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家族(映画『万引き家族』)
~汝らのうち、罪なき者まづ石を擲て~
もう大分前のことですが、人智学(アントロポゾフィ)の講義を伺った後、笠井叡先生と(当時大名にあったアぺティートで)食事をしながら談笑していて、「幸せというものは、どのタイミングでもよい」という話になりました。いま現在が幸せではなくても、過去に幸せな時期があったとしても、あるいは未来に幸せを思い浮かべられても、人生は良いものだ、と話されたのです。
映画『万引き家族』を観終わって、唐突に、その時のことを思い出しました。
そう、ある時期、ある瞬間かもしれなくても、幸運や幸福に恵まれて豊かな時をもてたならば、人生はそれだけでも十分に生きるに値するのだと思います。そういう人生を肯定する深い洞察に満ちた温かい気持ちに包まれました。
この映画は、是枝監督の(考え抜かれた)珠玉の言葉どもを集めた(まるで)聖書のような作品だと思います。きっとそう思わない人もたくさんいると思いますが、私にはうるわしく尊く感じられました。役者さんはみな素晴らしかったですが、特に安藤さくらさんが、魂からにじみ出てくる(舞踏の)ような輝きがありました。取り調べの時に流した涙、家族について語るシーン、珠玉の名場面だと思います。
安藤さんは言います。「“あれが私の家族です”ってわざわざ言葉に出さなくても、自分の心の中で家族だと思う人がいれば、それはもう家族なんじゃないかなって私は思います」
また是枝監督も語ります。「今回は共に過ごす時間が終わったあとに、記憶として残っているものが『家族』なのかなと。一緒に暮らすことができなくなってなお、(お互いに)つながっていると意識することの中に家族があるのではないか。見えない形で(家族というものが)たちあがってくる。そういう話にしたいなと思っていました」。
JaSPCAN(日本子ども虐待防止学会)で、ここのところ毎年のように基調講演に盛り込まれてきた文化人類学(長谷川眞理子先生、山極壽一先生)の講演では、人間とは(類人猿などと比較して)煎じ詰めると、共食と共同養育を行う動物であり、それを営む家族をもっていることこそが人間の人間たる所以だそうです。
この家では(生活すれば当たり前ですが)いつも食べる場面が出てきます。カップ麺が、そうめんが、トウモロコシが、肉の味の染みた白菜の(安物の)鍋がうまそうです。
そこに会話があります。ぶっきらぼうな会話には、それぞれの我(が)も入りますが労りもあります。
音だけで実際には見えない花火を、縁側からみんなで揃って見上げます。
みな傷つき弱い存在です。せいいっぱいです。生きるためにこずるく、身勝手です。でも支えあって、やさしい。万引き家族は、まぎれもない家族だと、私は思います。
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