72 われは海の子
この曲を聞くと、ときとして涙が出ます。なぜだかは、分かりません。
父は海の子でした。子どもの頃、いまのベイサイドプレイス辺りの海岸から飛び込んで、志賀島まで泳いだことがあると話していました。本当かなと思うよりも、全く想像ができないので、昔話や伝説か何かを聞いている感じがしました。
しかし、兄が学生の頃、親友(この人のお兄さんはニュージーランドのオリンピック水泳コーチ)と一緒に、住んでいた生の松原海岸から飛び込んで、能古島〜長垂と泳いで戻ってきたりしていたので、父の言うようなこともあったのかもしれないな、と思い直しました。
兄も父に鍛えられて、海の子でした。兄の話によれば、手漕ぎボートで沖に出て海に放り込まれて、浮かんできたら、頭を踏まれて沈められたそうです。生きるか死ぬかの境目を越えないと、海に生きる資格がないと見なされたのかもしれません。その父もまた祖父に鍛えられたのだと思います。
祖父は、明治期に渡った豪州移民一世です。最初は、司馬遼太郎さんの小説『木曜島の夜会』で少し存在が知られるようになった白蝶貝(高級ボタンの材料)の漁師(潜水夫)だったそうです。父は西オーストラリアのブルームという町(月の階段で有名)で生まれました。
当時の白豪主義の影響で日本人は危険になったということで、小学生の父は祖母や伯母たちと日本に送り返されて、博多に住み着いたらしいです。
私は海の近くで育ちましたが、海の子ではありません。海ではおろか、プールでも50ḿ位しか泳げません。私は女の子として育てられて、父の趣味だった絵画とクラシックを習いました。でも、どこかで兄のように泳げたらいいな、とちょっぴり憧れがありました。
書いていて思ったのですが、私が子どもたちにスイミングを習わせたりしたのは、私の中に海の子への憧れがあったからなのかもしれない、と思いました。
祖父や父たちの何かが、子や孫たちに繋がっていったらいいな、と思います。
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