大坂なおみの強さ、オリンピックの論調

女子テニス全仏オープンでの記者会見を拒否した大坂なおみ選手が、ツイッターで2回戦を棄権すると表明したそうです。

4大大会の主催者が、今後の出場停止をほのめかせたことに対する対応でしょう。

このことに対しては、いろいろなご意見があるようです。

賛否の声

おそらく大勢である(体制であるとの誤変換が妙にハマりました笑)反対派の意見としては、

そういう大会から賞金を得て活動しているのに、あらかじめ決められている記者会見をボイコットするのは、信義に反するというものでしょう。

錦織圭選手は、上記の意見にも理解を示しながら、「彼女が決めたなら尊重すべき、僕はどちらでもいいことだと思う」とコメントしました。
勝手な推測で意訳すると
「だからそういうコト俺に聞いたりするみたいなのが面倒だったんじゃね?どうでもいいわっ」でしょうか(錦織選手ごめんなさい)

賛成の意見としては、競技者にとって苦痛である質問はたしかに存在するというもの。試合結果に集中したいアスリートにとってそのような質問に応えなければならないとしたら、確かに記者会見が有害なものとなりやすいことは確かです。

判断の元になったもの

彼女は精神的な苦しみについても語っているようですが、基本的なキャラクターとして感受性が豊かなのだと思います。
BLM運動に対して彼女が積極的に取り組んだのも、彼女の肌の色だけではなく、理由のない苦しみをおしけられている人たちに共感できる才能が豊かだからなのではないでしょうか。
おそらく規制のうるさい大会の中で犠牲者の名前を書いたキャップをかぶり続けるなど、彼女の強さの一端を垣間見ることができました。

一方大会主催者たちは経済にのみ基づいて反射的に反応しました。
大会の主役は少なくとも選手ではないように見えます。
貴社と選手の良好な関係を基盤とした関係者一体となった有効な広報というアイデアは、あまり重要視されないようです。

スポーツと経済

スポーツと経済という言葉で最近容易に連想されるのは東京オリンピックの開催問題です。(開催論者の一部はキャンセルした際の1兆円を大幅に上回る損失に注目し、既に30兆円を超えたコロナ損失が拡大することについてっ検討しないのはどうかと思っていますが、今回の内容とは離れるので、これ以上触れません。)

これまで経済価値が育ててきたスポーツ(を始めとする文化)はたくさんあり、それは素晴らしいことだと思います。
しかし、SDG'sの観点から考えると経済に頼り切らないスポーツ(文化)の活性化方法が今後は重要になってくると思います。
まあ、スポーツに縁の薄い私が言っても説得力がないのですが。

報道の役割

残念なことですが今回もまた、報道の方向性に疑問が生じました。質問する権利があるのだからという左がかった「権利-義務」理論は彼らの得意とするところですが、それに加えて間接的にしろ運営(広報)に協力しているのだからという理屈はまるでパワハラのように思えます。他のハラスメントには厳しいのにという、ネロナムブルではないでしょうか。

オリンピックについても開催可否を論ずる前に、報道にはコロナ感染拡大を抑えるための有効な手段がもっとあったのではないかと思っています。今回は全国民が総力を上げて戦うことが求められているはずで、行政の不備やくだらない国会論戦を取り上げる紙面を削ってでもマスコミにできる何かがあったのではないでしょうか。デマや陰謀論の検証、すぐれた取り組みの水平展開の支援、医療現場や被害者の状況の詳細などにもっと力を入れられなかったのでしょうか。

有名人と主張

スポーツ選手は、スポンサーにわがままを言ってはいけない。可愛い芸能人は政治的主張をしてはいけない。テレビの出演者は発言前にスポンサーの商品を頭に思い浮かべなければならない。そんな風潮は、そろそろ見直してもいいような気がします。
もちろんオリンピックの場が平和を目指すことを理念としている以上、そこで国家間の紛争につながるメッセージを提出するのは好ましくないでしょう。しかし政治的主張と言ってもそのようなものばかりではないはずです。

新橋駅前のサラリーマンは好き勝手なことを言っても許されて、(もっともテレビ局は狙いどおりのコメントを放送して、)有名人は発言できないというのは、貴重な意見がネットのデマやヘイトスピーチに隠されていくような気がしてなりません。

以上、一言でまとめると、
大坂なおみ選手は勇気があってCoolだから大好きっ!
てことです。

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