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ほんの少しの尿意に負けた話

実家から車で帰路の途中に

運転しながら映画「ファイトクラブ」について助手席の妻に熱く語っていた。

ファイトクラブ(デビット・フィンチャー/1999)

この映画は内容の面白さはもちろん、印象に残るシーンやセリフが数多くある。特にブラッドピット演じる「タイラー・ダーデン」のセリフは痛快で、また時に観客の胸を刺す。

「ワークアウトは自慰行為だ。男は自己破壊を!」

鍛え上げられた下着モデルのポスターを見て、タイラーは吐き捨てる。社会通念を否定し、自分たちを肯定するような発言だが言葉選びがカッコよすぎる。

「レイモンドはいい朝を迎える。翌朝には、食ったことがないほどうまい朝飯を食えるんだ」

コンビニ店員を銃で脅し、自らの夢を語らせ、夢のための勉学をしなければ殺しにいくと恫喝した後のセリフ。コンビニ店員は遂さっきまで死の恐怖に怯え涙を流していた。しかし、確かにタイラーの言う通りかもしれない。人は怠慢だ。強引だったとしても、背中を押されて、走り出してしまえばどれだけ気持ちがよいだろうか。


「我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人も犯罪も貧困も誰も気にしない。」

もっと気に掛ける問題があるのに、人は社会や企業に踊らされて消費する。物からの脱却、自由な生き方を粗暴な言葉で訴えかけてくる。殺人や犯罪まではいかずとも、あなたの中に明日着ていく服を考えるより考えるべき物事があるんじゃないでしょうか。


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もう一度、ここに記述しよう。

「ファイトクラブ」は面白い映画だ。

ただ語り部である私が作品の魅力をキチンと伝えることができるかどうかは別の話である。上記の内容に関しても、「ほ~ん」としか感じない人も多かっただろう。

私はこの人に物事を伝えることの難しさを痛感した。

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車内での私のトークは、熱を帯びていた。

タイラー・ダーデンはブラッド・ピットが演じたキャラクターのなかで最も魅力的だ。何故ならばうだつの上がらない主人公を破壊する理想とする存在だからこそだ、魅力的だからこそストーリーが成立している。これは卵が先か鶏が先かの話になってしまうほどカンペk

「トイレ行きたいから次停めて」


彼女の一言は、私というサブカルキモオタ鬼の首を一閃した。薄皮も残らぬ骨まで断つ完璧な一太刀だった。

さきほどまでオイルメンテナンス完璧なトルクチューンモーターかなってぐらいにグルグル回っていた私の舌は行く宛を無くして迷子になった。私はなんとか絞り出した

「うぃ」

の一言を放って、おずおずとコンビニへ車を停めた。

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コンビニから戻ってきた妻は、温かいお茶を買っていた。

暖房つける?

私はもうタイラー・ダーデンの話はできなかった。これは「ファイトクラブ」のせいではない。私のトークがつまんなかったからだ。

私のトークがつまらなかったから

少し尿意も催してきたし、喉も少し乾いたな。コンビニ寄ろうかしら

ってな感じのなんとなくの欲求に負けてしまったのだ。


「ファイトクラブ」は至高の映画だ。だからこそトークテーマを原因にはできない、私にこそ原因がある。私のトークがクソおもんなかったからだ。

2022年、新年早々わかったことがある。

私のトークはクソおもんない。
ほんの少しの尿意に負けるほどおもんない。

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私は新年に目標を掲げたりすることはない。

目標を記憶して、モチベーション高く行動するのは最初のうちですぐ忘れるからだ。それは方法に問題があるんじゃないの?ってツッコまれそうだが、そもそも掲げている目標が大きすぎるかくだらんことなのだろう。

しかし、今年は目標を立てたいと思う。

今年中に私は妻に車中でこう言わせたい。


「ゴメン!我慢してたけど、もう限界!トイレいかせて!」


と。

1月2日、現在の私はクソおもんない。
しかし、負けるものか。

タイラー・ダーデンは言った。

「痛みを感じろ。苦しみと犠牲が尊いんだ。痛みから逃げるな。人生最高の瞬間を味わえ」

私は今日の痛みをここに刻み、覚えよう。
最高の瞬間を目指して。

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