愚痴納め~今年の辛かったコト色々~
あっという間に今年も終わろうとしている。今年の汚れは今年のうちにという。だから今年の愚痴も今年の内に吐き出したい。
※このnoteにはDVや毒親を想起させる文章があります。苦手な人は読むのを控えて下さい。
まず今年は年明けから辛く悲しいニュースが続いた。能登半島の地震による被害、ウクライナ侵攻やガザ地区侵攻は未だに続いている。当たり前だが毎日どこかで何か起こり、誰かが悲しい思いをしている。手放しでは喜べない年始だった。
息子のことでも随分悩んだ。低学年の頃から問題行動が続き、学校に呼び出されたりスクールカウンセラーを受けるように言われ受けた回数は数え切れない。私は見るからにADHDとASDの複合型だ。だが幸いにも学力に問題が無かった為運良く見逃されてしまったタイプで、思春期になるまで診断は付かなかった。なので、息子にも何らかの性質は遺伝しているのは重々わかっていた。早めの受診と診断を学校からは常に求められていた。しかし、それには強い抵抗があった。それは、私の母が発達障害に対して強い忌避感と嫌悪があったからだ。私が診断を受けた当時は女児のADHDとASDの複合型はかなり珍しく、色んな病院や機関をたらい回しにされた。多動性はおいといたとして自閉スペクトラムの「自閉」という部分が、かなりショックだったようだ。母は、私の気質が孫に遺伝しているのを認めたくらしくなかった。病院に診断に行くまで、療育の為に別の学校の授業を受ける為に送り迎えしたり、息子の症状の具合を聞くのは非常に辛かった。責められているような気がした。きっと私の両親はこれ以上の大変さだったのだと思い、我慢するしかなかった。同居している母の偏見や不安を解くまでに数年かかった。今になって思えば、もっと早く病院に行けば良かった。様々なテストを日を空けて何度も受けた結果、息子は確かにそういった傾向はあるが、病名が付くには至らず投薬や療育を受ける必要は今のところ無しと言われた。私はこの結果を学校に提出し、ようやく学校からの呼び出しは終わったかのように見えた。
そうして落ち着いた頃に立て続けに病院通いになり、ほとんど毎日何かしらの病院に通わなければなかった。疲れた。すごくしんどかった。どうしてこんなに続くんだろうかというくらい、怪我や病気が続いた。自分の体調も万全ではない中必死で、結果自分をおざなりにするしかなかった。とにかく疲れていた。こういう時に伴侶が居れば少しは違ったのだろうか。しかし、記憶にある限り息子の育児に関して元夫が協力的だった記憶は一度もない。予防接種も、体調不良も、インフルも、全て私が連れて行っていた。息子がお腹に居る際の健診の日、ささいなことを注意したところ気分を削がれて苛立った旦那はそのままどこかに行ってしまった。私は泣きながら、大きなお腹を守るように運転して産婦人科に向かった。涙は止まらず、採尿の際にトイレで泣き過ぎて引きつけの様になってしまった。ずっと、そうだったのだ。だから、今更伴侶が居ようといまいと関係ない。むしろ、足を引っ張られたり嫌味を言われたりして更に疲労しただろう。精神的に負担が全て私に乗っかっているが、それは自分が選んだ決断だ。そう自分を納得させようとしても、涙が止まらない日がたくさんあった。
それから、何といっても同居している母との仲だ。とはいっても、以前よりはかなり改善している。だが、だからこそ、ささいなことで互いにイライラしたり、ストレスが溜まる機会が増えた。母はとにかく真面目でいい加減な私が許容出来ないのだ。私は父親似なので、だいたいが大雑把であり細かいことはあまり気にしない。無神経なところもある。そういったところが母の神経を逆撫でするらしく、無言で不機嫌になる母の機嫌を伺ったりすることが、とてつもなく苦痛だし、そうせざるおえない弱い自分が悲しい。私はもう母に期待はしていない。だからこれ以上私から奪わないで欲しい。私の尊厳や人生、大切なものを踏み躙らないで欲しい。互いのテリトリーを守って欲しい。定期的にお願いしているのだが、しばらくすると忘れられてしまう。これから何度繰り返すのだろうと絶望する。
だったら早く離れれば良いじゃないかと思うだろうがそうも行かない。息子もまだ小さいし、何より私は体調不良の上に仕事も無い。文句が言える身の上でも、自由を夢見るほど裕福でもない。ただこのまま母といても私はエネルギーやお金を吸われ続けていくだけなので、息子の成長や進学に合わせて出て行くことを考えている。これには息子も賛同してくれていて、今はそれに向けて人生に希望を見出している。
元夫のDVに怯える日々が終わったと思ったら、次に待っていたのは母からの不機嫌ハラスメントだった。嫌なことが無くなっても、また別のところから湧いてくる。単に見えなかっただけなのかもしれない。それでも耐えていくしかない。でも希望はある。私は息子をきちんと育てあげたいし、幸せにしたい。私も幸せになりたいし、誰にも尊厳や命や居場所を脅かされない穏やかで平和な日を迎えたい。その為に、今は耐えるしかない。夜と霧のヴィクトワールフランクよりは、ずっとずっと恵まれた環境だ。命までは取られない。でも母と居ると何か失っていくのだ。楽しい気持ちとか自分を大切にする気持ちとか、とにかく奪われていく。真っ黒い感情の波が押し寄せてくる。だから、離れたい。その為に頑張る。我慢する。耐える。
私は数年前までこんな恵まれた生活をさせてもらっているのに、辛い苦しいしんどいと思うことすら罪悪感でいっぱいだった。相手を怒らせたり、不機嫌にさせてしまう私が悪いのだと。ずっと自分を責めて、空っぽな気持ちのままとにかく目の前の相手を喜ばさなければ殺されてしまうくらいの病的な思い込みが、ようやく解け始めたばかりだ。私は変われるんだろうか。分からない。でも、精神的に楽に生きられる道を模索していきたい。
誰にも言えないし言える相手が居ないので、文章にして吐き出して少し楽になりました。書くことで救われている気がする。自分のネガティブな感情を受け入れて、人を嫌いになったり期待するのを諦めたりする練習をしたい。おわり。