山下賢二『ガケ書房の頃』文庫化に際して、私が空想した40年後の夏。(2024年リメイク版)
2016年4月 夏葉社より出版された山下賢二 著『ガケ書房の頃』で写真を担当した。2021年夏、筑摩書房から『ガケ書房の頃 完全版 ─そしてホホホ座へ』として文庫化されると知りこの作文を起草。
この秋、某所でガケ書房・ホホホ座関連のイヴェントを開く際に、お客さんに配布するためにリメイクした。
『ガケ書房の頃 完全版』は2022年3月には実際に電子書籍化(筑摩書房)されたが、以下本文中で40年後に主人公が入手して読むのもそれかもしれない。
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図書館という施設が存在していた時代、移動図書館というサービスがあったという。図書館を利用していた覚えはあるけれど「移動」の方は記憶にない。「移動」と「図書館」、動作と名称という質の違うキーワードの連結にときめく。移動能力を実装した図書館があるのなら……。そうだ、旅する図書館があってもいいのだ。
六月半ばを過ぎると梅雨が明けた。夏の始まりはここ半世紀でひと月近く前倒しになったという。私が小学生の頃は七月上旬に梅雨が明け、終業式までの半月あまりは連日プール授業があった。
旅する図書館実現に向けて、密かに計画を練る日々に母・ホノカから連絡が入る。母の父、私の祖父の蔵書の処分に困っている、よい手立てはないかと。
祖父が亡くなったのは三年前だった。母の話を聞いていると、祖父の本棚のある風景がありありと浮かんできた。児童書や漫画を引っ張り出し、板間に寝転んで読んだ夏休みの記憶。枕代わりの浮き輪。波打つ蚊取り線香の煙。かき氷器を回す手応えと蟬しぐれ……。
本は私が引き受ける、休暇作って受け取りに行く、と二つ返事で応答した。が、私の旅する図書館の蔵書にする、と計画を打ち明けることはできなかった。
祖父母の家は、本土からフェリーで二時間半ほど揺られた先の島にある。昨秋の三回忌には出れなかったし、ずいぶんと久しぶりだ。祖母は夏空の下で梅の実を干していた。梅干し作りもこの五〇年で半月は早まってしまった。と、なげくでもなくこぼしてから顔を上げ、おかえりと微笑んだ。私もただいまと笑顔で返す。住んだ家ではないけれど。
独り暮らしの祖母を心配して、母の妹、私の叔母・テルさんが近々島に戻ることを去年の法事で宣言した。祖父の部屋をはじめ台所などがテルさんの要望に合わせて改装されていた。新しい床、明るくなったダイニングで紫蘇ジュースをいただく。
赤紫色を透かした光がテーブルに染みる。祖母には旅図書館計画はすでに話してあった。自分もついて行きたいくらいと祖母。あなたの図書館の隣でスープカフェでもやろうかしらね。そうだよ、一緒に行こうと盛り上がるも、この歳ではどうかねぇ、と小さく微笑む。いや、おばあちゃんならやれるよ。
祖父は納屋の二階の一角を小さな書庫、というか本専用倉庫に改造していた。思い出の中に浮かんだあの本棚も、すでに母屋から移してあった。
蝉がざんざん鳴いている。夏が伸びて蝉の寿命は延びたのだろうか。私はガタガタと木製窓枠の窓を開け、暑いけれどもマスク、頭と首に手拭い巻きで本の山を紐解き始める。階下から祖母の声。ダンボール、集荷の郵便屋さんの連絡先を貼り付けてここに置いとくよ、郵便屋さんてゆっても機械が一人で飛んで来るんだけど。
ざっと目を走らせたところ、地元の自然史・歴史物、植物・動物・地学など自然科学から人間の意識や哲学といった人文科学辺りへとその分野が広がっていた。そこへポツポツ国内外の小説が散在し、音楽関連のタイトルも見える。
本の天に付箋をひらひらさせて、亡き所有者の意識を記憶したそのままの本もあちこちにある。そんな一冊の付箋の箇所を開いてみる。「見えないゴリラ」……いきなり気になる小見出しではないの。心理学用語「非注意性盲目」を証明する、映像を使った実験が紹介されている。使われるのは、白・黒二種のTシャツを着た数人が、バスケットボールのパス回しをしているという二分にも満たない映像だ。視聴前、被験者に「白シャツの人がパスする回数を数える」というお題が与えられる。つまり意識を向ける先を限定して映像を見ることになる。すると、パス回しをするプレイヤー達の間を、ゴリラの着ぐるみが堂々と横切って行くのに気づかない。視聴後「パス回しメンバー以外に映っていたのは誰か?」と質問されて答えられない。パス回数のカウントに集中し、約一〇秒をかけて通過する明らかな異物(ゴリラ)が記憶に残らないのだ。印象的な事象であっても、注意をそらされることで記憶システムから抜け落ちてしまう。これを非注意性盲目というのだそうだ。
今では古典的な心理実験なのかもしれないけれど、私にとっては初耳のエピソード。すぐさま携帯端末で映像を検索し「わぁ、なるほどねぇ」と感心、頷きながらこう思った。古い記憶にも似たような「抜け落ち」が起きてないか? 例えば最近あった、小学校以来の友人とのやりとり。話題は夏休みのことから冬休みの思い出話へと流れていった。そこで友人は、そういえばさ……、と続けた。五年生のお正月かなぁ、君はクラスみんなに年賀状書いて、こっそり自分で配達したことあったよね。……何、その地味なサプライズ、うそでしょう。いや、うそじゃないよ。寒い寒い元旦の早朝から自転車に乗ってセルフポスティングしたのに、そうと気づいた子はほとんどいなかったからがっかりしてたよ、君。……全く身に覚えがない。友人がいたずらに創作思い出話をしているのではと疑った。
前出の実験でも、趣旨を説明された後に再視聴してゴリラが横切るのを確認すると「これはさっきとは違う映像だ」と言い張る被験者すらいるという。目の前のことではなく思い出の中も、目配せの届かないエピソードは記憶から抜け落ちる。なくなったそれを提示されても、騙されているように感じても無理はない。認識している自分の過去とは、残り物を組み合わせた幻だ。私の見覚えている世界は抜け落ちだらけ、穴だらけの世界。そして、今の自分自身は? 昨日の私と今日の私がおんなじ「わたし」って、何を拠り所にして確かめたらいいの。何を信じたらいいの。
書架から下ろしたり、床に積まれた山を解体したり。選別、ジャンル分け、発送用の箱詰めを進めていく。さて次、と手をかけた拍子に奥の文庫山が、ゆらり。ガサーッ。ほこりが舞い上がり、開けた窓の方へゆっくりと流れていく。崩壊して現れた一冊のタイトルに見覚えが。著者、山下賢二『ガケ書房の頃』だった。
「ガケ書房」に遭遇したのは学生時代、アーカイブエンジニアの資格取得コースを先攻していたときだった。かつての図書館司書から発展したその職務を学ぶカリキュラムの中で、現代和書出版史に登場した。出版史だから、書店であるガケ書房については一筆触れられているだけだったが、その印象的な数行を私は素通りできなかった。時をさかのぼって行ってみたい! と思った。
ガケ書房に関する資料は豊富に存在するし、店主による著作も少なくない。その一つ『ガケ書房の頃』は、四〇年前に文庫化された「完全版」がデジタルファイルですぐに手に入った。読んでみて驚く。何とそこに祖父が登場するのだ。さっそく本人に問うと、本には書かれていない山下氏との逸話をいくつも聞かせてくれた。その中でも繰り返し語られたのが店名についての一幕だった。その耳に引っかかる店名を誰がつけたのか。
祖父はガケ書房開業を手伝い黎明期を共に過ごした。数年後、書店界に名を馳せた頃、とあるトークショーで祖父と山下氏はお互いに「自分がガケ書房の名付け親である」と主張した。それぞれの記憶を開陳して検証し「ガケ」は祖父、「書房」は山下の発案、と公衆面前で一応の決を出した二人だったが、その後もこの件はくすぶったという。二人が共に濃く交じって過ごし、店名に深く思い入れたがゆえの記憶の混沌、抜け落ちた記憶の混成……。
山下氏が来島したときの思い出も祖父は語ってくれた。ちょうどガケ書房って名前ができてから三十周年ってことでな、何か面白い催しができないかってばあちゃんと考えて。ニカラってゆう本屋さんとそのパートナーのドーナツ屋さんに相談して一緒に企画したんだよ。連れて行ったことあったよなぁ、ニカラさん。
今、初めて手にする実書籍の『ガケ書房の頃』。作業の手は否応なく止まる。彼らの自主制作雑誌が完成するくだりに目が留まる。「この本を全国的に売って、生活していくことを僕は夢想していた。インターネットのない時代の甘い無謀な夢。三島は僕の野心に驚いていた」とあった。ふと一つの疑問が浮かんだ。祖父は「驚いていた」のだろうか。
私の知る祖父は、山下氏のように夢や野心を描かないタイプの人だったし、「自分はこれで身を立てる、食って行く」ということに関心を払わない人だった。飄々と今を生きることに憧れ、追求し続けた人だった。将来を描かなかった祖父は、山下氏の想いにただとまどっていたのだと思う。それは想像でしかないけれど、私は私の中に祖父から受け継いでいるものを感じ、そう思うのだ。
アーカイブエンジニアを目指すと父に話した時、やっとお前なりの「行く道」を見つけてくれたかと安心した様子だったが、ここで旅図書館計画を打ち明ければ私がまた逆戻りをしていると忠告を受けることだろう。母にしても、あなたはあれこれやり掛けてみちゃ途中で放り出してばかり、と先を心配するだろう。将来を考えれば逆戻り、停滞、に見えるのも理解はできる。でも、私の想いには未来も過去もないんだけどな。
現在、私たちは日常で書籍を手にすることは原則、無い。まだ書店も新刊本もあった時代に生きた父だが、彼に言わせれば実書籍は現代遺産、非合理的な逝ってるアイテムだ。アーティストが書籍など印刷物のスタイルで作品を発表する事はあるが、書籍一般はすべてデータに置換され新刊本・雑誌・新聞など出版物はみなデジタル版となり、図書館という場も本といっしょに消えた。本の「将来」は一般社会の行く手から消えた。
生活の中に本があった時代、人々にとって読書はどんな時間だったのだろう。娯楽や知識を求め、本の重みと紙の手触り、ときに匂いを感じつつページを手繰る時間。貸したり借りたり、買ったり贈ったり、どこかで置き忘れてきたり、拾ったり……。本から生まれる経験をなくした現代人は何を失っただろうか。
図書館という大きな風呂敷を各地転々と広げながら、失ったものを探してみたい、発掘してみたい。山下氏と祖父が「ガケ書房」の看板の元で人生のひと頃を相交えたように、図書館に行き交う人々に出会いたい。
いけない、また妄想に浸ってしまった。一服入れようと庭で呼んでる祖母の声に応えて私は腰をあげる。自家製番茶を乗せた、廃材つぎはぎの庭の机は祖父の作。蔵書を引き受けてくれてありがたいよ。紙は日焼け、メモだの傍線の書き込みも多くて業者も引き取らなかったから。おじいちゃんは栞代わりに項の角を三角に折りまげる癖があってね、その折り筋も本の価値を下げたね。
祖母は蟬しぐれに抗するようにそう力説した。それから、傍の膨らんだ封筒に気づいて目を留めた。何かおもしろい資料でも出てきたん?
パンフレットの束のような物が入ったその封筒は、休憩しながら中を確かめようと持って降りたのだった。入っていたのは、ふんだんに写真が散りばめられた奇妙な写真冊子で、創刊号から第四号まであるようだった。隣から覗き込んでいた祖母が、あっと声を上げ、すっと一冊を手に取った。懐かしい! おじいちゃんと山下くん、もう一人田辺さんていう仲間がいてね、それで作ってた雑誌だよこれ。
封筒から出てきたのは、山下氏が「全国的に売って、生活していく」夢を見た自主制作雑誌、『ハイキーン』だった。祖母が手にしたのはガケ書房開店に合わせて作られた第四号で、実質最新つまり最終号になったようだ。そのレイアウト、デザインは祖母が手がけたというから興奮した。その頃おばあちゃん、オランダにいてねぇ、メールで版下をやりとりして……懐かしいわぁ。
他の号にも目を通し、いちばん惹かれたのは第三号。刻まれた多数の写真片がモザイク的・パッチワーク的に組み合わされたり、見開き二ページ全面のカラー写真があったり。そしてところどころに、叫びのような、つぶやきのような、ごく短い言葉、またはなりそこないの詩のようなものが挿入されている。「手ェ出してけ」「栄光はどこでしょう。」「慢性可能性癌」……。心内に確かにうごめいてはいるが、それが何なのか形を成せないざわつきを、どうにか切り出して画面に定着させたいという試みが、熱いような、痛いような、また時代のような。誌面から山下氏と祖父、その仲間たちの声が聞こえる。今すぐ友達になれる気がした。そして私の旅図書館のアイディアを聞いて欲しい。
最後のページは外国人男性がドラムセットを叩く写真を中心に置き、毛筆書きの「再評価の嵐」がリフレイン、周囲を埋め尽くしている。私はなぜかニヤッと笑いをこみあげながら同時に涙も感じながら、鼻の奥でキュッとなった。じいちゃん、私今送りまくってるよ、再評価の嵐。
書庫に戻り、一冊を手にとってはその一冊が私の図書館に並ぶのを思い浮かべながら、そこに人々と本が行き交う風景を想像しながら作業を続ける。書架の本に指をかける後ろ姿。その背表紙の題名が目に入る瞬間。閲覧席でページを繰る人がいて、私蔵本を持参する人もいて。腕に抱かれた興味深いタイトル群、素敵な装丁。そこに生まれる新たな想いと物語。
計画はまだ始まったばかりで出発のめども立ってはいないけれど、祖父の本達が背中を押してくれている気がする。必要不可欠な図書館本体となる運搬車両も、今回の来島旅行中にいいめぐりあいがあったりしないだろうか。
晩になって母に連絡を入れた。祖母の様子と今日の進捗を伝え、本に囲まれた一日の興奮を勢いにして図書館計画を話す。強く心配されるのを想像して身が強張ったが、意外な反応が返ってきた。それなら棚からボタモチだったのねと嬉しそうに笑い、さらにそれからこう続けたのだ。計画はきっとうまく行くよ、だってあなた小学校の卒業文集(すでにデジタル版だった)に将来の夢書いてたでしょ、もう廃止寸前なのに「図書館で働きたい」って。
え!? 全く身に覚えのない話にまた驚いた。そうか、記憶には穴ぼこがあっていいのかもしれない。もう何も信じなくても、ただただ行けばいいのかもしれない。