「市民」というアイデンティティ-「小金井モデル」という困難(2)
この選挙戦で重要なキーワードは「市民」である。最近の選挙運動では「市民と野党の共闘」という言葉がよく用いられるが、日本の政治・社会運動において「市民」とはどういう思想背景を持ってきたのかをきちんと理解することが、小金井の選挙を理解するうえでとても大切だ。
ここでいう「市民」はただ住民であることを意味しない。市民とは一つの人間像、ただ地域や地域横断の社会問題に関心があるだけでなく、当事者として解決していく主体、政治を動かす主体としての住民である。丸山眞男・松下圭一・篠原一といった研究者たちが提起し、革新自治体を支える思想となった。特に松下は研究活動だけでなく実際の行政運営にもコミットした。松下は武蔵野市政に多大な影響を与えたが、その影響は隣の小金井市にも及んでいる。
「市民」という言葉のもう一つの背景を探るならばベトナム反戦の時のべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に由来する。それ以前の社会運動は政党・労働組合に組織された労働者と大学の学生達が中心であり、それ以外の人達はどれだけ多く参加してもその他の属性としての市民でしかなかった。政党や労組に系列化されない、学生運動でもない、有志の自発的な活動として生まれたのがべ平連であり、「市民」であることをアイデンティティとした社会運動の始まりであった。西欧の社会運動シーンにおいて「市民」を主語とした活動が認識されるのは東欧の民主化であるので、日本の方が10年以上早いことになる。話を戻すと、政党に紐づく組織(日本共産党であれば「民主団体」)ではなく、特定の国政政党に紐づいたり国政政党の下働きをすることを忌避し、「市民」というアイデンティティのもとに独立して動くのが市民運動と言えるだろう。このアイデンティティを持つことを「住民から市民になる」という風に表現する人もいる。
もう一つ考えるならば、ジェンダーとの関係である。男女雇用均等法以前、労働現場での性差別は合法であった。どれだけ優秀であっても女性であることを理由に、雇わないことが可能であった。女性は当時(そして今でも)家事・育児・介護の担い手として、居住地に残されてきた。その彼女達が市民運動の主な担い手として活動してきた。「パリテ」という言葉が話題になったが、小金井市は長年、市議会における女性議員の割合が都内で1位であり今でも上位を占める。そして現在(2019年)、議長・副議長ともに女性である。選挙のボランティアたちもマジョリティが女性であり、この記事で代名詞で呼ぶときは「彼女達」「彼女ら」を使う。
先の総選挙では、こがねい市民連合は、極力「野党共闘」という言葉を使わなかったようなイメージがある。むしろ強調したフレーズは「市民の政治」であった。次回では市民の選挙運動はどう展開されたのか特にSNSはどういう意味を持ったのか考察していく。