたが、成績が振るわず再び2部への降格が決まりました。そしてセカンドチームであるSt.Andrew's FCもD1復帰ならず、来年もD2となりました。近年、桃山学院大学が学生リーグの上位に来ることも少なく、関西学院大学や関西大学、大阪体育大学はもとより、京都産業大学や立命館大学、大阪学院大学などにも抜かれてしまっています。なかなかいい人材が入りにくくなってるのでしょうか?似たような現象は、関東ではかつての強豪だった順天堂大学や国士舘大学が今では明治大学、法政大学などの偏差値エリート校や流通経済大学や東京国際大学などのスポーツに特化した学校などの後塵に拝するようになりました。昔からの強豪というだけでは選手が集まらなくなった時代なのでしょう。
とはいえ、個人レベルでは十分上を狙える選手もいるので、トップがダメならセカンドが頑張って引っ張っていくようになってもらいたいです。
来年は関大FC2008がD2に落ちてきます。学生チーム同士が切磋琢磨して、D2を盛り上げてもらいたいです。そして関大同様、一人でもトップに昇格させて、また卒業後もサッカーを続けられるようになることを願います。
負けたFC AWJについては後半、改めてお話ししますので一旦割愛いたします。
日もどっぷり落ちた18:15キックオフの第四試合。リーグ戦も3位、全社に出場できないという不遇の一年となったCento Cuore HARIMAとD2残留は果たしたものの、上位争いには全く絡めなかった京都紫光クラブ。共にリーグ戦を不本意な形で終えた両チーム。Cento Cuore HARIMAはこの試合に負けなければ決勝ラウンド確定、京都紫光クラブはすでに敗退が決定。モチベーションの差がどう出るか?といった試合。予想通り、序盤からHARIMAが攻めて紫光が守る展開に。しかし、紫光の守備の堅さの前に、なかなかシュートまで持っていけないHARIMAという内容で、前半は両チームもほぼシュートがない状態で終了。後半は積極的にシュートまで持って行こうとするHARIMAでしたが、逆にカウンターから京都紫光に先制されます。負けると予選突破が怪しくなるHARIMAは交代で流れを変え、交代で入った森のゴールで追いつくも勝ち越しまではならず。HARIMAとしては最低限のドローで決勝ラウンド進出を決めました。対する京都紫光クラブはシーズン最後の試合、勝てるあと一歩のところまで来ていたので惜しい最終戦となりました。
まずは先制したものの土壇場で追いつかれて詳しいドローとなった京都紫光クラブ。ここ1、2年はD2でも苦しいシーズンが続いています。学生チームが複数存在しているので、どうしても当たり負けや体力勝負で勝てないことも多く、また決定的な仕事の出来る選手がいなくなったことも痛いでしょう。元々、チームとしての地力はあるのでD2残留ではなくD1復帰を目標に、来シーズンも戦ってもらいたいです。
終了間際に追いつき、決勝ラウンド進出と共になんとか面目を保ったCento Cuore HARIMA。このチームに関しては、語り出したら軽く10000字くらいはいきそうなので、またいつかの日にお話しします(笑)。今年は例年になく試合を見た方(4月の第2週、6月の天皇杯、8月の初の高砂開催、そしてこの日)ですが、いい悪いはさておき、難しいことを無理にせず出来ることを確実にこなそう、という感じですかね?当たり前のことを当たり前のようにこなす。結局は、それが出来なければ応用問題は解けない、そんなところに落ち着いたのかな?ということでしょう。いかにも大瀧先生の教え子の佐野監督らしいチーム作りのように感じました。
まだまだチームとして(クラブとしても)は未熟かもしれませんが、長年交友のあるサポーターさんたちは全く悲観した様子がありません。なので、方向性は間違ってないでしょうし、今のベクトルを見失わないようにしっかりと形作っていければ、近いうちに結果は出るでしょう。その時が一年でも早く来るように期待したいと思います。
いろんな柵によって産まれてしまったクラブの行末を案じてみる
今回のメインは、FC AWJです。このチーム、いろいろとあって話せば長くなるのでそのあたりについてはまた別の機会にでもお話ししますが、以前関西リーグにいていろいろと騒動を起こしたFC淡路島との絡みで出来たチームということだけ、まずは頭に入れてもらえると話しが理解しやすいと思います。
そんなFC淡路島の騒動によって新たに生まれたチームというイメージかと思いますが、FC淡路島の流れを汲むと言っているFC BASARA HYOGOは登録上はFC EAZY02明石の継続チームであって、本当はこっちがFC淡路島の本流と言えるのではないでしょうか。
チームの成り立ちからしてちょっとややこしいFC AWJ。チーム分裂直後の昨シーズンはD1で最下位。まあ、メンバーがほぼ総入れ替えだったことを考えるとやむを得ないですよね。チームの真価の問われた今シーズンは勝点29でD2優勝。一年でD1復帰を果たしました。
しかし、このThe KSLアストエンジカップを見る限りでは、来シーズンはかなり厳しい戦いを強いられるのではないかと思われます。というのも、KSLカップでは初戦が15人、2戦目は14人、そしてこの日はなんと13人しか登録されてないのです。大会自体の登録メンバーはもっと多い(それでも19人)のですが、実際に動けるメンバーはこれが限界と認識するのが妥当なんでしょう。まあ、リーグ戦も最終的には20人だったのでかなり人数的には厳しいのですが、さらに厳しい状態になっていました。
このクラスのクラブとなると、選手確保はかなり大変だと思います。選手としては、出来ることなら一つでも上のカテゴリーでプレーしたいし、また給料を含めた待遇であったり、練習場やコーチ、怪我持ちの選手ならトレーナーや身体のメンテナンスの面など、サッカーに関する環境のよりいいところを選びたいでしょう。そうなると全員プロ契約の栃木シティやB TOP北海道が条件的には有利に働くかもしれません。
その点、FC AWJは練習場という点ではかなり有利だと思います。淡路島にはアスパ五色という、綺麗に整備された天然芝のピッチが2面もあるグラウンドがあります。他にも佐野運動公園という、ここも天然芝2面のグラウンドもありますので練習場に困ることはありません。また、生活するにしても前回取り上げた都農町のように、多少の不便さえ気にしなければ実に生活しやすいところです。ただ…、問題は選手たちがみんな淡路島に生活の拠点があるのか?ということです。
もう時効だと思うのでお話ししますが、FC AWJの前身に当たるFC淡路島。実はチームの事務所は大阪市内にあって、練習もJ-GREENで行っていました。県リーグ時代は試合のたびに淡路島に行き、終わったらまた大阪に戻るということをやってました。関西リーグに上がると流石に練習も淡路島でやってたようですが、事務所は依然として大阪市内だったかと思います。その流れからすると、今のFC AWJも選手全員が淡路に生活拠点があるとは限らないと考えるのが妥当ではないでしょうか。
確かに淡路島で選手を雇用できるだけの仕事があるかというとやや疑問です。近年、パソナグループが開発に力を入れていますが、そうして出来た雇用の多くは観光目当ての雇用先。土日に休める仕事とは言えません。また、淡路島に住んで神戸に働きに行くという選択肢もありますが、午前中練習して昼から仕事というタイムスケジュールだと、練習場から1時間以上掛かるところに行くというのも大変なことです。それが毎日となると相当な負担になります。
そう、FC AWJが直面しているのはそうした「練習と仕事場と生活拠点が必ずしも一致しない」というジレンマではないでしょうか。毎日、練習の度に神戸や大阪から橋を渡って淡路島に行き、終わったらまた淡路島から橋を渡って帰る。その高速代だけでもバカにならないです。個人で自走していたとしたらなおさらです。それでもサッカーを続けたいと思えるのならチームに残るでしょうが、もっといい環境を、と思う選手はどんどんチームから離れていくでしょう。その結果が、今の20人という登録メンバーの少なさに表れているのではないでしょうか。チームとしてもあの手この手を打って選手の引き留めを図っているようですが、現状ではあまり効果的ではないように思えます。
クラブの方向性と選手個々の方向性は必ずしも一致しない…
チームの方針がやや迷走気味なのに加えて、選手たちの意思も一つにまとまっていない印象です。全員がこのチームで上(JFLやJリーグ)を目指したいかというと決してそうではなく、まずは個人としてスキルアップをして、あくまでもこのチームはステップアップの場として考えている選手が多いように思えました。また、元鈴鹿ポイントゲッターズのキーパー岩脇力弥のように、おそらく他のチームからのオファーがなかったので、一旦ここでプレーしながら次のオファーを待っている状態の選手もちらほら見受けられました。おそらく元高知ユナイテッドの岡田大介もそうかもしれません。
そんな、いろんな思惑でこのチームに来た選手たち。それを纏めるだけのチームとしての戦術もこれといって見当たらず、特に失点後はFWは点を取りに行くために個人での単独突破が増え、DFはやはり個人単位でプレスをかけたりするシーンが増えてしまうので、そこの空いたスペースを使われてピンチになる。中には「こう動きたら、こっちに行ってくれ!」とか周りに指示なのか、あるいは文句なのか分からないような口調で叫ぶ選手もいました。点を取りたい、取られたくない、勝ちたいというベクトルは同じでも、それに向かう前段階のベクトルにかなりの相違があったように見受けました。
本来はベンチの監督やコーチがそれを整理して、一定のやり方に導いていく必要があるのでしょうが、今のスタッフでは経験不足でまだそこまでいかないのかもしれません。
そんな状態ではありましたが、ピッチであれやこれやと言われ放題だった選手に対して「言いたいことがあるならガンガン言ったほうがいいよ!言わないと分かんないんだから」と声をかけた選手がいました。彼は、他の選手がネガティブな言葉を発している中で、務めてポジティブな言葉をどんどん出していました。そんな彼の名は市口丈。今年の6月下旬に入団した、まだ半年もチームにいない選手でした。彼の経歴を見ると、日本のクラブと欧州、それもオーストリアやクロアチアといった国のクラブを行ったり来たりしてる選手でした。海外でプレーしようと思うと、積極的にアピールしていかないとボールが回ってこない。特に中欧や東欧のクラブだと、いくらオフ・ザ・ボールでいい動きをしても、そんなもの一切評価されない。結果が全ての世界なので、自分からアピール出来ないとチームに残れない。そんな厳しい環境でプレーしていたので、彼の彼なりの思いがその言葉に表れているようでした。
彼は日本のクラブでもプレイヤーしているので、チームとして今何をすべきか、勝つためにチームとして戦術、アプローチをどう図るべきかを考えて、出来るだけポジティブな声掛けを意識しつつ、でも個人のアピールや苛つくチームメイトを宥めたり抑えたりしているのでしょう。彼のような存在がピッチに居るよといないとでは、チームの結果にも差が出てくるはずです。彼のボランチでの「いい声掛け」が来シーズンも続けば、苦しいと思われるD1での残留も見えてくるかもしれません。1年残留出来れば、またチームの風向きも変わってくるでしょう。
一度諦めたサッカーを続けるために来た選手、チームに残り続けることを選択した選手、今まで続けてきたサッカーを辞める決断をする選手…
市口のようにサッカーを続けていくためにこのチームに来た選手がいる一方で、一度は諦めかけたサッカーをもう一度続けたいと思ってやってきた選手もいます。そんな彼の存在を実はこの日、現場に来ていた長年のユースヤクザ、いやユースガチサポ勢の友人から聞いたのです。彼とはどれくらいの付き合いになるのだろうか、はっきりと覚えてません。元々は全く別のチームのガチサポなので接点はないはずなのですが、共通の知り合いを通じて知り合ったように覚えています。
そんな知人がこの日三木防災に来たのは、ユースガチサポあるあるでもある「OB訪問」でした。彼の目当ての選手である宋勝鳳は、一度サッカーを諦めかけたけどもう一度続けたいとFC AWJに入ったという選手でした。
神戸U-18卒業後、語学留学も兼ねてアメリカの大学に進学してそこでサッカーもやっていたそうですが、道半ばで帰国。その後、やっぱりサッカーを続けたいと思っていくつかセレクションを受けて、晴れてFC AWJに拾ってもらったようです。そんな彼の思い出を知人が語ってくれました。ユース時代、横浜F・マリノスユースにいた同じ学年の椿直紀に、彼のいたサイドをズタボロに突破され、試合後崩れ落ちるくらい大泣きしていたそうです。そんな椿も、2種登録でトップに昇格するがトップではほぼ出場できず、北九州→メルボルンシティ→再び北九州→水戸を経て、今年ようやく千葉に完全移籍。チームの主力として活躍するようになりました。そう考えると、ユースから昇格して即トップで活躍するなんて、本当に化け物みたいなもので、トップにあがれたとしても活躍はおろか試合にすら出られない選手も多いのです。そしてその陰にはユースではレギュラーでも昇格できず、大学や他のクラブに行く選手、あるいはそれすらも叶わなかった選手が山のように居るわけです。J1やJ2で活躍している選手がいかに凄いのかがよく分かりますよね。
ユース出身と言えど、学卒後もサッカーを続けられる子はやはり少なくて、一度辞めてしまったけどやっぱり続けたいという気持ちを持ってこのチームに入った彼は本当にすごいと思います。そして、この日初めて彼のプレーを見ましたけど、まだまだ全然やれると思いました。本人も今年1年やってみて、まだやれるという自信が付いたのではないでしょうか。彼が来年、このチームにいるか、もしくは他のチームにいるかは分かりませんが、もう少し彼のプレーを見ることが出来そうかな?と…
彼のような、一度は諦めかけたサッカーに再チャレンジできる場があるということが大事だな、と感じたのでした。
また、チームに翻弄されながらもこのチームでプレーし続ける選手もいます。その一人、14番の松近嘉莉歩もそうです。彼は立正大淞南時代、福岡でプレーする鶴野怜樹や福岡大学に進んだ不破将生、藤井奨也の1年先輩として選手権に出場。卒業後、一度は大学のサッカー部に所属するも、当時まだ兵庫県リーグ1部だったFC淡路島に入り、主力として活躍、関西リーグ昇格に貢献しました。関西リーグDivvsvon2でも活躍、D1昇格を果たすもオフに例のFC淡路島とFC EASY02明石との合併騒動が発生。ほとんどの選手がEASY02明石に合流する中、彼は淡路島に残ることを選択、新しく出来たFC AWJに加入。D1でのシーズンとなった昨年は、メンバーがほぼ入れ替わったこともあり最下位でD2に降格。それでも彼はチームに残って今年、再びD1昇格にチームを導きました。
彼の印象というと、FC淡路島時代もFC AWJでもとにかくずば抜けて上手いという一点です。もっとレベルの高いチームでも十分やっていけそうにも関わらず、彼はこのチーム、いや淡路島に残り続けているのです。個人的にはとてももったいないと思うのですが、彼には彼なりにこのチームに残る理由があるのでしょう。KSLアストエンジカップの登録に名を連ねていると言うことは、おそらく来年もここにいるでしょう。どのチームにも「伝説の選手」みたいなプレイヤーがいますが、もしかしたら彼のような選手が「そういう選手」なのかもしれませんね。県リーグ時代から今もチームに残るのは彼を含めてわずか3人。しかもそのうちの1人は、シーズン終了とともに海外挑戦のためチームを離れることになりました。残るのは彼ともう1人だけ。それでも、彼にはこのチームに残り続けてほしいです。そして、いつか「伝説のプレイヤー」になってもらいたいです。
彼があと何年このチームでプレーするかは分かりません。でも、一年でも長く続けてこのチームを牽引してもらいたいです。そしてFC AWJを、今はなくなった三洋電機洲本サッカー部があと一歩のところまで行ったJFLに、彼が連れていく日が来ることを期待しています。
そんな松近の存在の影では、この試合には出てないが長年の選手生活をこのチームで終えることを決意した選手も何人かいます。年齢、キャリア問わずいずれは現役を退く日が来るのです。その時をこのチームで迎えることとなった選手たち。その選手たちはいったい何を感じ、何も思ってその決断に至ったのかは計り知れませんが、彼かがみんな納得しての決断ではないことも十分承知しています。でも、最後のチームとなったこのFC AWJでの選手生活が、本当に不本意な形で終わったのであれば、おそらく現役引退という判断はしないでしょう。キャリアを続けていくためのチーム、キャリアを終える場としてのチーム、そして一度途絶えたキャリアをスタートさせる「リスタート」のためのチーム。そんな多様なスタイルを持ったチーム、それが今のFC AWJなのかもしれません。
Jリーグと簡単に言うもその道のりは恐ろしいほど険しい。まずはやれることをやる、それが大切
チームを立ち上げる時には当然ながら、Jリーグへという高い目標を立てているでしょうが、現実的には途方もなく厳しい道のりです。先日のJFL地域リーグ入替戦でも、関東リーグを圧倒的な成績で優勝したVONDS市原でさえ、JFL最下位の沖縄SVに敗れてJFL昇格できませんでした。地域リーグで優勝にも達していないチームが「Jリーグ入り」といくら言ったとしても、そう理解されるものではないかもしれません。もしかするとそんな高尚な目標より、まずはチームの認知度を上げたり、地域に根付いた活動を続ける事で、チームの存在感を高めることが必要なのかもしれません。
今、FC AWJは地元の企業とコラボして新しい商品の開発に携わったり、また洲本城でカフェを運営したりと、さまざまな活動を積極的に行なっています。そうした「今できること」を精一杯やることがまずは大事でしょう。
元々は「チーム結成7年でJリーグ。一回でも昇格に失敗したら、クラブは即解散」などと豪語していたチーム。そんなチーム(代表)と訣別して出来たFC AWJ。一度チームが淡路島から無くなりかけたところを救った形となる今のチームは、前のチーム以上に淡路島に根を張ったチームになることを期待されているはずです。JリーグとかJFLとか言うのはその後でも十分遅くない。そう思うのでした。
約10時間にわたるサッカー観戦。東京の天皇杯予選でもある「東京カップ」よりも短いとはいえ、これだけ長い時間サッカーを見ることはそうないでしょう。そして、この日見た4試合8チーム、それぞれにいろんなバックボーンがあるわけで、それらを具にみていくのもまた楽しいのかもしれませんね。
選手、スタッフ、関係者の皆さん、お疲れさまでしした。この日シーズンを終えたチームの皆さん、長いシーズンお疲れさまでした。また来年もよろしくお願いします。決勝ラウンドに進まれたチームの皆さん、決勝での健闘をお祈りいたします。
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