(G)I-DLE 1st フルアルバム 「I NEVER DIE」感想まとめ

お気づきだろうか。
(G)I-DLE初めてのフルアルバム「I NEVER DIE」には、デビュー曲「LALALA」以来ほとんど全てのシングル曲タイトル曲に使われていた、ビヨンセから始まってリアーナ、KE$HAなどが盛んにやってたダンスホールレゲエとR&B、ヒップホップとのハイブリッド、レゲトンとかのカリブ由来のダンスポップのリズム、「ドンタカタッタ、ツッタカタッタ♪」っヤツが使われてないのだ。
(ムーンバートンって言うんだって。知らんけど)
これが何を意味するか。
僕が思うに、「ソヨンはこのアルバムの曲では楽しく踊らせる気がなかった」のではないか。

スジン脱退、1年半以上の活動休止を経て、崖っぷちの(G)I-DLEは、何としても逆転ホームランを放つしかなかったのである。
この状況で1st フルアルバムのリリースというのは、考えて見れば大きな賭けであったわけで。

アイドル運営としては、「Mカウントダウン」「人気歌謡」「K-POPの中心」などに出たり、「週間アイドル」「知ってるお兄さん」などのバラエティに出演したりして陰りを帯びたイメージを明るく楽しく親しみやすいイメージに更新して、何としてもヒット曲を生み出そうとするのが、まあ、セオリーである。
ソヨンはその真逆をいった。
ダークでバイオレンスなイメージを打ち出した。

「アルバム名自体に(G)I-DLEの覇気と覚悟を見せたかった。また、空白期を経てのカムバックなので新しくデビューするという気持ちで挑んだ。成長した私たち5人をどう魅せたらいいか悩んだし、自ら価値を証明する世界の全ての偏見に対して自身の感情と考えを込めたアルバムを作りたかった」
—ソヨン(発売記念オンラインメディアショーケースより)

だから人気ドラマのOSTでタイアップヒットを待つとか、ニコニコ挨拶回りして「色々大変でしたけど、元気に頑張りマスので変わらずヨロシクオネガイシマス」とか、そういうヌルいやり方はやらなかった。

「今までの(G)I-DLEのイメージは忘れてもらって、これが今の私たちだけど、何か?」

だから(G)I-DLEの代名詞、「LALALA」とかのダンスポップは、このアルバムでは封印して、ロック、ポップパンクなどの、今まであまりやってこなかった曲調を展開し、ソヨンの伝家の宝刀、ヒップホップで本気を出したのである。

ソヨンは意味とかなんなら精神性とかも深く考える人ではないかと思っている。
パンクロック、ヒップホップは、レベルミュージック、反抗の音楽である。
ダンスポップではなく、レベルミュージックを選んだのは、深い意味があると思う。

それと「VILLAIN DIES」。
(G)I-DLEとしては、「物語性」はキープの方向で、というのと、歌詞の虚構性に紛れて、本当に言いたいこと、怒りやモヤモヤを吐き出したのかもしれない。

もうひとつ。
これまでの(G)I-DLEはソヨンPDのグループとしか思われなかったのを、ミンニとウギのソングライティングチーム、ミヨンもシュファのパフォーマンスチームをもっと押し出していく事を宣言していて、冒頭3曲までソヨン作、4~7曲目はミンニウギミンニウギと並べて、ミヨンのドラマティック歌唱、シュファの「♪LALALA」と必殺技を打ち出させ、黄金の打順を構成して、アルバム全体が5人全体の名刺代わりになっている。

1曲目の「TOMBOY」は言っても「虚構」の(G)I-DLE像、アルバム最後の「My bag」は「リアルに近い」(G)I-DLEのメンバーのイメージ→詳しく言うと各メンバーのアピールリリックは始めパブリックイメージ後半より素に近いという造りになっていて、
アルバム全体が打ち出したい新たなイメージ→素顔という流れになっていて、聴く者はより5人の近くに引き寄せられていくというか、自ら踏み込んでいくことになる。

だから、僕が強く訴えたいのは「シャッフル再生禁止」。

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