とある選手のJ通算200試合出場を見たので、なんとなく思いの丈を書き綴ってみました、というお話

リーグ通算200試合出場って、耳や目からだとサラッと流れていきそうな情報ですけど、よくよく考えたらものすごいことなんですよ。野球みたいに年間140試合とかあれば、最短で2年もあれば達成できるのですが、サッカーなどの試合数の少ない他のスポーツだとそうはいかない。フルで出場したとしてもJ1が年間34試合、J3で38試合、一番多いJ2でも42試合が最大なのです。つまり、J200試合出場を達成するには最低でも5年は掛かるのです。さらに、JFLになると年30試合しかないので、もっと掛かりますよね。昔、関西リーグ通算100試合出場という表彰があったのですが、関西リーグになると最大でも年14試合なので、100試合出ようと思うと毎年フルで出たとしても最低7年とあと2試合必要なのです。その約8年間レギュラー、もしくは試合に出場できるだけと実力を維持しておかないと達成できないという、それはもう凄いを通り越した「超人」の域に達しないとほぼ不可能なわけです。だから「たかが100試合」なんて言わないでくださいね。

ここ数年、年に数えるほどしか見に行けてないJの試合。そんな貴重なJ観戦、今年初の試合は味スタでのJ2、しかもある選手のJ通算200試合出場の記念すべき試合をたまたま見ることになったのでした。

5/13@味の素スタジアム 東京V 0-1 町田

いつもなら当日入りの武蔵野のホームゲーム。この日は当日入りではなく、珍しく前日に東京入りしました。なぜかというと、前の日にこの試合を見るためでした。なにもJ2の首位攻防戦だからというわけではなく、それはたまたまそうなっただけであって、メインの目的は東京Vに所属する元佐川滋賀の奈良輪雄太を見るためです。
彼を最初に見たのは筑波大学から佐川滋賀に入った年。佐川に入った頃から、精度の高いクロスと90分間落ちることのない豊富な運動量、DFとは思えないくらい高い攻撃意識とそれに劣らない守備意識と能力の高さ。そして、何よりちょっとやそっとでは怪我をしない強靭な肉体の持ち主で、1年目からほぼフル出場を果たす大活躍でした。在籍した3年間で88試合出場ってやっぱり半端ないですよね。
佐川滋賀が休部してからは、育成時代に在籍していた横浜FMに移籍。流石にそう簡単に試合に出られるわけもなく、それでも3年間で28試合とJリーグ初ゴールを記録。その後、湘南に移籍。失意のJ2降格を経験するも、湘南でも2年で44試合出場とチームに貢献。そして、2018年からは今の東京Vに在籍。レギュラーで活躍していたものの、ここ2年は出場機会にあまり恵まれず、さらにマリノス時代の怪我の影響もあるのか、年々積み重なる疲労と年齢、さらに肉体の消耗には抗えないのかとな、などと思わざるをえない、そんなことを思いながら遠目から眺めていました。
そうして迎えた、2023年の開幕戦。スタメンに奈良輪雄太の名前を見つける。今年は久しぶりに彼の元気なプレーを見ることができるのではないか。そう思い、早々に日程調整をして味スタでのホームゲームを見ることにしたのです。ですが…

もしかしたら、この試合に奈良輪は出られないかもしれない…

という緊急事態が発生したのです。開幕して間もない3/5の第3節、ホームでの甲府戦にスタメンで出場した奈良輪でしたが、80分に交代してからパタっとスタメンはおろかベンチメンバーからも消えてしまったのです。そう、どうやら怪我で戦線離脱を余儀なくされてしまったようでした。その時点では、もうこの日に観にいくことを予定していたので今さら変更することも難しく、また仮に予定をずらしたとしても今度は累積警告などによる出場停止のリスクも考えると、出来ればこの日に見ておきたい。そういう思いが、試合当日が近づけば近づくほど強くなりました。「彼は5/13までに戻って来れるのだろうか…」そんな不安を抱きながら毎日を過ごしていたのです。
そして、いよいよ来週の土曜日に観戦予定という5/7のアウェイでの長崎戦。後半ATにバスケス・バイロンに代わって奈良輪雄太が出場したのです。勝ち試合だったので最後の時間稼ぎでの出場ですが、ベンチ入りに加え、怪我明けの復帰試合をこの日済ませたことで「来週も試合に出るのではないか?」という期待が高まってきました。
そして試合当日。飛田給に向かう京王線の車内で、一緒に見る予定の知人から「奈良輪がベンチに入ったよ」との連絡が…。あとは試合に出ればオールOK!期待を胸に飛田給から味スタへ。そういや、味スタ来たの、いつ以来だろうか?(笑)隣のグラウンドにはたまに来るんですけどね…。ま、明日もまたこの隣に行くことになるのですが…(笑)

味スタ来たの、何年振りだろうか…
FCだったか、ヴェルディだったかすら覚えてない…

当日は時より強くなったり小雨になったり、また止んだり…というあいにくの雨模様。でも味スタなら屋根があるので安心!ということで、スタンドに着くと、知人が東京Vゴール裏の一番メインスタンドに近いブロックの席を確保してくれました。いつもは別のところで見てるらしいのですが、今日はアップゾーンがよく見える位置を選んでくれたとのこと。確かにアップゾーンがよく見える!ホント、感謝です!

味スタに掲げられた奈良輪の横断幕。
カッコイイの作ってもらってるじゃん!!
座った席からはアップゾーンがよく見える!
実に最高のロケーションです!

試合は、首位を走る町田が青森山田で実績を積み重ねまくった黒田監督の、いかにも青森山田らしい堅実かつ盤石なサッカーを展開。ヴェルディはなかなか思うように攻めることのできない苦しい内容。前半終了間際の45+1分にセットプレーからシュートのこぼれ球をエリキが決めて町田が先制して前半が終了。

怪我明けにもかかわらず黙々とアップする奈良輪。
佐川時代からプロ意識の高い選手だったよな…

後半、反撃を試みるヴェルディだったが、バスケス・バイロンが2枚目のイエローで退場。数的不利になり、当初のゲームプランが崩壊したヴェルディ。プラン通りなら奈良輪の出番も十分に想定されたのだが、数的不利な状況になったため「これで出番は無くなったかな?」と諦めかけてた後半25分過ぎ、アップゾーンにいた奈良輪がベンチから呼ばれます。

ベンチの前でボードを見ながら指示を聞く奈良輪。
ビブスを脱いでもまだ指示を聞く奈良輪。
ゲームチェンジャーとしての役割が期待されます。

後半37分、いよいよ奈良輪の出番がやってきました!

交代のスタンバイか完了したものの、なかなかプレーが切れずに交代することができなかったが、82分にようやく交代。この瞬間を待ってたのですよ!

交代直前までコーチの指示を聞く奈良輪。
短い時間で結果を求められる厳しい任務に向かう。
そして82分、深澤と交代でピッチに入る奈良輪。
10歳近く年下の深澤と握手してピッチに入る。
隣には、もっとベテランの中島祐希の姿が(笑)
彼のピッチにダッシュで入る姿は実に絵になるね…

アディショナル含めても15分あるかないかという、非常に短い時間。その時間で1点差を追いつき、さらに逆転にまで繋げる働きを求められたであろう奈良輪。最初からフルスロットルでピッチを駆け巡る。

タッチラインを割るたび、すぐにボールを要求。
受け取るとすぐさまスローインをする奈良輪。
貰っては投げ、また貰っては投げ…
1秒たりとも無駄にできない、
彼のそんな熱い気持ちがよく伝わってきました。
サイド突破からクロスのタイミングを窺う奈良輪。
町田もたまらず2人掛かりの必死のディフェンス。
町田の右サイド27番平河と1対1となる奈良輪。
相手の動きをじっと見据えて対峙する。
後方支援が来るまで時間稼ぎをする奈良輪。
後ろから来たマリオ・エンゲルスに詰めさせると…
奈良輪はタイミングを見てコースに足を出し、
平河のミスキックを誘うという、まさに職人芸…
後半ATも残り少ない時間でのセットプレー。
果敢にエリア内に走り込む奈良輪。
クリアボールを拾うべく必死に追いかける奈良輪。
しかし町田DFが大きくクリアすると…
大きくクリアしたところで、無念のタイムアップ。
やれることはやり尽くした…、
試合直後の彼は、そんな凛とした姿に見えました。

ベテランに求められること、そしてそれを体現する。それを可能にするための自らに課す高いハードル

出場時間は8分+αという非常に短いながらも「何をすべきか?」「今、何を求められているのか?」をしっかりと頭の中で整理した上で、それをきっちりピッチの中で体現する。言葉にすると簡単なようにも思えますが、実はこれがなかなか難しいうえに、相手の出方も未知数な中でもそれをきちんとこなせるからこそ、ベンチの信頼も厚く、交代での出場機会が得られているのではないでしょうか。
とはいえ、彼ももう35歳。はたしてあと何年プレー出来るのでしょうか…。1年でも長くプレーし続けるために必要な体力やスタミナを維持するためには、想像を超えるような厳しい日々のトレーニングが欠かせないし、監督が変わることで新しい戦術を身につけないといけなかったり、相手に動きを研究されないように細かい動き方の変化も身につけないといけない。毎年のように微妙に変わるボールの特性を捉えた上でのキックの精度の維持、さらには自らを追い込んでいかないといけないというストイックさも必要です。技術的にも体力的にも、さらに頭脳やメンタルの面でも常に向上心を持って取り組まないといけないし、それが出来ないとレギュラーはおろか、ベンチにも入れなくなってしまう。厳しいプロの世界で長年トップアスリートとして活躍する彼の、そんなストイックさには本当に頭が下がる思いですし、見習わないといけない。彼や彼以外の元佐川滋賀の現役プレイヤーを見るたびにいつもそう思わされてしまいます。

次の節目は250試合。今から毎試合、途中出場したとすれば来年の夏前に達成する計算にはなりますが…。そこまで現役を続けてもらいたいという想いと、もし怪我が悪化して体がボロボロになってしまいながらでも現役を続ける姿を見るのも、なんだか心が痛む思いにもなります。実に複雑な心境です。まずは1試合1試合、今までと変わらずコツコツと積み上げて、最終的に「250試合になったね!」となればそれが一番いいのでしょう。そして、そんな記念すべき試合をまた見る機会があればいいのかな、などと純粋にそう願うのでした。

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