各クラブが抱える新スタジアム建設問題と、2024年に完成する新しいスタジアムとを見比べて、新しい時代のスタジアムの在り方について少しだけ真剣に考えてみた、というお話
JFLからJリーグへと参入しようとするチームが直面する問題は大きく分けて3つあると思います。
まずは成績。ついこの間まではJFL 4位以内かつ、Jリーグ参入要件を満たしたチームの中で2位以内という条件でしたが今はJFLで2位以内と、かなりハードルが高くなったイメージはあります。今まではJクラブを増やす方向で動いていましたが、昨年の2チーム昇格でJクラブの定員とした60クラブに到達したので、今後はそれらのクラブの単純な入替作業だけになります。条件はより厳格になるのも無理はないですね。それにより、昨年のレイラック滋賀は2位以内という規定に達することができず、Jリーグ入りが出来ませんでした。
二つ目はクラブの財務状態。多少の無理をしてでも資金を調達してクラブの強化を図る、といった無茶なクラブは流石に減ってきましたが、それでも財務状況の良くない、あるいは悪いクラブはいつくか存在します。今のJFLでは高知ユナイテッドが特に厳しそうです。レイラック滋賀も、MIO時代はかなり厳しいとは聞いていましたがそれも体制が大きく変わってかなり改善されたのでしょう。昨年の審査では比較的すんなりと通ったところを見ると、そういうことなんでしょう。財務状況は何もJFLクラブに限らず、Jクラブでも厳しいところは厳しいので、まずは単年度の赤字をしない、仮になったとしても単年度赤字を続けない、そして累積赤字を増やさないという経営に努めれば、これはそこまで問題ではないでしょう。
最後に3つ目。それは今回のテーマでもあるスタジアム問題。どこのクラブもこれが一番厄介な問題です。前の2つは、自力でなんとかしようと思えばなんとかなる問題(成績は他力も必要ですが…)なのですが、スタジアム問題だけはどう頑張っても自力だけでは解決できないからです。JFLは元よりJクラブでも頭を抱えるクラブがたくさんある、そんな本当に厄介な問題なのです。そんな厄介な問題について、今回は少し掘り下げてお話ししたいと思います。
特例でライセンスの発給を受けたクラブの苦悩
Jリーグ参入時は審査を通過したのに、その後「規定が変わった」という理由で現在使用しているスタジアムが将来的に使えない、いや使えないだけならまだしもJリーグのライセンスを剥奪される、という切迫した状況になっているJクラブがいつくかあります。それらはそれぞれ似たような問題を抱えつつ、個別に見るといろいろな事情が見えてきます。ということで、まずは簡単に鹿児島ユナイテッドのホームタウンの鹿児島市、ブラウブリッツ秋田のホームタウン秋田市、そしてSC相模原のホームタウンである相模原市のそれぞれのケースについて見ていきたいと思います。
市と県との縄張り争いに終始する鹿児島
おそらく一番古い、つまり長い間スタジアム問題を抱えているクラブは鹿児島ユナイテッドではないでしょうか。今年J2復帰を果たした鹿児島ですが、Jリーグ参入翌年である2017年のライセンス申請の時から、すでにスタジアムについての特例要件付きでのJ2ライセンス交付でした。当時はまだJ3ライセンスはなく、J3クラブもJ2ライセンスの取得が必要でした。特例要件とは、今はまだ基準を満たしていないが将来的に現在使用しているスタジアムの改修計画がある(もしくは着工予定)、ない場合は基準に沿った新しいスタジアムの建設計画書の提示と引き換えにライセンスを交付する、ということです。その期間はクラブによってまちまちですが、おおよほ5年から8年程度とされています。
2017年に特例要件付けでのライセンス交付を受けた鹿児島ですが、実際に執行されるのはJ2昇格した2019年からで、2019年から8年間という期間でした。
鹿児島ユナイテッドのホームスタジアムである白波スタジアムこと、鹿児島県立鴨池陸上競技場は1972年に開催された鹿児島国体のメイン会場として1970年に完成。50年以上の歴史を持つ古いスタジアムです。2020年に再び開催されるはずだった国体に向けて、2014年から大規模な改修工事が行われたのですが、その改修工事の内容とJ2ライセンスに必要な改修内容とが必ずしも一致しませんでした。本来なら大規模改修の際、それらの要件も満たすように計画されれば問題なかったのですが、改修工事の開始時にはスタジアム問題がなかったので、ライセンスに必要な要件が盛り込まれないまま大規模改修が計画され、そして終わってしまいました。一度大規模な改修をしてしまうと、その次はまた何十年後みたいなのが一般的な認識なので、クラブとしては鴨池の再改修ではなく、新しいスタジアムを建設する方向で動くこととなりました。ここが鹿児島の、まず最初の躓きとなりました。
ここでスタジアム建設に積極的に乗り出したのは鹿児島市でした。鹿児島市は民間事業者とともにいつくか候補地を選定、その中でも鹿児島港にあった複合商業施設のドルフィンポートの跡地に県が建設予定にしていた、同じく老朽化の激しい体育館の建て替え事業、スーパーアリーナ構想による新総合体育館の隣に建設するという計画で固まりました。
当初、鹿児島県の整備計画では体育館を中心として、市民や観光客が集う「365日にぎわう観光拠点」にすべく、海沿いにウォーターフロントパークという公園を設けるという構想を立てていました。しかし、体育館の隣に新スタジアムを建てるとなると、その公園部分を大幅に削らざるを得なくなり、当初の「賑わいを創出する」という趣旨に反するとして鹿児島県は計画の見直しに反対しました。その後、幾度か鹿児島県と鹿児島市の間で折衝の機会はありましたが、共に妥協点は見出せずに意見は平行線を辿り、最終的には鹿児島市がドルフィンポート跡地の建設計画を断念する形となりました。
ドルフィンポート跡地を断念した鹿児島市が次に目をつけたのは、ドルフィンポートのすぐそばの同じく港湾エリアである鹿児島港の北埠頭地区でした。この北埠頭地区、実は1993年に旅客ターミナルの移転、集約を目的とした県と国との共同事業で整備されたものの、実際に移転したのは奄美海運のフェリーのみで、ほとんどが手付かずのままとなっています。しかも北埠頭地区は、港湾事業者からは航海の安全性に欠くとしてその後も開発されることなく、30年近く塩漬け状態のまま放置されていました。
そんな「塩漬け」された北埠頭地区ですが、やはりいつくか問題はあります。まず、この北埠頭地区の整備事業は国と県との共同事業のため、県がメインで整備計画を進めていました。この一帯も県が所有する土地のため、新たに開発を行おうとすると県の許可が必要となります。しかし、そもそも県は港湾事業としてしか考えてなく、もし新スタジアムを建設するとなると港湾計画の見直しから始めないといけません。そうなると、場合によれば着工まで10年以上掛かる可能性もあります。
また、ここに仮にスタジアムを建設するとして、港湾地区とスタジアムとのゾーニングの問題も出てきます。港湾関係者の話では「そんなスペースはない」とのことで、1万人近くを収容するスタジアムの観客を安全に敷地外に送り出せるか、という問題も出てきます。さらに、今ある旅客ターミナルと倉庫の移設も必要で、その費用は鹿児島市が負担することという流れになりつつあります。その費用は70億円近いとも言われ、その額はドルフィンポート跡地を含めた他の候補地の土地購入費とほぼ同額から1.5倍程度と見られています。その上、建設費だけでも120億から150億円程度と見られているなか、鹿児島市だけでそれらの予算を捻出できるのか?という問題に直面しています。
そんな事情から、鹿児島の新スタジアム建設問題は完全に暗礁に乗り上げてしまった状態と言えるでしょう。常々、「鹿児島県と鹿児島市とは一体で」ということを強調しているのですが、実際は県と市との間には大きな溝があるように見てます。特にドルフィンポート跡地の件などは、県が計画していた総合体育館の建設予定地に市が割り込んでくるようなものですし、北埠頭地区にしても県と国との共同事業で整備したところに入ってくる形となるので、鹿児島県としては「鹿児島市は自分たちの縄張りにズケズケと踏み込んでくる」という悪印象を覚えてしまったのでしょう。第三者的には。暗礁に乗り上げてもやむなしというところでしょうか。
“お殿様”の面子を潰してしまったために仲違いした秋田
J2のプラウブリッツ秋田もとにかくスタジアム問題で苦労しまくってます。思い起こせば、ことの発端はJ3からではなくその前、JFL時代から始まっていたのではないかと思うのです。ブラウブリッツ秋田の前身のTDKサッカー部は元々は秋田県の南部、にかほ市をメインに活動していました。練習場は元より、試合もにかほ市やその周辺で行っていました。それほ東北リーグからJFL時代までずっとそうでした。ただ、JFL時代はにかほ市の仁賀保グリーンフィールドと隣の由利本荘市にある西目サッカー場以外でも、秋田市内の八橋の陸上競技場(今のソユースタジアム)と隣の球技場(今の秋田スポーツPLUS•ASPスタジアム)でも開催されました。JFL時代はそれでもまだ良かったのです。
しかし、Jリーグ参入を目指すにあたり、Jリーグ基準を満たすスタジアムがにかほ市周辺になく、また秋田県の人口分布を見ても人口の約1/3が秋田市に集中することからも、Jリーグ参入には人口規模も大きく、また大きなスタジアムのある秋田市に本拠地を移すしか選択肢がなかったのです。よく、ブラウブリッツ秋田のスタジアム問題は、J3で優勝しながらJ2基準のスタジアムがなかったために昇格できなかった2017年という見方がほとんどですが、私はスタジアム問題はこの頃からずっと解決できていないという認識です。
そんなブラウブリッツ秋田が、今抱えているスタジアム問題について見ていきましょう。
2017年にJ3優勝しながらもJ2ライセンスが交付されてなかったためにJ2昇格を逃したことから、秋田におけるスタジアム整備に向けた機運が一気に高まりました。
当初、積極的に動いたのは秋田県でした。2017年には専門の検討委員会を設置し、そこで「多機能・複合型のスタジアムかつ全天候に対応した開閉式ドームで、秋田市の中心市街地に設けるのが望ましい」の見解を発表しました(しかしこの時、佐竹県知事はこの案に対し難色を示していました)。これを受けて、今度はホームタウンである秋田市が商工会議所や他のホームタウン自治体と、別の協議会を結成。現在のホームスタジアムのある八橋運動公園など3か所の候補地を選定。ただ、一番有力だった八橋運動公園内に建設するという計画は、建設中に使用できなくなるスペースプロジェクト•ドリームフィールド(第2球技場)と、それに隣接する健康広場といった市民利用度の高い施設の代替施設がないということから最終候補地を決定できませんでした。
そこで翌年の2018年、秋田県と秋田市とが共同でさらに検討を図り、八橋運動公園内のスペースプロジェクト•ドリームフィールドの敷地を中心に新スタジアムを建設する代わりに、プロ野球の公式戦も行われるこまちスタジアムのある県立の運動公園内に一時的に代替の施設を作る、もしくは八橋運動公園近くの移設予定の別の施設の跡地などに新たに建設するという案を提案します。しかし、八橋運動公園を管理する秋田市からはいずれも条件に合わないとしてこれらの提案を拒否します。その翌年には、また秋田県から新たな提案が出されます。あきぎんスタジアムを人工芝に、スペースプロジェクト•ドリームフィールドを天然芝にそれぞれ変えるか、秋田県スポーツ科学センターを解体した跡地に球技場を、運動公園内に健康広場を移設するという2案を出したものの、やはりこれも秋田市は条件に合わないとして拒否。その代わりに後日、老朽化のため移転が検討されていた、秋田市郊外の外旭川地区にある秋田市卸売市場の跡地を新たに提案、現時点での有力候補地という認識を表明しました。県と市との間で共に案を出し合うものの、纏まりそうでまとまらない不穏な空気が立ち込めます。
コロナ禍に入った2020年は、協議会も含めて一旦スタジアム問題は棚上げとなってしまいましたが、年が明けると早々に先ほど出てきました外旭川地区の案に新たな動きがありました。老朽化した卸売市場の規模を縮小させて再建し、その余剰地にスタジアムを建設するという提案が秋田市から出されました。しかし、今度は秋田県がこの案への資金捻出に消極的な姿勢を見せました。そこで秋田市は卸売市場の建て替えとスタジアム建設、そして外旭川地区のまちづくり整備事業を一体として民間事業者と共同で行うべく、公募することを検討。建て替え事業は主に市が行い、スタジアムについては民間事業者が運営を行う方向で検討することになりました。そして、新設されるスタジアムの仕様はJ2規格である10000人以上収容で、屋根についてはスタジアム全体を覆う屋根や可動式フィールドの設置は行わないものとし、事業費は約90億円というものでようやく昨年、大枠が纏まりました。ただ、市場を営業しながら順次建て替えする計画のため、実際にスタジアム建設の着工できるのは2027年度となり、完成は早くても2032年の予定となります。
そして最新の情報としては、昨年末に秋田県の佐竹知事からスタジアム整備費の1/3、つまり約30億円なら支援すると表明。それに合わせるかのように秋田市も同額の費用を捻出する意向を示しました。残る30億円をどのようにクラブがどのように調達するかはまだ不透明な状態です。
一見、鹿児島よりも進んでいるように思えますが、ブラウブリッツ秋田はJ2ライセンス交付の際「2026年中に新スタジアムの着工」を条件に暫定で交付されています。最初の申請から5年経っても、未だ新スタジアムの基本計画すら立てられていない状況で、尚且つ最有力候補である外旭川地区での建設だと、そのタイムリミットに間に合いません。さらに昨年11月、秋田の経済界の団体である秋田経済同友会の会合の席で「新スタジアムは街なかで複合型全天候型屋根付きのものにこだわるべき」「コンパクトシティの観点から、郊外に整備するのはいかがなものか」などの声もあります。約30億円の支援を表明した佐竹県知事も「郊外の外旭川地区のまちづくり整備とはかけ離れている」と納得はしていない模様で、クラブと秋田県、秋田市、そして秋田経済界が未だまとまっていないようです。
それもこれも、そもそもは秋田県の提案をことごとく拒否した秋田市の対応の悪さもあります。佐竹敬久秋田県知事は江戸時代から秋田県一帯を治めた佐竹氏の分家で、江戸時代には角館を拠点に地域を治めた佐竹北家の末裔です。そんな「秋田のお殿様」の面子とプライドを傷つけた秋田市とクラブが招いた災難、という見方もできるでしょう。
土地はある、計画も固まりつつある。問題はありつつも、ようやくメドが立ちそうな相模原
2020年のJ2ライセンスを条件付きで交付されたSC相模原。J2昇格時から5年以内に新スタジアムの建設か着工、あるいは着工の計画書の提出が必須となります。通常であれば、2020年から5年以内なので2024年6月30日までにいずれかの条件を満たさないとライセンスが失効してしまいます。しかし例外でライセンス発効された2020年と翌2021年は、コロナウイルス感染防止措置の影響を受けたとしてその期限を2025年6月30日までに延長されました。これは相模原にとっては実に大きなことです。というのも、現時点においてまだスタジアム建設計画書をまとめられていないからです。逆に言うと、相模原については「建設計画書をまとめられる」手前まで来ているということなのです。
相模原の新スタジアム計画がなぜ比較的スムーズに進んでいるかというと、相模原という街の特殊事情も関係しているでしょう。
相模原市は戦前から「軍都」と呼ばれるくらい、軍事施設や軍需産業が盛んな街でした。JR相模原駅の南口からの道筋が綺麗な碁盤の目になっているのも、終戦直前に首都である東京の大規模空襲を避けるため、相模原に大本営を移転させるという計画が持ち上がりました。そのために街のつくりをそれに見合うように綺麗に整備したため、道路や区画が碁盤の目状になったのです。また、軍需産業が盛んだったこともあり、今でも三菱重工やJAXAの研究機関などが市内にあったり、市内のいろいろな公共施設もさまざまな軍事関係の施設の転用だったりするのも、そんな時代の名残と言えるでしょう。
さて、そんな相模原市のJR相模原駅北口付近には、かつて旧陸軍の相模総合兵器製造所がありました。その相模総合兵器製造所ですが、敗戦後はGHQによって接収されて米軍相模総合補給廠となりました。しかし、世界中のアメリカの在外部隊の再編や基地・施設返還の流れを受け、2008年に相模総合補給廠の西側の一部区域の日本への返還が決定、2014年9月30日に正式に返還されました。
しかしこの敷地は廃棄物の一時保管場所ともなっていたため、塩化ビフェニル(PGB)などが土壌に残留している可能性もあり、跡地利用がすぐには決まりませんでした。現在、一部返還区画のうち、米軍との共同使用区域の一部はスポーツ・レクリエーションエリアとして整備され、道路使用などの敷地以外については国有地(財務省管轄)となっていますが、未だ大部分は手付かずの状態です。
相模原市としてはこの米軍からの返還地の跡地利用を模索していましたが、2019年にスポーツ庁によるスポーツ産業の成長促進事業「スタジアム・アリーナ改革推進事業(先進事例形成支援)」の委託先として、日本総合研究所を窓口とする相模原市のホームタウン4チーム(ノジマ相模原ライズ、三菱重工相模原ダイナボアーズ、ノジマステラ神奈川相模原、SC相模原)が採択されたことを受けて、SC相模原からこの返還地に複合商業施設を含む新スタジアムの建設候補地への打診がありました。この時はまだJ2ライセンスが交付されるかどうかといった微妙な時期でしたが、この流れに乗った形で2020年のJ2暫定ライセンスの交付を漕ぎ着け、そのおかげでクラブ史上初のJ2昇格を果たすことが出来ました。
その後、相模原市は一部返還地の再開発についていつくかの案を作成。その中に複合型スタジアムを中心とした「スタジアム・商業を核とした高層高密度・交流重視ケース」というプランも盛り込まれ、経済波及効果についてもスタジアム単体で年47億、商業施設を含めると約220億円程度が見込まれ、また市民からの意見もスタジアムを中心に配置したケースが一番好評のようです。24年度中にも土地利用計画の策定を行うことになっています。
相模原のケースについて少し考察していくと、まず相模原の場合はSC相模原だけが新スタジアムの建設を望んでいたのではなかったという点です。相模原にはSC相模原の他にWEリーグのノジマステラ神奈川相模原、ラグビーリーグワンの三菱重工相模原ダイナボアーズ、そしてアメリカンフットボールXリーグのノジマ相模原ライズの4チームがあり、それぞれが共に新スタジアムの建設を希望していました。その4クラブが協力することで行政を動かせたのではないでしょうか。
SC相模原の筆頭株主がDeNAというのも話が早く進んだ要因かもしれません。DeNAは横浜ベイスターズ買収の際、本拠地だった横浜スタジアムを自社で買上げ、スタジアム自体に新たな価値を産み出すことで一気に「稼げる球団」に変えた実績があります。SC相模原の経営に乗り出したのもおそらく「稼げるだけのポテンシャル」があると見込んだからでしょう。その目玉として、この新スタジアム建設は何としてでも成功させないとと考えているでしょうから、中途半端なものは作らないでしょう。また、DeNAなら建設費の全部とは言いませんが、ある程度までなら自社で負担できるかと思います。相模原市としては米軍からの返還地の再開発という悩みの種があります。特に一番問題なPCB残留問題がそこまでの大事にならなかったのが幸いして、解決に苦慮していたその土地を民間のお金を活用して再開発できると言うことであれば、自治体としても喜んで動けるでしょう。
もう一つ。相模原市が政令指定都市だったことも、話がスムーズに運んだ要因でしょう。鹿児島や秋田の例を見ても分かる通り、県と市とが互いにプランを提示しあい、互いに拒否したり協力を拒んだりしています。それらのやりとりを見ていると、どちらが主導権を握るか?という権力闘争のように思えます。それに対して相模原市は政令指定都市なので、市独自の事業を計画しやすいですし、建設予定地も県の所有地とかではなく国有地だったので「国の事業(スポーツ庁による事業)」に持っていくことで、候補地の選定もスムーズに行きました。ラッキーと言えばラッキーかもしれませんが、相模原だから可能だったと言えるでしょう。これらの背景が重なったことで、これほどのビックプロジェクトが比較的スムーズに運んだ要因ではないでしょうか。そんな相模原でも猶予期間ギリギリでの解決になることを考えると、スタジアム問題がいかに解決困難な問題であることを物語っています。
Jクラブ以外なら、さらに苦悩するスタジアム問題
ここまではあくまでもJクラブのスタジアム問題を取り上げましたが、JFL以下のクラブだとさらに問題は深刻になります。
今年からクラブ名を「アトレチコ鈴鹿」に変更した鈴鹿は、ホームタウンの鈴鹿市の公園内に建設予定だったJ3規格に沿ったスタジアムの建設を中止。鈴鹿のクラブ経営に対する鈴鹿市側の不信感や資金調達が不透明なことがその原因と言われています。
本来は鈴鹿市内にある三重県営鈴鹿スポーツガーデンの球技場を改修したい意向でしたが、県から改修の費用を捻出できないとのことから断念、運動施設の更新を計画していた鈴鹿市に協力してもらい、スタジアムの新設に動いていました。しかし、市との交渉が決裂した今、アトレチコ鈴鹿は苦境に立たされてしまいました。
レイラック滋賀のスタジアム問題については以前にお話ししましたが、昨年1月末に東近江市がホームスタジアムの東近江市総合運動公園陸上競技場の改修を滋賀スポ体に向けて実施、J3規格のスタジアムに作り変えますと言ったものの、同じくスポ体向けに大規模改修された彦根にある滋賀県営金亀公園陸上競技場(平和堂HATOスタジアム)をホームスタジアムとしてJ3ライセンスを申請。照明灯を仮設で増設することを条件にライセンスが交付されました。そして、今年の開幕戦は東近江ではなく、彦根の平和堂HATOスタジアムで開催となります。おそらくレイラック滋賀はこのまま彦根にホームタウンを移すこととなるでしょう…。
クリアソン新宿については、23区内のクラブということで特例措置が取られましたが、それもいつまで続くかは分かりません。出来れば新宿区内にホームスタジアムを、という思いは強いかと思いますが実現する日は来るのでしょうか?高知ユナイテッドは、春野陸上競技場でJ3なら問題ないでしょうが、老朽化が激しいことを考えると大規模な改修か、もしくは新設することを考えないと痛い目に遭うことでしょう。とはいえ、新たに建設するだけの財政力が県にも市にもあるようには思えません。同じことはヴェルスパ大分にも言えます。大分市陸上競技場もかなり年季の入った施設です。いずれは改修が必要となりますし、大分トリニータとの棲み分けを考えると、元々のホームタウンである別府市や新たに加わった由布院温泉のある由布市などにホームスタジアムを移す方が賢明でしょう。ただし、既存のスタジアムだと大規模な改修が必要なので、小規模でも新設した方が賢いでしょう。TIAMO枚方のように、現状の会場(枚方市立陸上競技場)では明らかにJ3クラブライセンスすら交付されないうえに、場所的にスタジアムの改修自体が困難なクラブは、どこに新しいスタジアムを作るのか?というところから考えないといけないのです。このようにどこのJFLクラブも、Jに行っても困らないスタジアムを有しているところはほぼありません。というよりそれくらいの規模のスタジアムはどこも、どこかのJクラブがすでにホームスタジアムとしているというのが現実です。
J3クラブだって実はどこも他人事ではない、スタジアム問題
また、現在J2ライセンスを発効されているJ3クラブでも、スタジアム要件において改善要求が出されているクラブも多いです。記憶に新しいところでは、アスルクラロ沼津のホームスタジアムである、静岡県営愛鷹広域公園多目的競技場の照明灯設置の問題です。
2023年度からJ3クラブもJ2ライセンス発給の必須条件となった、1500ルクス以上の照度が確保できる照明施設の設置が未整備だったため、Jリーグライセンス失効の恐れがありました。しかし、愛鷹広域公園が静岡県の施設で、特定のクラブ(私企業)だけを優遇するわけにはいかないという理由から、改修の話がなかなか前に進みませんでした。そこでアスルクラロ沼津は、必要な費用の一部(約半分くらい)を調達しようとクラウドファンディングを実施。想定を遥かに超える額の寄付が集まったことと、沼津市も一部負担することで期限までに工事の計画書を提出。無事にライセンスの発給にこぎつけました。
しかし、もし今後アスルクラロ沼津がJ2昇格条件を満たす成績を収めたら、鹿児島ユナイテッドやブラウブリッツ秋田のように新スタジアムの建設を余儀なくされるかもしれないのです。今回は何とか資金を調達できて凌ぐことができましたが、将来のことを考えるとそう手放しで喜んでいられる状態ではないのです。これは沼津に限らず、多くの他のJ3クラブにも共通して言えることです。「スタジアムがないから昇格しなくてもいい」ということでは、いい選手はもっと上位を狙えるであろう他のクラブを選ぶことでしょう。そうなれば成績も必然的に下降気味となり、やがてJFLに降格ということも十分に考えられます。その時点でそのクラブは「Jクラブ」ではなくなります。もう一度、Jクラブの申請を行った上で、過酷とも言えるJFLを勝ち抜かないといけないのです。
昨年は「たまたま」昇格要件を満たすクラブがいなかったから降格はありませんでしたが、今年は分かりません。来年以降はもっとそういう事態が起こりうる可能性が高いかもしれません。そこまで覚悟の上でスタジアム問題を棚上げしているクラブはないと思います。新しくスタジアムを建設したヴァンラーレ八戸やテゲバジャーロ宮崎などは、今後の増築も視野に入れたスタジアムの設計を採用していたと記憶しています。いずれ来るかもしれないその時にすぐに対応できるかが、今後のクラブの伸びしろになるかもしれません。
J2以下で「スタジアム勝ち組クラブ」はあるのか?
ここまで、スタジアムについてネガティブな話題ばかりが続きました。じゃあ、スタジアム問題で成功している「勝ち組」クラブはいるのか?ということになるのですが、J1クラブだとそこそこ見受けられます。一番いい例はガンバ大阪でしょう。万博記念競技場の老朽化に伴い、同じ敷地内に球技専用のスタジアムを、しかも建設費の多くを寄付金で建設するという離れ業を成し遂げました。チームのメインスポンサーでもあるパナソニックがスポーツに力を入れる企業で、そのパナソニックから多額の寄付が得られたのも、建設費の大半を寄付金で賄えた要因でもあります。
また、同じ関西の京都サンがも手狭だった西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場から、2020年に亀岡駅前に完成したサンガスタジアムbyKYOCERAにホームスタジアムを移しました。しかし、このスタジアム建設についてはかなり紆余曲折ありました。
スタートは2002年のワールドカップ開催地誘致のためでした。その時は京都府が中心となって、京都サンガの練習場もある城陽市での建設計画を出しましたが、京都ぎ開催地から落選したため計画は中止されました。次に話が持ち上がった時は、京都市が淀の横大路運動公園に新スタジアム建設を計画しました。京セラの会長だった稲盛和夫氏が中心となり、京都の経済界の全面バックアップもありましたが、諸々の理由でこれも断念、また白紙に戻りました。
次に手を挙げたのは一度は断念した京都府でした。今回京都府はいくつかの候補地を提示した結果、亀岡市の亀岡駅前に建設候補地を絞って計画が進められました。しかし、建設予定地の周辺の環境保全問題から、一時はまたも計画断念かと思われましたが環境アセスメントを何とかクリアして、晴れて2020年シーズンから京都サンガのホームスタジアムとして運用されることとなりました。ガンバ大阪のケースがいかに特殊だったかが分かるかと思います。
そして今年、2024年には新たに3つの新スタジアムが稼働します。長崎と金沢です。特に長崎はガンバ大阪以上の特異なケースですので注目です。
長崎の新スタジアムですが、今のトランス・コスモススタジアムこと、長崎県立総合運動公園陸上競技場はJ1規格なので現状では新たなスタジアムは必要ありません。しかし、スタジアムのある諫早市から少し離れた位置の長崎市からの集客には、以前から課題がありました。
そこでV・ファーレン長崎は、長崎駅近くの三菱重工の工場跡地に商業施設やスタジアム、アリーナ、さらにはホテルも併設した総合複合型スタジアムの建設を計画します。そしてその資金は、V・ファーレン長崎の社長に就任し、さらにBリーグ長崎ヴェルカの会長も務める髙田旭人氏が取締役会長を務める、ジャパネットたかたが建設費を全額負担し、さらにスタジアム含めた施設全ての運営もジャパネットたかたの子会社が行います。その建設費は約800億円とも言われています。規模が半端ないです。
ではなぜ、ジャパネットたかたはこれほどの大事業に取り組もうとしたのでしょうか?それには、長崎市が抱える深刻な問題が背景にありました。長崎市の人口転出率は全国的に見ても極めて高く、政財ともに長年頭を抱えていました。そこでジャパネットたかたの持ち株会社のジャパネットホールディングスが地域創生事業として、この長崎スタジアムシティ建設構想を計画、長崎市の経済活性化を図る方針を打ち出しました。この長崎スタジアムシティに設けられる予定のスタジアム、アリーナ、商業施設やホテル、オフィスなど施設全体の年間利用者を850万人、そして施設全体で約1万3000人程度の創出雇用を見込み2022年7月着工、今年2024年の10月14日グランドオープンが発表されています(ちなみにスタジアムでの初の公式戦は、それよりも早い10月2日となります)。
このスタイルですが、おそらく鹿児島や秋田で当初検討されていたモデルに近いものがあると思います。アリーナとの併設は鹿児島が、複合商業施設との併設は秋田がそれぞれ目指した形です。しかも秋田の目指したケースは秋田市の中心地で全天候型開閉式ドームでの建設でした。しかし、このプランに秋田県知事は「地方ではそんなモデルは成功しない」と否定的でした。
もしこの長崎スタジアムシティが成功したら、秋田の経済界はどう思うでしょうか?「時間を掛けてでもじっくり形作った方が良かった」「同じように人口減少を抱える自治体で上手くいったのだから、秋田でも上手くいったはず」と思うかもしれません。でもその頃にはもう、後の祭りです。今の候補地である外旭川地区から市の中心地や秋田駅までは車で約15分くらい。決して便利なところとは言い難いです。今後どんどん高齢化が進み、公共交通機関も運行が難しくなると予測されます。特に地方では、高齢者ドライバーの問題が取り沙汰されます。そうした事態に備えて、秋田経済同友会としても秋田市のコンパクトシティ化向けて、この新スタジアム計画案を採用してもらいたかったと思うのですが、結果的にはそうはならないでしょう。せめて建設地だけでも市街地に持って来れれば、とは思いますが…。
長崎のように全国規模の大企業が本社を置いてくれていればこそ、こういう民間主導でのビッグプロジェクトも可能でしょうが、秋田のようにそこまでの大企業がないとやはり厳しいです。長崎が特異的とはいえ、Jのライセンスのタイムリミットが足枷となったとも言えるでしょう。
2つ目は金沢の新スタジアムです。
ツエーゲン金沢のホームスタジアムは石川県西部緑地公園陸上競技場という、これまた年季の入ったスタジアムです。屋根もメインスタンドの一部しかなく、現状ではJ1規格に満たしません。そこでツエーゲン金沢は、同じ金沢市内にある金沢市民サッカー場を改修することで、J1規格のスタジアムに対応することにしました。西部緑地公園は金沢市内の西の外れにあり、以前から試合当日の酷い渋滞が問題になっていました。その点、金沢市民サッカー場は金沢駅からも比較的近く(といっても徒歩30分くらいですが)、こちらもまた老朽化が激しくいずれ建て替えなどが必要でした。
ということもあり、このタイミングで金沢市は市民サッカー場のJリーグ規格対象規模のスタジアムへの改修を決定。事業費約80億円のほとんど(75億円程度)を金沢市が負担、残りはクラウドファンディングなどで補うことで建設が始まりました。収容人員は10000人ですが、将来的にはJ1規格を満たす15000人への改修が可能な造りとなっています。
スタジアムの名称は「金沢スタジアム」ですが、ネーミングライツにより「金沢ゴーゴーカレースタジアム」になることも発表されました。すでに完成をしており、あとはこの2月のオープンを待つのみとなりました。惜しむべくは、今年ツエーゲン金沢が残念ながらJ3に降格してしまったこと。そして元日には、能登半島を襲った大震災がありました。石川県にとって良くないニュースばかりなので、この新スタジアムオープンが石川県を少しでも盛り上げてくれることと期待しています。
J1のサンフレッチェ広島も、長年計画されていた待望の新スタジアムがようやく完成。今年の開幕はその新しいスタジアムで迎えます。広島市民球場跡地での建設に対し、広島市と地元商店街の猛反対を受けて、サンフレッチェ広島の会長でもありエディオンの会長でもある久保允誉氏の「ホームタウンを福山に移してやる!」という脅しに近い発言によって、ようやく広島城近くの中央公園に建設地が決まりました。やはりトップクラスの地元経済界の発言や行動力は、特に地方においては絶大ですね。
ただ、広島の新スタジアムについて懸念といえば、スタジアムのあるのが都市公園法に基づく公園内にあるということ。都市公園法で定められた公園内では、商業施設などの建屋を含む建造物の建設や運動施設などの敷地面積などに一定の規制が掛かるため、長崎のような複合商業施設を併設したスタジアムの建設が出来ません(川崎フロンターレのホームスタジアム、等々力陸上競技場をサッカー専用スタジアムに作り変えられなかったのは、そのためです)。なので、サッカーの試合以外の稼働率をいかに挙げるかが今後の大きな課題となります。当初建設を予定していた元広島市民球場跡地は、商業地区画なので商業施設を併設したスタジアムの建設に何も問題もなかったのですが、待望の新スタジアムが完成したとはいえ稼働率という課題が残ってしまう、実に痛し痒しの状態とも言えるでしょう。
さらにJFLでは、合併前からある岩舟町総合運動公園のサッカー場の施設管理者となり、メインスポンサーである日本理化工業が費用を捻出して「魔改造」を施した、栃木シティFCの新スタジアム「CITY FOOTBALL STATION」がいよいよ全国デビューします。
この2024年は新たな価値を産み出すスタジアム新時代の到来とも言えるでしょう。今までのスタジアムといえば、運動公園という都市公園法で定められた都市公園の中にあり、それらの施設の用途や敷地面積などに細かな規定がありました。そのため、川崎フロンターレはホームスタジアムである等々力競技場の球技専用スタジアム化を断念せざるを得なかったのです。しかし、今後求められる新たなスタジアム像として「人が集まる、賑わう拠点としての役割」「試合のない日にも継続した経済活動(収益の確保)」「コンパクトシティのコンセプトの元、郊外ではなく都市部へ」「自治体主導ではなく民間主導へ」など、今までの常識からは想像できないものへと変わりつつあります。それらの流れを察知して、これからスタジアム問題と向き合うクラブと自治体はこの問題に取り組んでいく必要があるでしょう。「スタジアム建てます!はい、出来ました!」なんて簡単なものではありません。何年も掛かり、経費も何十億〜何百億の規模です。失敗することのないようにしてもらいたいです。
今年のシーズン。自分のクラブの試合だけでなく、新しくなったスタジアムでの試合をふらっと見に行くのも楽しいかもしれませんね。
追記:川崎フロンターレのホームスタジアムである等々力競技場ですが、2020年に川崎市によって設けられた等々力緑地再編整備計画推進委員会で協議の元、陸上競技場として使われている等々力競技場を球技専用とし、現在の補助競技場を第二種公認の陸上競技場に改修するという計画が定まりました。ご指摘いただきました方には、お詫びと感謝いたします。