強化クラブという、今や絶滅危惧種とまで言われるようになった企業チームについてあれこれと書いてみた、というお話

20年以上前、JFLにおいてもその下の地域リーグにしても所属するチームの中に占める、いわゆる企業チームと呼ばれる一企業のサッカー部の割合はそれなりに高かったように思います。しかし今では希少価値を通り過ぎて、絶滅危惧種になってしまいました。全国リーグのJFLでは15チームある中でHonda FC、ソニー仙台、ミネベアミツミの3つしかありません。その下の地域リーグでも東北に5つ、関東に2つ、東海に3つ、中国には2つ、そして九州に3つとやはり希少価値です。ただ、全てが会社から運営資金や仕事の都合をつけてくれるような「強化クラブ」というわけではなく、企業チームのように見えて実はチームのスポンサーだけというケースも中にはあります。全員がその会社の社員とは限らないのですが、むしろ今はそうやってでも選手を集めないと、チームが維持できないという事情もあったりします。「企業チームの選手は優遇されて羨ましいよね」などということを言う人もいますが、そんなに世の中は甘くはないし、むしろフルタイルでの勤務を求められるケースもあるので、選手は本当に大変だと思います。以前、JFLに所属していた企業チームの佐川急便大阪は、どんなに遠い日曜日のアウェイの試合でも翌日の月曜日は定時(しかも定時は朝7時)勤務でしたから、選手は大変だったと思いますよ。
以前からJFLのソニー仙台やミネベアミツミ(ホンダロックの話ではなかったはず)について書いたことがあります。最近では、日本製鐵釜石の話も書きました。また、企業チームではありませんが仕事をしながらサッカーに励む社会人クラブチームの話も書いたことがあります。JFL以下でJリーグ参入を目指すチームについてブログなどで書く人は多いですが、Jリーグを目指さないクラブや企業のサッカー部(あるいはそれに近い形態のチーム)のことを書く人はほぼいないので、今回もそのようなチームの事について書いてみます。ちょっと古いネタもありますが、ご了承ください…

7/15 関東リーグ1部@保土ヶ谷公園サッカー場 東邦チタニウム 1-1 東京23FC

7月の3連休初日の土曜日。しかも朝の10:30キックオフという遠方から見に行く人にとっては非常に厳しい日程です。しかし、朝1の羽田便に乗ればキックオフには十分間に合う距離感の保土ヶ谷サッカー場(そして乗った羽田便が早着したのでさらに早い時間に現場に着いたことはナイショだ…笑)での試合。さらにこの日は終了後、柏の葉で行われるJFLのブリオベッカ浦安vs東京武蔵野ユナイテッドを見に行くという強行日程でしたが、難なく日程を消化することができました。

この試合から後期が始まる関東リーグ。前期の東邦チタニウムはというと、実は上位陣にとってはかなりの曲者で…。首位のVONDS市原が唯一負けている相手が、実はこの東邦チタニウムだったり、また栃木シティや東京ユナイテッド相手にも共に0-0のドローと、その伏兵ぶりをいかんなく発揮しています。と思ったら、下位に低迷する南葛SCにころっと負けたりするという、何とも掴みにくいチームです。6月に行われた全社関東予選でも代表を勝ち取り、10月の佐賀での本戦出場を決めています。そんな一癖も二癖もあるチームです。

会場には開始30分ほど前に着いたのですが、スタンドはそこそこの入りでした。まあ、相手が東京23なのでそれ目当ての人も多かったと思いますが、ホーム側にもそれなりに入っていました。客層はというと、明らかに選手の家族っぽい子供連れの奥さんが多かったかなと。企業チームあるあるですね(笑)
そして特に目を引いたのは、ゴール裏に貼ってあった選手横断幕の数。全員分の幕が並ぶ様子はなかなか爽快でした。これも企業チームあるあるですね。

ゴール裏に所狭しと貼られた東邦チタニウムの選手幕。
紫はフィールドプレイヤー、赤はキーパーの幕です。
当然ながら、チーム幕もありました。
そして、その幕の前にはサポらしき人たちが…

試合は立ち上がりから東邦チタニウムの前線からのプレスが効いていて、東京23はなかなかボールを持つ時間が取れない苦しい展開。なるほど、評判通りの良いサッカーをしてますね。そんな中、一際目立った動きをしていたのは東京武蔵野ユナイテッドにいたFWの飯島でした。武蔵野時代から見ても一二を争うくらいのキレッキレの動きで、東京23ゴールを脅かします。

DFの裏に抜けた東チタの9番飯島とキーパーの1対1。
飯島との距離を詰める東京23のキーパー大石。
その大石を外してクロスを上げようとする飯島。
蹴った直後にキーパーと接触し、ファールに。
恐れを知らないファイターぶりは健在でした。

前半の27分。その飯島からのボールを受けた41番河野のゴールで東邦チタニウムが先制点。あまりに流れの悪い東京23は、すぐにピッチ内でミーティングが始まりました…

チャンスメイクもする飯島からのボール、
それを受けた河野がドリブルでエリア内に侵入。
そしてDFとキーパーの位置を見てシュート!
逆を突かれたキーパーは一瞬反応が遅れ…
伸ばした手をわずかに掠めてゴールイン。
東京23のサポーターの前で喜ぶ東チタの選手。
対照的にピッチ上で緊急ミーティングを開く東京23FC。

失点後に全員でミーティングを開いたにも関わらず、一向に流れが良くならない東京23に対して、東チタは飯島を中心にさらに攻めますが、シュートの精度が良くなく追加点を奪うことができず前半が終了します。
後半も東京23の動きは一向に良くはならず、でも前半ハイペースだった東チタの動きが落ちてきたこともあり、ようやく「それなりに」形になってきた東京23。67分にDFを1枚削り、前線で動き回っていた東を交代させた直後の71分に左からのクロスを清水が頭で合わせて同点に追いつきます。

前半、田邊に代わって入った10番若杉のクロスから…
ニアにいた10番の清水が頭で合わせてゴール。
ゴールを決めた清水と握手する7番高橋。
雰囲気の良くなかった東京23もこの時だけは和やかでした。

ようやくチームに勢いが出始めた東京23でしたが、攻撃に連動性は見られず、ただなんとなく相手陣に攻めてるだけ。東チタも時よりカウンターを仕掛けるもこちらも効果的なものにはならず。互いに決め手を欠いたまま1-1のドローで終了。もう少し上手くやれば勝てた東チタと、負けという最悪の結果だけは逃れた東京23という結果に終わりました。

東京23には東海学生出身の選手が意外といます。
15番の田邊は中京大学から去年入った2年目。
この日は全くチームのリズムに乗れずに前半で交代しました。
田邊の1年先輩となる静岡産業大学卒の宮田。
JFAアカデミー福島出身、才能あふれるボランチです。
しかしこの日の彼は、恐れを知らない飯島の対応に苦慮。
元々サッカーエリートだった彼。でもそんな彼の今は
サッカーを続けられる喜びを噛みしめているようでした…
去年の同志社大学のエース、18番の東。
まさか彼をここで見るとは思ってなかったです。
トップで体を張る姿は大学時代と変わらずで安心です。
ただ、この日は東チタDFに持ち味を完全に封じられました。
東チタには東京武蔵野ユナイテッド(シティ含む)出身者が多く
キャプテンの小松崎はDFラインをしっかり統括していました。
同じく東京武蔵野シティ出身の小口。
この日は途中出場ながら、チャンスメイクに寄与してました。
そしてその後、お兄さんを柏の葉で見ることになります(笑)
ツボを押さえたプレーが光った35歳、ベテランの鈴木将也。
ちなみに彼の弟は町田ゼルビアなどで活躍した鈴木孝司です。
東京国際大学から入った6年目、中堅の城ヶ瀧。
後半途中からゲームチェンジャーとしての起用でした。
同じく東京国際大学から入った2年目の長岡。
スタメンで出場、存在感を発揮していました。
東京国際大学から長岡と同期入社の30番松雄。
残り数分だけの出場でしたが、インパクト抜群でした。
体型がちょっと怪しいですが…(笑)
ボールを持てばちゃんと仕事はします。
このシュートが決まっていれば、おもしろかったのですが…

後半、逃げ切りに失敗した感のある東邦チタニウムですが、ベタ引きではなくしっかりとプレスを掛けたうえでのカウンターサッカーを展開していて、非常に見ていて面白かったです。ただ、前線からのプレスが命のこの手のサッカーは夏場はなかなか苦しいとは思いますが、それでも継続して続けてもらったうえでまずは1部残留してもらいたいです。

そんな東邦チタニウムですが、チームの目標はというとJFL昇格です。いやJFL復帰と言ってもいいでしょう。というのも、実は過去に東邦チタニウムはJFLにいたことがあるからです。ここで、東邦チタニウムサッカー部の歴史を紐解いてみたいと思います。
創部は1955年と70年以上の歴史がありますが、本格的に活動が始まったのはそれから10年以上経った1966年です。それでも60年以上になります。1973年には関東リーグの前身である関東社会人サッカーリーグに昇格。そして1978年には優勝、当時の日本リーグ(JSL)2部入替戦に出場。名古屋グランパスの前身のトヨタ自工に敗れ、JSL昇格は果たせませんでしたが、その後もリーグの上位をキープし、1982年に再び関東社会人リーグで優勝、地域リーグ決勝大会でも優勝して、念願の日本サッカーリーグ2部に昇格を果たします。
しかしその翌年、JSL2部で9位となり再び関東社会人リーグに降格。1984年、1985年と関東で優勝し、1985年に日本サッカーリーグのチーム数増加に伴い2度目のJSL昇格を果たします。その後はJSL2部に定着、その後Jリーグ設立に伴うリーグ編成の変更により、1992年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の2部に参戦。こうして東邦チタニウムは、第1回JFLのオリジナルメンバーとなりました。その年は辛うじて残留できましたが、翌1993年は最下位となり、2年で関東社会人リーグに降格してしまいました。
その後、しばらくは下位に低迷、1997年には神奈川県リーグにまで降格してしまいます。しかし2年で関東サッカーリーグ(この年から名称変更)に復帰、リーグの中位をキープし続けますが、2008年には2部に降格。その後は1部と2部を行ったり来たりしますが、2017年に2度目の神奈川県リーグに降格してしまいます。多くの企業チームならこのタイミングでチームを畳む(休部や廃部)方向に動くことが多いのですが、東邦チタニウムはその流れにはいかずに翌年には再び関東リーグへの復帰を果たします。そして2021年に1部に昇格を果たし、今に至るという流れになります。という経緯があるので、世間的にはJFL「昇格」でしょうが個人的にはJFL「復帰」と呼ばせていただきたいです(笑)

そんな東邦チタニウムですが、詳細な確認は取れてませんがおそらく選手全員、東邦チタニウム(あるいは子会社や関連会社)の社員と思われます。チームの所在地から、選手が勤務するのは茅ヶ崎工場と思われます。ここなら東邦チタニウムの子会社や関連会社もあるので、そういう関連会社や子会社の社員として採用されているケースもあるのではないでしょうか。またあるいは、本社採用されてはいるが子会社に出向というケースも考えられます。いずれにしろ工場勤務、事務所勤務問わず全員が同じ時間に仕事を終われる環境なのかも分かりません。少なくとも通常のクラブチームよりも平日の練習時間の確保は容易でしょう。しかし昼夜問わず稼働する工場勤務であれば、シフトによって練習時間がまちまちになりますし、場合によればシフトの関係で試合に出られないといったことも発生します。現に、かつてJFLに所属していた三菱水島FCは工場が24時間稼働のため、選手はシフトによって練習な試合に参加できるかどうかが決まってしまう、という状態でした。中にはホームゲームに夜勤明けで出場したり、また逆に試合が終わって今から仕事、なんて選手もいたようです。そのため、三菱水島FCは他のチームよりも圧倒的に多い選手をメンバー登録して、誰が出られなくてもなんとかなるようにしていましたね。これもまた、企業チームの宿命かもしれませんね。少なくとも、東邦チタニウムに関してはそういう感じではなさそうですが…。
また、会社によっては福利厚生として自前の運動施設を所有している場合もあります。ホンダは自前の運動施設で練習に加え、ホームゲームまで自前のグラウンドでやってます。東邦チタニウムはですが工場内にある自前のグラウンドの他、関東リーグのホームゲームを行っている、同じ茅ヶ崎市内の柳島スポーツ公園で練習をすることもあるそうです。練習場の確保が容易という強みがあるのも企業チームの特徴です。

Jを目標としない社会人クラブチームと違って、Jは目標にはしないがそれなりにまとまった練習時間が取れて、さらに試合にもちゃんとメンバーが集まる東邦チタニウムのような企業のサッカーチームは、実はJクラブにとってはかっこうのスパーリングの相手だったりします。大学が少ない地域だと、特に重宝されます。例えばベガルタ仙台におけるソニー仙台だったり、あるいはテゲバジャーロ宮崎におけるミネベアミツミだったりですね。会社の仕事の都合さえうまくつけば、平日の昼間でも練習試合を組むことも可能ですし、平日昼間だからといってメンバーが大幅に落ちることもないので、強度のあるチームとの試合が組めるのです。東邦チタニウムがいる関東では、どちらかというと大学生とのトレーニングマッチがほとんどで、逆に企業チームとJとのTMは企業チームの方から声をかけないとなかなかないでしょうね。
そんな東邦チタニウムが先日Jクラブとの練習試合を行ったという話を耳にしたので調べてみたところ、その相手はなんとギラヴァンツ北九州でした。北九州のHPには会場や時間は明記されず、一般非公開とだけ書かれてましたが、東邦チタニウムサッカー部の公式Instagramの投稿によると、試合のあった日は8/20の日曜日の18時キックオフという、どこからどうつっこんだらいいのか分からないものでした(笑)

ギラヴァンツ北九州のHPに一般非公開とありましたが、
実はミクスタでのTMだったことが判明しました(笑)
しかも試合前の集合写真には、子供たちと映る東チタの選手が…

そもそも、何で関東の企業チームが九州のJクラブと、しかも九州でやってるのだろうかが不思議なんですが、ひとつ考えられるのはお盆休み中に九州で短期間のキャンプをやってたのではないかということです。そして、その最終日に北九州とのトレーニングマッチをやったのかな?と。今年、東邦チタニウムは10月に佐賀で開催される全国社会人サッカー大会への出場が決まっています。もしかしたら九州遠征も含めて、それに向けてのシミュレーションだったのかもしれませんね。そんな東邦チタニウムの全社の初戦の対戦相手は中国リーグで優勝、地域チャンピオンリーグ進出を決めた福山シティFC。シミュレーションとしてはこの日の試合相手は申し分ないものだったでしょう。もう一つ考えられるのは、東邦チタニウムが北九州市にも幾つか工場や拠点を持っているので、そういた北九州の経済界との繋がりでこの対戦が組まれたのかもしれません。いずれにしても、そのようなTMが組めるのも企業チームならではかもしれませんね。

そんな東邦チタニウム。前半戦は好調でしたが、後半戦はやや失速気味。第15節を終えた9/3の時点で勝点20の5位。まだ1部残留が決まっていません。残り3試合全部負けると厳しいですが、そうでなければおそらく残留できるでしょう。まずは今年も1部に残留して、安定していい選手が入ってくる環境を作り上げることができれば、近い将来JFLという目標も目に見えてくるのではないでしょうか。関東リーグにはJFLは通過点、その先のJリーグを目指すチームがうじゃうじゃいます。そんな過酷な環境ですが、そうなることを期待しております。

そしてもう一つ、会社を挙げてサッカー部を強化、支援している企業チームをご紹介したいと思います。

9/3 関東リーグ2部@万博グラウンド 日立ビルシステム 0-2 エリース東京

この日はまあ、暑かったですね。そんな暑い日に、よりによって13時からの試合をしかも屋根もスタンドもないとこで見るという、常人なら絶対やらない苦行を実行してきました(笑)
万博グラウンドってどこ?となると思います。普通はそうですよね。私も今回行くとなって初めて調べたくらいですから。調べてみたところ、どうやら万博といっても大阪の万博でもなく、まだ開幕していない大阪の万博でもなく(笑)、茨城のつくばで開催されたつくば科学万博のことでした。

1985年のつくば科学万博のキャラクター。
何て名前だったっけ?(笑)

茨城県での試合ということで、スカイマークの茨城空港便に乗って向かったのですが正直、羽田からの方が絶対楽でした。なぜなら、秋葉原まで行けばTXで1本ですからね。ただ、割引分だけ多少は安くなるんですけどね…(笑)

茨城空港にタラップはなく、全便滑走路に降ろされます。
歩きながらてきとうに取ったら写真、斜めってますね(汗)
滑走路の奥に見えるのは航空自衛隊百里基地の施設。
最近流行りの基地空港の民間転用ですね。
なぜか茨城県内で幅を利かせているセイコーマート。
お土産を買うのにもってこい←話がおかしい(笑)

ここからつくばに行くには、一旦水戸まで行ってから常磐線で土浦まで行き、そこからバスで向かうか、あるいは旧鹿島鉄道跡のBRT区間を含む石岡駅行きのバスに乗って石岡まで行き、そこからやはり常磐線で土浦まで行って、あとは同じ…。うん、地味に遠い(笑)ということで行きは水戸周り、帰りは石岡周りで動くことに。
バスで水戸駅前に着くのが10時半くらい。そこから土浦まで行くのですが、試合開始に間に合うためにはどうしても特急ときわ号に乗る必要がある。しかも今は常磐線の特急は全車指定席。と、えきねっとで指定席券を取ろうとした時、ふと「プラス700円くらいだったら、いっそグリーンでもいいんじゃね?」となり、思わず水戸から土浦までグリーン車で移動してしまいました(笑)

魔が刺してやりました。反省はしてません!(笑)
さすがはグリーン車。足元は広々でしたよ!

土浦からはつくばセンター行きのバス。昔、一度だけ来た時はまだTXが開通する前で、東京駅からバスで行きました。到着したバスターミナル自体はその頃と変わってませんでしたが、大きく変わったのはその地下に鉄道の駅が出来たことです。目に見えない変化でしたね(笑)
そしてTXのつくば駅から東京方面に戻ること約5分。今日の現場の最寄駅である万博記念公園駅に到着です。駅名標だけなら大阪モノレールの駅と勘違いしそうです。茨城に来たつもりが、いつのまにか茨木からちょっとだけ戻ってしまったと勘違いしそうです←そんなことありません!(笑)

今日の最寄駅。TXの万博記念公園駅。
せめて「つくば」とか入れれば分かりやすかったのに…

駅前こそアパホテルがあって多少栄えているようですが、ちょっと歩くと途端に田舎道。炎天下の中歩くこと約20分ちょっと。今日の現場、万博グラウンドに到着です。いや〜、暑すぎた…(笑)

駅前のアパホテル、だけが目立つ駅前の遠景。
こんな道を延々と歩いて現場に向かいました…
今日の現場、万博グラウンドです。
関東リーグ1部、ジョイフル本田つくばFCの練習場でもあります。
すぐ後ろにちょっとした林がある、
そんな自然いっぱいのグラウンド(でも暑い)

この日のホームチームは日立ビルシステム。試合前、勝点17の7位。降格圏内とは勝点6差あるものの、まだ4試合残っているので安心とはいえない順位。そして、チーム自体は東京都の所属ですがなぜか茨城県のつくばでの試合となります(理由はまた後ほど)。
アウェイのエリース東京も名前の通り、東京のチーム。エリース東京は今シーズン絶好調の1位。この日勝って、他会場の結果次第では1部昇格が決まるかもしれない試合。そんな大事な試合、そして東京のチーム同士の試合をなぜか茨城でやるという、実に不思議な試合は序盤からサイドをガンガン突き合うという激しい内容。エリースの方がやや優勢かなと思った11分、左からドリブルでエリア内に入った松岡ジョナタンがゴールラインギリギリのニアから、キーパーを掠めるように反対側のゴールネット目掛けて放ったシュートが決まり、エリース東京が先制しました。

エリア内に持ち込んだエリースの松岡は…
DFの前で跨ぎのフェイントをかけた後…
コースのないところを狙ってシュート!
日立ビルシステムのキーパーを掠めて…
反対側のゴールネットに突き刺さりました。
あんなの打たれたらキーパー取れないっスね…

その後もエリース優勢のまま前半を終えます。後半、反撃したい日立ビルシステムでしたが、始まってすぐの47分に先制ゴールを決めた松岡が追加点。売った本人も「なぜ決まったの?」みたいなポーズを取ってましたが、完全に味方がブラインドになってキーパーは全く反応できなかったようですね。

後半もキレッキレの松岡ジョナタン。
エリア内に入ってシュートを放つと…
コースに入ったDFかブラインドとなり
キーパーは一歩も動けず…
キーパーとしてはガックリの失点。
決めた本人も「Why?」と言った感じでしょうが、
打った選手が上手かったのです。、

2点リードしてやや試合は落ち着き、日立ビルシステムの反撃もありましたがしっかりと相手の攻撃を跳ね返して、そのままエリース東京が逃げ切り勝利。他会場の結果により、エリース東京の1部昇格が確定しました。一方の日立ビルシステムは、残留に向けてまだまだ厳しい戦いが続きそうです。

なぜここにいるのか分からないレベルの松岡ジョナタン。
名古屋ユース出身の彼。トップ昇格したものの…
その後はレンタルであちこち行ったり来たり…。で、今はここ。
名古屋ユース時代には広島でのプレミア参入戦で
痛い目に遭わされたのでよ〜く覚えてますよ…(笑)
そんな松岡ジョナタンも苦しむようなパスを出す三枝竜也。
桃山学院大学出身の彼がここにいるのは意外でした。
ボランチで存在感をアピールしてました。
豪快なミドルシュートを放つも…
日立ビルシステムのキーパー野崎がファインセーブ!
思い切りの良さは大学時代から変わってませんね。
中央大→水戸で活躍した、今年36歳の村田翔。
超ベテランらしく、プレーと声でチームを牽引していました。
2シャドーながら、前線にいいボールを供給する44番生野。
3バックのサイドで攻撃にも絡んだ27番の猪俣。
もちろん守備ではデュエルの強さを発揮していました。
ボランチで攻守に絡む活躍の7番大森。
中盤での献身的なプレーが際立っていました。
最終ラインにいながら、後半は攻撃にも打って出た2番諏訪部。
静岡産業大学出身の5年目の彼はチームの柱に成長。
そして、静産大の子らしいファイターぶりも健在でした。

善戦しながらも勝てなかった日立ビルシステムサッカー部。創部は東邦チタニウムほどではないものの、1973年と今年50周年を迎えます。長年東京都リーグに所属していましたが、2009年シーズンより関東リーグに昇格。以降は1部、2部を行ったり来たりしつつも関東リーグにいます。最高順位は2019年の1部5位と中位から下くらいのレベルをキープし続けています。J3が出来て、選手がそっちに流れる傾向が強い中でもこの成績を維持し続けているというのは凄いことだと思います。
というのも、日立ビルシステムには関東大学リーグで活躍した選手が多く入ることが多く、ある一定のレベルを維持し続けることが可能だったのかな?と思います。今でもその傾向はありますが、やはり以前ほどは選手の質が良くはないようです。これは何もここに限らず、以前お話ししたソニー仙台なども同じ悩みを抱えていますね。それでも、契約社員の上に引越しを余儀なくされるソニー仙台や正社員だけど宮崎に飛ばされ、さらに最低3年以上はチームに在籍しないといけないミネベアミツミと比べて、レベルはやや低いが正社員雇用(と思われる)で居住環境も変えなくていい日立ビルシステムを選ぶ選手もいるでしょう。そういう選手に支えられて、今のレベルを維持できているのでしょうね。

また、日立ビルシステムといえば地域リーグレベルのサッカーを見ている人たちの中では、大宮に立派なグラウンドを持っていることはかなり有名なはずです(関東に馴染みのない私でも知っていました)。実際、公式戦もよく行われていたのですが、いつのまにか公式戦でも名前を見ることがなくなり、そして今回のホームゲームはなんと茨城県のジョイフル本田つくばFCのグラウンドということが、実に不思議だったのです。そこでいろいろ調べてみたところ、どうやら今はもうなくなってしまったらしいと判明しました。
無くなったというと施設を閉鎖や売却と思われるかもしれませんがそうではなく、元々河川敷に近いところに位置していたために台風の大雨でグラウンドが水没。一度は復旧したものの、度重なる大雨被害によりグラウンドとして使用するのが困難となり、今は調整池になってしまったようです。なので、ホームゲームはおろか、練習場も失ってしまったのです。実に嘆かわしいです。自前で練習場が確保できれば、時間帯に関係なく練習ができるのでしょうが、借りるとなるとそうもいきません。また、借りるための経費も必要となります。いくら会社から公認されているクラブとはいえ、余計な出費は避けたいでしょうから状況は厳しくなりつつあるように思えます。
全員が正規雇用と思われる日立ビルシステムの選手たち。会社の事業内容からすると、営業職というよりも外回りのメンテナンスやあるいはビルの遠隔管理を司る管制センターの勤務ではないかと思います。何せ全国に2000以上の事業拠点があるようなので、首都圏かあるいは23区内のあちこちの拠点にバラバラに所属しているのでしょう。メンテナンスは基本24時間体制なので、試合の日にシフトを合わせれば選手が足りないとかの問題はないですし、また練習時間も定時以降の夜練に拘らなくとも毎日のように昼練も出来、その日休みのシフトが合う選手だけが参加すればいい。また、仮に公共施設を借りるとなると、だいたい夜の時間帯は利用状況が逼迫していますが平日の昼の時間帯は比較的空いてることが多いので、昼練を行っている可能性は高そうですね。そう考えると、あの暑い中でも試合終盤まで体力がそんなに落ちてなかったのも納得です。
ビルのメンテナンス業務はこれからも無くなることはないでしょうし、さらに多様化していくにつれてさまざまな人材が求められることでしょう。給与もそれなりにはいいでしょうし、業界的にも安定したものと言えるかもしれませんが、そこに社員として、そしてサッカー選手として入社した彼らにとって、必ずしも安定した職種かというとそうではないかもしれません。世間的には「安定した会社に入ったね」と思われるかもしれませんが、必ずしもそうでないことは理解してあげないといけないのかな、と思うのです。

高いレベルでサッカーを続けようと思うと、昔はそれこそ日本リーグに所属するような大企業のサッカー部に入るしかなく、それより下のカテゴリーでも企業のチームはあるものの、日本リーグにいるようなチームとは待遇は雲泥の差でした。強化クラブと言われる会社からチーム運営の予算が出されたり、仕事面での優遇措置が取られたりするケースもあったかとは思いますが、それもごく一部でしょう。それもバブル崩壊、リーマンショックを経てどんどんと縮小される流れになっています。これはサッカーに限らず、あらゆるスポーツにおいても同様です。貴重な存在になりつつある、企業の強化クラブである2チーム、そして他のそれらのチームの今後の行く末をこれからも見守っていきたいと思います。

自社製品の宣伝を背負った日立ビルシステムの選手。
強化クラブにとって会社は
オーナーでもあり、またスポンサーでもあるんです…
羽田空港にある日立ビルシステムの広告。

次回以降、そんな企業の強化クラブではない企業のサッカー部、そして強化クラブではなく同好会として活動するチームについてのお話ができればいいな、と思っております。その際はまた、お付き合いくださいますようお願い申し上げます。

ちなみに帰りは、石岡駅から旧鹿島鉄道跡のBRT区間を走る空港バスに乗って茨城空港まで行きましたよ(笑)

鹿島鉄道の歴史と痕跡を今に残す案内板。
鉄道が走っていた痕跡らしき土塁の上を走るバス。
かつての駅らしき設備の残る停留所。
こちらは新しく作られたっぽい停留所。
道路との交差地点には信号とバス専用の踏切が設置されてます。

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